「――連絡事項は以上だ。と言うわけでこれから冬休みだが、来年はお前らも受験生なんだから、あんまり羽目外して内申に響くような真似はするなよー? 特にさっきまで補習じゃないかって心配してたやつは。――それじゃあ解散、よいお年を!」
そんな担任のお節介な忠告をどれほどのクラスメイトが真剣に聞いていたのだろうか。
そう思わざるを得ないほど、クラス中が一瞬で喧騒に包まれた。
「よっしゃあ冬休みじゃああぁぁー!」
「今からカラオケ行くけど一緒に行く人ー?」
「それじゃあまた来年ねー」
それぞれがそれぞれに試験地獄からの開放を祝い、午後からの予定を決め、休暇の間の別れを惜しむ。
まるで臨界状態だったポップコーンが一気に弾けたような騒ぎだった。
だがそれも今日が終業式でクリスマスとくれば無理もないだろう。
教室全体を包むお祭り騒ぎの余波に、席が一番後ろで窓際の
「はー、終わった終わった」
交遊関係の広いクラスメイトと違って特段予定があるというわけではないが、それでもやはり長期休暇というのは素晴らしい。
何にも追われないという解放感に伸びをして、暫し自由の身になった感慨に浸る。
(帰って何するかな……今日は親父もお袋も遅くなるって言ってたし、昼は適当にハンバーガーか何か食って、帰りに夜用のチキンでも買うかー? そんで――)
周りが友人や彼氏彼女との予定で盛り上がっている中いささか寂しい思考な気もするが、誰かに合わせる必要がない分気楽ではある。
(――そうそう、期末試験期間中に溜めてたアニメもまだ見きってないし、ゲームもクリスマスセール真っ最中だからまたなんかいいの探さなきゃだし、独り身の方が有意義に時間を使えるじゃないか……!)
晴樹はうむうむと自分を納得させながら、通知表をカバンに放り込もうとして――不意に隣から女の子の声がかかった。
「ねえねえ、ハルは通知表どうだった?」
春の日差しのように柔らかくて温かな、けれど内に秘めた悪戯っぽさを隠しきれていない声。
そんな聞きなれた声に振り向くと、隣席の小春六花がニヨニヨとした笑みを浮かべてこちらへ身を乗り出してきた。
「なんだよ
「ふーん、じゃあ見てもいいよね」
「あっ!? おい勝手に……」
止めるより先に、小春は体ごと手を伸ばして、机の反対側にかけていたカバンに手を突っ込もうとする。
晴樹の膝の上を小春の上半身が横切り、むにゅ、と柔らかいものが太腿に触れた気がした。
「――っ!!」
「ふふーん、もーらったー!」
不意の感触に固まってしまったスキをつかれ、通知表はあっさり奪取されてしまう。
小春はそのまま通知表を開くと中に目を通し――
「へー、はー、ふーん…………ふっ、勝った」
――ニヤッと悪戯っぽく口元を緩ませた。
有無を言わさぬプライバシー侵害に一方的な勝利宣言。つまりは宣戦布告である。
いつものやり取りに、晴樹の体から緊張が抜けた。
「よーし分かった受けて立とう、それならこはるりの通知表も見せろよ」
「え? 普通にヤだけど?」
「は? そんな自分勝手が許されると思うなよ――!」
晴樹は机の横にかけてあった小春のスクールバッグをかっさらうと、容赦なくジッパーを開いて手を突っ込む。
「あ゛ー!? ちょっと! 乙女の鞄を勝手に開くとか重罪だよ!? 覗きだよ! 住居不法侵入罪だよ!!」
「先制攻撃しかけて来たのはこはるりの方だろー? 嫌なら大人しく最初から通知表を――ってあったあった」
カバンのなかは授業もないからかスカスカで、
「さて、偉そうなことを言う小春先生の成績は――って、こはるりも俺とだいたい同じような成績じゃねーか!」
「はー? ちーがーうーしー! 現国や英語は私の方が上ですしー!」
「その分歴総と数学では俺の方が上なんだが?」
「歴史はともかく、数学は切ってるからノーカンだよノーカン!」
「いやだからって赤点ギリギリ取ってるのは明らか負けと言っていいだろ」
「くぅ……っ、それは……」
言うまでもないがお互い成績がいい訳ではない……というか平均に乗れたら勝ち確定レベルの戦いである。だが、だからこそ負けるわけにはいかない。
負けたが最後、言い訳のしようもなくバカであるということになるからだ。
この争いを初めてはや数年、戦績は二勝二敗三引き分け。引き分けが多いのは無論、お互いに負けを認めなかったからである。
「……よーしオーケー分かったハルさんや、ここは穏便に引き分けということでどうでしょう」
「は? 嫌だが? 確かにこはるりに負けてる教科もあったのは事実だけど、どこかの赤点ギリギリウーマンに対して俺は全教科平均点はいってたが?」
「それはテストの点数じゃん! 今競ってるのは通知表! 授業を真面目に受けてたかも評価の対象ですー!」
「ぐ……確かに俺の授業態度が悪いことは認めよう……だが逆に! 授業態度がいいのに点数低い方がバカっぽくないか!?」
「ムキー! それは禁止カードでしょ!? 思っても言っちゃダメなやつじゃん!!」
ぜーはーぜーはー。
お互い肩で息をつき、言い争いでヒートアップした熱を冷ます。
気付けば他の生徒はとっくに帰ってしまったらしい。クリスマスに、ガランとした教室に二人だけ。息を切らしてどっちがバカか言い争っている――そう意識すると急に自分たちが滑稽に見えてきた。
「……なあこはるり、やっぱり今回は引き分けってことで手を打たないか」
「……うん、ありがと。これ以上やってたらクリスマスに何やってんだろって正気に戻る所だったかも」
それはもう正気に戻ってるのでは? と突っ込もうとした晴樹だったが、藪蛇する必要もないかと考え直す。
代わりに、冷静になったことで思い出した疑問を口にした。
「というか、こはるりは俺なんかに構ってていいのかよ?」
「んー? もしかして迷惑だった? なんか予定あったり?」
「いや、そういう訳じゃないけどさ」
「そうだよね! いかにもクリぼっちって顔してたし」
「ぐふぅ……っ! どんな顔だよそれ……というかわざわざ指摘しなくたっていいだろ……」
耐えがたい現実を突きつけられ机に突っ伏す晴樹に対し、ふふ~ん、と頬杖をついた小春はご機嫌そうに脚をぷらぷらさせ始める。
「……というか俺のことはいいんだよ、俺のことは。こはるり前言ってなかったっけ、終業式の日は軽音部仲間でクリパやるんだとか、すっごいはしゃいでた記憶があるんだけど」
瞬間、小春は鏡にひびが入ったかのようにピシッと凍り付き、それから晴樹とおなじように机へ突っ伏した。
「ああ、クリパ? あはは、うん、クリパね……折角そのこと忘れようと思ってハルに絡んでたのに……あは……あはは……」
いや、同じようにというにはあまりにも痛々しい姿。
目は半額シールの貼られた鰯よりも濁っていて、口から漏れる乾いた笑いからは生気がまるで感じられない。脱力しきった様子は雨に降られた雪だるまのよう。
心にクリティカルヒットを喰らったばかりの晴樹ですら、思わず心配になるほどの変わり様。何かトラブルがあったことは間違いなく。
「あー……なんか悪かった」
「いや、いいの……悪いのはハルじゃないから……悪いのは、この世の中だから……あはは……」
「おーい、もどってこーい、俺でよければ話ぐらいは聞いてやるから」
肩をぽんぽんと叩いてあやしてやると、なんとか小春は上半身を起き上がらせる。
「それで、何があったんだよ? もしかして二人と喧嘩でもしたのか?」
軽音部に所属するのは小春を含めて三人、先輩の夏色さんと後輩の花隈さん……だったはずだ。
見ている限りすごく仲がよさそうだったが――まあバンドは音楽性の違いで解散したりという話も聞くし、二、三度ステージで見ただけの印象がアテになる世界ではないのかもしれない。
「うぅ……喧嘩か……喧嘩ならまだよかったよ……」
「……まさか、解散、とか……?」
「解散……そっちの方がマシかも……」
(解散すらマシとか一体なにがあったんだよ……)
これ以上突っ込んで聞くことが恐ろしく、かといって今更聞かないわけにもいかず。晴樹はただ黙って次の言葉を待つ。
ややあって、小春は焦点の合わない目を揺らしながら、ぽつりと呪詛を吐くように呟いた。
「……彼氏」
「……は?」
「彼氏ができた、二人とも……」
ギギギ、と油の切れたブリキの人形みたいにゆっくりと小春が首を回して――目が合う。「お前だけは逃がさない」という昏い決意の灯った瞳に、晴樹の脳内警報がけたたましく鳴り響いた。
――絶ッ対、面倒なことになる。
「あー、そうなのかそりゃ残念だったな。じゃあ俺はこれで――」
「待゛っで!! なに逃げようとしてるのさ! ここまで聞いたんだから最後まで付き合っでよ゛!!」
「うわぁ!? 落ち着け鼻水出てるから! いや! だからって、俺の制服で拭こうとすんな!」
「だっでえ゛! ハルから話振って来たのに逃げようとするから゛ぁ゛!!」
「あー! 分かった! 逃げない! ちゃんと話聞くから!!」
逃走失敗。
それから小春が鼻をかんで落ち着くまでに、数分を要した。
「――それで? 軽音部の二人にいつの間にか彼氏ができてて、よりによってそのことを昨日知らされたと」
「うん……まず最初にね、花梨先輩から『本当に悪いんだけど、明日クリスマス会行けない』って連絡が来て……そしたら千冬ちゃんからも『実は私も明日は……』って……それで問い詰めたら……あはは……」
落ち着きはしたが相変わらず小春の目は死んだままで、絶望の深さが嫌というほどよくわかる。
「ま、まぁ……なんだ、前日にいきなりってのは確かにちょっとな……」
「ううん、それは仕方ないよ……二人とも昨日告白されたらしいし……」
「お、おお……そうなのか……」
会話が止まる。こんな時に何と声をかけるべきか、人間関係レベルの低さが今は恨めしい。
いや、人生二回目でも無理じゃないか、この状況。
「……私たち、さ。ずっと一緒だと思ってた……生まれた時と場所は違っても同じ軽音部、死ぬときは同じ場所、同じ時な仲間だと思ってたのに……」
いや、どこの三国志だ。
「で、でもホラ! 彼氏ができたからって軽音部やめる訳じゃないんだろ? だったら別に今までと変わらないんじゃ――」
「変わるよ! だって既に昨日のグループチャットで声が変わってたもん! なんか二人ともメスの声してたもん!!」
「ちょ、メスの声て……こう、もうちょっとなんか言い方ないのかよ」
「だってそうとしか言いようがないんだもん! 花梨先輩のあんな声聞きたくなかったよおぉ……! 千冬ちゃんがあんな声出せるなんて知りたくなかったあぁ……!」
その時のことを思い出したのか小春は再び机に突っ伏して、だくだくと涙を溢れさせていた。
「どうせ今日だって彼氏とイチャラブチュッチュデートして、シメに交尾するんだ……!」
「ぶほぉ!? ちょっとこはるり落ち着け! 交尾とか言うな、交尾とか……!」
明らかに暴走状態の小春を宥めようとする晴樹。だが、小春は逆にバネ仕掛けのように机から跳ね起きて、肩に指を喰い込ませてくる。
「だって事実じゃん! クリスマスに高校生のカップルがイチャラブチュッチュデートして、何もないままはい解散――なんてなると思う!?」
「……いや、そりゃ人によるだろ。高校生でも健全な付き合いしてたっておかしくはないって。それに花梨さんとかそういうの真面目そうだし――」
瞬間、小春の顔から表情が抜け落ちる。もはや悲哀すら失い、残ったのは完全なる無。
能面じみた相貌に、地雷を踏んだと遅まきに気付く。
「……花梨先輩の彼氏ってさ、私のお兄ちゃんなんだよね」
「お、おお……まさかの身内か……」
「それでさ、お兄ちゃんから頼まれちゃったんだよね『今日ちょっと夕方までどこか出かけてくれないか』って」
「…………」
「ハルはさ、それでも何も起こらないって言える?」
「……ごめん」
晴樹は目を逸らした。無理だった。どう頑張っても擁護できなかった。
小春はもう涙も涸れたらしく、椅子の背もたれへどっかりと倒れ込み、煙草の煙を吐くみたいに長いため息をつく。
「もう、さ。私の知ってる花梨先輩はいないんだよ……次会うときは下手したら花梨義姉さんだよ……。そして千冬ちゃんも……いや、もうちゃんづけじゃ呼べないよ、千冬さんだよ……」
「……ま、まあその……なんだ……それならこはるりも彼氏作ればいいんじゃないか?」
晴樹は多少胸の奥にもにょりとしたしこりを感じつつも、そう慰める他なかった。
「あはは、いいねそれ、ナイスアイデア! ――って、それができたらこんな苦労しとらんわ!」
「……確かに、それもそうか」
うがーっ、と威嚇してくる小春に苦笑しながらも、晴樹は内心安堵する。
――はっきり言おう、小春は可愛い。
確かにクマミミみたいに二つ並んだ銀髪のお団子ヘアはちょっと幼く見えるし、化粧っ気も薄い。
けれどそのくせ目はぱっちりと開いてアイドル顔負けだし、唇も桜色に艶めいて健康的な色気を生み出している。普段バカなことばっか言い合ってるから意識しないでいられるが、あがらずに喋れてるのが不思議なくらいの美少女だ。
その上、男子相手にも同性のように話しかけてくる気さくさと、さっきみたいな距離感の近さ。クラスの中でも小春を目で追ってる奴は少なくない。
ましてや学園祭であれだけ注目を集めた人気バンドのギターボーカル。他クラスどころか他学年の男子からアプローチされていてもおかしくないと思うのだが――と、そんな考えがつい口をついてしまう。
「……こはるりを彼女にしたいヤツ、結構いると思うんだけどな。可愛いんだしさ」
「はぁ……いいよそういうお世辞は。ハルにまで気を遣われたらもうどうしようもないじゃん」
小春はぶーっ、と唇を尖らせる。
「いや、お世辞のつもりじゃなかったんだが……けどまあ変なこと言って悪かった、忘れてくれ」
しまった、失言だったな、と心の中で舌打ちする。
小春との関係はあくまで腐れ縁の話友達だ。そこへ今更、男女の関係みたいな変なものを持ち込んだって、こじれたり疎遠になったりするだけで迷惑だろう。
そもそも、歌もギターも上手くて学園のスター的位置にいる美少女と、特に取り柄などない自分が釣り合う訳がない。
(小春は元々誰にでも距離が近いんだし、童貞が勘違いするなって話だ。あくまで分を弁えて――)
そう、晴樹が平静を取り戻すため自分に言い聞かせている時だった。
「――本当にお世辞じゃないんだったらさ、今日これから私に付き合ってよ」
「は?」
間抜けな声が出てしまう。
一瞬いつものように揶揄われてるのかとも思ったが、険しくなる小春の視線がそうではないことをありありと物語っていた。
「だーかーらー! さっきのがお世辞じゃないっていうなら、ハル的に私は
「それって何か? 俺とこはるりでクリスマスデートでもしようってことか?」
「デートっていうか……話しの流れ的に分かるでしょ? その……デートの後って言うか、本番って言うか……聖くない方の性夜っていうか……」
「聖くない方言うな……って、え? ま、マジで言ってる?」
「マジもマジ、大マジ」
こちらへぐっと身を寄せ、上目づかいで見つめてくる小春は、耳まで赤くしながらも、それでいて一切目を逸らすようなことはなく。
「――それともさ、やっぱりハルから見て私って守備範囲外?」
「……い、いや、ばっちりストライクゾーン圏内です」
晴樹には、からつく喉からその一言を絞り出すのが精一杯だった。