小春との腐れ縁がはじまったのは中学一年の春、入学式の日。
「ねえ、私小春六花って言うんだ! 君は?」
出席番号が一つ違いで隣の席になった彼女の第一声がそれだった。
「……え、俺? 古泉晴樹だけど……」
あまりにも突然で、彼女の顔に緊張する間もなくて。
「へぇ、晴樹っていうんだ……ということは私も小春だし、ハル仲間だね! これからよろしく!」
「いやハル仲間ってなんだよ」
今でも”ハル仲間”がなんだったのかは知らないが、不思議と小春とは同じクラス、近くの席が続いた。
近くにいるということは自然と会話も増え、好きなゲームの話で盛り上がったり、宿題の多さを愚痴ったり、弁当を一緒に食べたり、教科書を忘れた時に見せ合ったりと――そうするうちに、自然と気の置けない話友達になった。
性別が違うことすら意識しないでいいほど小春と話すのは楽しく、個人的には親友と言ってもいい存在で。
――けど、だからこそ小春との今の関係が壊れるのが怖かった。
もし男女として意識してしまって、それがきっかけで疎遠になってしまったら。
釣り合う筈がないという諦め以上にそれが恐ろしくて。
だからこそ性的な話や男女間の話題はずっと避けてきていたのに――
――――――
「へー……ここがハルの部屋かぁ」
「そんなに珍しいものがあるわけじゃないと思うが」
晴樹は目を輝かせてキョロキョロと室内を見回す小春を横目に、コンビニの袋を机の上へ置き、エアコンの暖房を入れた。
平静を、いつも通りを装っている――つもりだったが、内心気が気ではない。
(大丈夫、掃除は昨日したばっかりだし、ゴミ捨ても今朝やった。見られたら困るものはないはず……)
一度確かめた場所がすぐにまた気になって、視線があちこち落ち着かない。なんだか職員室で採点されている気分だ。
見慣れたはずの自分の部屋なのに、女の子がいるというだけでこのアウェー感。
「男の子の部屋ってこんな感じなんだ」
「こんな感じも何も、こはるりにはお兄さんいるんだし、そんな珍しくもないだろ」
「いや、お兄ちゃんの部屋はどちらかというと楽器保管庫って感じでさー」
そういえばギターを始めたのもお兄さんの影響だったか。余程音楽好きな人なのだろう。
そんな風に晴樹が油断したところへ、くるりと振り返った小春は笑顔で爆弾を放り投げた。
「それに、家は家の匂いだーって感じじゃん。ここは、ハルの匂いがするからさ」
背中を嫌な汗が流れる。まさか、昨日の匂いが残って……?
「っ!? いや、悪い、掃除はしてるつもりだったんだが……」
「うん? あー、違う違う! いやな匂いがするって意味じゃないよ。ただ、学校だとたまにしか感じないハルの匂いがずっとするなーって」
安堵しかけて、目を細める小春の顔にバクンと心臓が跳ねる。
(俺、そんなに特徴的な匂いがしてるのか……?)
自分の匂いは自分ではわからない。そんな、自分自身でも知らないことを把握されているという感覚が、気恥ずかしくてたまらない。
しかも今の言い方だと、もしかしてしょっちゅう嗅がれてるのではないか?
部屋の空気はまだひんやりとしているのに、汗が出そうなほど体温が上がっていく。
(というか、匂いで言ったら小春の匂いの方がすごいんだが……!)
丁度エアコンが吐き出した風が小春に直撃しているらしい。部屋の空気がさっきから少しずつ、頭の芯を痺れさせるようなほの甘い匂いに染められていた。
女の子が自分の部屋にいるのだということが、視覚以上に生々しく意識される。
「と、とりあえず立ったままなのもなんだし座ったらどうだ?」
「んー、そうする」
とはいえ来客用の椅子なんてあるわけもなく、小春は周囲をもう一度ぐるりと見回して、ベッドのふちに腰を下ろした。
きしり、とベットが軽く軋む。
――言うまでもないが、男子高校生にとって、ベッドは睡眠欲を満たすための場所であると共に、性欲を発散するための場所でもある。
しかも、よりによって昨日は小春で抜いたばかりだった。
欲望のはけ口にした相手がそこにいる――罪悪感と、一抹の興奮にごくりと喉が鳴る。
「ハルは座んないの?」
「……それもそうだな」
確かに一人だけ立っているのもおかしな光景だ。
ドキドキとうるさい心臓の音が聞こえてしまうんじゃないかと不安になりながらも、小春の隣に腰を下ろして。
びくっ、と小春が肩を跳ねさせた。
「~~っ!」
視線を横にやると、こちらを見ていた小春が顔を勢いよく俯ける。頬は真っ赤。太腿は落ち着かなく擦りあわされている。
少し安心した。
余裕がなくて自分のことばかりに集中していたが、どうやら小春もかなり緊張しているらしい。
――いや、もしかして緊張だけではないのではないか。
ベッドのシーツを握りしめた小春の手は怯えるみたいに小さく震えていて。
「……その、やっぱりやめとくか?」
「え?」
「いやだって、教室でのアレは勢いみたいなところがあったじゃん。こういうのってやっぱり大事なことだしさ。小春がやっぱり怖いって言うなら――「それはイヤ」」
晴樹の目を見つめる小春の瞳には、はっきりとした決意が浮かんでいた。
「ここまで来てやっぱなし、とかないから」
「……そっか」
「それに、もう色々買っちゃったの勿体ないし……」
小春の視線の先にあるのはコンビニ袋。机に置いたそれには、水と0.01mmと書かれた箱、そしてなぜか小春が無言で籠に入れたペットシーツが入っている
ペットシーツと水はともかく、コンドームを買うということはそういうことでしかなく。
「ここまできて何もせずに家にこれ持って帰ったら、たぶん虚無感すごいしさ。……というかそもそも今は、家に帰れないし」
そういえば花梨先輩と小春のお兄さんが今は家にいるんだったか。
ある意味既に逃げ道は塞がれているわけで。
「悪い、余計な質問だった。……それじゃ、やる、か」
「う、うん……」
小春が頷いて――耳鳴りがしそうなほどの静寂が訪れる。
言うは易く行うは難し。
やると言ったはいいものの、晴樹は行動に踏み切れないでいた。
(小春は……ダメか)
ちらりと横目に様子伺うと、小春も俯きがちに身を縮こまらせていて、彼女からのアクションに期待は持てなさそうである。
正直こんなことはじめてだし、どうすればいいのか分からない。提案者の小春が何かしてくれることを少し期待していたのだが。
とはいえこの状況では男の方がリードするしかない。
頭の中にあらん限りの参考資料をひっくり返し、凍り付いた唇を何とか動かす。
「そ、その……こはるり」
「ひ、ひゃいっ!?」
「ひとまず、こういう時はキスからが定番だと思うんだが、どうだろうか」
純愛物のエロ漫画とか大体そんな導入だし、順番としては間違ってない……はず。
「う、うん……まあ、そうだよね。そういう感じのとこ、あるよね。とりあえず生みたいな」
いや、飲み会じゃないんだから。というか俺ら未成年だろ。
と、いつものように突っ込むだけの余裕はなかった。
晴樹は小春の方へ顔を向け、ゆっくりと近付ける。
こくり、と小春が緊張に喉を鳴らした。背筋を伸ばし、目を閉じて唇を軽くつきだす。
晴樹もつられて目を閉じて――ふに、と。
一瞬、唇が柔らかなものに触れた気がした。
「……っ」
今まで経験したことのない、儚さすら感じる柔らかさ。壊れてしまうんじゃないかと心配になって、反射的に距離を取ってしまう。
幻だったんじゃないかとすら思えてしまうほどの淡い接触。
目を開けると、小春も少し不思議そうな表情を浮かべていた。
「……今の、ハルとキス……したんだよね?」
「たぶん」
「たぶんって、なんで曖昧なのさ! これ、ファーストキスだよ! 大事な奴だよ! ……ってもしかして、ハルは違ったり?」
「いや、俺も初めてだけど……」
今小春は、確かにファーストキスだと言った。
(つまり俺のファーストキスはこはるりのファーストキスで……)
意識するとどうしようもなく嬉しくて、口元がぐずぐずに緩んでしまう。
「ならいいけど……ってなに笑ってるのさ! もしかしてハルってば私のこと揶揄ってる?」
「違う違う、そんなことないって! ただ、キスしたはずなのに、お互いその自信がないのがなんかおかしくてさ」
「だって初めてだったし、目瞑ってたし、一瞬過ぎだったもん」
確かめるように唇を触っているあたり、小春も同じように感じていたらしい。
「だったらさっきのがキスだったって確かめるために、もう一回するか?」
「……うん」
小さく頷く小春と、再び顔を近付ける。今度は反射的に逃げてしまわないように、小柄な肩をしっかりと捕まえた。
うっすら濡れた小春の長い睫毛が近づいて、すっと通った鼻梁が鼻先をかすめて。
唇に熱く湿った吐息が吹きかけられ、ちゅ――と、今度こそ小春の唇と触れあった。
柔らかくてぷにぷにの感触が、少しかさついた自分の唇に吸い付いてくる。
(ああ、本当に俺、今こはるりとキスしてるんだ……)
いつもちょっと楽しそうな緩い弧を描いている小春の唇。
他愛ない話を交わしたり、バカみたいなことで言い争ってみたり、毎日挨拶をかけてくれた唇。
そこに触れているんだという実感に、胸の奥から熱いものが湧き上がってくる。
名残惜しむようにゆっくりと距離を離すと、小春が照れたようにはにかんだ。
「しちゃったね、キス……」
「しちゃったな……」
全身がむず痒くなるような空気が部屋の中に漂った。
幸せで、けれどこの雰囲気の中じっとしてるとどうにかなってしまいそうで。
「その、私の唇……どうだった? い、一応こういう時のために、普段から気を付けてたんだけど」
「――こはるりにも、そんな女の子っぽいところがあったんだな」
「はー!? ハルってば私のこと一体なんだと思ってるのさ!」
気恥ずかしさをいつものように誤魔化すと、小春も普段のようにうがーっ! と両手をあげて抗議してきた。
見慣れた光景に、少し緊張がほどける。
「悪い悪い。その……すっごく良かった。柔らかくて、気持ちよくて……できるならずっとキスしてたいなってぐらい」
ほどけすぎて、本音が舌先まで滑らかに零れ落ちてしまう。
ぼふん、と既に染まっていた小春の顔が、赤熱したかのように真っ赤になった。
「……っ! そ、そっかぁ……ハルってばずっとしてたいとかそんな真面目な顔で言っちゃってえへへそんなに良かったかぁ……! ま、まぁ? 私はそれほどでもないんだけどハルがそんなにキスしたいんならしょうがないなー……んっ」
指先を捏ねまわしながら早口にそこまで言い切って、小春は唇を軽く開く。
本当は自分だってキスしたいのが丸わかりで。
けれどそんな仕草がたまらなく可愛くて、晴樹は行動で応えることにした。
ちゅむ、と瑞々しいサクランボみたいな弾力がしっとりと唇に張り付く。
(……美味しそうだな)
ふとそんな感想が浮かんだ。
好奇心の赴くままに、今度はただ押し当てるだけじゃなく、わずかに開いた唇同士を噛み合わせ、軽く食んでみる。
「んっ……!? ……んっ、ちゅ、ちゅく、ちゅむっ」
小春は一瞬驚いたようだったが、すぐ同じように唇を蠢かせ、お互いに唇を食みあう。
キスが深いものへ変わるのに時間はそうかからなかった。
「んちゅ……ちゅぷっ、るろっ……」
気付いたら小春の中に入ってしまっていた舌を操り、晴樹は彼女の口腔を堪能する。
舌同士をぬちゅぬちゅと擦り合わせ、歯肉の形をなぞり、分泌された唾液を啜る。
「ちゅぢゅっ……ぢゅるるるッ……!」
――甘い。
はっきりとした甘さではない。
コップの水にほんのひと匙砂糖を混ぜたかのような、水っぽい中にほんのりと、錯覚かもしれないと思うほどうっすらと――けれど、確かに感じる甘さ。
(これが、小春の味……!)
そう気付いた瞬間、晴樹は蜜を吸うハチドリのように小春の口内を舐めまわした。
「れるっ、るろりゅッ……ちゅぢゅく……っ」
呼吸する間も惜しい。ただ一心に舌で唾液腺を刺激し、舐め取り、嚥下する。
酸欠でぼんやりする頭に水音が響いて、だんだん意識が夢見心地になり――
「――ぷはっ! はっ、はっ……はぁっ……ちょっと! ハルってば激しすぎ!!」
胸を突き飛ばされ、気付けば顔を真っ赤にした小春が荒い息を整えていた。
「犬でももうちょっと遠慮して舐めるんじゃないかってレベルなんだけど!? キスで溺れ死ぬかと思ったじゃん」
晴樹も今更ながら頭がくらくらして、わずかに頭痛がすることに気付く。
小春に止められなかったら危なかったかもしれない。
「っ……悪い、こはるりの唾液が美味しいからつい夢中になりすぎた」
「っ、お、美味しいって……」
「その……甘い感じがするというか」
「……糖尿病?」
「いや、そうじゃなくて女の子っぽい甘さというか――」
「わー! わー! それ以上禁止! 折角ボケてなかったことにしたんだから! ハズいこと言うの禁止!!」
小春の顔が再び赤くなる。今度は酸欠ではなく羞恥によって。
「というか! それ言うならハルだってなんかえっちぃ味がしたし!」
「えー……えっちな味ってなんだよ」
「や、それは……その、なんかこう、えっちぃ気分になる味というか……」
なんで言いだした本人がふわふわしているんだ。というか――
「――つまり、今こはるりはえっちな気分になってると?」
「~~っ! 拒否権行使! んちゅ、ちゅむっ……」
小春は「これでこの話題は終わり!」と言わんばかりに唇を押し当て、舌を絡めてきた。
先ほどのお返しとばかりに情熱的な舌の動きも、照れ隠しが多分にあるのだろう。
だが、理由はどうあれ女の子から熱烈にディープキスをされて、興奮しない男はいない。
茹だった脳から熱が下半身に零れ落ち、雄の本能が刺激される。
キスよりも、もっと先のことがしたい――
自然と、両手が小春の胸へと吸い寄せられた。
「ちゅく、ちゅる――んッ!? あ、や、ちょっと待って……!」
ふにっ、とした感触が手の平に伝わるのと、小春が慌てて身を引くのは殆ど同時だった。