「そんでですね。そのヒロインが主人公に精一杯アピールするわけです。髪を切ったり、ピアス開けたり、服装だって今までジャージしか着なかったのに今時っぽい物も買い揃えて……そんな健気なシーンが盛りだくさんで可愛いのなんの」
「ふーん」
適当に相槌を打ちながら、遠方のビルの上を飛行機が通っていくのを見ていた。
真っ暗な空にピコピコと夜間ライトが点滅していて、昔はあの光をUFOだと思って目で追っていたのを思い出した。この歳になると風情のない光に見えてなんだか寂しい。乏しい感性になったものだ。
「真面目に聞いてます?」
横から冷たい視線を向けられ、俺は飛行機を眺めたまま答えた。
「聞き流してる」
「堂々と言わないでください。こっちはノリノリで喋ってるのに」
今度は拗ねた言い方をされ、さすがに申し訳なくなった。「冗談だ。ちゃんと聞いてる」と謝ると、灯はふんっと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
灯の趣味がコスプレと聞いてから、こうしてベランダで彼女の話に付き合う機会が増えた。前から話し相手を欲していたのか、灯は俺がついていけないほどの熱量でサブカルチャーを語ってくれる。
俺も初めは大袈裟気味にリアクションしていたものの、ボキャブラリーにも限度がある。いつの間にか流し聞きするようになってしまって、彼女の機嫌を損ねてしまった。
手すりに腕を乗せ、軽く身を前に乗り出し、前のめりで聞いてますよ感を精一杯出す。
「で、次はそのヒロインの制服衣装を作ると」
「……そっす。でも最近は物価高のせいもあって材料買うのも一苦労なんすよね。立て替えてくんないっすか?」
「返済能力あったらワンチャンあった」
「バイト見つけるのが先かあ」
灯は苦い顔で言った。
探さなきゃと言っている割に、真面目にバイトを探している様子はない。やらなきゃいけないことを先延ばしにしがちなタイプらしい。学生時代の自分を見ているようで親近感が湧く。
「ところで、まだ灯のコスプレした姿見たことないんだけど、どんな感じなんだ?」
「えー、気になるんすか?」
「それなりには。周りにそういう趣味持ってる人いないしな」
「そっかそっか」
灯はニコニコと笑って頷き、そのまま黙った。十秒経ってもピクリともせず街の景色を眺めている。
「……え?」
「なんすか?」
「今の流れだったら『しゃーないっすね。特別っすよー』とか言ってコスプレ写真見せる流れじゃん」
「い、いや、その……私一度も他人に見せたことなくて。いっつも自分の部屋で衣装に着替えて写真撮って満足するだけなんで、見せたくないっていうか、シンプル恥ずかしいっす。勘弁してください……」
「コスプレって誰かに見せるためにやるもんじゃないの?」
「そんなことないっすよ。そのキャラになりきって鏡の前でニヤニヤするだけの楽しみ方もあるんです。むしろ私はSNSでバズりたいがために、人気の巨乳キャラに入れ替わり立ち替わり着替えては、うっすーいキャラ愛投稿してるだけの昨今のコスプレイヤーをモッパン動画ぐらい嫌ってるっす」
「色んなところに喧嘩売ってるな」
モッパン動画は俺も苦手だが。
「素材がいいから見たかったのに」
自分で思っている以上に期待していたようで、自然と呟いてしまった。
そんな俺に灯は恥ずかしそうに頬を掻く。
「そ、そんなに見たいんなら尚のことお金貸してくださいよ」
「バイト受かったら祝いに一着ぐらいは買ってやらんこともない」
「マジっすか⁉︎」
「単発とかじゃなく、親御さんが言うようにしっかり食費払えるぐらいの安定したバイトに就けたらな」
「やった、やったあ! じゃあリルモの装備一式買ってもらお」
「なんだそれ」
「三年前ぐらいにやってたファンタジー作品のキャラです。結構ガチの鎧なんすよ。ほら」
急にはしゃぎ出した灯に、スマホで『リルモ』なるキャラクターの画像を見せられた。
精巧に作られたフルフェイスの鎧装備。背中にはキャラクターの背より大きな大剣を背負っている。女性キャラクターらしいが可愛げのない、逞しい鎧姿だった。
「待って。これいくらすんの」
「これから風呂入って求人漁るんで今日はこの辺で。おやすみなさい」
「ぜってえ高いじゃん! やっぱりナシ! ナシだから!」
散々叫んだが、灯は部屋に引っ込み窓をきちんと施錠した。
……気軽に言うんじゃなかった。
◆
次の日。彩恵と喫茶店で次の現場まで時間を潰していた時のことだった。
「え? お店、閉めるんですか?」
白髪白髭のマスターの唐突な告知に俺は目を丸くして声を上げた。
正面の席に座ってアップルパイを頬張る彩恵も、フォークを口に咥えたまま驚いて固まっている。変装用の伊達メガネも心なしか少しズレている気がするし、相当面食らっている様子だった。
マスターはただでさえ深い顔のシワを更に深めて、俺にコーヒーのおかわりを注いだ。
「ああ。もう腰がもたなくてね。二人ともよく来てくれてたのに申し訳ない」
そっと俺の前にカップを置き、軽く頭を下げるマスターに俺も彩恵もああ……と腑に落ちた。
この小さな喫茶店は大通りの路地裏にポツンとある隠れ家的なお店で、都会の喧騒から遮断されたような雰囲気が好きで俺と彩恵が気に入っている場所だった。
若い客も少なく、彩恵も身バレを気にせず気軽に来れる数少ない店で、朝から夕方まで二人で仕事の話をしていたこともある。
一年ほど前からマスターの腰の具合が悪く、入退院を繰り返していたのは聞いていたが、実際にいざ閉店を告げられるとショックは大きかった。
ゆっくりとカウンターまで戻って慎重に椅子に腰掛けるマスターを見て、俺も彩恵も肩を落とした。
「あの様子じゃ仕方ないな」
「このアップルパイ、もう食べられないのね。残念」
友人が遠方に旅立つかのような悲しい表情で、彩恵はパイを小さく切って大事そうに味わった。俺も行きつけの店が無くなるという経験は初めてだった。いつものコーヒーが一層苦く感じる。
他に客もいないせいもあって、暗い空気の中過ごしていると不意にドアベルが鳴った。
「こんにちは……バイト募集のチラシみてきたんですけど」
緊張した女の子の声。
入口が俺の背中側にあって顔は見えないが、声色からしてかなり若い。女子高生ぐらいの年齢だろうか。このお店にその年齢の子が来るなんて珍しい……なんて思った直後、稲妻が走ったようにその声が記憶と結びついた。
思わずバッと振り返り、声の正体を確認した。
「バイト? ……ああ、すまないねえ。看板のとこに貼りっぱなしだったか。来月にはお店閉めることになったから、もう募集していないんだ」
「あ、そうなんですね。こっちも急に来ちゃってすみません。先に電話しとけばよかった」
「お詫びに一杯ご馳走するよ。好きなとこ座って」
「あ、ありがとうございます」
マスターに言われ、ピンク髪の女の子は行儀良く頭を下げる。どこに座ろうかと小さな店内をぐるりと見渡し、その途端。
「「あ」」
俺と灯の目が合った。
◆
「へえ。同じマンションのお隣さん同士なのね」
興味深そうに彩恵が灯の顔を見つめると、灯は恐縮したように縮こまりながら「は、はい」と頷き、震えた手で紅茶を啜った。
お互い顔見知りと気づいた以上、無視するわけにもいかず、俺の隣に座らせたがそのせいで彩恵と正面から対峙する羽目になり、かなり緊張している。多分、紅茶の味もよくわかっていない。
朗らかに微笑む彩恵と顔を強張らせる灯、両方を見比べて楽しんでいると灯が勇気を出して切り出した。
「あの……私の方からも聞いていいですか?」
「何かしら」
「間宮彩恵さん、ですよね。アイドルの」
「知ってくれてるんだ。嬉しい」
「テレビにもよく出てますから。……それで、その、お隣さんとはどういう関係なんですか?」
「彼は私のマネージャーなの。デビューした時からお世話になってるわ」
「ま、マネージャー⁉︎ え、マジ?」
灯は顎が外れそうな勢いで驚いて俺の顔を見た。
「そんな驚く?」
「だ、だってマネージャーってことはずっと一緒にいて仕事してるってことっすよね。ライブとかテレビ番組とかも一緒について行って……」
「そうだけど」
「もしかしてお隣さん結構すごい人?」
「担いだ神輿が思いの外デカかっただけで、俺は一般人だ」
「一般人って……まあ、そうか。私の隣の部屋に住んでるぐらいですもんね」
「やかましい。言っとくけど俺らが住んでる部屋、まあまあ良い物件なんだぞ。家賃払ってくれる親に感謝しなさい」
「へいへい」
灯はうざったそうに口を尖らせた。
「バイトの件、やっと真面目に探す気になったんだな」
「ここなら家から通いやすいし、オシャレだし、学校の友達とばったり出くわして気まずくなったりもしなさそうだしで、アリだなって思ってたんすけどねー。約束の件、忘れないでくださいよ」
「ナシって言った」
「聞いてないのでナシは無しっす」
「都合のいい耳だ」
そう返すと、コホンッと彩恵が咳き込んだ。相変わらず外行き用の笑顔のままだが、心なしか目が笑っていないような気がして怖い。
「そろそろ時間じゃない? 次の現場に行かないと」
「あ、ああ。それじゃあ俺たちはもう行くから、バイト探し頑張れよ」
彩恵に言われて立ち上がると、灯は「はい。お仕事頑張ってください」と軽く頭を下げた。
会計を済ませてお店を出るタイミングでもう一度灯と目を合わせると、彼女は俺と彩恵にぎこちなく手を振った。
喫茶店を後にし、車でラジオ局に向かう道中、後部座席の彩恵が口を開く。
「あの子。日野ちゃんって言ったっけ」
「日野灯」
「私のこと警戒してなかった? 何かしたかしら」
「さあな。有名人目の前にして緊張してたとかじゃない?」
右折しながら適当にはぐらかす。以前、彩恵が苦手と言っていたからその意識が彩恵にも伝わってしまったのかもしれない。
「そんな風には見えなかったけど。……ま、小童一人に嫌われたところでなんのその」
「言い方よ」
「それよりあなたの態度の方が気になる」
「態度?」
「随分仲良さげだったじゃない。隣人ってそんなに仲良くなるものかしら」
訝しげな視線を感じて、必死にバックミラーから目を逸らした。
「たまにちょっと話すぐらいだ。お互い一人暮らしだから気にかけてる部分もあるけど」
「手料理のお裾分け、なんて古臭いドラマみたいなことしてない?」
「するわけない。人に食わせるほど食材余ってない」
「なら逆にどうやって仲良くなるのよ」
「どうやって、て……廊下で会った時に挨拶したり、たまたまベランダ出るタイミングが被った時にちょろっと話すぐらいから始まったっけな」
「ふーん……。ふうん!」
「何が気に入らないんだ」
「別に。結局JKブランドなんだなって」
「そんな目で見たことねえ」
「どうだか。私のこともそんな風に見たことないって言っておきながら、今やズブズブだもの」
そっちが無理やり沼らせてきたくせに、と喉元まで出かかった。
「JK云々に興味ねえって。仮に彩恵がJKだったとしても今ほど魅力的には感じない。大人びた雰囲気の彩恵が一番だ」
「じゃあ私がセーラー服着てても何とも思わない?」
「……………………思わない」
「いや、間。何をどう想像したのよ変態」
「待て待て待て弁明させてくれ。当時の彩恵がセーラー服着てるのと、二十一歳の彩恵がセーラー服着てるのとでは話変わってくるじゃん! 前者は『可愛いな』で終わるけど、後者は水商売の世界観すぎて逆に気になるっていうか、痛い目見てでも踏み込みたくなる魔力があるというか……分かるだろ!」
「男の人っていつもそんなこと考えて生きてるの? いよいよ本格的に日野ちゃんの身が心配」
「あくまでお前の話であって、灯はただの隣人なんだって」
「道、間違えてる」
彩恵に指摘された時には引き返せず、ぐるりと遠回りさせられた。
運転中に妙な話題を出すのはやめてほしい。