数日が過ぎた。
神楽坂明日菜は、表向きは以前と変わらぬ、活発で少し口喧嘩の絶えないクラスメイトだ。
「ネギ」と呼び捨てにし、時には教師らしからぬネギの態度を叱咤する。
だが、その内面にはすでに決定的な楔(くさび)が打ち込まれていた。
ネギの指示、魔力、欲望。
それらを「ネギを助けるため」という大義名分のもと、無条件で受け入れる回路が形成されている。
急激な変化は周囲に怪しまれる。
今はまだ、このままゆっくりと、彼女の常識と防衛本能を歪めていけばいい。
(まずはエヴァだ。彼女の魔法をコピーするのが先決だ)
そんなネギの思考に応えるかのように、事態は動いた。
ある日の放課後。
ネギと明日菜のもとに、全裸の佐々木まき絵が現れ、宣戦布告のメッセージを伝えてきたのだ。
指定された場所は、学園内の古びた洋館。
ネギは内心で「良い趣味だ」と感心しながら、明日菜と共にそこへ向かった。
洋館の広間には、異様な光景が広がっていた。
佐々木まき絵、大河内アキラ、明石裕奈、和泉亜子の4人、そして絡繰茶々丸が、全員メイド服を着て整列している。
そして中央の豪奢な椅子には、妖艶な美女が足を組んで座っていた。
豊満な肢体、切れ長の瞳、圧倒的な存在感。
「よく来たなネギ、そして神楽坂明日菜」
美女が嘲るように笑う。
明日菜がすかさずツッコミを入れた。
「ちょっと! アンタ誰よ!?」
美女はため息をつくと、パチンと指を鳴らした。
幻術が解け、金髪の幼女――エヴァンジェリンの姿に戻る。
「私だ! 私!」
「ええーっ!? チビッ子!?」
「チビッ子言うな!」
ギャーギャーと騒ぐ二人を他所に、ネギは『写輪眼』を赤く輝かせていた。
(素晴らしい幻術だ。魔力の構成、光の屈折操作、精神への干渉……全ていただきだ)
一瞬で美女に変身する技術。これは夜の活動(・・・・・)において非常に有用だ。
「……ふん。どうやら従者を手に入れたようだな」
エヴァが明日菜を一瞥し、ニヤリと笑う。
ネギは一歩前に出た。
「エヴァンジェリンさん。まき絵さん達、4人は解放しましょう。一般の生徒を巻き込むのは感心しません」
「解放? ハハハ! 解放などせんよ!」
エヴァが手を振るうと、虚ろな目をした4人の少女たちが戦闘態勢をとった。
「やれ! ボーヤを八つ裂きにして血を啜れ!」
「ネギ君だ!やっちゃえ!」
運動部のエースたち、しかも吸血鬼化して身体能力が強化された4人が、一斉にネギに襲いかかる。
そしてエヴァ自身は、窓を破って外へと飛び去っていった。
(……俺の血が目当てなくせに、なんで逃げるんだよ)
ネギは心の中でツッコミを入れたが、まずは目の前の障害を排除しなければならない。
「ネギ! どーすんのよこれ!?」
「任せてください」
ネギは指先を振るい、無詠唱で魔法を放つ。
『風花・武装解除(フラカ・エクサルマティオー)』
突風が巻き起こり、4人のメイド服だけを綺麗に弾き飛ばした。
バシュッ! という音と共に、4人は一糸まとわぬ全裸となり、その場にへたり込む。
吸血鬼化していても、羞恥心までは消えていないらしい。
「きゃあああっ!?」
「い、いやーん!」
「……あんた、またやったわね」
明日菜がジト目で睨んでくる。
「緊急事態ですから。……無視してエヴァを追いかけましょう!」
ネギは強引に話を逸らし、窓枠に足をかけた。
ここで明日菜への魔力供給ラインを開く。
『契約執行』。
「っ……ん……」
明日菜が小さく声を漏らし、頬を赤らめる。
ネギから流れ込む魔力には、彼の欲望が混じっている。それが明日菜の神経を甘く刺激しているのだ。
だが、今の彼女にそれを拒む術はない。
(……まだパクティオーカードは渡していない。アーティファクトのお楽しみは後回しだ)
ネギは明日菜を抱え、空へと飛び出した。
上空。
エヴァはすぐに見つかった。
まあ、向こうもネギを誘い出しているのだから当然だ。
「来たか、ボーヤ!」
「逃がしませんよ!」
空中で『魔法の射手(サギタ・マギカ)』の撃ち合いが始まる。
光の矢と氷の礫が交錯する。
「始動キー、『デウス・ステルコローズス(汚れた神よ)』!」
「ほう? 良い趣味をしているじゃないか」
ネギの詠唱キー(呪文の頭につける合言葉のようなもの)を聞いて、エヴァが感心したように声を上げる。
「ありがとうございます」と返しながら、ネギは連射を続けた。
地上付近では、明日菜が茶々丸と対峙していた。
だが、茶々丸は積極的に攻撃してくる様子はなく、あくまで牽制に徹しているようだ。
明日菜なら大丈夫だろう。
ネギは再び上昇し、エヴァとのドッグファイトを展開する。
ホウキなどの飛行具を使わず、身一つで空を舞うネギを見て、エヴァが目を見開いた。
「フハハハッ! 予想外だぞ! 箒もなしに空を飛べるとはな!」
「エヴァンジェリンさん! あなたが勝ったら僕の血を差し上げましょう! ですが、僕が勝ったら授業に出てもらいますからね!」
ネギは懐から羊皮紙の契約書を取り出し、ヒラヒラと見せつけた。
「ハハハハ! 言うじゃないか! 良いだろう、ボーヤが勝ったら授業に出てやるさ!」
エヴァの魔力が高まる。
『氷爆』、『こおる大地』。
次々と繰り出される上級魔法。
その一つ一つが、教科書通りでありながら、芸術的なまでに洗練されている。
(凄い……! これが『闇の福音』の魔法か!)
ネギの『写輪眼』が高速で回転する。
術式の構成、魔力の運用効率、タイミング。全てをコピーする。
ネギの魔力量はエヴァの10倍だが、技術では足元にも及ばない。
この戦いは、最高の授業だ。
即座にコピーした魔法を撃ち返したくなる衝動を抑える。
そんなことをすれば、間違いなく学園長たちに怪しまれる。
「終わりだ! 『闇の吹雪』!」
「負けません! 『雷の暴風』!」
黒い氷の嵐と、雷を纏った暴風が正面から衝突する。
拮抗。
いや、わずかにネギが押している。
技術で劣る分、単純な出力(魔力量)で押し込んでいるのだ。
「ぬうぅっ!?」
「はあああっ!」
ドォォォォンッ!
爆発が起き、煙が晴れる。
エヴァはまだピンピンしていたが、その時、地上から茶々丸の声が響いた。
「マスター! 時間切れです!」
「なっ!?」
エヴァの背中のコウモリの翼が霧散する。
飛行魔法の魔力が消失し、彼女の小さな身体が重力に引かれて落下を始めた。
「わあああっ!」
ネギは急降下し、空中でエヴァを受け止めた。
「……今回は、僕の勝ちということで」
「……くっ、放せ!」
地上に降り立つと、エヴァは悔しそうにネギを睨みつけた。
「ここで電力が戻らなければ、私が勝っていたのだ!」
「電力? 封印ではなくてですか?」
「電力を魔力に変換し、マスターの封印の維持に利用しているのです」
追いついてきた茶々丸が淡々と解説する。
学園都市の莫大な電力が、エヴァを抑え込むための檻になっているらしい。
この一帯の送電が一時的にカットされたタイミングを狙っての襲撃だったが、復旧してしまったようだ。
「ええい!封印が無ければ!」
「まあまあ、エヴァちゃん。負けは負けよ」
喚き散らすエヴァを、明日菜がなだめる。
ネギはここぞとばかりに提案した。
「約束通り、授業には出てもらいますよ。……ですが、そうですね」
ネギは少し考えるフリをして、悪魔の囁きを口にした。
「真面目に教室で授業を受けて、無事に卒業できた時には……ご褒美として、僕の血をあげるというのはどうですか?」
「なっ……!?」
エヴァがピタリと止まる。
「本当か? 私の呪いを解くのに必要な量の血を、くれると言うのか?」
「ええ、約束します。教師として、生徒の卒業祝いですからね」
「今よこせ! 今すぐだ!」
「ダメです。卒業してからです」
ネギは笑顔で、先ほどの契約書を差し出した。
「はい、ここに署名を」
エヴァは内容をろくに確認せず、ペンを走らせた。
ネギはすでに署名済みだ。
これで契約成立。
「……クックック」
ネギは契約書を回収し、心の中でほくそ笑んだ。
エヴァは気づいていない。
この契約書には、授業に出ること以外にも、とんでもない条項(・・・・・・・・)が極小の文字で書かれていることに。
だが、署名してしまった以上、魔法的な拘束力が発生する。
「さあ、まき絵さんたちの治療も済ませて帰りましょう」
ネギは全裸で気絶している4人の元へ向かい、吸血鬼化の解除と、ついでに記憶操作の魔法をかけた。
これで彼女たちは、「森で迷って寝てしまった」くらいの認識になるだろう。
エヴァの技術を手に入れ、エヴァ自身にも首輪をつけた。
実入りの多い一日だった。