「授業(レッスン)の内容変更だと……?」
瓦礫の山の上に立つエヴァンジェリンが、静かに呟いた。
その小さな体から放たれるプレッシャーが、空間そのものを軋ませる。
怒り狂っていたはずの彼女の表情は、今や凍りついたように無機質で、冷徹だった。それが逆に、ネギの背筋を凍らせる。
「いいだろう。見せてやる。貴様のその眼でも見切れぬ、『魔法』の真髄というやつをな」
「舐めないでくださいよ、マスター!」
ネギは先手を打つ。
全身に黒い雷を纏い、『闇の魔法(マギア・エレベア)』による身体強化をフル稼働させる。
ネギの本来の魔力は、学園の結界で封印されたエヴァの10倍以上。単純な出力勝負なら負けるはずがない。
「雷の暴風!!」
ネギの手から極太の雷撃が放たれる。
轟音と共にエヴァを呑み込もうとする閃光。
だが。
「散れ」
エヴァが軽く指先を振るった瞬間、雷撃は霧散した。
防御魔法ですらない。ただの魔力操作による「分解」。ネギの術式の構成点を見切り、最小限の魔力で結び目を解いたのだ。
「なっ……!?」
「大味だ。魔力の無駄遣いにも程がある」
エヴァの姿がブレる。
瞬動(しゅんどう)。
ネギの『写輪眼』が、その動きを捉えようと赤く輝く。
(速い……! 右か!?)
ネギは右側面へ意識を向ける。だが、そこには誰もいない。
(残像!?)
「遅い」
声は背後。ゼロ距離。
いつの間に回り込んだ? いや、気配すら感じさせなかった。
「氷結・武装解除」
エヴァの手刀がネギの首筋に触れる。
信じ難いことに『闇の魔法』が武装解除される──はずだったが、ネギは全方位に魔力を爆発させて無理やり距離を取った。
「くっ……!」
「ほう、反応だけは良いな。だが、それだけだ」
エヴァは追撃の手を緩めない。
空中に無数の魔法陣が展開される。
「魔法の射手・連弾(サギッタ・マギカ・シリーズ)……氷の十七矢(クインデキム・エト・ドゥオ・サギッタエ・グラキアレス)」
放たれる氷の矢。数はたったの17本。
ネギは嘲笑う。
「そんな数で! こっちは千本だ! 魔法の射手・連弾・雷の千矢(サギッタ・マギカ・シリーズ・ミッレ・サギッタエ・フルグラリス)!!」
数による圧倒。17本の矢など、1000本の雷矢で飲み込めばいい。
そう思った瞬間、信じられない光景が広がった。
エヴァの放った17本の氷矢は、まるで意思を持った生き物のように複雑な軌道を描き、ネギの雷矢の「隙間」を縫って突き進んできたのだ。
あるいは雷矢同士を衝突させ、誘爆させ、連鎖的に無力化していく。
たった17本が、1000本の弾幕を食い破り、ネギへと殺到する。
「うおおおッ!?」
ネギは慌てて障壁を展開する。
ドガガガガッ!!
障壁が削られる。重い。一発一発の密度が違いすぎる。
(なんだこれは……!? 同じ『魔法の射手』か!? 術式の密度、誘導性能、貫通力……全てが桁違いだ!)
ネギは『写輪眼』でコピーしようとする。
だが、見えない。
エヴァの指先の微細な動き、魔力の多重並列処理、そして600年かけて研ぎ澄まされた「省略」と「暗号化」された術式。
膨大すぎる情報量が視覚を焼き尽くす。
(コピーしきれない……! 解析が追いつかない!)
「どうしたボーヤ。自慢の眼は飾りか?」
エヴァが冷ややかに笑う。
彼女は一歩も動いていない。ただ指先を指揮者のように振るうだけで、ネギを追い詰めている。
「氷結する大地」
地面から巨大な氷柱が突き出し、ネギの足場を奪う。
空へ逃げれば、そこに待ち構えていたのは「遅延発動」させておいた氷の機雷。
「ぐああッ!?」
爆風に煽られ、体勢を崩すネギ。
「終わりだ。断罪の氷剣」
上空から、城ほどもある巨大な氷の剣が落下してくる。
回避不能。防御不能。
(死ぬ……!?)
本能的な恐怖がネギを支配する。
これが「闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)」と呼ばれた最強の魔法使い。
封印され、魔力が十分の一以下になっても、その「強さ」の本質は揺るがない。
魔力量など、彼女の前ではただの数字遊びに過ぎないのだ。
(ふざけるな……俺は、俺はこんなところで!)
ネギは歯を食いしばり、なりふり構わず魔力を放出する。
技術もクソもない。ただ持てる魔力の全てを盾にして、物理的に押し返すしかない。
「うおおおおおおッ!! 防御障壁・全開!!!」
ズゥゥゥゥゥンッ……!!
巨大な氷剣が、ネギの泥臭い魔力の奔流と衝突し、拮抗する。
ミシミシと音が鳴る。
ネギの鼻から血が流れる。脳が焼き切れそうだ。
(持久戦だ……! それしかない!)
ネギは悟った。
勝てる要素はただ一つ。「燃料タンクの大きさ」だけ。
エヴァは封印の影響で、スタミナがない。大技を連発すれば、すぐにガス欠になるはずだ。
(耐えろ! 耐えろ俺! 相手は燃費の悪い旧車だ、こっちは最新のタンカーだ! 枯渇するまで粘り続けろ!)
防戦一方。
無様に逃げ回り、障壁を張り、囮を使い、ひたすら時間を稼ぐ。
エヴァの芸術的な魔法が、ネギの体を切り裂き、凍らせ、吹き飛ばす。
それでもネギは、ゴキブリのような執念で立ち上がり続けた。
「……チッ。しぶといな」
数分後。あるいは数十分後か。
エヴァの動きが、ふと止まった。
呼吸が乱れている。
放たれる魔法の威力が、目に見えて落ち始めた。
「……そこだァッ!!」
ネギは見逃さない。
エヴァの指先から魔力の供給が途絶えた、その一瞬の隙。
「千の雷!!」
ネギの手から放たれた黒い雷が、ガス欠のエヴァを襲う。
エヴァは障壁を張ろうとするが、魔力が続かない。
「しまっ──」
ドォォォンッ!!
爆発が起き、エヴァの小さな体が吹き飛ばされ、地面に叩きつけられた。
土煙が晴れると、そこには力尽き、四肢を投げ出して倒れるエヴァの姿があった。
気絶している。
「はぁ……はぁ……はぁ……ッ!」
ネギは膝をつき、肩で息をする。
勝った。
勝てた。
だが、ネギの心に湧き上がったのは、勝利の喜びではなかった。
底知れぬ恐怖と、戦慄だった。
(……化け物め)
ネギは震える手で、自らの汗を拭う。
もし、エヴァに「登校地獄(インフェルヌス・スコラスティクス)」の呪いが掛かっていなかったら?
もし、彼女の魔力が全盛期と同じだったら?
いや、あと数分、彼女の魔力が持続していたら?
(俺は、塵すら残らず消されていた)
魔力量10倍? 『写輪眼』? 『闇の魔法』?
そんなものが子供騙しに思えるほどの、圧倒的な「格」の差。
技術、経験、戦術眼、精神力。その全てにおいて、ネギは赤子のようにあしらわれたのだ。
ネギは倒れているエヴァを見下ろす。
小さく、可愛らしい少女の姿。
だが、その内側には、600年を生き抜いた魔王が眠っている。
(こいつを……本当に支配できるのか?)
ネギの中に、初めて「畏怖」という感情が刻まれた。
しかし同時に、その恐怖がネギの歪んだ性癖を刺激する。
(だからこそ……だ。この強大で、恐ろしくて、美しい怪物を……俺のモノにしたい)
屈服させたい。
あの冷徹な瞳を、快楽で濡らしてやりたい。
その時こそ、俺は真に「最強」になれる。
ネギは立ち上がり、気絶したエヴァへと歩み寄る。
恐怖を欲望で塗りつぶし、震える足で、支配者としての第一歩を踏み出した。