春の暖かな日差しと共に、麻帆良学園は新学期を迎えた。
3年A組の教室は、久しぶりに顔を合わせる生徒たちの賑やかな声で溢れている。
だが、その平和な空気を切り裂くように、教室の扉が重々しく開かれた。
現れたのは、金髪の幼女。
ゴシックロリータ調のドレスに身を包み、不機嫌そうに教室を見渡すその姿は、まるで精巧なフランス人形のようだった。
エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。
『登校地獄』の呪いにより、長らく不登校を決め込んでいた彼女が、ついに教室に姿を現したのだ。
「……ふん」
エヴァは教室に入ると、真っ直ぐに教壇のネギを見据えた。
その碧眼には、明確な敵意と、獲物を狙う狩人の色が宿っている。
(……来たか)
ネギは表情を変えずに、視線を受け止める。
彼女の目的は分かっている。ネギの血だ。
かつて彼女に呪いをかけた男、ナギ・スプリングフィールド。その息子であるネギの血こそが、彼女を縛る呪いを解く鍵となる。
(まったく、親父のツケを息子に払わせようとは迷惑な話だ。……ま、その強力な魔法を見せてくれるなら、多少は相手してやるが)
ネギは軽く会釈をして見せるが、エヴァは鼻を鳴らして無視し、一番後ろの席へと歩いていった。
その道中、ネギはふと教室の端に視線をやった。
そこには、長谷川千雨がいる。
彼女は机に向かって教科書を広げているが、その視線はキョロキョロと泳ぎ、決してネギと目を合わせようとしない。
だが、その全神経がネギに向けられているのが分かる。
耳まで真っ赤だ。
(クックック……思い出してるな?)
春休みに植え付けられた(と思い込まされている)記憶。
コスプレ姿を褒められ、自ら懇願して写真を撮られ、身体を弄られた記憶が、彼女を苛んでいるのだろう。
ネギと目が合いそうになると、千雨はビクリと肩を震わせ、さらに顔を伏せた。
その反応だけで、ご飯三杯はいけそうだ。
「さて、今日は始業式ですが、午後からは身体測定があります。皆さん、体操着に着替えて体育館へ移動してください」
ネギが告げると、女子生徒たちがワイワイと騒ぎ出す。
ネギとしては、更衣室や測定現場に立ち会いたいのは山々だが、教師としての建前がある。
ここは紳士的に退散するのが吉だ。
廊下に出ると、すれ違う生徒たちが何やら不穏な噂話をしていた。
『桜通りの吸血鬼』。
最近、夜の学園内で生徒が襲われる事件が起きているらしい。
(十中八九、エヴァの仕業だな)
そう考えていると、校舎の奥から悲鳴が上がった。
「きゃぁぁぁっ! まき絵が! まき絵が倒れたーっ!」
ネギが駆けつけると、佐々木まき絵が廊下で気を失っていた。
チア部の仲間たちが心配そうに取り囲んでいる。
ネギは素早く彼女の脈を診るフリをして、首筋を確認した。
あった。
小さな二つの噛み跡。そして、そこから漂う独特の魔力の残滓。
(……やはりエヴァか)
魔力を吸い取られているが、命に別状はない。
しかし、あからさまだ。
学園長め、吸血鬼を野放しにしているくせに、「生徒には手を出さない」という最低限の協定も結んでいないのか。
それとも、エヴァが協定を破るほど切羽詰まっているのか。
(……まあいい。この様子なら、今夜あたりまた動きがあるだろう)
ネギは保健委員にまき絵を任せると、眼鏡の奥で目を細めた。
エヴァが動くなら、彼女の魔法を見る絶好の機会だ。
その夜。
満開の桜が咲き誇る学園の大通り。
街灯の明かりもまばらなその道を、宮崎のどかが一人で歩いていた。
図書館で本を借りていた帰りだろうか。
「……誰?」
のどかが足を止める。
風が止み、桜の花びらが不自然に舞い落ちる。
街灯の上に、小さな影があった。
「くっくっくっ……良い月夜だと思わんか」
エヴァンジェリンだ。
彼女は重力を無視してふわりと降り立つと、嗜虐的な笑みを浮かべてのどかに近づく。
「な、なんですか……あなた、同じクラスの……」
「悪いが、少し魔力を分けてもらうぞ。……とびきりの恐怖と共にな!」
エヴァの手から魔力の糸が伸びる。
のどかが悲鳴を上げようとした、その瞬間。
「そこまでです!」
ネギが二人の間に割って入った。
「……チッ。邪魔が入ったか」
「エヴァンジェリンさん。クラスメイトになんてことをするんですか」
ネギはあくまで「生徒を守る教師」として、毅然と立ちはだかる。
しかし、その目は冷静にエヴァの挙動を観察していた。
「何故、こんなことをするんです?」
「ハハハハハハ! 何故、だと?」
エヴァは楽しそうに高笑いをする。
その背後に、巨大なコウモリのような影が揺らめいた。
「決まっているだろう、ボーヤ。……この世にはな、『悪い魔法使い』がいるんだよ」
「……なるほど。それが答えですか」
その言葉、悪役としては百点満点だ。
ネギが感心していると、背後から駆け足の音が聞こえてきた。
「ネギ先生!」
神楽坂明日菜と近衛木乃香だ。
のどかの帰りが遅いのを心配して探しに来たのだろう。
「ふん、ギャラリーが増えたか。興が削がれた」
エヴァは舌打ちをし、黒い霧となってその場から飛び去った。
「待てっ!」
「明日菜さん、木乃香さん! のどかさんをお願いします!」
ネギは生徒たちに指示を飛ばすと、身体強化魔法を発動させ、エヴァの後を追った。
(速い……! 魔力を封印されているとは思えない機動力だ)
屋根から屋根へ飛び移るエヴァ。
ネギは『写輪眼』を開眼し、その魔力循環を必死に目で追う。
呪いで魔力を制限され、触媒を使わなければまともに魔法を使えないはずなのに、その魔力操作は精緻を極めていた。
無駄がない。美しさすら感じる。
(これが600年を生きた吸血鬼の技術か。……素晴らしい!)
コピーする。
魔力の練り方、放出のタイミング、重心移動。
その全てを網膜に焼き付け、自分の技術として取り込んでいく。
学園の外れ、人気の無い公園でネギはエヴァに追いついた。
「逃しませんよ」
ネギは指先から魔力の弾丸を放つ。
牽制射撃。
エヴァはそれをひらりと躱すが、着地の隙を狙ってネギは距離を詰めた。
マントを掴み、地面に組み伏せようとする。
「捕まえました」
「……くっくっくっ。それはどうかな?」
エヴァが不敵に笑う。
直後、ネギの側頭部に鋭い殺気が走った。
「!」
ネギは咄嗟に腕を上げ、魔力で肉体を鋼鉄以上に硬化させる。
ガギィィィンッ!
金属同士がぶつかり合うような重い音が響いた。
ネギの腕を受け止めていたのは、糸で操られた絡繰(カラクリ)人形。
エヴァの従者、絡繰茶々丸だ。
「マスターに、指一本触れさせません」
「茶々丸さんですか」
ネギは痺れる腕を振るい、一旦距離を取る。
茶々丸の拳には、ロケットパンチのような加速機構が内蔵されている。
まともに食らえば骨ごと砕かれていただろう。
それを防ぎきったネギを見て、エヴァが目を細めた。
「ほう……。茶々丸の一撃を防ぐとはな。やるじゃないか、ボーヤ」
「先生と呼んでいただきたいですね」
「ハハハハ! 我こそは闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)である! 先生などという肩書き、我の前では無意味よ!」
エヴァが両手を広げ、強大な魔力を練り上げようとしたその時。
「どりゃあああああっ!」
上空から、神楽坂明日菜が降ってきた。
理屈抜きの飛び蹴りが、エヴァの小さな身体を捉える。
「ぐべっ!?」
不意を突かれたエヴァが、ボールのように吹き飛んだ。
「あ、明日菜!?」
「何やってんのよ、このチビッ子! のどかに何しやがったーっ!」
怒り心頭の明日菜が追い討ちをかけようとする。
エヴァは体勢を立て直し、忌々しそうに明日菜を睨んだ。
「ええい、野蛮な猿め! 今日はここまでだ!」
エヴァは茶々丸に抱えられ、夜の闇へと消えていった。
明日菜が追いかけようとするのを、ネギは手で制した。
「待って下さい、明日菜さん。深追いは危険です」
「でもっ!」
「彼女の目的は僕です。……いずれ、決着をつけねばなりません。ですが今は、のどかさんが優先です。」
ネギは逃げ去るエヴァの気配を見送りながら、冷静に計算していた。
今の戦闘で、エヴァの体術と茶々丸の機動パターンはコピーできた。
だが、エヴァの本気はこんなものではないはずだ。
(確か、次の満月……学園の結界が最も弱まる時が本番だったな)
その時こそ、彼女の魔法が見られるはずだ。
それを全て頂いた時、俺はこの世界でまた一つ最強に近づく。
「帰りましょう。のどかさんが待っていますよ」
ネギは明日菜に向き直り、優しく微笑んだ。
その笑顔の裏で、来るべき満月の夜を心待ちにしながら。