ハイルブロンの英雄 作:松木ユキ
前線から退き、魔術学校で教鞭を取るようになってから三年が経過した。最初こそ教官という立場には慣れなかったが、少しずつ仕事をこなせるようになった。
「……以上が、魔術戦闘理論の基礎的な部分というわけだ。質問があれば授業後に」
話し終えたところで、ちょうどチャイムが鳴り響いた。真面目に授業を聴いていた生徒たちも、ほっとした表情で周囲と会話を交わしている。
「ねえ、魔術師の配置がかなり変わったの知ってる?」
「知ってる! 結構な人数が前線に行かされたらしいね」
「向こうが休戦協定を破るって噂、本当かなあ」
「うーん、うちの街が手薄にならないといいんだけど」
……会話の内容を盗み聞きした俺が悪いが、気が滅入ってくる。とにかく、今日の授業はこれで終わりだ。さっさと帰るとするか――
「ソラせんせー、しつもーん!」
教壇に駆け寄ってきたのは、エレナ・アーレントという女子生徒だ。茶髪のポニーテールで、目はくりくりとしていて可愛らしい。
「なんだ、エレナ?」
「いい加減恋人出来たー?」
「帰れ」
「えー、ひっどーい!」
エレナは頬を膨らませてぷんぷんと怒っていた。コイツはまだ十六歳で、俺の二つ下。きっと「年上のお兄さん」くらいに思っているんだろう。だけど、あくまで立場は教官と生徒だ。
「質問がないなら俺は帰る。じゃあな」
「あっ、待ってよせんせー!」
「待つかよ、さっさと帰れ」
俺は荷物をまとめたあと、すぐさま教室を出た。廊下を歩いていると、エレナも俺についてくる。
「せんせーってさ、いっつも不機嫌だよね」
「そうか?」
「そんなんだから私以外の子に話しかけられないんだよ?」
「うるせえ」
「ほらー、また怒った!」
仕事に慣れてきた、とは言っても……生徒と付き合うのは未だに苦手で、あまり親しくはしていない。俺に懐いている生徒はこのエレナくらいなものだった。
「みんなさあ、ソラ先生は怖いって言ってるんだよ? まだ若いのに教官で、いっつも厳しい顔してるからさ」
「別に、そう思わせておけばいい」
「……本当は凄い人なのに」
「昔のことだ、お前も皆に言うなよ」
「分かってるけどさあ」
この学校はあくまで魔術師を育てることを目的としている。……卒業した生徒たちを待ち受けているのは、地獄のような戦場なんだ。情が移るくらいなら、最初から嫌われていた方がいいだろう。
「ソラせんせー、じゃあねー!」
「気をつけて帰れよー」
校門のところでエレナと別れ、俺は帰途に就いた。帰りは市場にでも寄って、適当に夕飯を調達しようかな。となれば裏山の森を突っ切っていくのが近道だ。薄暗くて気味が悪いから、正直あまり通りたくはない。
「……」
周囲をきょろきょろと見回しながら、歩を進めていく。別に獣やら何やらと遭遇したところで、追い払うことなど造作もないのだが……何も起こらないのが一番だからな。
そよ風に木々が揺れ、ときおり鳥の鳴き声が聞こえる。平和といえば平和な景色だが……妙な雰囲気がある。まるで人間が潜んでいるような――
「おや」
ふとした瞬間、僅かに魔力の波を感じた。近くの茂みらしいな。魔力がある、ということは獣ではない。魔術師がいるという確固たる証拠だ。
こんな森に潜んでいるなど普通の魔術師ではなさそうだ。ここが軍学校の近くということを考慮すれば敵の諜報員の可能性もある。丸腰ではあるが仕方ない、何者か確かめる必要があるだろう。
音を立てないよう、慎重に茂みに入っていく。まさか
「ん……」
再び魔力を感じる。だが、うまく気配を消しているな。恐らくは意図的に魔力の放出量を絞っているのだろう。相当な手練れかもしれない。
「……」
息を潜めて前に進む。緊迫した空気が森の中を包み、心を蝕まんと侵入してくる。
めげずに闇を振り払い、生い茂った植物をかき分けていく。すると間もなく、不気味な雰囲気にお似合いな――みすぼらしい服装の人影が現れた。
「!」
ソイツは木に隠れるようにしてこちらを窺っていたが、慌てて引っ込んだ。だがここまで来て引き返すわけにもいかない。武器は持っていないようだが……ここは正面からいくか。
「おい」
「……」
「貴様の魔力は探知している。出てこい」
俺の言葉にピクリと反応したようで、僅かに木が揺れた。この状況では逃げられないと観念したようで、ソイツは大人しく姿を現す。
「……」
何も言わず、怯えたようにプルプルと体を震えさせていたのは――端正な顔立ちに美しい金髪を備えた、神秘的な雰囲気をまとった少女だった。