東京のある市街地に「巣箱」が降ってきて、それに押しつぶされて千人以上の死者が発生した。衝撃波はさらに遠いところまで響いて、健康被害に限っても一万人以上に影響した。経済的・生活的な影響は、日本全土にも及んだ……。ところが、それは「巣箱」が僕たちに与えた影響の一部でしかなかった。
「巣箱」は、焦茶色の木材質らしき壁面から構成された箱だった。蜂の巣のように思えるから、もとからなんとなく「巣箱」と呼んでいた。ニュースに登場してから、その呼称は一層強固になった。
あるとき、大学の調査隊が自衛隊員や官僚たちを伴って巣箱に赴いた。ただの隕石では片付けられない雰囲気だったが、公式には宇宙の未知の物質として天文学者が調査に駆り出されていた。天文学者もそれがどういうものかわかっていないようだった。
天文学者は、わからないなりに「巣箱」の表面からサンプルを採取しようとした。ただ、何も削り取ることはできなかった。色々なことをやってみたが、何もわからないということだけがわかった。巣箱は公式には未知の隕石的な物質として報告されたが、それを近くで見た人たちはみな、隕石のようなものではないことはわかっていた。
ネット民たちも、封鎖がされているのにもかかわらず、辺りを凸してみたり表面を舐めてみたりしてみたが、よくわからなかった。「巣箱」を舐めた人は、ざらついた食感と無味、そしてひんやりとしているという漠然とした感想を投稿した。特に何も面白くはなかったが、未知の物質であるというだけで話を盛り上げようとする彼らは、まあまあ滑稽だった。
何度も封鎖を掻い潜ってネット民たちの凸が行われたが、三度から四度の凸は炎上するだけだった。炎上は封鎖をしている自衛隊がザルすぎるという話にまで発展し(自衛隊の名誉のために補足すると、街中で動かせない物体を隠すということに無理があるのだ)、果ては日本における軍事費の割振の問題で右翼と左翼が喧嘩していた。
何か話が動いたのは、五度目の凸だった。二人のある凸者が「巣箱」に近づくと、突然、巣箱の横に穴が開いた。粘液質のひだのようなものが巣箱の扉を開いている。何やら層が重なっているところがあるとは思っていたが、意外にもそこが扉だったのだ。その人は、いや、迂闊にも五度目の正直を狙おうとしていた僕と友人は、人類史上初めて「巣箱」の中に入った。
中は蒸し暑い。そして硬質な外観からは反して、地面や壁が柔らかい。歩くとうねうねしたひだが揺れる。
「見て、人がいる」
鈍色の塊を見て友人──岡崎が言った。岡崎は、大学の頃からの友達だ。暗い顔だが悪気のないやつだ。
岡崎の指差した先には、裸に飾りをじゃらじゃらと付けただけの若い女性の姿があった。ただ、ライチのような肉質の塊に覆われていた。
「あれだけじゃない」
と、僕は言った。ほかのところを見ると、本当にあちこちに同じような女の子がいた。どれも、可愛らしかった。岡崎は興奮した様子であちこちを眺めていた。そして、気持ち悪い早口で言った。
「ここは宇宙人の母体なんだ。どういう理屈か分からないけど、ピクミンみたいな生物なんだ。彼女たちはここで生産されてるんだ。そして動けない母体に変わってここで活動するに違いない」
「そんなことある?」
僕は、「仮に宇宙人だったとして人間の形は知的生命の必然なのか」とか「僕たちが幻覚を見てる可能性の方が高いんじゃないか」とか、岡崎とは全く反対のことを考えていた。頭の中でこれまで見てきたフィクション作品がTwitterのタイムラインのようにざーっと流れてきた。侵略者のアナロジーか、理解できない異質の獣なのか。その思考の間、ひとつの美少女が身体の肉を引き剥がしながらやや起き上がってくるのに気づくことはできなかった。
少女は、白い完璧な肌を見せて立ち上がった。身体のところにあちこち肉の破片がついているが、全ての見えてはいけないところが見えていた。岡崎は愉快そうな顔だった。少女は、自分たちのことを興味深そうに眺めて、なんと、発言をした。
「お兄さんたちは、どこから来たの?」
自分たちこそ一体どこから来た存在なんだ。僕は、そう言いたくなる気持ちを抑えた。岡崎は、どこまでもまっすぐな目で「ここは地球だ」と言った。SFの主人公にでもなったかのような断言だった。
「俺たちは地球の住人だ。地球は太陽系の第三惑星だ。生物がたくさんいる惑星だ。地球の表面は"海"と呼ばれる塩水に覆われている。ごくわずかな陸地で俺たちは栄えてきた。俺たち、ヒトは炭素化合物を代謝源とする二足歩行型の生命体だ」
自分たちとまるで同じ姿をしている生物にわざわざ人の代謝経路の詳細まで説明する必要があるのかと僕は思った。人は炭素化合物を代謝源とする生命だ、と自己紹介したらそれ以外の地球の生物がケイ素を代謝していると誤解されないのだろうか? 無闇に難しい言葉を使おうとする岡崎は、宇宙人は全て知性的であり、地球人類を上回る学問体系を有しているという、無意識の傲慢さに溢れていた。目の前には、かわいらしい女の子が立っている。話を本当に理解しているだろうか。
「ここは地球? じゃあ、狙い通りだったのね」
「狙って……地球に?」
「うん、遥か彼方から、古い言い伝えによってやってきた。地球なら、私たちが幸福に暮らせるって。そのために何光年も旅してきた。休眠状態にならないと辿り着けないほど遠い場所だったのね、システムが作動してみんな寝てしまった」
「おおおおおおお! SFだ。SFだよ、なあ、親友。自分はいま猛烈に感動している」
岡崎は、美少女の妙な艶かしさよりもアイコニックなSF設定を気に入っていた。僕には、その設定でさえよくわからない。いまのところ、どんな矛盾でさえ見つけられるくらい雑なことしか言われていなかったからだ。少女の話を聞いていると、古いラノベを読んでいるような気になる。SF小説などではなく。
「あなたちは?」
「俺は岡崎。こっちは俺の親友の桜木」
「どちらも人間なのね」
「そういう君たちはなんなんだ」
「日本語で、"そらびと"と名乗るように。そう言われているよ」
「君の個体名は?」
「何も言われてないよ」
「個体名がないタイプの宇宙人だ!」
「おかしい?」
「おかしくはないが、不便だ」
不便だ、と言ったにしては妙に明るい声だ。得意げなのが鼻につく。
「じゃあ名前をあげよう」
「……何か、くれるの?」
「識別するための個人名だ。…………ライチ、というのは?」
彼女にへばりついていた肉の破片がライチに見えたからだろう。しかし、そんな名前を気に入ったかのように笑う。
「いいね。私はこれからライチ。よろしくね」
「おうよ」