◆
ゴブルがエリアーナと出会ったのは、宰相の執務室においてであった。
マルケス公爵の未亡人として社交界に名を轟かせていた彼女がなぜあのような場所に現れたのか、当時のゴブルには皆目見当がつかなかった。ただ、扉が開いた瞬間に差し込んだ午後の光が、彼女の亜麻色の髪を黄金に染め上げていたことだけは今も鮮明に覚えている。
マルケス公爵といえば王国随一の権勢を誇りながら、その裏では数知れぬ汚職に手を染めてきた悪徳貴族として知られていた。
徴税の横領、土地の詐取、賄賂の収受。表向きは温厚な老紳士を装いながら、その実、欲望の赴くままに私腹を肥やし続けた男である。そしてエリアーナはそのマルケス公爵の政略によって、別の貴族家から無理やり嫁がされた女であった。花も恥じらう十七の娘が五十を過ぎた醜悪な老人の寝台に無理やり押し込められたのだ。
公爵は好色であった。
そしてエリアーナにあらゆる閨房の技を仕込んだ。彼女が嫌がれば嫌がるほど、公爵は喜んだ。十二年の歳月をかけて、公爵はエリアーナを自分好みの牝に調教しようとした。まあ皮肉なことにその知識は後に全く別の男のために使われることになるのだが。
それはともかくとして、ゴブルとマルケス公爵の間には浅からぬ因縁があった。
かつてゴブルがまだ一介の文官であった頃、公爵は彼の才覚に目をつけ、自らの私的な仕事を手伝えと誘いをかけてきたことがある。帳簿の操作、証拠の隠滅、政敵の失脚工作。その全てを任せたいと、公爵は甘言を弄した。しかしゴブルはその誘いを断った。醜い容貌を持つ自分に与えられた唯一の武器である才知を汚れた仕事に使うことはできなかったのだ。
公爵はゴブルの拒絶に激怒した。
それから数年間、ゴブルはありとあらゆる嫌がらせを受けることになった。昇進の妨害、根拠のない中傷、仕事の横取り。公爵の権力は絶大であり、ゴブルの立場は日に日に追い詰められていった。しかし皮肉なことにその執拗な攻撃がかえってゴブルの名を高めることになった。どれほど妨害されても彼は黙々と与えられた仕事をこなし続けた。その姿勢に宰相が目を留めたのである。
「あの男は使える」
宰相の一言でゴブルの運命は一変した。マルケス公爵ですら手出しできない地位を得たゴブルはその後も誠実に職務を全うした。
だが、三十八にして宰相の右腕と呼ばれるまでになったきっかけはといえば、やはり三年前のヴァルデン帝国との一件であろう。
◆
当時、王国は存亡の危機に立たされていた。
北方の大国ヴァルデン帝国が国境に十万の大軍を集結させていたのである。表向きの理由は国境紛争の解決であったがその真意が領土拡張にあることは明白だった。
「ゴブル、お前ならこの状況をどう考える」
宰相は蒼白な顔で尋ねた。
「我が国の動員可能な兵力は三万に過ぎない。正面から戦えば、一月と持たぬだろう」
ゴブルは黙って地図を見つめていた。確かに軍事力では圧倒的に劣っている。しかし戦争とは単に兵力の多寡で決まるものではない。
「閣下、いくつか確認させてください」
「何だ」
「帝国の宮廷には現在どのような派閥がありますか」
宰相は渋々と答えた。
「主戦派と穏健派がある。主戦派はレオンハルト公爵を中心に軍部が支持している。穏健派はヴィクトル宰相が率いており、貴族院に勢力を持つ」
「両者の関係は」
「犬猿の仲だ」
「帝国の同盟国はどこですか」
「オストリア公国だ。百年来の同盟関係にある。だが両国の間にはエルベ河の領有問題が燻っている」
「なるほど」
ゴブルは目を閉じた。脳裏に複雑な糸が絡み合う図が浮かび上がる。
「閣下、一つ献策があります」
ゴブルは目を開けた。その瞳には冷たい光が宿っていた。
「ただし、非常に悪辣な策です」
「聞かせてみろ」
「では申し上げます」
ゴブルは地図を指差しながら、静かに語り始めた。
「まず、オストリア公国に密使を送ります。その密使には帝国の機密文書を携えさせます」
「機密文書だと?」
「偽造です、閣下」
宰相の顔が強張った。しかしゴブルは構わず続けた。
「その文書には帝国が我が国を併呑した後、オストリア公国との同盟を破棄し、エルベ河流域を武力で奪取する計画が記されています」
「しかしオストリアがそれを信じるか?」
「信じさせます。そのために帝国内に協力者を作ります。穏健派のヴィクトル宰相です」
ゴブルは淡々と説明した。
「ヴィクトル宰相には別の偽情報を流します。『レオンハルト公爵はこの戦争が失敗した場合、全ての責任を穏健派に押し付け、粛清する計画である』と。両者の関係は既に険悪です。この情報に彼は容易に飛びつくでしょう」
宰相は絶句した。
「まだ続きがあります。フランドリア王国にも密使を送り、帝国の拡張政策が最終的にフランドリアに向かうことを示す『証拠』を提供します」
ゴブルは一息ついた。
「以上の工作が全て成功すれば、帝国は三方から脅威にさらされ、我が国どころではなくなります。そして我が国はオストリア公国およびフランドリア王国と軍事同盟を結ぶ。これにより、今後百年の安全が保障されるでしょう」
「……恐ろしい男だ、お前は」
宰相の声は震えていた。
「これほど完成度の高い謀略をこれほど短時間で組み立てられる人間がいるとは」
「お褒めに預かり光栄です」
「多くの血が流れるだろうが……やるしかあるまいな」
◆
ゴブルの謀略は恐るべき精度で遂行された。
オストリア公国が帝国との同盟破棄を宣言。エルベ河流域に五万の軍を展開した。帝国内部では穏健派がクーデターを計画。フランドリア王国が軍の動員を開始。
帝国は三方から脅威にさらされ、王国への侵攻を中止せざるを得なくなった。宮廷内では粛清の嵐が吹き荒れ、帝国の軍事力は大きく削がれた。
王国はオストリア公国およびフランドリア王国との軍事同盟を締結した。今後百年の平和を約束するものであった。
宰相閣下は複雑な表情でゴブルを見つめた。
「お前を右腕に据えてよかった。だが正直に言えば、お前が敵でなくてよかったとも思っている」
ゴブルは微かに笑った。しかしその笑みはどこか寂しげであった。
この一件以降、ゴブルは「王国の蛇」と呼ばれるようになった。褒め言葉ではない。恐れを込めた蔑称である。
◆
エリアーナはそのような男と結婚することになったのである。
ところで、彼女がゴブルのことを初めて意識したのはマルケス公爵がまだ存命の頃であった。
「あの男だけは何をしても屈しない」
公爵は苛立たしげに呟いていた。
「金でも地位でも脅しでも動かない」
エリアーナはその言葉を聞くたびに密かな敬意を抱いた。悪徳貴族の権力に屈しない男。その存在が彼女にとってはかすかな希望であった。
そしてヴァルデン帝国との一件が起こった。
王国が救われたという報せが届いた時、エリアーナは初めてゴブルの顔を見た。社交界で「王国の蛇」と呼ばれる男。しかしエリアーナの目に映ったのは孤独な男の姿であった。
「ゴブル、こちらがエリアーナ夫人だ」
宰相閣下の紹介にゴブルは深々と頭を下げた。顔を上げることが憚られたのは礼儀のためばかりではない。この醜い面を彼女の澄んだ瞳に晒すことへの恐れがあったからだ。
ゴブルの容貌はおよそ人の好意を引きつける要素など一つもなかった。額は不格好に突き出し、鼻は潰れたように低く、厚い唇は常に湿って光っている。目は小さく落ち窪み、肌は青白い。
「顔を上げてください」
エリアーナの声は思いのほか柔らかかった。ゴブルは恐る恐る顔を上げた。
帝国を相手に完璧な謀略を成し遂げた男。冷徹な判断で数万の命を天秤にかけた男。その男が今、一人の女の前で怯えている。目を逸らし、身を縮め、まるで叱られるのを待つ子供のように。
控えめにいっても情けない
「お噂はかねがね伺っております。王国随一の才人と」
エリアーナは微笑んだ。ゴブルは苦笑して、視線を落とした。
「恐れ入ります……」
その仕草を見て、エリアーナは思った。
この人を私のものする、と。
◆
宰相の仲介により、二人の婚姻は速やかに決まった。これにはいくつかの理由がある。その最も大きい理由は「褒美」だ。宰相はゴブルを手元に置いておきたかったが、その首に枷を付けたいとも考えていた。ゆえの、まあいってしまえば下賜である。未亡人がそうした理由でさげわたされることは往々にしてある。
周囲は当然のように眉をひそめ、哀れな未亡人が蛇に売られたと噂した。ゴブル自身、この縁組みを素直に喜ぶことができなかったのは言うまでもない。
婚礼の夜、ゴブルは書斎に閉じこもった。
「なぜいらっしゃらないのです」
扉越しに響いたエリアーナの声にゴブルは答えなかった。
このような夜が幾度となく繰り返された。ゴブルは意図的に彼女を避け、必要最小限の会話しか交わさなかった。
しかしエリアーナは焦らなかった。
朝食の席でゴブルが黙り込んでいても彼女は穏やかに微笑んでいた。ゴブルが深夜まで書斎に籠もっていても彼女は温かい茶を運んできた。
ある夜、ゴブルが珍しく居間で書物を読んでいると、エリアーナが隣に腰を下ろした。
「何をお読みで」
「ハルトマンの法理論を……」
「難しそうですわね」
「貴女には退屈かと……」
「読んで聞かせてくださいませんか」
「え……」
「聞きたいのです。あなたの声で」
ゴブルは戸惑いながらも本を読み始めた。法律用語の羅列をエリアーナは辛抱強く聴いていた。やがて彼女はゴブルの肩にもたれて眠りについた。
彼女の髪から漂う花の香りがゴブルの胸を締めつけた。
◆
転機が訪れたのは結婚から二年が経った頃であった。社交界の夜会でゴブルは陰口を叩かれ、屈辱を味わった。それ以降、彼は以前にも増してエリアーナを避けるようになった。
一月後、ゴブルは決意を固めた。
「離縁していただきたいのですが……」
夕食の席で唐突に告げたゴブルにエリアーナは箸を落とした。
「何を仰っているの」
「言葉通りの意味です。あなたを自由にしてさしあげたい」
「私はあなたの妻です」
「妻という肩書きがあなたを苦しめているのです」
「苦しんでなどおりません」
エリアーナの瞳から、涙が溢れた。
「あなたを愛しているからです」
その言葉をゴブルは信じることができなかった。
「……三日後に離縁の書類を用意します」
◆
それから三日間、エリアーナはゴブルを翻意させようと懸命だった。手紙を差し入れ、扉の前に座り込み、涙を流しながら懇願した。しかしゴブルは応じなかった。
離縁の書類ができる前日の夜。
深夜に目が覚めたのは気配を感じたからだった。
「私です」
エリアーナの声であった。月明かりに照らされた彼女の姿を見て、ゴブルは息を呑んだ。白い寝衣一枚を纏った彼女はまるで月の化身のように美しかった。
「言葉では伝わらないのなら、別の方法で伝えるしかありません」
「い、一体なにを……」
「お願い、私を見て」
彼女の指がゴブルの頬に触れた。
「私はあなたの全てを愛しています」
唇がゴブルの額に触れた。瞼に温かな感触が落ちる。
「あなたがマルケス公爵の誘いを断った時、私は陰ながら見ていました」
「それは……」
「ヴァルデン帝国との一件も私は知っています。あなたが国を救うためにどれほどの重荷を背負ったか」
ゴブルは絶句した。
「世間はあなたを『蛇』と呼びます。でも私には分かるのです。あなたは誰よりも優しく、誰よりも責任感が強い人」
エリアーナの瞳から、涙が零れ落ちた。
「そんなあなたをどうして愛さずにいられましょう」
◆
月光が二人の姿を照らしていた。
エリアーナの白い寝衣がするりと肩から滑り落ち、彼女の裸身が浮かび上がった。
「や、やめてくれ。いま直ぐ服を……」
ゴブルは顔を背けようとした。しかしエリアーナは許さなかった。
「私を見て。あなたに見られたいの」
エリアーナはゴブルをゆっくりと寝台に押し倒し、上に跨った。その瞬間、エリアーナは確信した。
やはり、この人は。
ゴブルの全身が震えている。あの「王国の蛇」が一人の女の前で怯えている。国王さえ恐れる男が裸の自分の前で硬直している。
ああ、なんて興奮するのだろう。
エリアーナの中でマルケス公爵に仕込まれた知識が蘇った。しかしそれはもはや苦痛の記憶ではなかった。この男を自分のものにするための、武器に変わっていた。
「ねえ、ゴブル様」
囁く声が自分でも驚くほど艶を帯びていた。
「あなた、怖いの?」
「そ、そんなことは……」
「嘘。こんなに震えているのに」
エリアーナは腰を押し付けた。ゴブルの下腹部に自分の秘所を擦りつける。
「っ……!」
「ふふ、もうこんなに硬くなってるわ」
エリアーナは腰を浮かせ、ゴブルの屹立に手を伸ばした。
「待ってくれ、頼むから……」
「待たないわ」
彼女は握った手を上下に動かし始めた。
「あら、すごく熱い。ゴブル様ったら、エッチなのね」
「そんな……そんな言葉を……」
「言わないで? でも事実よ」
エリアーナは手の動きを速めた。ぐちゅぐちゅと卑猥な水音が寝室に響く。
「ねえ、どんな気分? 帝国を手玉に取った『王国の蛇』が女の手一つでこんなに乱れているのよ」
「やめ……」
「やめないわ。だって、あなたのおちんちん、こんなにびくびくしてるもの」
淫語が自然と口から溢れ出た。マルケス公爵に仕込まれた言葉。しかし今は自分から、喜んで吐き出している。
「ほら、先っぽからとろとろ出てきてるわ。気持ちいいんでしょう?」
「く……っ」
「もう出そう? 出していいわよ。全部出して」
手の動きを更に速める。先端を握り込むように刺激しながら、もう片方の手で睾丸を優しく揉みしだく。
「っ……!!」
ゴブルの腰が跳ね上がった。白濁した液体がエリアーナの手を汚し、ゴブルの腹部に飛び散っていく。
「あら、たくさん出たわね」
エリアーナは満足そうに微笑んだ。そしてゴブルの目の前で精液で汚れた手を舌で舐め取った。
「な……っ!」
「あなたの味だと思えば美味しく思えるわ。不思議ね」
エリアーナは指を一本一本丁寧に舐めながら、ゴブルを見下ろした。
「まだ終わりじゃないわよ」
彼女は身を屈め、萎えかけたゴブルのものに顔を近づけた。
「また硬くしてあげる」
「な、さっき出したばかりで……」
「待たないって言ったでしょう?」
エリアーナはゴブルのものを口に含んだ。
「んちゅ……ちゅぷ……れろぉ……」
わざと音を立てながら吸い上げる。ゴブルの顔が苦悶に歪んでいくのを見ながら、エリアーナは更に激しく舌を這わせた。
「んぐっ……じゅるっ……」
ゴブルのものは彼女の献身的な奉仕によって、再び硬さを取り戻した。
「ほら、元気になったわ」
エリアーナはゴブルの腰を跨いだ。秘裂を押し当て、ゆっくりと腰を落としていく。
「あ……入ってくる……」
ずぶり、と音を立てて、ゴブルのものが彼女の中に沈み込んでいく。
「はぁ……っ、奥まで入ってる……」
「え、エリアーナ……っ」
「もっと呼んで」
「エ、エリアーナ……!」
「よくできました」
エリアーナは腰を動かし始めた。
「ねえ、気持ちいい? 私のおまんこ、気持ちいいでしょう?」
「っ……!」
「答えて」
「き……気持ちいい……」
「ふふ、正直でよろしい」
エリアーナは更に激しく腰を振った。彼女の豊かな乳房が目の前で揺れ、汗の滴がゴブルの胸に落ちていく。
「ああっ……いい……すごくいいのっ……!」
彼女は絶頂に達してもなお、止まらなかった。何度も何度もゴブルを責め立てる。
「まだよ……まだ足りないの……っ!」
正常位で。後背位で。側臥位で。対面座位で。
あらゆる体位を試しながら、エリアーナはゴブルを貪り尽くした。
「も、もう限界だ……」
「まだよ」
「本当に……」
「まだって言ってるの」
何度射精したか、もう数えることもできない。ゴブルの意識は朦朧とし、身体は完全に彼女に支配されていた。
「ゴブル様、私を見て」
焦点の合わない目でゴブルは彼女を見上げた。
「愛してるわ」
「……」
「あなたも言ってくれる?」
「……愛し……て……いる……」
その言葉を最後にゴブルの意識は闇に落ちた。
◆
翌朝、ゴブルが目を覚ましたのは既に日が高くなってからであった。
身体中が痛い。特に腰から下は感覚がほとんどない。
「あ、起きましたか」
傍らから声がした。エリアーナが心配そうな顔で覗き込んでいる。
「昨夜は……その……本当に申し訳ありませんでした」
「……」
「私、どうかしていたんです。あんなに激しくしてしまって……」
彼女の顔には純粋な罪悪感が浮かんでいた。
「……気を失った」
「ええ、その……」
「私は女性に……犯されて、気を失ったのか……」
「本当にごめんなさい……! あんなこと言ったり……お、おちんちんとか……きゃあっ!」
エリアーナは真っ赤になって顔を覆った。
「もう二度とあんなことしませんから!」
頭を下げる彼女を見ながら、ゴブルは複雑な心境であった。
屈辱的なはずである。しかし不思議と、嫌な気分ではなかった。
「……もういいです」
「え?」
「気にして、いないので……」
「本当ですか……?」
「ただし……」
ゴブルは少し言い淀んだ。
「……ほどほどにしていただければ」
「えっ」
エリアーナの顔がぱっと明るくなった。
「じゃ、じゃあ……また……してもいいんですか……?」
「……悪くはなかったので……」
「きゃああっ!」
彼女はゴブルに抱きついた。その瞬間、二人とも裸のままであることを思い出す。柔らかな乳房がゴブルの胸に押し付けられた。
「あ……」
「あ……」
エリアーナは離れようとしなかった。むしろ、より身体を密着させてくる。
「ねえ、ゴブル様」
「ははい……」
「私、あなたの妻でよかった」
「……私もそう思います」
「これからも……よろしくお願いしますね」
最後の言葉は甘く囁かれた。
◆
それから、二人の生活は大きく変わった。
社交界の夜会にもゴブルはエリアーナと共に歩くようになった。しかしやはり、陰口は止まなかった。
ある夜会で貴婦人の一人がわざと聞こえるように言った。
「あら、またあの蛇ですこと。よくもまあ恥ずかしげもなく」
「本当ですわ。あの醜い顔でよく社交界に出られたものですわね」
ゴブルの足が止まった。
そしてやや、俯いた。
何度経験しても慣れることはなかった。自分の醜さを突きつけられるたびに心のどこかが軋む。
エリアーナはその様子を見ていた。
俯くゴブルの横顔。やはりこの人は押しに弱い。強い言葉を浴びせられると、途端に萎縮してしまう。帝国を相手に完璧な謀略を成し遂げた男がこんなにも傷つきやすい。
だからこそ、私が守らなければ。
エリアーナはゴブルの手を取った。
「え……」
そしてその手を自分の腰に回させた。
「エ、エリアーナ?」
「黙って」
彼女は更に身を寄せ、ゴブルの身体に自分の身体を密着させた。豊かな胸がゴブルの腕に押し付けられ、腰と腰が触れ合う。まるで踊りの最中のようにいや、それ以上に親密な距離で。
「な、何を……」
「私の夫よ。私の腰に手を回して、何がおかしいのかしら」
エリアーナは貴婦人たちを見据えた。その目には挑戦的な光が宿っていた。
「は、はしたない!」
貴婦人の一人が目を見開いた。
「公衆の面前でそのような破廉恥な……!」
「破廉恥? 夫婦が寄り添うことが破廉恥ですの?」
「そ、そういう意味では……」
「それとも醜い男には触れてはならないという決まりでもありまして?」
「……っ!」
貴婦人たちは絶句した。
「私はこの人を愛しています。この人の傍にいることを誇りに思っています。それを恥ずかしいなどと思ったことは一度もありませんわ。それより、救国の英雄に対して陰口を叩くなど……その性根のほうが遥かに醜いと私は考えますわ」
何か仰りたいことは? とエリアーナが促す。
「……はしたない! なんてはしたない女かしら!」
貴婦人たちは顔を真っ赤にして、どこかへ去っていった。
その後ろ姿を見送りながら、エリアーナはくすりと笑った。
「行きましょう、ゴブル様」
「あ、あの……」
「はい?」
「その……ありがとう」
エリアーナは微笑んだ。
「私の夫を侮辱する人に少し言ってやっただけよ」
そして彼女はゴブルの耳元で囁いた。
「それにあなたの手が私の腰にあると、ちょっとどきどきするの」
「え……」
「今夜、続きをしましょうね」
◆
夜、二人は屋敷に戻った。寝室に入ると、エリアーナはゴブルを振り返って言う。
「さあ、約束の続きよ」
「あ、あの……今日は疲れて……」
「駄目。逃げないで」
エリアーナはゴブルを寝台に押し倒した。
「お、お手柔らかに……」
「ふふ、それは無理なお願いね」
彼女はゴブルの耳朶を甘噛みしながら、囁いた。
「だって私、あなたが慄いている顔を見ると、たまらなく興奮しちゃうんですもの」
「そ、それは……」
「『王国の蛇』が私の前でこんなに怯えているなんて。最高よ」
エリアーナの手がゴブルの下腹部に伸びた。
「これからもずっと傍にいてね」
「は、はい……」
「約束してくれる?」
「約束……する……」
「死が二人を分かつまで」
「それ……以上に……」
エリアーナは満足そうに笑った。
そして夜通し、ゴブルを愛し尽くした。
◇◇◇
翌朝、目を覚ましたゴブルは隣で眠るエリアーナの寝顔を見つめていた。
美醜とはいったい何であろうか。
容貌の良し悪しなど、人の価値を測る物差しとしてはあまりにも浅はかなものなのかもしれない。
そして自分はこの女性に愛されている。
それでいいのだろうか、彼女の幸せはもしかしたら──
そんな益体もないことをグダグダと考えているゴブル。
そうこうしている内に、エリアーナが目を覚ました。寝ぼけた目でゴブルを見つめ、そして微笑む。
「おはよう、ゴブル様」
「おはよう」
「昨夜は気を失わなかったわね。少しは慣れてきたのかしら」
「……お手柔らかにしていただいたので」
「次はもっと激しくするわね」
「それは……う、ううむ……」
エリアーナはくすくすと笑いながら、ゴブルに身体を擦り寄せてきた。柔らかな乳房が彼の腕に押し付けられる。滑らかな太腿が彼の脚に絡みつく。
「ねえ、ゴブル様」
「……」
「私、幸せよ」
「……私もだ」
「もっとたくさん、幸せにしてあげるわね」
その言葉の意味をゴブルは正しく理解していた。
これから先、自分はこの女性に「幸せ」にされ続けるのだろう。
穏やかな朝の光が二人を照らしていた。
窓の外では小鳥が囀っている。
「王国の蛇」と恐れられた男は今、一人の女の腕の中でこの上もなく穏やかな時間を過ごしていた。
たとえ毎晩、意識を失うほど犯され続けることになったとしても、である。
(了)