もしマフティーがおっぱい船長の洗脳ハーレムだったら…… 作:a-su
午後の便が一本飛んだきり、カウンターの向こうには誰もいなかった。メイス・フラゥワーは搭乗券の束を整理しながら、無人のロビーに目をやる。
彼女は、この空港にはそぐわない手つきをしていた。書類を揃えるとき、まず指先で端を撫でるように位置を確かめ、それから一枚ずつ、滑らせるように抜いていく。
ブロンドヘアーを耳の後ろに流す仕草ひとつにしても、指を髪に差し入れ、耳に沿わせ、首筋を撫でるように下ろす──三拍子だ。
(そろそろ身の振り方を決めたいものね……)
メイス・フラゥワーは二十七歳。きれいなブロンドのセミロングに、口元のほくろ。長い睫毛に縁取られた大きな目と、ルージュを引いた唇。モデル体型の長い手足が、地方空港の制服に窮屈そうに収まっている。
(ケネスに付き合うのではなかったわ)
あのたくましい軍人の誘いに乗り、しかもすぐに別れてしまったせいで、地方の港湾都市にある小規模空港に左遷されたのだ。VIP専用便「ハウンゼン」への搭乗が叶うほどトレーニングに励んだ女性らしい所作を、無人のロビーで誰に見せるでもなく消費してしまっている。
「おい、いいか」
「あ、はい。いらっしゃいませ」
来客に営業スマイルを貼り付けたメイスは、相手を見て一瞬だけ笑顔の精度を落とした。
中年の男だ。がっしりした体躯に膨らんだ腹、顎から首にかけてびっしりと生えたヒゲ。くたびれた紺のジャケットから潮の匂いがかすかにする。
(輸送船の関係者かしら……)
この港町の空港では珍しくない客層だ。だがメイスの中の審美眼が、無意識に値踏みをしていた。
「どういったご用件ですか?」
ショートのブロンドを耳に掛け直すと、低めのソプラノが響いた。どんな相手にも同じ温度で接する、あの頃と同じ声だ。
「明後日の朝一のフライトだ、往復で」
「かしこまりました。お座席のご希望は?」
「窓側。足が伸ばせるところで頼む」
男は椅子に深く腰を沈め、大して長くもない脚を投げ出すように組んだ。
メイスは淀みなくキーを叩き、予約画面を開く。
「非常口座席でしたら足元が広くなっておりますが、緊急時にお手伝いいただく必要がございまして──」
「ああ、構わんよ。力仕事は慣れてる」
男はぶっきらぼうに言って、首の後ろを掻いた。ジャケットの襟元から日焼けした首筋が覗き、太い鎖骨が見えた。
「こちらの七時十分発、直行便はいかがでしょう」
「ああ、それで」
男はジャケットの内ポケットからカードを取り出した。決済を済ませる間、スマートフォンを取り出して画面を静かに操作している。
「お支払い完了いたしました」
メイスはカードと搭乗券を揃え、丁寧に差し出した。指を揃え、相手の目を見て、微笑みを添える。
「私、メイス・フラゥワーと申します。何かございましたらこちらに」
名刺を差し出す。
「ブリンクス・ウェッジ。よろしく」
男は名刺を受け取ったが、まともに見もしなかった。搭乗券をポケットにねじ込み、また画面に目を落とす。
(なんなのこの人……感じ悪い……)
昔の職場なら考えられない態度だ。
だが男は不意に顔を上げ、メイスの顔をまっすぐに見た。
「あんた、さっき他の客にじろじろ見られてたな」
「……え?」
「こんな場所にゃあもったいない美人だ」
メイスが答えを返す前に、男の太い親指がスマートフォンの画面を一度、強く押した。
(んっ────……)
強い鼓動が胸の奥を打った。
「え、そうだろ? ハウンゼン356便の客室乗務員だった、メイス・フラゥワーさん?」
ルージュを塗った唇から熱い吐息がこぼれ、一瞬にして頬が紅潮する。心臓がどくどくと脈打ち、同じリズムで下腹の奥がきゅうっと疼いた。膝が内側に寄り、太腿がかすかに擦れ合う。
(な……なに、これ……)
頭がくらくらする。視界の端がぼやけていくのに、目の前の中年男だけがやけに鮮明だった。ひげ面、太い首、油の匂い。さっきまで値踏みしていたはずの姿が、目に焼きつくように輪郭を持っている。
「チェックインは何時からだ?」
男の低い声が、腹の底に落ちてくる。身体がその振動に反応して、背筋がぞくりと波打った。
「あ……出発の、二時間前から……」
自分の声が甘く湿って聞こえた。
男はカウンターに名刺を裏返して置き、ボールペンで何かを書いた。
「今日の晩な、港にあるバーで一杯やる。来るか?」
名刺を滑らせる。口の端に、何かを見透かしたような笑みが浮かんでいる。
(バー……? この人と……?)
ありえない。なのに、名刺の裏の走り書きを目で追った瞬間、下腹の疼きがぎゅっと強くなった。じわりと熱いものがにじむ。
「……はい」
吐息に濡れた返事は、背後の同僚に聞こえなかっただろうか。
男は立ち上がった。がっしりした背中がロビーの出口に向かう。
メイスは名刺の裏をもう一度見た。バーの名前と時間。その下に短く──
『一人で来い。色っぽい格好でな』
メイスの低いソプラノが、「はい」という音を作る。
それは自分の意思で決めた約束のように思えた。少なくとも、今の彼女には。
(続く)