第四次忍界大戦の終結から一週間。里は復興作業で活気に満ちていた。経過観察を終え、ようやく自由の身となったフミが向かうのは、木の葉の里のはずれにある、お馴染みの古書堂だった。お目当ては一つ。つい先日発売されたばかりの、伝説の三忍・自来也先生の最新刊である。
『イチャイチャバイオレンス・最終決戦編』物騒なタイトルが書かれた表紙を手に取り、フミが悦に浸っていた、その時。彼の背後から、氷のように冷たい視線が突き刺さった。
「……フミさん?」
そこに立っていたのは、腕を組み、頬をぷっくりと膨らませたハナビだった。彼女の白い瞳は、これ以上ないほど冷ややかなジト目になっている。
「げっ…!」
「やっぱりここにいた。げ、じゃないでしょう?」
「は、ハナビちゃん……なんで……?」
フミは手に持っていた本を慌てて背中に隠すが、もう遅い。冷や汗が背中を伝うのが分かった。まさかいきなり恋人に遭遇するとは、夢にも思っていなかったのだ。
「なんで、じゃありません。発売日になったら真っ先にここに来るだろうって、ネジ兄様が教えてくれました。」
ハナビはふん、と鼻を鳴らす。日向の現宗主にとって、彼氏の行動など完全にお見通しである。
「それに、クシナさんにも頼まれてるんです。フミさんがまたイチャパラシリーズを買おうとしたら、力づくでも止めてくれって。」
彼女はそう言うと、ポキポキと指の関節を鳴らしてみせた。その目は本気だった。
「ま、まって!穏便に話し合おう、ね?僕ら恋人同士穏やかに……」
フミは必死に弁解を試みるが、その言葉はどんどん尻すぼみになっていく。「恋人同士」という言葉を口にした瞬間、ハナビのジト目がピクリと反応したのを、彼は見逃さなかった。
「……恋人?」
ハナビはゆっくりとフミに顔を近づけた。甘い雰囲気など微塵もない。尋問官のような鋭い眼差しが向けられている。
「フミさん、まさか私のことを、そんな便利な言葉で言いくるめられると思ってるんですか? 恋人なら、こんな破廉恥な本を欲しがる彼氏さんを心配しちゃいけないんですか?」
彼女はフミが背中に隠した本を指さす。その声は静かだが、怒りが煮えたぎっているのがはっきりと分かった。
「…思いませんです、はい。」
フミは完全に白旗を上げた。これ以上抵抗すれば、店の中で柔拳の的になることは明白だった。彼は観念し、おとなしく背中に隠していた本をハナビに差し出した。
「よしよし、良い子です。」
ハナビはそっと左手で本を受け取ると、右手で頭を撫でてから店主に返却しに向かった。フミはただ、その背中を見送ることしかできなかったが、彼女のヨシヨシは効いたようで、頬が少し朱に染まる。
「さ、行きましょう、フミさん。今日はうちで、夕ご飯を食べていってください。クシナさんには許可をいただいてます。」
「はは、ならお言葉に甘えて。」
戻ってきたハナビは、そう言うと、フミの右手をぎゅっと握った。さっきまでの怒りはどこへやら、その顔には嬉しそうな笑みが浮かんでいた。
「あの…さ、ハナビちゃんって言い方、やめた方がいい?」
日向の屋敷へ向かう道すがら、フミは握られた手を見つめながら、ぽつりとそう尋ねた。さっきの「恋人」という言葉への彼女の反応が、やはり気になっていたのだ。
「……え?」
ハナビはキョトンとした顔でフミを見上げた。質問の意図が分からず、ぱちくりと目を瞬かせている。
「どうしてです? 別に、フミさんが呼びたいように呼んでくれれば…」
彼女はそこまで言って、ふと何かに気づいたように言葉を止めた。そして、みるみるうちに顔を真っ赤に染め上げていく。
「ま、まさか…! 名前で、呼び捨てに…とか…?」
「だ、だって…僕ら恋人だし……ちゃん付けは変かなって…」
フミ自身も耳まで赤くなりながら、しどろもどろにそう言った。六道の力を扱い、マダラすら封じた男が、恋人への呼び方一つでこの有様である。
ハナビは繋いだ手にぎゅっと力を込めると、空いた手で自分の顔を覆い隠した。白眼の使い手でなくとも、耳の先まで真っ赤になっているのが丸わかりだった。
「…じゃあ、ハナビ、で。」
蚊の鳴くような声だった。あの堂々とした日向家次期当主の面影はどこにもない。
「その代わり、私もフミって呼びますから。……い、いいよね?」
上目遣いでこちらを見上げるその顔は、反則だった。
「い、いいよ…呼び捨てでも君づけでもなんでも…」
フミは思わず目を逸らした。今のハナビの破壊力は別天神より厄介だった。
「じゃあ…フミ。」
ハナビは小さくそう呟いた。たった二文字。されどその響きは、今までの「フミさん」とはまるで違う距離感を纏っていた。
「……えへへ。」
彼女は自分で言っておきながら照れてしまい、フミの腕にぴったりと寄り添うように歩幅を詰めた。
夕暮れに染まる木の葉の里の大通りを、手を繋いで歩く二人の姿。道すがら、すれ違う忍たちが微笑ましそうに振り返る中、二人は幸せな沈黙に包まれていた。日向亭の門前まで辿り着くまでは。
「……ほう。」
日向家の門前に腕を組んで立つネジの姿が見え、フミは背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「いいっ⁉︎」
フミは情けない悲鳴を上げ、反射的にハナビとの手を離そうとした。が、ハナビはがっちりと握ったまま離さない。
「フミ、随分と大胆になったものだな?」
ネジの声は穏やかだった。穏やかだからこそ怖い。白眼が静かにフミを射抜いている。
「ネジ兄様、覗き見なんて趣味悪いですよ。」
「覗き見ではありません。門番です。」
ネジは涼しい顔でそう返すと、フミの前にすっと歩み寄った。静かな圧を前にフミはごくりと唾を飲む。
「もし、ハナビ様を泣かせたら、八卦六十四掌では済まさんぞ。」
その目は笑っていなかった。
「は、はいっ!勿論です!勿論ですとも!」
フミは高速で何度も頷いた。マダラの前でも怯まなかった男が、義兄候補の前では完全に萎縮していた。
「もう、ネジ兄様ったら。フミを怖がらせないでください。」
ハナビがぷんと頬を膨らませると、ネジはフッと小さく笑みを漏らした。
「……冗談です、半分は」
そう言い残し、くるりと背を向けて屋敷の中へ戻っていく。その背中は、どこか楽しそうにも見えた。
「ほら、行こ、フミ。ご飯冷めちゃうから。」
ハナビはフミの手を引いて、日向家の門をくぐった。屋敷の奥から漂ってきたのは、温かい味噌汁と煮物の香り。平和の匂いだった。
「…ヒアシ様は出張なんだね。ヒナタさんはうずまき家にお泊まりだし…」
フミは広い日向家の屋敷を見回しながら、妙に人気が少ないことに気づいた。
「うん。父様は戦後処理で里外に行ってて、姉様はナルトさんのお見舞いで……」
ハナビはそこまで言って、はたと気づいた。ネジは門番と言いつつ、食事の時間にはどこかへ消えていた。つまり。
「……二人きり、だね。」
静まり返った広い屋敷に、その言葉がやけに響いた。ハナビの顔がじわじわと赤く染まっていく。フミも同様だった。
「べ、別に変な意味じゃなくて! ご飯です、ご飯! 私が作ったんですから、ちゃんと食べてもらうからね!」
彼女はフミの手を強引に引っ張り、台所へと急いだ。その耳が真っ赤なのは、見なかったことにした方がいいだろう。
結局、ネジはちゃっかり食卓に戻ってきた。三人分の食事が並んだ日向家の食卓は、広い屋敷には些か寂しい人数だったが、温かい雰囲気に包まれていた。
「ハナビ様。この煮物、味付け変えられましたか?」
「あ、分かります? クシナさんに教わったんです。フミが好きな味付けにしてみたんです、けど…」
ハナビは言ってから、しまったという顔をした。ネジの箸がピタリと止まる。
「ほう。フミが好きな味付け、ですか?」
じとり、とネジの白眼がフミに向く。フミは黙々と味噌汁をすすり、目を合わせないようにするのが精一杯だった。
「ね、ネジ兄様、その目やめてください! それより、フミ、どう? 美味しい?」
「美味しい…ありがとう、ハナビ。」
フミは柔らかく微笑んでそう言った。呼び捨てが自然と口をついて出たことに、本人は気づいていない。
「……っ!」
ハナビは箸を持ったまま固まった。呼び捨て。さっき決めたばかりなのに、いざ実際に聞くと破壊力が違った。彼女は俯いてご飯を口に詰め込み、ごまかそうとする。
「……」
ネジは黙って茶を啜った。その目が「帰れ」と言っている気がしたが、フミは気のせいだと思うことにした。
「お、おかわりもありますから! たくさん食べてね、フミ!」
ハナビも呼び捨てで返す。その声は上ずっていたが、嬉しさが隠しきれていなかった。二人の間に流れる甘い空気に、ネジの箸が微かに軋んだ。
「あのネジさん、白眼を使わないでください。プレッシャーが…」
フミは額に冷や汗を浮かべながら、恐る恐る口を開いた。飯がどれだけ美味くても、白眼で全方位から監視されていては喉を通らない。
「使っていない。常時発動だ。」
「嘘つかないでください、ネジ兄様。血管浮いてますよ。」
ハナビが冷静にツッコむと、ネジはばつが悪そうに目を逸らし、白眼を解除した。こほん、と一つ咳払いをする。
「……フミ。一つ聞いておきたい。」
ネジの声のトーンが変わった。今度は冗談めいた空気ではなく、真剣な眼差しだった。
「お前はハナビ様と、どこまで本気だ。」
食卓の空気が一変した。ハナビも箸を止め、フミの横顔をじっと見つめている。
「僕を火影の息子ではなく、1人の人間として見てくれた時からずっと、ハナビは僕にとっての大切な人です。」
フミは真っ直ぐにネジの目を見て、迷いなくそう答えた。さっきまでの狼狽えた姿はどこにもない。その瞳には、戦場で見せたものと同じ揺るぎない覚悟が宿っていた。
食卓が静まり返った。箸を置く音すら憚られるような、張り詰めた沈黙が流れる。
「フミ……」
ハナビは両手で口元を覆った。白眼越しでなくても分かるほど、その目には涙が滲んでいた。
「……そうか。」
ネジはしばらくフミを見据えた後、静かに目を閉じた。やがて、ふっと口元に穏やかな笑みが浮かぶ。
「なら、もう何も言うことはない。……ただし、泣かせたら分かっているな。」
「ええ…それと…ハナビ、ネジさんに伝えたいこと、あるんでしょ?」
フミはそっとハナビの方を向いた。彼女が戦争の前からずっと胸に抱えていたものを、フミは知っていた。
「……え。」
ハナビは一瞬息を呑み、フミを見つめた。それから、ゆっくりと箸を置き、姿勢を正す。
「……ネジ兄様。」
「はい、ハナビ様。」
ネジは怪訝な顔で姪を見返した。彼女の纏う空気が、先ほどまでとはまるで違うことに、すぐに気づいた。
「ずっと……ずっと考えてたんです。この戦争の前から。日向の当主は、本当に私でいいのかって。」
ハナビは膝の上で拳を握りしめた。
「兄様の方が、実力も、人望も、器も、全部上です。宗家とか分家とか関係なく……日向を導けるのは、ネジ兄様だと思うんです。」
ネジの白い目が大きく見開かれた。箸を持ったまま、微動だにしない。まるで時が止まったかのようだった。彼にとって、その言葉は全く予想していなかったものだった。
「は、ハナビ様、何を仰って――」
「冗談じゃないです。本気です。」
ハナビは真っ直ぐにネジを見据えた。その瞳に迷いはなかった。
「宗家だから当主、分家だから従者。そんなの、もう終わりにしたいんです。この戦争で、兄様が命を懸けて守ったもの……それこそが日向のあるべき姿だと、私は思います。」
ネジは黙ったまま、視線を畳に落とした。分家の者として生まれ、籠の鳥と呼ばれた運命。それを覆すことなど、かつては想像すらできなかった。
「……俺は。」
声が僅かに震えていた。
「…ネジさん、落ちこぼれと蔑まれた兄さんが、英雄となったように。分家が宗主になったって何ら変なことじゃないんです。実力が伝統のせいで潰されてしまうのなら…そんな伝統無くすべきだ。」
フミの言葉は静かだが、確信に満ちていた。かつてナルトがネジに教えた「運命は変えられる」という言葉が、今、別の形で彼に届こうとしていた。
ネジは長い沈黙の中、じっと自分の手を見つめていた。額に刻まれた呪印の感触を、無意識に指でなぞる。
「……父上が、生きていたら。」
ぽつりと漏れた声は、天才と呼ばれた男のものとは思えないほど、頼りなかった。
「笑うだろうな。分家の息子が当主だと。」
「笑いませんよ。ヒザシ叔父様なら、きっと誰より喜んでくれます。」
ハナビの声がそっとネジの心に触れた。ネジの目に、薄く光るものが浮かんだ。
「だけど、ハナビ。今すぐってわけにはいかないよね。」
フミは穏やかに、しかし諭すようにハナビに向き直った。
「君が当主になってまだ一年も経ってない。ここで投げ出したら、それこそ宗家も分家も納得しないと思う。」
ハナビは唇を噛んだが、フミの言葉が正しいことは分かっていた。
「だからさ、もう少し頑張ってみて、それでも本当に無理だと思ったら……その時は兄さんとヒナタさんも交えて、みんなでちゃんと話そう。日向の未来は、日向だけの問題じゃないから。」
「……うん。分かった。」
ハナビは小さく頷いた。その表情には、さっきまでの焦りは消え、穏やかな決意が宿っていた。
「……フミ。」
ネジは静かにフミを見た。
「お前に、ハナビ様を任せてよかった。」
それは、日向の天才から贈られた、最大の信頼だった。
〜数日後 火影室にて〜
火影の執務室は重い空気に包まれていた。カカシは机の上に両肘をつき、組んだ指の向こう側でフミとナルトを見据えている。その左目にはもう写輪眼はない。だが、その眼差しの鋭さは衰えるどころか、火影の重責を背負ってからいっそう研ぎ澄まされていた。
「単刀直入に言う。五影会談まであと五日。各里からオビトの処遇について正式な回答を求められている。」
カカシは一枚の書類を二人の前に滑らせた。
「雲隠れと岩隠れは即刻処刑を主張。砂隠れは木の葉に一任すると回答。霧隠れは……まだ返答がない。」
「処刑なんて、させねぇってばよ。」
ナルトの声は低く、しかし揺るぎなかった。拳が膝の上で白くなるほど握り締められている。
「お前がそう言うだろうとは思っていたよ、ナルト。だが感情論だけじゃ五影は動かせない。」
カカシの視線がフミへと移った。
「フミ、お前はどう考える。」
「……処刑するのは簡単です。おそらくオビトも望んでいる。ですが、大罪を冒した彼が最も望む道を進ませることが正しいとは思えない。」
フミは腕を組み、書類に目を落としながら続けた。
「……ほう。」
カカシの目が僅かに細まった。その反応は、教え子の答えに興味を持った師のそれだった。
「フミ……?」
ナルトが怪訝そうに弟を見た。処刑に反対しているのか賛成しているのか、まだ判断がつかない様子だった。
「死は罰じゃない。あの人にとっては救いです。リンさんの元に行ける、父さんに詫びられる……そう思ってるはずだ。」
フミの声は淡々としていたが、そこには冷徹さではなく、オビトという人間を深く理解しようとする静かな熱があった。
「本当の償いは、生きて向き合うことだと僕は思います。戦争で失われた命の数だけ、彼には背負う義務がある。」
「問題は、それを、雲と岩にどう納得させる?」
カカシは静かに問うた。その声には、かつての教え子であり親友だった男の命を左右する議論の重さが滲んでいた。
「シズネさん、各里の被害総額はまとまっていますか?」
「ええ、これよ。」
シズネが差し出した資料を受け取ると、フミは素早く目を走らせた。膨大な数字の羅列を、まるで暗号を解読するように読み解いていく。それから懐の帳簿と照合し、しばらく沈黙した後。
「……いける。」
「え?」
「……フミくん、今なんて?」
シズネが目を丸くした。その資料に記された被害総額は、小国の国家予算を丸ごと飲み込むほどの額だった。
「フミ。まさかお前、賠償を肩代わりするつもりか。」
カカシが机から身を乗り出した。さすがの六代目も、この展開は予測していなかったらしい。
「ちょ、ちょっと待てってばよ! フミ、お前そんな金どこに……」
ナルトが弟の顔と帳簿を交互に見る。兄の困惑は当然だった。忍の給料でどう逆立ちすれば、そんな額が手に届くというのか。
執務室の全員の視線がフミに集中した。書類を捲る乾いた音だけが、沈黙の中で妙に大きく響いていた。
「これを見てもらえれば。」
フミが見せたのは極秘にしていた自身の資産総額が記された帳簿。S級任務47回クリア、その他の報奨金諸々合わせると、被害総額の20倍もの規模になる。これは、忍びどころか大名すらも超えていた。
『……………』
執務室の空気が凍りついた。シズネは資料を持つ手が震え、ナルトは口を半開きにしたまま固まっている。カカシですら、マスクの下で唇が引き結ばれていた。
「S級任務……47回? フミくん、あなたまだ十代でしょう……?」
シズネの声は掠れていた。S級任務の一つ一つが命懸けの修羅場であり、生還率すら怪しい案件ばかりだということを、医療忍者である彼女は誰より知っていた。
「おい、フミ……お前いつの間にそんな……」
ナルトは弟の横顔を見つめた。穏やかで、どこか飄々とした弟。その裏側で、どれだけの血と汗を流してきたのか。兄として何も知らなかった事実が、胸に重く突き刺さった。
「フガクさんの判断で、イタチさんが僕とのツーマンセル以降稼いだ分を全額託してくれたんです。里のために使ってほしいと。」
「……大名すら超える資産を持つ忍か。前代未聞だな。」
カカシは深く息を吐き、椅子の背にもたれた。
「だが、金で命は買えない。賠償で遺族の怒りは鎮められても、各里の面子は別問題だ。例えば雷影ならば、札束で頬を叩かれたと受け取るぞ。」
「確かにその通りですが、理の担当が僕ならば、情の担当は誰か、6代目ならわかりますよね?」
フミは隣に座る兄を一瞥した。その視線の意味に、カカシはすぐに気づいた。
「……なるほど。」
カカシはマスクの奥で小さく笑った。戦争を終わらせた英雄、忍界の救世主、各里の人柱力たちから絶大な信頼を寄せられる男が心の底から訴えかければ。
「……俺か?」
ナルトはようやく話の筋が見えてきたのか、目を瞬かせた。
「つまり、フミが金で道を整えて、俺が他の五影を説得するってことか?」
「じいちゃんって言うのはやめた方がいいけど……概ねその通り。」
「……見事な役割分担ね。」
シズネは感心したように呟いた。理詰めで外堀を埋めるフミと、人の心を動かすナルト。この兄弟が揃えば、確かに五影会談という戦場でも戦える。
「いいだろう。ただし条件がある。」
カカシが指を一本立てた。
「オビトの処遇案を、五日以内に書面で纏めてほしい。処刑でも無罪放免でもない、第三の道をな。」
すると、フミはフッと笑みを浮かべ、書類を提出した。
「それについても。チャクラ制限をかけた上でのうずまき家での自宅軟禁で…母さんには了承もらってます」
今度こそ、執務室は完全な沈黙に沈んだ。シズネは書類を取り落としそうになり、ナルトは目を見開いて弟を凝視している。
「は……? 母ちゃんに? いつの間に?」
「……クシナさんが了承済みだと?」
カカシの声に、珍しく動揺の色が混じった。かつての師の妻が、大切な夫を殺す引き金を作り、あまつさえ自分とナルトの命を危険に晒した男を迎え入れると言っているのだ。正気の沙汰とは思えなかった。
「オビトは母さんにとって…家族同然の存在です。当時、先生も見ていたと思います。」
フミは淡々と続ける。
「もちろん母さんも最初は悩んでいました。でも、最後には、家政夫としてこき使ってやるってばね、って言ってくれて。」
「母ちゃん……」
ナルトの拳が微かに震えた。
「それで、監視体制は?」
「今、イビキさんと鬼灯城の無為さんにお願いして、チャクラ制限機能のカラクリを手配してもらっています。会談終了後までには出来るかと。」
「……フミ。」
カカシは深く椅子に沈み込み、天井を仰いだ。長い息を吐いてから、再びフミを見る。その目には呆れと感嘆が入り混じっていた。
「お前、いつからこれを準備していた。」
「戦争が終わった翌日からです。」
さらりと言ってのけるフミに、シズネが思わず苦笑を漏らした。
「ミナト先生の血筋ね、本当に……。」
「でもよ、フミ。母ちゃんとオビトが二人きりって……大丈夫なのかってばよ? オビトの奴、母ちゃんに何か……」
「兄さん、オビトが今一番恐れてるのは、母さんの顔を見ることだと思うよ。」
その一言に、ナルトは押し黙った。自身が殺しかけた母同然の女性と暮らす。それがどれほどの地獄か、想像に難くなかった。」
「生き地獄、か。処刑より余程重い罰だな。」
カカシは書類にゆっくりと判を押した。
「よし。この案で五影会談に臨む。ただし、エーを説得できなければ白紙だ。分かっているな、ナルト。」
「……任せとけってばよ。」
ナルトは拳を握り、静かに頷いた。
〜五影会談会場〜
五影会談の会場は、前回と同じ鉄の国。雪が絶え間なく降り注ぐ厳寒の地に、五大国の影が再び集結した。円卓を囲む五つの椅子には、それぞれの里を背負う者たちが既に腰を据えている。
(……前よりはマシだけど、雷影のおっちゃんの圧やばいってばよ。)
カカシの背後にはフミとナルトが護衛として控えていたが、円卓の空気は議題のこともあってか冷たさを帯び、ナルトは思わず背中に汗をかいていた。
「さっさと本題に入れ、カカシ。うちは忙しい。」
エーの太い腕が卓を叩き、鈍い振動が会場に響いた。隣に控えるダルイが、やれやれといった表情で溜息をつく。
「あら、相変わらず血の気が多いこと。」
「ふん。儂はもう腰が限界じゃ、手短に頼むぞ。」
「では、遠慮なく。」
カカシが立ち上がり、一枚の書類を円卓の中央に置いた。
「うちはオビトの処遇案について、木の葉からの正式提案です。」
一同が書類に目を通し終わる前に、エーが動いた。
「ふざけるな!」
拳が円卓に叩きつけられ、分厚い石材に亀裂が走った。ダルイが慌てて上司を押さえようとするが、雷影の怒気は収まらない。
「自宅軟禁だと? あの男が何をしたか忘れたわけではあるまい! 八尾を奪われかけ、忍連合の兵がどれだけ死んだと思っている!」
「雷影の言う通りじゃ。死んだ者は戻ることはない。極刑以外道はないぞ。」
オオノキの皺だらけの顔に、深い怒りが刻まれていた。岩隠れもまた、戦争で多くの犠牲を出している。
「……霧隠れとしても、簡単に頷ける話ではないわね。」
メイは扇子で口元を隠しながら、慎重に言葉を選んでいた。
「…………」
風影の我愛羅だけは沈黙を保ち、カカシの背後に立つナルトとフミを見つめていたが、静かに口を開いた。
「フミ、理由を聞かせてはくれないか?」
一礼して、フミは一歩前に。
「…処刑するのは簡単です。ですが、オビトが最も望む道をこちらで敷くことが罰になると思いますか?」
「何?」
エーの眉が吊り上がった。
「前提として、今のオビトは死を望んでいます。処刑は罰ではなく、彼にとっての救済です。愛する人のもとへ逝ける、師であるミナトに詫びられる……それを許すことが、本当に各里の犠牲に報いることになりますか。」
会場が静まった。フミの声は穏やかだが、一語一語が円卓に重く落ちていく。
「……ほう。」
「殺した恩師の妻…即ち僕らの母さんと暮らす。それがどれほどの苦痛か、例えるならば、逃げ場のない贖罪です。」
エーの表情が僅かに揺らいだ。だが、すぐに腕を組み直す。
「フン…綺麗事だ。苦しませれば満足か? 死んだ部下の遺族にそれで説明がつくと思うな。」
「…これを。」
フミは懐から帳簿を取り出し、円卓に広げた。
「各里への賠償を、木の葉…というより僕が全額負担します。遺族年金の創設、戦災孤児の支援基金も含めて。」
「…なんだと?」
エーが初めて言葉に詰まった。その額を確認したダルイが、小声で上司に耳打ちする。ダルイの顔色が変わっていた。
「こ、この額、本物っすよ。うちの里の年間予算の何倍って話じゃないっす……」
ダルイの声が震えていた。普段の気怠い態度はどこにもない。
「たった1人で、里の国家予算を超えてくるか、お主とんでもないな。」
「……嘘でしょう? 」
メイの扇子が止まった。円卓の全員が、カカシの背後に立つ赤髪の少年を改めて見つめていた。火影の息子という肩書きだけでは説明のつかない、途方もない実績がそこにあった。
「……カカシ。この数字に間違いはないのか。」
「勿論。木の葉の任務記録と照合済みです。すべて事実ですよ。」
カカシの声は淡々としていたが、その口元にはマスク越しでも分かるほどの誇らしげな気配があった。
「……フミ。」
我愛羅の翡翠の瞳が真っ直ぐフミを捉えている。
「砂隠れは、お前の提案を支持する。」
「風影‼︎何を言って…」
「雷影殿。かつて俺も化け物と呼ばれ、殺されて当然の存在だった。それを変えてくれたのは、あそこに立っている男だ。」
我愛羅の視線がナルトへ移った。
「ナルト。お前の言葉も聞かせてくれるか?」
「……ああ。」
ナルトは友の言葉に笑みを浮かべつつも、引き締め直して一歩前に出た。五つの影が纏う威圧感を真正面から受け止めながら、蒼い目で一人一人を見渡した。
「オビトは……沢山の人を殺した。里も滅茶苦茶にした。それは紛れもない事実だ。」
ナルトの声は震えていなかった。
「許せるかって聞かれたら…正直分かんねぇよ。でも、あいつは元々カカシ先生と一緒に夢を見てた。仲間を守りたくて、大切な人を失って、壊れちまっただけだ。」
「だからどうした。壊れたからといって罪が消えるわけではない。」
「消えねぇよ。消えねぇから、絶対に生きて償わせなきゃならねえんだ。」
ナルトの拳が胸の前で握られた。
「死んで楽になんかさせてたまるか。あいつが目を背けてきた現実を、全部見せてやる。それが、亡くなった人たちへの本当の筋の通し方だ…俺はそう思ってる。」
エーは黙ったまま、ナルトを睨みつけていた。だがその瞳の奥で、何かが揺れていることに、隣のダルイは気づいていた。
「……霧隠れは、木の葉の提案に賛同するわ。」
「……参ったのう。」
オオノキが長い溜息をついたのち、フミはナルトの発言に花を添えるように付け加えた。
「彼には、見届けてもらう義務があります。一度理想郷のために逃げた現実の世界を、死ぬまで見届ける義務が。」
会場の空気は完全に変わった。静寂の中、雪が屋根を叩く音だけが響いている。
「……小僧。」
オオノキは腰を押さえながら、じっとフミを見つめた。
「お前、ミナトより厄介じゃのう。」
それは悪態のようでいて、どこか認めるような響きがあった。そして、彼も決断する。
「岩隠れは……条件付きで賛同する。賠償の件、書面で頼んだぞ。」
「承りました。」
これで四対一。残るはエーだけだった。円卓の視線がすべて雷影に集まる。
「…………。」
エーは目を閉じ、腕を組んだまま長い沈黙を保っていた。その背後でダルイが小さく頷くのが見えた。
「……ビーが言っていた。」
低く、搾り出すような声だった。
「あの馬鹿が、言いやがったんだ。「罰ってのは終わらせることじゃねぇ、背負わせることだ、イェーイ」とな。」
エーの拳が震えていた。怒りではない。葛藤だった。
「……条件がある。半年ごとに五影合同で査察を入れる。それが呑めるなら、雲隠れも反対はしない。」
「構いません。皆様で来てくださるならお酒も用意しておきます。」
一瞬の間を置いて、オオノキが噴き出した。
「がっはっは! 査察で酒盛りとは、大した小僧じゃ!」
「あら、いいわね。木の葉のお酒は美味しいって聞くもの。」
メイが扇子の向こうで微笑んだ。張り詰めていた空気が、少しずつほどけていく。
「……フンッ、ナメた口を。」
エーはそう吐き捨てたが、その口元は僅かに緩んでいた。ダルイが安堵の溜息を漏らし、小声で「助かったっす」と呟いている。
「では、五影全会一致でうちはオビトの処遇案を承認とする。」
我愛羅が静かに宣言した。円卓に異論はなかった。
「……やったな、フミ。」
ナルトが振り返り、弟に小さく拳を突き出した。その目尻には、堪えきれない光が滲んでいる。
「……ミナト先生。あなたの息子たちは、とんでもない兄弟ですよ。」
カカシは誰にも聞こえない声で、そう呟いた。
鉄の国から木の葉へ戻った頃には、夕暮れが里を橙色に染めていた。2人は着替える間も惜しんで、真っ直ぐ墓地へ向かった。
「……やっぱりいたね。」
ミナトの墓前には、クシナが先に来ていたのだろう、真新しい花が供えられていた。夕陽に照らされた墓石の文字が、柔らかく光っている。兄弟の明るい表情でクシナは全てを察し、墓前に話しかける。
「ミナト、聞いてよ。今日ね、フミとナルトが五影会談でやってくれたんだってばね。」
クシナは墓石の前にしゃがみ込み、まるで隣にミナトがいるかのように話しかけた。その声は明るいのに、目元だけが赤くなっている。
「オビト、うちで預かることになったの。……怒る? 怒らないよね、あなたは。」
風が吹いて、クシナの長い赤髪が揺れた。
「父ちゃん…オビトのこと、ちゃんと見届けるからよ。約束だってばよ。」
ナルトは墓石に手を置き、静かに目を閉じた。普段の騒がしさが嘘のように、穏やかな横顔だった。
「フミも何か言いなさいよ、ほら。」
クシナが振り返り、少し後ろに立つフミに手招きした。
「父さん、僕は…彼を許すことは一生ないと思う。でも、彼には今の世界を見届けてほしい。だから…上で見ていて。」
フミは目を閉じて、そっと手を合わせる。許せないと言い切る声に嘘はなく、それでも救おうとする矛盾を、フミは隠さなかった。
「……っ!」
クシナの目から、堪えていたものが一筋こぼれた。慌てて袖で拭い、鼻をすすりながらフミの隣に並ぶ。
「あんたホント、そういうとこミナトそっくりだってばね。不器用なくせに、ちゃんと本音言うとこ。」
クシナはフミとナルトの頭をぐしゃぐしゃと両手で撫でた。二人同時に、容赦なく。
「いてて、母ちゃん力強すぎだってばよ!」
「うるさい! 母ちゃんが撫でたい時に撫でるの!」
「そ、そんな横暴な…」
「誰が横暴よ!」
クシナはそう言って笑ったが、その頬はまだ濡れていた。
墓石の影が長く伸びていく。家族の影もまた、一つに重なるように地面に溶けていた。どこかで風鈴が鳴り、木の葉の里に穏やかな夜が訪れようとしていた。
次回、うずまき兄弟が月面に降り立ちます。ご期待ください。