フミの六日間は、まるでS級任務のような密度で過ぎていった。
「プロポーズ!? フミくんがハナビちゃんに!?」
サクラは事務作業中だった手を止め、目を輝かせた。恋バナに関しては五影会談より優先する女だった。
「任せなさい、ナルトの弟の一世一代でしょ。あたしのセンスを信じて。」
サクラが選んだのは、深い紺色の羽織に白い襟を合わせた装い。日向の白とうずまきの赤を繋ぐ色だと、本人は得意げに語った。
「あーもう、こういうの大好き!」
いのは花屋の奥から次々と花を引っ張り出し、白い小菊と薄紫の桔梗を中心にした花装束を組み上げた。花言葉は「真実の愛」と「変わらぬ心」。抜かりがない。
「月の鉱石を指輪に……やるじゃない、フミ。」
テンテンは忍具鍛冶の腕を惜しみなく振るった。銀色に淡く青みがかった月の鉱物は、丹念に叩いて磨き上げていくことでダイヤモンドのような輝きを放つ。そうして、仕上がった指輪は、光の角度によって微かに虹色のきらめきを帯びていた。ここまでで5日が経過していた。
「で、肝心の台詞は考えたの?」
「そこが一番大事よ、フミくん。」
三人の視線がフミに集中した。
「それは…秘密です。でも、必ず成功させます。ありがとうございました、皆さん。」
その夜のうずまき家。居間に飾られたミナトの遺影は、いつもと変わらぬ穏やかな笑みを浮かべていた。線香の細い煙が天井へ向かって揺らいでいる。ナルトは、ヒナタと共に日向家へお泊まり中であった。
「母さん、ちょっといい?」
「はーい、待っててばね。」
クシナは台所から呼ばれて居間に入り、フミの前にオビトが正座しているのを見て首を傾げた。
「どうしたの、二人とも顔が硬いってばね。」
クシナが腰を下ろした。フミの表情を見て、母親の勘が何かを察したのだろう。茶化すことなく、静かに息子の言葉を待った。
「俺はフミに呼ばれただけです。何の話かは聞いてないが…」
オビトが腕を組んだまま、隣のフミをちらりと見た。かつて世界を敵に回した男は、今では木の葉の里で静かに贖罪の日々を送っている。ミナトの弟子として、うずまき家にとっては兄のような存在だった。
「フミ?」
クシナの声が柔らかくなった。ミナトの遺影の前で改まって話があるなんて、ただ事ではないと悟っている。赤い髪が揺れ、母の目がまっすぐに息子を捉えた。フミは意を決して告げた。
「明日、ハナビにプロポーズする。」
線香の煙が、まるで時間ごと止まったかのように直線を描いたと同時、クシナの目が大きく見開かれた。口元が震え、両手が膝の上でぎゅっと握りしめられる。何か言おうとして、言葉にならなかった。
「……そうか。」
オビトは短く頷いた。驚きはあったが、それ以上に得心がいったという顔だった。フミがわざわざミナトの遺影の前を選んだ意味を、この男は理解していた。
「ちょ、ちょっと待ってってばね……!」
クシナが袖で目元を押さえた。泣いていた。もう泣いていた。
「まだ何も、何も言ってないのに私もう駄目だってばね……!」
鼻を啜りながら、クシナはミナトの遺影を振り返った。写真の中の四代目は、相変わらず優しく微笑んでいる。
「ミナト、聞いた? フミが……うちのフミが……!」
声が詰まった。クシナの赤い髪が揺れ、涙が畳に落ちた。
「先生もきっと…喜んでるだろうよ。」
オビトがミナトの遺影に目を向けた。穏やかな沈黙が、三人を包んでいた。
「あと…結婚したら婿入りするつもりです。うずまき家2組だとバランス良くないから。」
「婿入り……?」
涙を拭う手が止まった。クシナの表情が一瞬、母親から元くノ一のそれに切り替わる。
「つまりフミは、日向の姓を名乗るってこと?」
「そういうこと。まあ、姓が変わるだけで関係は一緒だけど。」
その声に責めるような響きはなかった。ただ、確認するように。息子の覚悟の深さを、もう一度自分の耳で聞きたいとでも言うように。
「ナルトがうずまきの名を継いで火影を務め、フミが日向に入ることで両家の橋渡しになる。政治的にも悪くない判断だと思う。」
オビトが顎に手を当てた。かつて忍界の裏側を知り尽くした男の分析は、冷静で的確だった。
「ううん…そんな小難しい話じゃないってばね、オビト。」
クシナがぴしゃりと遮った。そしてフミに向き直る。
「フミ。姓が変わっても、アンタは母さんの大切な息子だってばね。これからもずっと、うずまきの血は流れ続ける。それは誰にも消せないわ。」
クシナが手を伸ばし、フミの赤い髪に触れた。自分と同じ色の、うずまきの証。
「ミナトだって、そう言うに決まってるってばね。」
遺影の中のミナトが、ほんの少しだけ笑みを深くしたように見えたのは、きっと線香の煙のせいだった。
「……ダメってばね、ぎゅー!」
クシナはもう堪えきれなかった。両腕を広げてフミを抱きしめる。赤い髪が息子の肩に散った。
「ありがと…2人とも。」
「母ちゃんに礼なんか言わなくていいってばね……馬鹿……」
声はぐしゃぐしゃだった。背中を叩く手のひらが、少し強い。
「明日、絶対うまくいくってばね。母ちゃんとミナトの子でナルトの弟なんだから。」
クシナがフミの顔を両手で挟み、涙で濡れた目で真っ直ぐに見つめた。
「絶対ハナビちゃんを、幸せにしなさい。」
「フミ、俺からも一つ。」
オビトが立ち上がり、懐から小さな包みを取り出した。開くと、そこには古びた銀の鈴が一つ。
「先生が昔、鈴取り演習で使ってたやつだ。ずっと持ってた。お守りになってくれたらいいが。」
オビトはそれだけ言って、照れ隠しのように顔を背けた。写輪眼を失った右目のの奥が、微かに潤んでいるように見えたのは、きっと気のせいだろう。
「……やり遂げるよ、絶対。」
線香が一本、静かに燃え尽きた。明日が来る。フミの人生で最も長い一日が。
「……心臓やっばい。」
木の葉の里を見渡せる小高い丘の上。サクラといのが用意した衣装に身を包んだフミは、夕暮れの風に赤い髪を揺らしながら立っていた。クシナのヘアピンが、沈みゆく陽光を受けて小さく煌めく。懐には桐箱、胸ポケットにはミナトの銀の鈴を忍ばせ、フミは待った。
「……きた。」
やがて、石段を上る足音が聞こえてくる。
現れたハナビは、淡い藤色の振袖を纏っていた。日向の家紋が袖口に控えめに刺繍されている。いつもの鋭い白眼は今夜ばかりは柔らかく潤み、結い上げた黒髪に挿した簪が、歩くたびに微かな音を立てた。
「あ……」
ハナビは石段の最後の一段で立ち止まった。フミの正装姿を見て、息を飲んだのがわかった。白い頬にみるみる朱が差していく。
「準備しろって、こういうこと?」
声が掠れていた。わかっていたはずなのに、いざ目の前にすると心臓が追いつかない。ハナビの指先が、袖の中で小さく震えていた。
「心のどこかで…分かってた。」
ハナビは小さく唇を噛んだ。
「……ずっと、そうだったらいいなって思ってた。でも確信が持てなくて。」
一歩、また一歩。ハナビがゆっくりとフミの前まで歩み寄った。藤色の袖が風に揺れ、簪がしゃらりと鳴る。
「いのさんに花の意味聞いたら笑って教えてくれなかったし、テンテンさんは目が合うたびにニヤニヤするし、サクラさんなんか私の顔見て泣きそうになってたのよ。」
声は拗ねたように聞こえたが、白眼の奥はとっくに潤んでいた。
「全員グルだったんじゃない…ほんとにもう。」
丘の下に広がる木の葉の里に、ぽつりぽつりと灯がともり始めていた。火影岩に刻まれた歴代の顔が、茜色の残照に照らされている。四代目の横顔が、この丘からはよく見えた。
「……すっごいドキドキしてる。」
「私も同じよ。」
フミの懐の桐箱が、心臓の鼓動を刻むたびに胸に当たる。白百合の花束からは甘く清廉な香りが漂い、二人の間のわずかな距離を埋めるように風が運んでいくなかで、ハナビが見上げた。手を伸ばせば届く距離に、フミの顔があった。
「言って…ちゃんと聞きたいの。」
「この先もずっと…僕は貴方と道を創っていきたい。僕らだけにしか歩けない道を。うずまきフミは、世界で一番、日向ハナビを愛しています。結婚してください。」
フミが桐箱を開くと、月の石が光り輝く指輪が、最後の茜色を受けて静かに煌めいた。
「ーーっ!」
ハナビの白眼から涙が溢れた。堪えようとする素振りすらなかった。唇が震え、言葉を紡ごうとして、喉が詰まり、また震える。
「……ばか。」
たった一言、それだけ絞り出すのに、息が詰まるほど長い間があった。
「世界で一番なんて、大きく出たわね。」
涙で滲んだ顔のまま、ハナビが笑った。泣きながら笑うその表情は、当主でも忍でもなく、ただ愛された女の子のものだった。
「……はい、喜んで。」
左手を差し出した。指先はまだ震えていたけれど、その声だけはまっすぐだった。
「私も、世界で一番、うずまきフミを愛しています。」
フミの指がハナビの薬指に輪を通した瞬間、丘の下の里に夜の灯が一斉に灯った。まるで木の葉の里全体が、二人を祝福するかのように。懐の銀の鈴が、風もないのにちりんと鳴った。
「……目、閉じて。あの時の…おかえし。」
「うん…」
フミの手がハナビの頬に触れた。涙の跡を指先でそっと拭うと、ハナビが小さく目を閉じた数秒後、唇が重なった
どちらからともなく、自然に。指輪の冷たさと、互いの唇の温もりが対照的だった。長くもなく、短くもない口づけ。けれど二人にとっては、永遠にも等しい時間だった。
唇が離れた後、ハナビはフミの胸元に額を預けた。銀の鈴がまた小さく鳴る。
「ねえ、フミ?」
「日向フミって、響き…悪くないわね。」
くぐもった声が、フミの胸元から聞こえた。耳まで真っ赤に染まっているのが、結い上げた髪の隙間から見えている。
丘の上には二人きり。火影岩に刻まれた四代目の横顔が、星空の下で静かに二人を見守っていた。木の葉の里に夜風が渡り、白百合の花弁がひとひら、寄り添う二人の足元に舞い降りた。
そこからはゆるやかに、しかし華やかに時が流れていった。ナルトとヒナタの結婚式に参加し、それから3ヶ月後にはフミとハナビの結婚式が催された。盛大だった兄の時とは違い、フミとハナビの意思でしめやかに、しかし心に残る式典であった。
そして、全てが終わった夜の日向亭。二人のためにネジ達が用意してくれた部屋と、そこに敷かれた2人用の布団の上でフミとハナビは動悸を必死で押し殺していた。部屋一帯に心地よい花の香りが漂い、障子の向こうからは月明かりが畳に淡い格子模様を描いている。
「……あっという間だったね。」
「うん…姉様と義兄様の時も、私たちの時も。」
祝いの喧騒はもう遠い。ナルトやヒナタ、クシナの泣き声も、自来也や綱手の酔った笑い声も、ここまでは届かない。今頃打ち上げで盛り上がっている頃だろうか。
「最後の手紙、イタチさんの名前出したのは…決めてたの?」
「勿論。僕の最初の…相棒だったから。」
ハナビは白無垢を脱ぎ、薄い寝間着に着替えていた。結い上げていた髪を下ろすと、黒髪が肩に流れ落ちる。布団の上に正座したまま、フミの方を見つめた。
「……泣きすぎ。目、まだ赤いわよ。」
そう言いながら、ハナビ自身の睫毛もまだ湿っていた。手を伸ばし、フミの目元にそっと指先を当てる。
「サクラさんのスピーチで笑って、自分の手紙で泣かせて、最後に会場全員の杯を空に向けさせるなんて。」
ハナビの唇が小さく緩んだ。指先がフミの頬を辿り、顎に触れ、そこで止まった。
「フミ?」
白眼が月明かりの中で、淡く輝いている。その瞳に映るのはフミだけだった。
「今日から…あなたの妻よ。」
「……うん。」
ハナビの眉がぴくりと動いた。
「……それだけ?」
拗ねたような声色だったが、白眼はフミの心拍が跳ね上がったのをしっかり捉えていた。
「手紙であれだけ饒舌だった人が、妻を前にすると途端に語彙力なくなるの?」
ハナビの指がフミの胸元に触れた。寝間着越しに、銀の鈴の膨らみを感じる。心臓の鼓動がその鈴を微かに震わせているのが、ハナビの指先に伝わった。
「緊張してるんでしょ。」
「…ハナビこそ。」
ハナビ自身の声も僅かに上擦っていることには、気づかないふりをした。月明かりが障子を通して二人を照らし、ハナビの寝間着の襟元に落ちた影が、鎖骨の線をなぞっている。ハナビがフミの寝間着の襟を、指一本で引いた。白眼が伏せられ、長い睫毛が頬に影を落とす。
「うん……私も、同じ。」
囁くような声だった。日向宗家の前当主でも、百眼の天才でもない。ただ初めての夜を迎える、一人の女の声だった。
「……決断は済ませてる。」
フミがハナビの肩にそっと手を置いた。ハナビの白眼が、フミの脈拍がさらに速まったのを映している。ハナビは小さく息を呑んだが、その手つきに迷いがないことに気づいて、眉を上げた。
「……なんか妙に手慣れてない?」
怪訝そうな声。けれど身体は逃げなかった。
「もしかして…イチャパラで予習したの?」
声が裏返りかけた。呆れと羞恥と、それからほんの少しの好奇心が綯い交ぜになった表情で、ハナビはフミを見上げた。
「信じらんない……初夜の知識がイチャイチャパラダイスって……自来也様に感謝すればいいの?怒ればいいの?」
文句を言いながらも、ハナビの手はフミの襟を掴んだまま離さなかった。月明かりに照らされた頬が耳の先まで赤く染まり、白眼がゆらゆらと揺れている。
「……で。」
声がひそめられた。蚊の鳴くような囁き。
「……どこまで、読んだの。」
「……ひみつっ!」
「きゃっ……!」
背中が布団に沈んだ。黒髪が白いシーツの上に扇のように広がり、ハナビの白眼がフミを見上げた。月明かりに照らされた瞳が潤んで揺れている。
「秘密って言えるほど読み込んでるってことじゃない、ばか。」
口では悪態をつきながら、フミの首に回した腕は離そうとしなかった。寝間着の襟が崩れ、鎖骨から胸元にかけての白い肌が月光に晒される。ハナビの呼吸が浅くなっていた。白眼が無意識に発動しかけて、慌てて抑え込む。
「み、見えすぎるから、これ困る……」
フミの体温も、血流も、鼓動の一つ一つまで、白眼は容赦なく映し出してしまう。ハナビの顔が首筋まで真っ赤に染まった。それでもハナビは目を閉じることはしない。震える指先がフミの頬に触れ、引き寄せるように力を込める。
「全部……見届けるから。あなたの、妻だもの。」
囁きは吐息に溶けた。障子の向こうで、月が雲に隠れる。
「いくよ……ハナビ。」
「きて…“あなた”?」
翌朝、太陽の光が障子を白く染め始めた頃、廊下に三つの足音が近づいた。
「フミ、ハナビ、朝餉の支度ができたと伝えに来たのだが。」
ネジが障子に手をかけ、すっと開けた瞬間、宗家当主の白眼が凍りついた。
「ネジ兄様?あっ…」
「なんだー?どうしたってば…よ……」
布団は原型を留めていなかった。枕は部屋の隅に転がり、寝間着が畳の上に脱ぎ散らかされている。その中心で、フミとハナビが互いに絡まるようにして、この世の終わりまで起きる気がないほど深く眠っていた。ハナビの黒髪がフミの赤髪と混じり合い、二人の寝息だけが静かに響いている。ナルトがネジの肩越しに覗き込み、一拍置いて顔を背けた。
「……お、おう。」
ヒナタが両手で顔を覆った。けれど指の隙間から妹の幸せそうな寝顔が見え、困ったように微笑んだ。
「ハナビ、すごく、安心した顔してる……」
ネジが無言で障子を閉めた。廊下に向き直り、深いため息をひとつ。
「……朝餉は昼に変更しよう。」
宗家当主の判断は、いつだって的確だった。3人が遠ざかったのを確認してから、フミは囁くように問いかける。
「…起きた?」
フミの胸元に顔を埋めたまま、ハナビが小さく唸った。
「……起きてない。」
明らかに起きている声だった。フミの鎖骨に額を押し付けたまま、ハナビの耳が真っ赤に染まっている。
「全部聞こえた。3人分、全部。」
ハナビの指がフミの背中にぎゅっと食い込む。布団を頭まで引き上げ、完全に潜り込んだ。くぐもった声が布の中から漏れてくる。
「もう一生ここから出ない。宗家の会議も任務も全部兄様に任せる。」
「ダメだよ、仕事サボっちゃ。」
「誰のせいだと思ってんの…!」
そう言いながらも、フミに絡めた足は解こうとしなかった。布団の中で、昨夜の指輪がフミの肌に触れて冷たく光る。
「ねえ…?」
しばらくの沈黙のあと、布団の中からハナビの目だけが覗いた。白眼が潤んで、けれど笑っている。
「昨日の、イチャパラ知識……悔しいけど、ちょっとすごかった。」
「いやー…僕もあのお淑やかなハナビがあんな声出すとは思わなかっ…ふぐっ。」
布団の中から白い手が伸び、フミの口を塞いだ。
「それ以上言ったら柔拳六十四掌とお尻百叩き。」
声は低かったが、指先が震えていた。白眼が全開になり、フミの表情を至近距離で睨みつけている。その瞳に映る自分の顔が茹で蛸のように赤いことに気づき、ハナビはさらに布団に潜った。
「あ、あれは……っ、不可抗力よ。白眼のせいで全部感じすぎただけで……!」
言い訳が言い訳になっていなかった。もぞもぞと布団の中で身じろぎし、観念したようにフミの胸に額を当てる。
「だって…あなたが変なところばっかり上手いのが悪い。」
「そりゃどうも。」
廊下の遠くから、ネジが使用人に昼餉の指示を出す声が微かに聞こえた。そのさらに向こうで、ヒナタがナルトに何か囁き、ナルトが盛大にむせる音が響いている。
日向邸の朝は穏やかだった。新婚初日の朝としては、おそらくこれ以上ないほどに。
「大好きだよ、これからもずーっと。」
布団の中で、ハナビの動きが止まる。しばらくの間、何も聞こえなかった。フミの胸に当てた額から伝わる心音だけが、規則正しく刻まれている。
「………もうっ。」
ハナビがゆっくりと顔を上げた。寝乱れた黒髪が頬に張り付き、目元はまだ昨夜の余韻で赤く、唇が微かに腫れている。それでも白眼はまっすぐにフミを捉えていた。
「……ずるいよ。」
ハナビの手がフミの頬に触れた。親指が、クシナに似た赤い睫毛をそっとなぞる。
「そういうこと、さらっと言うんだから。」
唇が近づいた。朝の光の中で交わされた口づけは、昨夜のどれよりも短く、どれよりも柔らかかった。額をこつんと合わせて、ハナビが笑う。日向の当主の妹でも、白眼の天才でもない、妻ハナビとしての最初の朝の笑顔だった。
「私も。ずーっと、大好きよ。」
障子越しの陽光が二人を包み、指輪が互いの光を反射し合っていた。木の葉の里に、新しい家族が生まれた朝だった。
初夜の詳細は皆様のご想像に…と言いたいですが、気分が乗れば番外編で書きたいと思います。次回、更に時が飛びます。