※この作品はR-18です。

うずまきフミ物語〜その果ては地獄か楽園か〜   作:陽炎=蜻蛉

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コンプレックスは、人の心の中でも特異に厄介なものだと社会人になってから強く思います。


第五話「死闘の果てに」

地下深くに広がる「根」の本拠地。冷たい湿気と人工的な静寂が支配する回廊を、二つの影が音もなく進む。

 

「根」の忍たちは、感情を殺す訓練を受けた精鋭だ。しかし、目の前に現れた「神速の妖狐」と「うちはの天才」の圧倒的な格に、わずかな動揺を見せる。

 

フミは、音もなく、瞬身の術で敵の懐に滑り込み、刀の柄で鳩尾を的確に突く。あるいは、当身一発で意識を刈り取る。殺気は微塵も出さず、ただ静かに、だが確実に障害を排除していく

 

一方のイタチは、背後から迫る複数の敵を、金縛りの幻術で次々と凍りつかせる。指一本動かさせず、声すら出させない。その様はまさに、闇の支配者そのものだった。

 

無用な殺生はしない。それが、あの日フミが踏み止まり、イタチと分かち合った「人としての忍」の矜持。フミは、倒れ伏した「根」の忍の一人の耳元で、低く、だが響く声で告げる。

 

「……あなた方の主は、里の影を自称しながら、ただ己の欠落を埋めるために戦っている。……そんな男のために命を捨てる価値があるか、よく考えてください。」

 

フミの言葉は、感情を封じられた忍たちの心の奥底に、小さな、だが確かな楔を打ち込んでいく。立ちはだかる者は倒し、戦意のない者は見逃す。その流麗な制圧は、かつての暗部が持っていた「死の清掃」ではなく、まさに「浄化」の儀式だった。

 

やがて、突き進んだ回廊の突き当たり。最も重厚な扉の奥から、腐ったような淀んだ気配が漏れ出してくる。

 

「……来るぞ、フミ。」

 

イタチが小太刀を抜き放つ。扉の向こう側、最深部の玉座に座る、包帯に身を包んだ老忍の影が、二人の到来を待ち構えていた。

 

薄暗い円形の広間が広がり、中央の石造りの玉座に、その男は座っていた。右腕、そして右目を包帯で隠した、志村ダンゾウ。里の闇そのものを体現するような、禍々しいチャクラを放っている。

 

「…やあ、ダンゾウさんごきげんよう。その腕の眼…一体何人殺したんです?」

 

フミの言葉は、まるで親しい隣人に挨拶するかのように軽やかだったが、その内容はダンゾウの最も触れられたくない禁忌に、容赦なく切り込むものだった。

 

ダンゾウはゆっくりと顔を上げた。包帯の隙間から覗く左目は、何の感情も映さず、ただ底なしの闇のように冷え切っている。

 

「……四代目の息子か。ワシの元に居れば何も知らずに済んだものを。」

 

ダンゾウはゆっくりと玉座から立ち上がった。ギシリ、と石が軋む音が広間に響く。

 

「その腕の眼が何人のものか、だと?フン……木の葉という大樹を支えるために、間引かれた枝葉の数など、いちいち覚えておらんわ。」

 

彼はそう吐き捨てると、右腕を覆う包帯に手をかけた。

 

「小僧。お前のような甘い理想を抱く若造に、この里の「根」が背負ってきた重みが分かってたまるものか。イタチ……貴様も同罪だ。一族を裏切り、火影に尻尾を振る腑抜けが。」

 

びりびりと包帯が解かれていく。その下から現れたのは、おびただしい数の写輪眼が、まるで蠢くように埋め込まれた、おぞましい腕だった。

 

「四代目の甘さが、この里をどれだけ脆弱にしたか……。お前たちに、本当の「平和」の作り方を教えてやろう。」

 

「…遺言はそれで終わりか?」

 

言葉の終わりを待たず、空気が爆ぜた。

 

ダンゾウが右腕を晒し、その歪な力に酔い痴れた瞬間に、フミの指先が宙を薙ぐ。そこには、暗部入隊に際し、ミナトから贈られた、あのヘアピンと同じ意匠が刻まれた、特製のクナイが閃いていた。

 

「……なっ⁉︎」

 

ダンゾウの動体視力が、それを捉えるよりも早く、フミの姿が、かき消えるようにその場から消失した。

 

「飛雷神斬り」

 

二代目火影が開発した最強クラスの奇襲型物理攻撃。空間そのものを飛び越えたフミは、次の瞬間、ダンゾウの背後に結界を破るように出現していた。抜刀の軌跡は、月光よりも冷たく、一筋の赤い線となってダンゾウの首筋を撫でた。その瞳には、一抹の慈悲も宿っていない。

 

ドサリ、と重苦しい音が広間に落ちた。ダンゾウの首が、その「根」の深淵を語る間もなく、床へと転がり落ちる。あまりにも一瞬、あまりにも一方的な死…そのはずだった。

 

「……待て、フミ! 下がれ!」

 

イタチの警告が響く。フミの背後、確かに斬り捨てたはずのダンゾウの死体が、陽炎のように揺らぎ、霧となって消えていく。

 

「……フフ……飛雷神、か。流石は四代目の息子よ。」

 

「…へえ。」

 

何事もなかったかのように、数歩離れた位置にダンゾウが姿を現した。その右腕に埋め込まれた無数の写輪眼のうち、一つが静かに瞼を閉じ、光を失う。

 

「だが、うちはの究極幻術「イザナギ」の前では、その神速も無意味。……一死を以て、一つの眼が潰れる。お前はあと、何回私を殺せるかな?」

 

ダンゾウは嘲笑い、その醜い腕をフミへと突き出した。対し、フミもまた笑う。

 

「さて、その余裕…いつまで続くか楽しみだ。フンッ‼︎」

 

フミの右手に、凄まじい密度のチャクラが渦巻き始めた。風の性質変化を極限まで高めた、甲高い金属音のような回転音。それは、父ミナトの螺旋丸を、ナルト自身が猛特訓の末、独自に昇華させた術――「風遁・螺旋手裏剣」。

 

「フミ、やめろ! その術は、お前の体にも……!」

 

イタチが制止の声を上げるが、もう遅い。フミの周囲の空気が歪み、発生した暴風が広間全体を薙ぎ払う。そんな状況でも、フミは口の端を吊り上げ、愉悦に満ちた笑みを浮かべていた。

 

「試してみようぜ、ダンゾウ。お前の「イザナギ」と、僕の右腕、どっちが先に尽きるか。」

 

もはや里を守る暗部ではない。ただ純粋に、目の前の強敵との死闘を楽しむ、一人の修羅の姿がそこにあった。だが、情を捨てなくては目の前の相手には勝てない。

 

「……小僧が……!」

 

ダンゾウの顔から、余裕の色が消える。螺旋手裏剣が放つチャクラの奔流は、細胞レベルで対象を破壊する、まさに一撃必殺の術。イザナギで「死」を無効化できたとしても、その瞬間に術が直撃していれば、再生するまでのコンマ数秒の間に肉体が塵と化す可能性がある。

 

「この若さで、これほどの術を……! やはり、うずまきの血は危険すぎる!」

 

ダンゾウは咄嗟に印を結び、口から風遁の真空波を連続で吐き出す。しかし、フミの周囲に渦巻く暴風は、その全てをいともたやすく弾き返した。

 

「じゃ、2回目の死、行ってみようか。風遁・螺旋手裏剣ッッ‼︎」

 

フミの腕から放たれた螺旋手裏剣は、もはや単なるチャクラの塊ではなかった。それは、空間そのものを削り取る、小型の台風。甲高く、耳をつんざくような回転音が広間を満たし、壁や床がミシミシと悲鳴を上げる。

 

「ぐっ……! この威力は……!」

 

ダンゾウは咄嗟に風遁の防御壁を展開するが、それはまるで紙のように螺旋手裏剣によって引き裂かれた。逃げ場はない。神速の術で避けることも、防御することも不可能。そして、眩い閃光と共に、螺旋手裏剣がダンゾウの身体に直撃した。

 

爆発音はない。ただ、凄まじい数の極小の刃が、対象を内側から切り刻む、おぞましい破壊音だけが響き渡る。眩い閃光の中、彼の断末魔ともつかぬ絶叫が漏れ聞こえた。

 

「………!」

 

イタチは写輪眼でその光景を捉えながら、思わず息を呑んだ。チャクラの経絡系はおろか、細胞そのものが無数に断裂していくのが見える。これは、医療忍術でも決して治癒できない、完全な破壊。

 

やがて暴風が晴れた時、そこにはもうダンゾウの姿はなかった。塵すら残さず、完全に消滅していた。しかし。

 

「……馬鹿め。」

 

声は、フミの真後ろからした。陽炎のように、ダンゾウが再び姿を現す。彼の顔には焦りの色が浮かんでいるが、その口元は歪んだ勝利の笑みを浮かべていた。右腕の写輪眼が、また一つ、その光を永遠に失う。

 

「確かに恐ろしい術だ。だが、これで二度死んだ。……さて、小僧。お前の腕はどうかな?」

 

螺旋手裏剣が使用者に齎すダメージは相当なものだ。開発者のナルトでさえ、チャクラが練れなくなる一歩手前のダメージを受けていた。おそらくフミの右腕も。

 

その時、パリン、という硬質な音が、ダンゾウの脳内だけで鳴り響いた。

 

「なっ……⁉︎」

 

次の瞬間、世界は、裏返る。

 

破壊されたはずの床、抉れた壁、そして空間を切り裂くような暴風の余韻――それら全てが、陽炎のように揺らめいて消滅した。そこにあるのは、傷ひとつない静まり返った広間と、無傷の腕をぶら下げて涼しい顔をしているフミの姿だけだった。

 

「ど、どういうことだ⁉︎貴様何故…何故ダメージを受けていない⁉︎」

 

「開発者の兄さんでさえ、凄まじいほどの鍛錬を積んで作り上げたんだ。簡単に真似事で出せるわけないだろ?。ほら。」

 

フミは右手をひらひらと振って見せた。そこには火傷ひとつ、擦り傷ひとつない。

 

「まさか…これは…⁉︎」

 

「……幻術だ。」

 

イタチが影から静かに歩み出る。その瞳の巴紋は、冷酷な光を湛えていた。

 

「フミの膨大なチャクラと殺気を囮に、俺が貴様の視覚と聴覚を僅かに操作した。貴様は「死ぬ」と思い込み、存在しない攻撃に対して、貴重なイザナギを浪費したのだ。」  

 

「……き、貴様らァ……!」

 

ダンゾウの顔が、怒りでどす黒く染まる。右腕の写輪眼が一つ、永久に閉じている事実は変わらない。彼は、ただの「ハッタリ」に騙され、究極の命綱を一つドブに捨てたのだ。忍として、これ以上の屈辱はない。 

 

だが、実はギリギリの勝負であったこともまた事実。もし、ミナトの指令通り、単独で挑もうとしていたら、結果は全く違っていただろう。

 

「アンタは腐っても「忍の闇」。僕一人で勝てるほど甘い相手じゃないってことぐらい、よく分かってる。……だからこその、この布陣だ。」

 

フミは小太刀を構え直し、隣に立つイタチと視線を交わすことなく、呼吸を合わせた。並び立つ木の葉の若き天才。

 

絶対的な攻撃力と神速を持つフミと、万華鏡写輪眼による圧倒的な術の数々に加え、冷静極致の戦術眼を持つイタチ。

 

この二人が組むという意味。それは、ダンゾウにとって「物理攻撃」と「精神攻撃」のどちらも防ぎきれない二択を、常に超高速で強いられ続けることを意味していた。ダンゾウのイザナギによる「無敵時間」は有限。このまま消耗戦に持ち込めば、勝機がどちらに傾くから明白。

 

「……小賢しい真似を……!」

 

ダンゾウは焦燥に駆られ、親指を噛み切った。血液を掌に塗りつけ、床へと叩きつける。

 

「舐めるなよ、小僧共が! 口寄せの術・夢食い(バク)‼︎」

 

ドォン! という爆煙と共に、広間を埋め尽くさんばかりの巨体が出現した。それは象のような鼻と、虎の爪を持つ奇獣――伝説の獏(バク)。

 

バクが大きく口を開けると、凄まじい吸引力が発生した。猛烈な風が二人をバクの口元へと引きずり寄せ、自由な動きを封じにかかる。

 

「風遁・真空連波!」

 

動きを制限された二人に対しダンゾウが口から不可視の風の刃を乱れ撃つ。吸引による足止めと、回避不能な風の刃。攻守一体の必殺コンボだ。

 

「兄さん、技借りるよ。多重影分身‼︎」

 

ボンッ!ボボボボボッ!!

 

破裂音と共に、無数の白煙が広間を埋め尽くした。一人、二人ではない。百を超えるフミの分身が、瞬く間に発生し、バクの吸引力に引かれて雪崩のように押し寄せる。

 

「貴様その技…九尾の人柱力の…⁉︎」

 

「これに関しては何とか会得できたんでね。」

 

ダンゾウが放った不可視の真空刃は、最前列の分身たちを次々と切り裂いたが、その後ろにはさらに数倍の分身が壁となって立ちはだかる。「質」を「量」で押し潰す、うずまきナルトの十八番。だがフミのそれは、単なる人海戦術ではなく、計算された「肉の盾」だった。  

 

「はっ!」「おいしょおっ!」「はーい!」「てやあっ!」

 

分身たちは自らバクの口へと飛び込み、あるいは風の刃に身を投げ出し、本体とイタチへの攻撃ルートを物理的に塞いでいく。

 

「チィッ……! 数だけで押し切るつもりか! 雑な術を……!」

 

視界を埋め尽くす赤髪の軍勢に、ダンゾウの狙いがブレる。その一瞬の隙――白煙と消える分身たちの影に紛れ、本物のフミとイタチが、風を切り裂いて疾走していた。

 

「……火遁・豪火球の術!」

 

イタチが巨大な火球を吐き出す。通常ならバクの風遁で吹き消されるところだが、今はフミの分身たちがバクの吸引口に殺到し、さらに風の刃を受け止めているため、風の流れが乱れている。

 

さらに、バクの強力な吸引力が、逆に火球を自らの口元へと猛烈な勢いで引き寄せた。風が火を煽り、炎の勢いが爆発的に増大する。

 

「しまった、風が火を助長するか……!」

 

「自らの術が仇になる」。イタチとフミは、その瞬間を待っていた。炎と爆風が渦巻く中、ダンゾウの視界を埋め尽くしたのは、四方八方から同時に肉薄する四人のフミだった。

 

「さーて、本物はどれでしょう⁉︎」

 

ダンゾウは焦燥に駆られ、右腕の写輪眼を必死に回転させる。正面の一人はあまりにもチャクラが濃い。左の一人はあまりにも殺気が鋭い。右の一人は――。

 

「全てが本物に見える……!? いや、これはイタチの幻術か!」

 

判断を誤れば、即座に命を落とす。ダンゾウは確実な生存を選択し、あえて全ての攻撃を「受け流す」ことを決めた。イザナギの持続時間を削ることを承知で、彼は防御を捨て、カウンターの印を結ぼうとする。しかし、既にダンゾウの至近距離、影から突き出された拳に、青白いチャクラの球体が狂おしく咆哮を上げていた。

 

「螺旋丸ッッ‼︎」

 

ゴォォッ!という轟音と共に、螺旋丸がダンゾウの腹部にめり込んだ。

 

「ぐ、はぁ……ッ‼︎」

 

凄まじい衝撃波がダンゾウの背中まで突き抜け、彼の身体を独楽のように回転させながら吹き飛ばす。肉が捩れ、骨が砕ける確かな感触。

 

しかし、地面を転がったダンゾウの身体は、またしても霧のように薄れ、数メートル横に「再生」した。右腕の眼が、また一つ、濁って閉じる。

 

「はぁ……はぁ……。小癪な、幻術と本物をこれほど精密に混ぜるとは……。」

 

ダンゾウの額には、隠しきれない死の恐怖が滲んでいた。命のカウントダウンは着実に進んでいる。一方で、フミは着地と共に不敵な笑みを浮かべ、再びチャクラを練り始めていた。

 

「さて、残りいくつだ? ……アンタのその腕、随分と「軽く」なってきたんじゃないか?」

 

「黙れ…!貴様らに、ワシの何がわかる!ワシはこれまで必死に里のために闇を被ってきたのだ!温室育ちの貴様らに、ワシを理解出来るはずがない!」

 

その激昂に対し、フミは敢えて、氷のような冷徹さを持って口を開く。

 

「ダンゾウ、アンタの行動の根底にあるものが何か、言い当ててやろうか?」

 

「何…⁉︎」

 

「里のため? 忍の世の安定のため? ……はっ、笑わせないでくれよ。アンタにあるのはそんな高尚な理念じゃない。」

 

フミはその眼差しで、ダンゾウの濁った瞳を射抜くと、断言する。

 

「アンタの根底にあるのは……光を浴びるヒルゼン様になれなかった、“哀れな劣等感”。ただそれだけだろ。」

 

その言葉は、どんな強力な忍術よりも深く、ダンゾウの精神を切り裂いた。

 

「劣等感…だと……⁉︎」

 

ダンゾウの表情が凍りつく。脳裏をよぎるのは、かつての記憶。二代目火影・扉間の前で、囮に名乗り出ることができず、震えていた若き日の自分。そして、迷いなく手を挙げた猿飛ヒルゼンの背中。

 

「自分は里の闇を背負っている」――そう自己正当化することでしか、彼は己の弱さと向き合えなかったのだ。明確な動揺を見せるダンゾウを前に、お構いなしにフミは続ける。

 

「本当の忍は、里のために自らの命を懸ける。だがアンタはどうだ? 他人の眼を犠牲にし、部下を捨て駒にし、そうやって自分だけが生き残ろうと必死にしがみついている。」

 

フミは一歩、また一歩と距離を詰める。

 

「それは「自己犠牲」じゃない。「保身」だ。……アンタはただの臆病な老人だよ、ダンゾウ。」

 

その宣告は、ダンゾウが必死に隠してきた全てを暴いていた。

 

「黙れ………黙れェェェッ‼︎」

 

轟く絶叫、冷静沈着な「忍の闇」の仮面が砕け散り、剥き出しの激昂が広間を揺らす。それは図星を突かれた人間の、あまりにも見苦しい癇癪だった。

 

「行くぞ、フミ。気を抜くな!」

 

「はい!貴方と一緒なら…負ける気がしません!」

 

そして、死闘は、狩りへと変貌した。

 

広間を舞うのは、鴉の羽根。イタチの万華鏡写輪眼が生み出す幻術の象徴だ。ダンゾウの視界は、現実と虚構が入り混じる悪夢の世界へと引きずり込まれる。

 

「天照」の黒炎が足元から燃え上がる幻を見せられ、イザナギで回避した瞬間――。

 

「螺旋丸ッッ‼︎」

 

背後から、本物のフミが容赦なく螺旋丸を叩き込む。

 

また一つ、眼が潰れる。

 

「月読」の精神世界で、フミに何度も首を斬られる拷問を味わわされ、現実に戻った刹那、頭上から、イタチの豪火球が降り注ぐ。

 

また一つ、眼が潰れる。

 

「はぁっ…はあっ…!くそ、鴉が…!赤髪が…!」

 

ダンゾウは狂ったように風遁を乱れ撃つが、それらは虚空を切り裂くか、フミの影分身に阻まれるだけ。もはやフミとイタチの本体がどこにいるのか、彼の感覚では捉えきれない。

 

「もう一つ、もらう!」

 

ギャリ、と嫌な音がして、写輪眼が一つ、腕から抉り取られる。これは幻術が現実か。

 

そうして、一つ、また一つと閉じていく瞼。

 

それは、ダンゾウに残された命の砂時計が、着実に終焉へと向かっていることを示していた。かつて里の闇を支配した老獪な忍は、二人の若き天才の苛烈で、そして完璧な連携の前に、ただ弄ばれるだけの存在へと成り下がっていた。そして、遂に。

 

ダンゾウの右腕に埋め込まれた最後の写輪眼が、光を失い、静かに瞼を閉じた。

 

「おのれ…!こうなれば、仲間同士で醜く討ち合うがいい……何⁉︎」

 

ダンゾウはシスイから奪った眼の力を使おうとする。だが、フミの左眼を見た瞬間、その表情は凍りついた。

 

追い詰められた彼が、最後の希望として保有していた、万華鏡写輪眼「別天神(コトアマツカミ)」の瞳力は、本来、対象となった人間を自覚なく意のままに操ることができる最強の幻術。しかし。

 

「アンタが追い詰められれば、切り札としてその力を使うのは読んでいた。だから僕も予め対策しておいたのさ…この眼、でね。」

 

フミが、両眼をゆっくりと見開いた瞬間、ダンゾウの思考は完全に停止した。

 

そこにあったのは、人の身には余るはずの、神話の瞳。静謐な薄紫色の虹彩に、幾重にも重なる波紋の模様――「輪廻眼」

 

「り、輪廻……眼だと……⁉︎バカな、なぜ貴様が……伝説の六道仙人の眼を……‼︎」

 

ダンゾウの喉から、ひきつけのような悲鳴が漏れた。最強幻術「別天神」であっても、全ての術の祖とされる「輪廻眼」の瞳力の前では、赤子の戯言に等しい。眼を合わせた瞬間に感じたのは、絶対的な「格」の差。魂ごと押し潰されるようなプレッシャーに、ダンゾウの身体は金縛りにあったように動かなくなった。

 

「あり得ん……! あり得んぞぉぉぉッ!!」

 

ダンゾウは恐怖に顔を歪め、後ずさりする。だが、背後は壁。逃げ場はない。彼の野望も、執着も、全てがこの神の瞳の前で無に帰そうとしていた。その刹那の硬直が、全ての決着に繋がる。将棋で言えば…“必至”。

 

ダンゾウは「輪廻眼」という虚像の恐怖に縛られ、最強の幻術「別天神」の発動を躊躇した。神の眼に対し、万華鏡ごときが通じるのかという迷い――そのコンマ数秒の遅疑こそが、フミが作り出した致命的な隙だったのだ。そして、相棒のイタチはその一瞬を見逃す男ではない。

 

「……終わりだ!」

 

ドォォォォンッ!!

 

イタチの全身から、燃え盛るような赤橙色のチャクラが爆発的に噴出した。それは瞬く間に骸骨の肋骨を形成し、筋肉を纏い、鎧を帯びた巨大な武神へと姿を変える。

 

攻防一体の究極瞳術――「須佐能乎(スサノオ)」。

 

「な、なんだこれは……⁉︎ 須佐能乎だと……‼︎」

 

ダンゾウが我に返った時には、もう遅い。天井を突き破らんばかりの巨神が、その手に握られた霊剣「十拳剣(とつかのつるぎ)」を振り下ろしていた。

 

回避不能、防御不能の全てを込めた一撃。

 

ズブシュゥゥゥ‼︎

 

巨大な刀身が、ダンゾウの身体を真正面から貫く。物理的な傷はないが、霊的な剣が、ダンゾウの魂そのものを捕らえ、封印の瓢箪へと引きずり込もうとする。

 

「ぐ、ガハッ……!! こ、この私が……! 木の葉のために……闇を背負った私が……こんな、若造共に……!!」

 

ダンゾウは血を吐きながら、貫かれた胸元を掴む。そして、薄れゆく意識の中で、フミの左眼をもう一度見た。

 

そこにあったのは、神話の輪廻眼ではない。ただの、フミ自身の澄んだ瞳だった。

 

「そんな簡単に輪廻眼が手に入ったら、苦労しないでしょ?」

 

「……幻、術……か……」

 

最期の瞬間に悟った真実。彼は「眼」にこだわりすぎた故に、若き忍が仕掛けた「眼」のブラフに踊らされ、自滅したのだ。ダンゾウの身体が、そして野望が、十拳剣の封印へと吸い込まれていく。

 

十拳剣がダンゾウの残滓を完全に吸い込み、瓢箪の蓋が閉じられると同時に、あの禍々しいチャクラの圧力が嘘のように消え失せた。

 

「はあっ…!はあっ…!」

 

張り詰めていた糸が切れた瞬間、フミの視界がぐらりと揺らぐ。ガクン、と膝が石床を打つ音が、静まり返った広間に響いた。身体の芯から力が抜け落ち、指一本動かすのも億劫なほどの脱力感が襲う。

 

あの輪廻眼の幻術、それ自体はハッタリだったとしても、あの刹那にダンゾウを騙しきるための精神集中と、これまでに乱発した高密度なチャクラ操作の代償は大きかった。

 

それでも、ミナトとクシナから受け継いだ才と、綱手たち偉大な先輩たちからの修行の果てに成し得た、大きな大きな勝利である。

 

「しっかりしろ。」

 

倒れ込みそうになったフミの身体を、誰かの手がしっかりと支えた。

 

「はは…疲れましたね。」

 

「全く……無茶をする。」

 

須佐能乎を解除した彼もまた、決して無傷ではない。万華鏡写輪眼を使い続けることは、自らの命を削ることと同義なのだ。しかし、その表情には安堵と、呆れたような苦笑が混じっていた。彼はフミの腕を肩に回し、その身体を支え起こす。

 

「輪廻眼とはな。……俺まで一瞬、肝を冷やしたぞ。あの「忍の闇」を、ハッタリだけで自滅させるとは。」

 

イタチは傍らに転がる、主を失い沈黙した「根」の玉座を一瞥した。

 

「正直…初手で別天神を使われていたら、負けていました。それだけじゃない、奴が勝つルートは幾らでもあったんです。でも、若輩者と見誤った結果、自ら勝ちを放棄した。」

 

「だが、見事だった。これで…里の膿は取り除かれた。」

 

イタチの手から伝わる体温が、フミの冷え切った身体に少しずつ戻ってくる。激闘の余韻が消え、地下の冷たい静寂だけが二人を包んでいた。

 

全ては終わった。フミは満足げな笑みを浮かべ、支えてくれたイタチへと労いの言葉をかけようと、その白い手を伸ばした。

 

「さ、帰りましょう。四代目に報告して、綱手様に治療してもらわないと。」

 

「ああ…そう…だ………グフっ‼︎」

 

だが、その手は空を切り、代わりに温かく、鉄の匂いのする液体がフミの頬と装束を赤く染めた。

 

「……え?」

 

イタチの口端から、堰を切ったように鮮血が溢れ出していた。彼はフミを支えていた力を失い、その場に崩れ落ちた。激闘の最中、万華鏡の瞳力を極限まで酷使したこと、そのダメージを強靭な精神力だけで押さえつけてきた代償が、一気に彼の肉体に襲いかかる。

 

「イタチさんッッ‼︎」

 

「……ゲホッ、……はぁ、はぁ……」

 

床に滴る血溜まりを見つめ、イタチは自嘲気味に口角を上げた。その視界は既に霞み、フミの姿すらまともに捉えられていない。

 

「すまない、フミ……。少しばかり、張り切りすぎたようだ。」

 

彼の呼吸は浅く、細い。あれほどの武神を操っていた男の命が、今にも消え入りそうなロウソクのように揺れている。

 

「……お前の母さんの……料理、……楽しみにして、いたんだがな……」

 

イタチの細い指が、フミの暗部の衣を力なく掴む。かつてない絶望的な静寂が、勝利したはずの広間を支配し始めた。

 

「…ッ!死なせませんよッッ‼︎」

 

フミは思考するより先に動いた。床に転がっていたクナイを蹴り上げ、掴むと同時に、残された僅かなチャクラを振り絞り、術式を起動させる。

 

ヒュンッ!

 

地下の冷たい空気と、血の匂いが一瞬で消え去り、次の瞬間には、慣れ親しんだ火影室の、木の匂いと紙の匂いがフミの鼻をついた。

 

「おい、フミ!? なんだその血は!」

 

「……イタチ!?」

 

視界が切り替わる。目の前には、報告を待っていたであろう父ミナトと、何やら書類の整理を手伝っていたらしい千手綱手の驚愕に満ちた顔があった。

 

フミの腕の中には、既に意識を失い、ぐったりとしたイタチの身体があった。その口元から流れ続ける血が、彼の命が尽きかけていることを何よりも雄弁に物語っていた。

 

フミはイタチの身体をそっと床に横たえると、綱手の前に膝をつき、震える声で懇願する。

 

「綱手様……! お願いします……! イタチさんを……! イタチさんを助けてください……‼︎」

 

伝説の医療忍者である綱手は、一瞬で状況を把握した。彼女は駆け寄ると、すぐにイタチの脈を取り、掌に緑色のチャクラを灯して胸に当てた。

 

「……ひどい内臓の損傷だ。ただの怪我じゃない……これは、病……! なんて無茶な戦い方をしたんだ、お前らは‼︎」

 

綱手の顔に、厳しい緊張が走る。彼女の医療忍術をもってしても、助けられるかどうかは全く未知の状況。

 

「死なせない……絶対、死なせない……!」

 

フミもまた必死に、震える両手をイタチの胸に重ね、僅かに残った、あるいは魂を削り出すようにして練り上げたチャクラを注ぎ込む。だが、彼の掌から放たれる緑の光は、弱々しく明滅を繰り返すばかりだった。

 

イタチの心臓の鼓動が、指先から遠のいていく。あの日、一緒に団子を食べ、里の未来を語り合った温もりが、冷たい地下の記憶に上書きされそうになるのを気合いで押さえつける。

 

だが、必死に注ぎ込んだそばから、イタチの身体という壊れた器から、命のエネルギーが漏れ出していく。綱手の額からも大粒の汗が流れ落ち、火影室は生と死の狭間で凍りついた。

 

「フミ、やめろ! 自分のチャクラまで枯渇させる気か! 後の処置は私がやる! お前まで死ぬぞ!」

 

綱手が叫ぶが、フミの耳には届かない。視界が涙で滲み、血と混ざり合って、目の前のイタチの顔すら見えなくなってきた、その時。

 

ピクリと、イタチの指が動いた。

 

極限の暗闇の中で、イタチはフミの必死な、そして絶望的なチャクラの奔流を感じ取っていた。彼はかろうじて瞼を押し上げ、自分のためにボロボロになっている相棒を見つめた。

 

「……フミ……。……もう、……いい……」

 

掠れた、消え入りそうな声。だが、そこにはフミを気遣う、慈悲深い兄のような優しさが宿っていた。

 

「何を…何を言ってるんですか‼︎ あなたが逝ってしまったら…ご両親に、サスケさんに何て伝えればいいんです⁉︎母さんの手料理が待ってるんですよ⁉︎」

 

綱手も必死に処置を施し続けるが、現実はハッキリと、そして残酷なほどに見えていた。

 

「……もういい。手を離せ、フミ。」

 

「……え?」

 

綱手の声は、氷のように冷たく、そして痛々しいほど静かだった。彼女の掌から発せられていた医療チャクラの輝きが、フッと消える。それは、伝説の三忍であり、医療の頂点に立つ彼女が「敗北」を認めた瞬間だった。

 

「何を……何を言って…まだ、心臓は動いて……!」

 

「臓器が機能を停止、チャクラの経絡系も崩壊している……今の彼は、ただお前のチャクラで無理やり心臓を動かされているだけの「人形」に過ぎない。これ以上やれば、お前まで道連れになる。」

 

綱手は歯を食いしばり、悔しさに顔を歪めた。救える命と救えない命。その境界線を誰よりも知る彼女にとって、これ以上の延命措置は、患者への冒涜でしかなかった。

 

「……フミ、もう…休ませてあげよう。」

 

ミナトが背後から、フミの肩を強く抱きしめた。その腕の力強さが、逆に父の悲痛さを物語っていた。

 

「いやだ……! 約束したんだ! 一緒に帰るって……!」

 

フミの絶叫が木霊する中、イタチがゆっくりと、震える手を持ち上げた。その手は、フミの治療しようとする手を優しく払いのけ。

 

トン、という音が小さく、しかし確実に響いた。それは、幼き頃のサスケに謝る時と同じような、優しい手。

 

「……許せ、フミ。」

 

その顔には、死の淵にありながら、憑き物が落ちたような穏やかな微笑みが浮かんでいた。

 

「この眼は…アイツに託してほしい…俺ができなかったことも…アイツならきっと…」

 

イタチの瞳から、光が失われていく。最期に見つめたのは、里の未来を託せる、2人目の弟のような存在にして、幾多の戦場を共に駆け抜けてきた相棒の顔だった。

 

「……母さんの団子……また…」

 

持ち上げられていた腕が、重力に従ってドサリと床に落ちる。火影室に、完全な静寂が訪れた。英雄の死。あまりにも早く、静かで、残酷な幕切れ、

 

「あ……あぁ………」

 

フミの喉の奥から、言葉にならない、獣のような咆哮が漏れた。イタチの温もりが消えていく、その残酷なまでの速度に、フミの理性が完全に焼き切れた。

 

ドゴオンッッ‼︎

 

次の瞬間、火影室の外壁が、まるで紙細工のように粉砕された。ミナトを振り切り、フミの全身に怒りと悲しみのチャクラが巡り、綱手直伝の「怪力」が無意識に発動したのだ。

 

飛び散る瓦礫。砂埃が舞い、夜の風が室内に吹き込む。里の景色を見下ろすための窓は跡形もなく消え、そこには巨大な「穴」が穿たれていた。

 

「フミ……!」

 

ミナトは駆け寄ろうとしたが、フミから放たれる凄まじい「負」の波動に、足が止まる。フミは、崩れた壁の縁に立ち、月に向かって吠えるように、拳を床に叩きつけた。

 

「うあああああああッ!! ああああァァァァァァァァッッッ‼︎」

 

床が陥没し、建物全体が地震のように揺れる。里を護る力を手に入れたはずなのに、唯一無二の相棒の命さえ、救えなかった。その矛盾が、怒りが、全てを破壊しようとする衝動へと変わっていく。

 

月の光が、血に濡れたフミの背中を照らし出す。その姿は、かつて「赤い血潮のハバネロ」と呼ばれたクシナの再来か、あるいは里を滅ぼさんとした「九尾」の力を宿すナルトと重なっていた。「暗部」としての誇りも、「火影の息子」としての理知も、今はただの塵に過ぎない。

 

フミの慟哭は止まらない。それはもう、声ではなかった。己の無力さを呪い、運命の理不尽さを憎む、魂そのものの叫びだった。壁を破壊した拳からは血が流れ、イタチから浴びた血と混じり合い、ポタポタと床に黒い染みを作っていく。だが、痛みなど感じない。胸を抉る喪失感の前では、肉体の傷など無に等い。

 

ミナトは何も言えなかった。ただ、拳を握り締め、息子の背中を見つめることしかできない。火影として、イタチの死という大きな損失を受け止めねばならない。だが、父親として、今にも壊れてしまいそうな息子をどう抱きしめればいいのか、分からなかった。

 

「……泣け。今は、泣くだけ泣けばいい。」

 

綱手は静かにイタチの亡骸に布をかけ、その瞼を優しく閉じた。彼女もまた、最愛の弟や恋人を失った過去を持つ。この痛みを止める言葉など存在しないことを、誰よりも知っていた。

 

沈黙に包まれかけた、その時だった。

 

バタバタと慌ただしい足音が廊下から響き、火影室の扉が乱暴に開かれた。

 

「ミナト! フミ! この馬鹿でかい音は何だってばね!? 里に何かあったの!?」  

 

「クシナ……‼︎」

 

血相を変えて飛び込んできたクシナは、目の前の惨状に息を呑んだ。壁に開いた巨大な穴。床に横たわる白い布。そして、その前で血と涙にまみれ、項垂れて動かない我が子の姿。

 

「……フミ……?」

 

クシナの目に飛び込んできたのは、今まで一度も見たことのない、我が子の姿だった。

 

「…か、あ…さん…?」

 

クシナはその顔を見て息を呑む。悪戯が見つかった時の困り顔でも、任務から帰った時の疲れた顔でもない、生きる意志そのものを失い、心の全てが砕け散ってしまったかのような、虚ろで、光のない瞳。その瞳は、クシナの姿を映しているはずなのに、何も見えていない。ただ、底なしの絶望という暗闇だけが、そこにあった。

 

クシナは言葉を失った。空気が読めないと言われる彼女ですら、この部屋を満たす死の匂いと、フミの魂から発せられる悲痛な叫びを、瞬時に理解したのだ。

 

彼女の視線が、壁の穴、床の血溜まり、そして白い布で覆われた人影へと順に移っていく。その布のサイズと形から、それが誰なのかを悟ったクシナの顔から、更に血の気が引いていく。

 

イタチ――フミが兄のように慕い、ミナトが信頼を寄せていた、あの優しい青年。

 

「あ……」

 

クシナは口元を両手で覆った。彼女の大きな瞳が、信じられないというように見開かれ、そして、次の瞬間には、フミと同じ痛みを分かち合うように、深い悲しみの色に染まっていく。

 

彼女は、ミナトや綱手に問いかけることすらしなかった。ただ、一歩、また一歩と、壊れてしまった息子の元へと、震える足で歩み寄っていく。しかし。

 

「来ないで…来ないで…!」

 

フミの口から、か細く、拒絶の言葉が漏れた。近づいてくる母親の気配が、まるで自分の罪を糾弾されているかのように感じられた。優しい母の温もりに触れてしまえば、今度こそ、かろうじて保っていた何かが完全に崩れ落ちてしまう、そんな恐怖。

 

「母さんには……見られたくない……こんな僕を……見ないでくれ……!」

 

クシナの足が、ピタリと止まる。息子の悲痛な懇願が、彼女の胸を鋭く突き刺す。だが、彼女は引き返さなかった。その場に膝をつくと、愛すべき大切な息子に静かに、しかし力強く語りかけた。

 

「見るわよ。」

 

その声には、いつもの快活さはない。しかし、どんな嵐にも揺るがない、母親としての絶対的な覚悟が込められていた。

 

「フミがどんなにボロボロでも、どんなに格好悪くても、母さんはちゃんと見る。フミの全てを見ることも、母さんの役目なんだから。」

 

クシナはゆっくりと両腕を広げた。血と泥に汚れた息子の背中を、全て受け止めるように。

 

「逃げないで、フミ。一人で苦しまないで……おいで?」

 

その一言が、フミの魂を繋ぎ止めていた最後の糸を断ち切った。耐えて、耐えて、無理やり押し殺していた感情が、熱い奔流となって溢れ出す。フミは膝をついたまま、崩れ落ちるようにクシナの胸へと飛び込んだ。

 

「うあああああああッ‼︎ああああああああッ‼︎」

 

母親の衣を、指が白くなるほど強く掴みしめ、フミは子供のように声を上げて泣いた。血と泥に汚れた顔をクシナの胸に埋め、嗚咽を漏らす。

 

クシナは、その衝撃を丸ごと受け止めた。フミの背中を、折れてしまいそうなほど強く抱きしめ、自分の赤い髪を彼の顔に覆いかぶせるようにして、共に涙を流す。

 

「……よし、よし……。辛かったね、フミ……。頑張ったんだってばね……。」

 

クシナの温もりが、冷え切ったフミの心にじわじわと染み込んでいく。それは、どんな優れた医療忍術よりも、今のフミには必要な救いだった。

 

火影室の外では、騒ぎを聞きつけた里の忍たちが集まり始めていたが、ミナトが静かに手で制し、誰一人中へ入れようとはしなかった。ただ、子どものような静かな泣き声だけが、穴の開いた火影室から夜の空へと溶けていった。

 

やがて、フミの意識は、泥のように深い眠りへと落ちていく。極限まで張り詰めていた糸が切れ、チャクラも体力も殆ど使い果たした体は、もはや指一本動かす力も残っていなかった。荒かった呼吸が次第に深く、静かな寝息へと変わっていく。

 

クシナの胸の中で、フミの力が完全に抜け、その体重がずっしりと母の腕にかかる。

 

「……寝ちゃった……」

 

クシナは、涙と血でぐしゃぐしゃになったフミの顔を、自身の袖で優しく拭った。その眼差しは、先ほどまでの悲痛なものから、どこまでも深い慈愛の色へと変わっていた。

 

「本当に……馬鹿な子。誰に似てこんなに無茶するようになったのかしら……。」

 

言いながら、クシナはフミの赤い髪を愛おしそうに撫でる。その指先が、フミが大切にしている手製のヘアピンに触れた。

 

「……家へ連れて帰ろう。」

 

ミナトが静かに歩み寄る。彼はクシナからフミを受け取ると、その成長した息子の重さを腕に感じながら、我が子を抱きかかえた。

 

「彼には休息が必要だ。……心にも、体にもね。」

 

「ああ、連れて行ってやれ。」

 

綱手は、未だ床に横たわるイタチの亡骸のそばに立ち、フミとミナトたちを見送るように背を向けた。

 

「ここの後始末と、イタチの件は私とミナトで引き受ける。クシナ、目が覚めたら、美味いものをたらふく食わせてやれ。」

 

ミナトは無言で頷くと、クシナと共に、半壊した火影室を後にした。

 

月明かりの下、傷ついた英雄を抱いて帰る家族の背中は、悲しくも、確かな絆で結ばれていた。

 

 

 

 

それから、数日が経過したが、うずまき家の食卓にフミの明るい声が戻ることはなかった。クシナが丹精込めて作った朝食も、手付かずのまま冷めていく。

 

「フミ………」

 

フミは、まるで行き先を知っている幽霊のように、ふらりと家を出た。向かったのは、最近新しく刻まれた名が並ぶ、慰霊碑の建つ墓地、少し歩いた後、フミは猿飛アスマの墓の前に立ち尽くす。

 

アスマは、暁との戦いで散っていった一人。だが、暗部入りする前、その妻紅と共に何度も教えを受けた。

 

「………………」

 

フミの瞳には、以前のような光は戻っていない。ただ、立ち上る線香の煙をじっと見つめ、何かを自分の中に閉じ込めるように、唇を固く結んでいた。その後姿を、少し離れた場所から、心配そうに見守る赤い影。

 

(あんな顔、させたくなかったのに。あんなに、何かに耐えるような、大人びた顔……)

 

クシナは、声をかけることもできず、ただ木陰から息子の細くなった背中を見つめる。

 

平時ならば、何をメソメソしている、と叱り飛ばすところだが、今のフミが背負っているものの重さを知っている彼女には、その言葉が出てこなかった。ただ、胸が締め付けられるような想いで、そっと祈るように手を合わせるしかなかった。

 

「アスマ先生、イタチさんが…僕の最高の先輩にして、パートナーが、そっちへ行きます。その時は甘いもの、奢ってあげてください。」

 

ジャリ、ジャリと、砂利を踏みしめる音が背後から近づいてきた。それと共に、どこか懐かしい、紫煙の香りが風に乗って漂ってくる。

 

振り返らずとも、それが誰であるかフミには分かった。この場所で、この匂いをさせている人物など一人しかいない。

 

「……よお。こんな朝早くから、墓参りとは。」

 

「シカマルさん…お久しぶりです。」

 

奈良シカマルはいつものポケットに手を突っ込んだ気怠げな姿勢で、フミの隣に並んだ。彼はフミの顔を見ようとはせず、ただ静かに、師の眠る慰霊碑を見つめる。

 

「……聞いたぜ。大変だったな、フミ。」

 

その言葉は短く、淡々としていたが、同じ「喪失」を知る者だけが持つ、独特の重みと共感が込められていた。

 

「そっちこそ。でも…お互い目的は果たせたみたいですね。暁の重大戦力を兄さんたち共に削ったと。」

 

「……ああ。」

 

シカマルは、短く、それだけを答えた。その声には、達成感もなければ、喜びもない。彼はポケットからくしゃくしゃになった煙草の箱を取り出し、一本を唇に咥える。

 

「親父から全部聞いた。イタチさんのこと……。」

 

カチリ、とライターの音が響き、煙草の先端に小さな火が灯る。シカマルはそれをゆっくりと吸い込み、白い煙を空に向かって吐き出した。その煙が、まるで弔いの線香のように立ち上っていく。

 

「…お前は、それで満足なのか? フミ。」

 

シカマルの問いは、静かだが鋭い。それは、同じように師の仇を討った彼自身の心にも向けられた問いだった。

 

「敵を倒して、目的を果たして……。それで、何か変わったか?」

 

少しばかりの沈黙の後、フミは答える。

 

「…変わりませんよ、何も。ただ…進むだけです。兄さんが火影で、僕がその影になる夢のために。」

 

「……そうか。」

 

シカマルは深く煙を吸い込むと、肺に残った全てを吐き出すかのように、長く、白い煙を空に放った。その煙は、空の青に溶けて消えていく。

 

「全く……めんどくせぇ生き方を選んじまったな、お互い。」

 

彼はフミの横顔をちらりと見た。その瞳の奥に宿る、以前とは違う、硬質で冷たい光。シカマルは、フミがもう後戻りできない場所まで来てしまったことを悟った。

 

「まあ、お前がそう決めたなら、俺がとやかく言うことじゃねぇ。」

 

シカマルは咥えていた煙草を指で弾き、足元で火を消した。

 

「……俺も、進むしかねぇみてぇだしな。このめんどくせぇ里のために。」

 

彼はそう言うと、背を向け、気怠そうにポケットに手を突っ込んで歩き出す。それは別れの挨拶であり、同時に、それぞれの道を行く者同士の、無言の誓いでもあった。

 

フミは、去っていくシカマルの背中を見送りながら、静かに呟いた。その声にはもう、以前のような弱々しさはない。

 

「立ち止まってる時間は、無い…!」

 

言い聞かせるように呟いた、その言葉は彼自身にかけられた呪縛を解き放つ鍵となった。

 

フッと、フミの瞳に、失われていた光が戻る。それは、燃えるような情熱ではなく、磨き上げられた鋼のような、冷たくも強靭な意志の光だった。彼はもう一度、アスマの墓に向かって深く頭を下げる。

 

(イタチさん。あなたの遺してくれたもの、無駄にはしません。あなたの見たかった未来を、僕が必ずこの目で見届けます)

 

誓いを立てたフミは、踵を返し、墓地を後にする。その足取りには、もう迷いはなかった。喪失の悲しみは消えない。しかし、それを乗り越え、力に変える覚悟を決めたのだ。

 

里へ戻るフミの背中を、木陰から見守っていたクシナは、そっと胸をなでおろした。我が子の瞳に宿った光を見て、安堵と、そして一抹の寂しさを感じていた。

 

(もう、甘やかしてやれる子供じゃ、ないんだね…)

 

「…母さん!」

 

フミの鋭い呼びかけに、木陰の赤い影がビクリと大きく震えた。もはや忍としての気配を完全に消していたつもりだったが、成長した息子の感覚は、母の隠密行動すら見抜くほどに研ぎ澄まされていたようだ。

 

「げっ……!」

 

*観念したように、クシナが木の後ろからおずおずと姿を現す。その表情は、かつてのフミのように、悪戯が見つかった子供と同じでバツが悪そうだったが、すぐに「母親」としての顔を取り繕い、咳払いをした。

 

「……あー、その、なんというか……散歩? そう! たまたま散歩してたら、あんたを見かけただけだってばね!」

 

彼女は早口で言い訳を並べ立てながら、フミの元へと歩み寄る。だが、近くで息子の顔を見た瞬間、その言葉が止まった。

 

先ほどまでの死人のような虚ろさは消え、そこには確かな意志を宿した、男の顔があったからだ。

 

「……ふふっ。」

 

クシナは肩の力を抜き、安堵の笑みをこぼした。

 

「やっと……いつものフミの顔に戻ったわね。お帰り、フミ。」

 

彼女は自然な動作で、フミの乱れた襟元を直すように手を伸ばした。その中で、フミが問う。

 

「ミコトさんとフガクさんには、父さんが?」

 

「ええ……。」

 

クシナの表情が、一瞬、翳った。彼女はフミの襟元を直す手を止め、その瞳を静かに伏せる。

 

「……あの夜、ミナトがすぐに知らせに行ったわ。……フガクさんとミコトさん、気丈に振る舞ってたけど……」

 

クシナは言葉を詰まらせ、遠い目をした。同じ親として、その胸中を思うと、言葉が見つからない。

 

「ミコト、泣き崩れちゃって……。当然よね。あの子は、あの一族の、そして二人の誇りだったんだから……」

 

クシナはそっとフミの頬に手を添えた。その目は、まるで自分のことのように痛みに濡れていた。

 

「でもね、フミ。ミコトが、あんたに伝えてくれって…“あの子の最期に、貴方が一緒にいてくれて良かった。あの子は、きっと幸せだったはずよ”ってね。」

 

それは、フミにとって本当に救いとなる言葉だった。思わず表情も和らぐ。

 

「…そっか。ただ…僕には後一つ、パートナーとしての仕事が残ってる。」

 

切り替えたフミの言葉には、抗いようのない重みがあった。それは感傷ではなく、冷徹な義務感に近い。

 

クシナは添えていた手を離し、じっと息子を見つめた。その「仕事」が何を意味するのか。イタチが遺した言葉、そして彼が最も大切に想っていた者の存在を考えれば、答えは一つしかなかった。

 

「……サスケ君に、会いに行くのね。」

 

フミは無言で頷いた。その懐には、イタチから託された「真実」と、その重すぎる遺志が仕舞われている。

 

「分かってると思うけど……あの子に会うのは、並大抵の覚悟じゃ済まないわよ。今のサスケ君は、憎しみに飲み込まれそうになっている……。」

 

クシナは心配そうに眉を寄せるが、止めるような真似はしなかった。今のフミの眼光は、誰に何を言われようと揺らぐものではないと知っていたからだ。

 

「分かったわ。でもね、フミ。」

 

クシナはもう一度、フミの目を力強く覗き込んだ。

 

「全てを一人で背負い込むんじゃないわよ。あんたには、私たちがいる。ナルトだっているんだから。……いいわね?』

 

「…大丈夫だよ、僕は4代目火影と、最強の母親の息子だから。」

 

フミの口から、久しぶりに、ほんの少しだけ昔の彼を思わせるような、穏やかな笑みがこぼれた。その言葉を聞いた瞬間、クシナの大きな瞳が、みるみるうちに潤んでいく。

 

「……ばか、そんなこと……当たり前だってばね……!」

 

彼女は照れくさそうに顔を背け、拳で乱暴に目元を拭うが、その横顔は、喜びと誇りに満ちていた。我が子が、自分の想像を遥かに超えて、強く、たくましい男になっていたことを、改めて実感したのだ。

 

「全く、こんな時ばっかり、お父さんにそっくりなんだから。」

 

クシナはくるりと踵を返すと、家路へと向かって歩き出す。だが、その背中が、何かを思い出したようにピタリと止まった。

 

「あ、そうだ、フミ!」

 

振り返ったクシナの顔は、いつもの元気いっぱいな「お母さん」の顔に戻っていた。

 

「あんた、ここ数日まともに食べてないでしょ! 今日はね、あんたの大好物のハンバーグ、たーっくさん作ってやるからね! 帰ったら、嫌って言うほど食べさせてやるんだから! 覚悟しなさいよ!」

 

フミは母の力強い言葉に、満面の笑みで応えた。それは、暗いトンネルを抜け、再び光を見出した者の、偽りのない笑顔だった。

 

「うん!じゃ、行ってくる!」

 

その言葉を合図に、フミは懐からクナイを取り出す。クシナが何かを言い返すよりも早く、その姿は黄色い閃光と共に、掻き消えるようにその場から消え去った。

 

「あっ、こら! もう少しゆっくり……!」

 

クシナは伸ばした手を空中で止めたまま、呆気にとられて立ち尽くす。

 

「……せっかちなところまで似ちゃって……」

 

彼女はフミが消えた空間を愛おしそうに見つめ、小さく笑みをこぼした。

 

「待ってるからね、フミ……」

 

***

 

 

フミが跳んだ先は、終末の谷が近い深林地帯。大蛇丸を倒したならば、サスケはこの道を辿って戻ってくると予想していた。

 

木々の間を抜ける風の音が、不気味なほど鮮明に響いていた。フミは切り立った崖の上、太い枝に腰を下ろし、眼下の街道をじっと見据える。やがて、遠くから複数の足音が近づいてきた。

 

先頭を歩くのは、漆黒の髪をなびかせ、背にうちはの紋章を背負った少年。その瞳には冷徹な殺意が宿り、かつてナルトたちと競い合った頃の面影は、鋭利な刃物のように研ぎ澄まされた気配に塗り替えられていた。

 

「……来たか。」

 

フミは静かに立ち上がると、音もなく街道の真ん中へと降り立った。サスケと、彼が引き連れている「蛇」のメンバーたちの足が止まる。サスケは忌々しげに眉を寄せ、腰の草薙剣に手をかけた。

 

「お前か、フミ。何の用だ。そこをどけ。」

 

サスケの放つプレッシャーは凄まじかった。だが、フミは一歩も引くことなく、その瞳を真っ直ぐにサスケに向けた。

 

「大事な話があります。まずは聞いてもらえませんか?」

 

「断る。」

 

サスケの返答は、氷点下の冷たさだった。

鯉口を切る音が鋭く響き、草薙剣の白刃がわずかに覗く。サスケは歩みを止めず、殺気だけでフミを圧殺せんとばかりに睨みつけた。

 

「里の命令か、それとも兄貴の差し金か……どちらにせよ、俺には関係ない。そこをどけと言ったはずだ。邪魔をするなら、お前でも斬る。」

 

サスケの背後で、水月がニヤリと笑いながら首斬り包丁に手をかけた。

 

「おーおー、怖いねぇ。どうするサスケ? 俺がやっちゃっていいの? こいつ、火影の息子でしょ? 大物喰いじゃん。」

 

「……バカ、やめなさいよ水月!」

 

香燐が鋭い声で制止する。彼女は眼鏡の奥の瞳を細め、脂汗を浮かべながらフミを凝視していた。

 

(……何なの、こいつのチャクラ……桁が違う……それに、この異質な感じ……まるで、死線をくぐり抜けてきた直後みたいな……!)

 

香燐の感知能力は、フミが纏う空気が、単なる説得に来た使者のものではないことを敏感に感じ取っていた。だが、復讐に燃えるサスケの耳には届かない。

 

「……3秒やる。消えろ。」

 

サスケの全身から、青白い千鳥の電流がバチバチと迸り始めた。交渉の余地など、欠片も残されていない。だからこそ、フミは端的に告げた。

 

「イタチさんは死にました。」

 

サスケの周囲で荒れ狂っていた千鳥の轟音が、一瞬で掻き消えた。森全体が凍りついたかのような沈黙が、重く、苦しくその場を支配する。サスケの瞳孔が限界まで見開かれ、草薙剣を握る拳が、白くなるほどに震え始めた。

 

サスケは言葉を発することができない。今、目の前の男が何を言ったのか、脳が理解を拒んでいるようだった。

 

 

「……今、何と言った。」

 

地を這うような低い声。それは、今にも暴発しそうなマグマを無理やり抑え込んでいるような、危うい響きだった。

 

「冗談なら、今すぐお前を殺す……。兄貴が、死んだだと……? この俺の手で殺す前に……そんな、馬鹿なことが……‼︎」

 

サスケの殺気が、もはや制御不能なレベルで膨れ上がる。背後の「蛇」のメンバーですら、その圧力に息を呑んだ。

 

「答えろ、フミ!! 誰が、いつ、どこで……! 嘘だと言えッ!!」

 

サスケはフミの胸ぐらを掴み上げようと、猛然と踏み込んだ。その瞳は、激しい憎悪と、それ以上に深い「拒絶」に揺れていた。

 

「…話を、聞いてくれますね?」

 

サスケの手が、フミの胸ぐらを掴む前にピタリと止まった。喉元には、草薙の剣の切っ先が突きつけられている。あと数ミリ動けば、頸動脈を切り裂く距離だ。

 

だが、フミの瞳に一切の恐怖がないこと、そしてその言葉の持つ不気味なほどの「真実味」が、サスケの凶行を寸前で押し留めていた。

 

ギリ、とサスケの奥歯が鳴る音が響く。彼は充血した写輪眼でフミを睨みつけながら、ゆっくりと、しかし完全には警戒を解かずに、剣をわずかに引いた。

 

 

「……手短に話せ。内容次第では……その場で殺す。」

 

サスケは乱暴にフミを突き放すと、呼吸を整えるように肩を上下させながら、次の言葉を待った。水月たちが固唾を呑んで見守る中、張り詰めた糸のような緊張が再び場を支配する。

 

「結論から言います。あなた方うちは一族を苦しめてきた元凶、志村ダンゾウを討滅するため、僕とイタチさんはツーマンセルで挑み、成功しました。ですが、イタチさんは長年酷使してきた万華鏡のダメージの前に倒れ…」

 

サスケの顔から、一切の表情が消え失せた。*

「志村ダンゾウ」という名。そして、己が復讐すべき対象であった兄が、自分以外の誰かと手を組み、一族の仇を討ったという事実。あまりにも多くの情報が、サスケの脳内を嵐のように吹き荒らす。

 

「…ツーマンセル……だと?」

 

サスケの喉から、掠れた声が漏れる。

 

「兄貴がお前と……? 志村ダンゾウを……。クソ……クソッッ‼︎」

 

ドンッ! と、サスケは傍らの大樹を拳で殴りつけた。樹皮が砕け、木々が激しく揺れる。

 

「兄貴は俺に、超えたいのであれば憎めと言った……! 俺の手で殺せと言ったんだ!! なのに、お前と……! お前なんかにその最後を奪われて……!!」

 

サスケは頭を抱え、狂ったように笑い始めた。悲鳴のような、嗚咽のような笑い。その目からは、憎悪だけではない、やり場のない激情が溢れ出していた。

 

「万華鏡のダメージ…?そんな……そんな理由で……。俺の前から、勝手に消えるなと言ったんだッ‼︎」

 

サスケはフラフラと千鳥足でフミに歩み寄ると、その瞳を真っ赤な写輪眼へと変え、フミの顔を覗き込んだ。

 

「……最期に、あいつは何と言った。何を遺した……! 答えろ……フミッ!!」

 

「…“この眼はサスケに託してほしい。俺が出来なかったことを、アイツなら、きっとやってくれる”と。」

 

その言葉は、まるで呪詛のようにサスケの耳に突き刺さった。沈黙の後、サスケの全身から、力が抜けた。草薙の剣が、カラン、と乾いた音を立てて地面に落ちる。

 

そして、彼は両膝から崩れ落ち、その場にうずくまった。

 

「……託す……だと……?」

 

サスケの肩が、小刻みに震え始める。それは憎悪ではない。怒りでもない。

 

あまりにも永い間、兄を超え、父を認めさせる、その目的のために生きてきた男が、目的そのものを、最も憎んでいたはずの相手によって完遂され、そして突き放された瞬間の、どうしようもない「空虚」だった。

 

「ふざけるな……。ふざけるな……ッ!!」

 

サスケは両手で地面を掻きむしり、泥にまみれながら、天を仰いで咆哮した。

 

「なんだそれはッ! なんだよその言葉はッ! いつだってそうだ……! あんたは、いつだって俺を置いていく……!!」

 

サスケの瞳から、大粒の涙がとめどなく溢れ出し、泥の地面に黒い染みを作っていく。それはもう、うちはの復讐者ではなく、ただ、兄に置いていかれた一人の弟の、悲痛な叫びだった。

 

「サスケ……」

 

蛇の面々が駆け寄ろうとするが、フミがそれを目で制する。

 

「蛇の皆さん、里に敵意を向けるつもりがないなら、客人として歓迎します。ですが、危害を加えるつもりなら…」

 

フミの空気が、瞬時に一変した。先ほどまでの、どこか憂いを帯びた表情は消え失せ、火影の息子として、そして里を守る忍としての冷徹な「殺気」が、蛇のメンバーを包み込む。

 

「……この場で、あなた方の命を貰い受けます。」

 

その静かな宣告に、水月が引きつった笑いを浮かべながら、一歩後ろに下がった。

 

「……へぇ。その目……本気だね。これじゃあ交渉もクソもあったもんじゃない。」

 

「……バカ、やめなさい。こいつ、口先だけじゃないわ……。チャクラが、まるで研ぎ澄まされた刃物よ。」

 

香燐は震える手で眼鏡を直しながら、フミの強大な実力を肌で感じ取っていた。

 

サスケは泥の中に膝をついたまま、微動だにしない。今はもう、里を襲うだの、復讐を完遂するだのといった次元を超えた場所で、彼の魂は彷徨っていた。

 

蛇の一員である重吾は、ただ静かにサスケの背中を見つめ、フミへと視線を向けると宣言する。

 

「サスケの心が決まるまで……俺たちは手を出さない。」

 

静寂の中、フミはサスケの返答を待つ。彼がこの先、イタチの遺志を継ぐのか、それとも別の道を選ぶのか。その決断は、木の葉の里、そして忍の世の未来を左右する重大な分岐点となるだろう。

 

(………兄さん。)

 

サスケの脳裏に、幼き頃の兄との優しい思い出が過ぎる。あれほど憎み、恨んでいたはずの兄は、最後の最期まで、自分のことを思ってくれていた。

 

『許せ、サスケ。また今度な』

 

夕暮れの縁側。自分をおんぶして歩く、頼もしい背中の温もり。手裏剣術を教えてくれた時の、誇らしげな笑顔。そして、俺を超えたいのなら、恨め、憎めと挑発した時の顔。

 

「全ては、俺のためだったのか。」

 

憎むように仕向けたのも、里を抜けたのも、そして誰にも真実を告げずに死んでいったのも。全ては、弟である自分を、この残酷な世界から守るための、不器用で、あまりにも深すぎる愛だったのだと、サスケの魂が理解した。

 

「……うっ、……ぐぅッ……!」

 

サスケは泥を握りしめ、子供のように肩を震わせた。憎しみの炎が消えた跡地に残ったのは、ただただ純粋な、兄への慕情だけだった。

 

やがて、サスケはゆっくりと顔を上げる。その目は真っ赤に充血し、涙で腫れ上がっていたが、先ほどまでの狂気じみた殺意は霧散していた。

 

「……フミ。」

 

「はい。」

 

その声は掠れ、弱々しかったが、確かにフミのことを「敵」ではなく、兄の最期を知る「証人」として呼んでいた。

 

「……兄貴の……眼を……」

 

サスケは震える手を差し出した。それは力を求める手ではなく、兄の形見を、兄の一部を何よりも大切に抱きしめたいと願う、切実な手だった。

 

「…開眼しましたね。なら…綱手様のところへ。準備は整っています」

 

サスケの瞳には、かつてない紋様が刻まれていた。イタチの死、その真実への理解、そしてあまりにも深い悲しみ。それらが、うちは一族の呪われた、しかし至高の力である「万華鏡写輪眼」を呼び覚ましたのだ。

 

「その眼こそが、イタチさんの遺した答えだ。」

 

フミはサスケの肩にそっと手を置いた。かつての友、そして兄にとっての宿命のライバルを、里へ導くように。

 

 

「……ああ。」

 

サスケは地面から立ち上がり、フミの視線を真っ直ぐに受け止めた。その瞳には、もう迷いはない。

 

「……木の葉へ戻る。兄さんが見ていたものを……俺もこの目で見届けるために。」

 

サスケの宣言に、蛇のメンバーも無言で頷く。フミは頷き返すと、父から継承した術を起動させる。

 

「よし…じゃ、行こう。みんな、僕に捕まって!」

 

瞬時。火影室、あるいは医療施設へと直結するマーキングへと、黄色い閃光が奔る。それは、うちはサスケという男の帰還であり、新しい時代の幕開けを予感させる光だった。




サスケが里抜けしたのは、フガクから認められない自分への苛立ちと、敢えて叩きのめすことで突き放し、大蛇丸を倒すことを信じたイタチによる判断、ということで考えていただけたら幸いです。次回、あの6人衆との戦いが幕を開けます。
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