That's insane! 作:解毒発酵DNA
猫を撫でくりまわして捏ねあげる
起きた時に、馴染みのある煙草の匂いが漂っていた。身体に包帯がいくつか巻かれていて、暖かい温度が傍らにある。
「………イグアス………?」
返事はない。暖かい手が頭に触れて、ゆっくりと顔に降りてくる。
傷付いた犬でも撫でるかのようだった。そんなことは普段は絶対しない癖に、と思いながら、その温かさに身体を委ねる。
「レイヴン」
てっきり野良犬、と呼ばれるだろうと思っていた心臓が驚いてキュッと縮まった。
二度寝でもしようかと思っていたのに、目が冴えてしまった。
「今呼んだ」
「元気になったんなら退け野良犬」
言葉の割には暴力は来なかった。
「呼んだよ今」
「うるせえ」
「もっかい」
「野良犬」
「なんでよ」
コントのようなやり取りをしていると、ドアの方からきゅるきゅる、とキャタピラが動くような音がした。
来たのは黄色と水色にペイントされた、人間サイズの小さな機体だった。エンブレムは電球のようななにかである。
『起きたなビジター。俺は『
「チャティ?ふうん、可愛い」
『そうか。………体温に異常なし、異様な発汗や痛みもないな』
「うん」
あまり人に会いたくないタイプなんだろうか。きゅるきゅる音を立てて近寄ってくる機体を撫でる。
『俺を撫でても特に何も出ては来ない、ビジター』
「だって可愛いよ、ちっちゃいBASHOもエルカノのタンクパーツも」
『そうか、ボスが喜ぶ』
ボス?と621が首を傾げると、キン、という耳鳴りとともにエアの声が頭に響いた。
『『
「ああ、カーラの」
そう621が言うと、チャティもそうだ、と言って、またきゅるきゅる音を立てて扉の方へ動いていく。
『ボスからの伝言だが、『あんたの飼い主はもう少しかかるそうだよ。それまでに謝罪の一言くらいは考えておきな』………だ。ビジター』
「う、わかった………」
今回ばかりは一線を超えたイグアスがいけない。と思いつつも、煽るようなことをしていた自分もいけない。
ウォルターの怒った顔はあんまり見たくない。怖いというより、そういう顔をさせていることがいたたまれないからだ。
チャティを見送り、もう一度イグアスにくっついた。拳が飛んでこないのがやはり珍しかった。いや、最近は特にこれが続くので不思議な気分になっているが。
どこまで許されるかが気になってきたが、また意識が飛ぶくらい殴られても困る。
腹を適当に触っていたり、腕に適当に指を這わせたりしていたが、ついに軽く振り払われる。
「やめろ」
「ん」
引き剥がされはしなかったので、適当にその手にじゃれついた。
ふと気がついたが、口にある煙草は吸うと言うよりはただその匂いを漂わせるだけだ。それをじっと見つめれば、視線に気づいたイグアスが不機嫌そうな顔になる。
やはりこちらを見ていないままだった。
「何だ」
「罪悪感あるんだって思って」
「………」
返事は無いが、急降下した機嫌が物語っている。ばつが悪くなるくらいならやらなきゃいいのに、本当に変なヤツである。
そう思いながらしばらくゴロゴロしていると、エアの声が響く。
『レイヴン』
なあに、と今度は頭の中で返事をする。
エアは少しため息をついて、それから少しの耳鳴りと共に返した。
『私のせいでしょうか』
さっきのことか。
別にエアのせいじゃない。エアへの返事を、唐突に口に出した自分がいけない。
この男は自分の思い通りにならないこと、得体のしれない事を恐れる人間であるとわかっていたのに、得体のしれない『エア』という存在に返事をした。だからああなった。
そうエアに脳内で伝えれば、彼女は息を飲むような音をさせる。
『………私に、貴女の心はわかりません………その思いも、全て』
女の子同士の恋バナとやらに興味はあったが、まあ確かに自分は随分と拗れている。
エアに理解を得られないのは悲しいが、それはそれでエアの頭がマトモであると言うことである。
それはいいことだ、こんな頭のおかしな女が山ほどいてたまるか。そうなったら、この愛おしい男を取られてしまうじゃないか。
幻聴だと思っていた女のかたちは、やはり621にとっての隣人となっていた。
その時、遠くの机のふちに置いた端末が鳴った。
もそもそ動いていって手に取れば、ウォルターからの連絡である。
『話は聞いた』
『今はグリッド086で休め』
『必ずだ』
『ベイラムに話は伝わっている』
『調査は終えて構わない』
その連絡に、ちょっと恐ろしくなった。
怒ってるなあ、という明確な感覚と、ベイラム───特にミシガンはどこまで知っているのだろう、という不安だ。
あの人は鬼軍曹といった出で立ちだが、無情なわけではない。
なんなら、こんなどうしようもない関係の自分たち2人は仲良く根性を叩き直されそうである。
ほかはレッドくらいしか知らないが、彼も彼でたまにこちらの身を案じるような連絡が来る。普通に心配しそうだから、知らないでいてくれたらいい。
マトモな人間の言葉を浴びてしまったら、救われてしまいそうじゃないか。
とにかくそうと決まれば、もうやることはない。あとはウォルターの前でもっともらしく耳としっぽを垂れさせて、飼い犬のようにキュンキュンと鳴くしかないだろう。
621が端末から目を話すと、立ち上がって身支度を終えたイグアスが部屋から出ようとしているところだった。
「ねえ」
「………」
普段は声なんてかけない。しかしもう少しだけ感じたいものがあったので、手首を掴んでそこに口付けた。
「またね」
「………」
やはりこちらを見ないまま、後ろ手に手を振られた。本当に、変なところで繊細な男である。
扉が閉まったあと、621はソファの上に身を投げ出した。
「エア」
『はい』
「ウォルターが来たら起動させて」
『分かりました。………おやすみなさい、レイヴン』
沈む意識の中に微かに、耳鳴りの音がした。
────女の手の感覚がまだ頬に残っていた。
首を絞め上げた時、引っ掻いてでも生にしがみつくかと思ったその手は、慈しむような優しさで触れてきた。
あの顔が離れない。
おまえが苦しむのが見たい。
死ぬさまを見ることが出来そうだった。
高揚などしなかった。
それどころか、このまま暗く底に落ちるかのようだった。
怖くなったのだ。
鏡を割って、それが見えなくなるように壊したとき───
自分は次の瞬間、どうなっているのだろうかと。
心の臓を後ろから抜かれるか。
それともこの女と同じように、首に手をかけられて絞め殺されるのか。
それともその実感すら見えなくなるのか。
それは際限のない恐怖の形であった。
自分の恐怖は、女のかたちをしていた。
つい逸りかけた息を抑える。煙草は吸う気になれずに捨てた。踏んで消した感覚が爪先に残っている。
ついさっきの事もそうだ。
明確に動揺する自分を抑え、顔も見ずに、このまま戻ろうと思っていたのに。
あの女は愛おしいものに触れるようにこの手に触れて、あろうことか手首に唇を落としたのだ。
「………クソっ………!」
ふざけるな。
自己陶酔も大概にしろ。
おまえは俺を救える気で居るのか。
なめてんじゃねえ。
それは言葉にならなかった。これは全て自分のせいで、その全ては自分に対してであり、そして最も女から遠い言葉である。
だから何も言えなかった。
全てが自分に帰ってくる暴言や愚痴ほど、聞いていて不快なものは無い。
いつの間にか、女の感触を思い出すように自分の手首を握っていた。あの柔らかさを、あの脆さを、自分のつけた傷を、その全てを手に入れたい。
冷え込んだ空気が足元をさらっていく。前方に人間がいるのに気づいて睨みつければ、そこに居たのは一見穏やかそうに見える老人だった。
しかし、目線の鋭さは戦場を見てきたものの目である。老人の姿を取りながら、しかし弱さは感じない。
ミシガンとは違ったその目に、こっちを見るなと言いたくなるような反抗心と、奇妙に心の隙間に手が伸ばされ掬いあげられるような───安心感、に近い感情がある。
「………おまえが………」
そう言った老人の声に聞き覚えがある。
聞きやすく、小煩くない。間違えるはずがない。あの女が懐いて仕方の無い『
この男が、ハンドラー・ウォルターだ。
「………」
「随分621を気に入っているようだな」
間違いなく嫌味である。
毎日痣を作り、度々死にかけさせ、遠慮もなく女の身体を貪る獣に情などは必要がない。当然のことだ。
「………手当はしてやった、依頼の補填はしてやる」
「当たり前だ」
「………」
言われなくても感じる、その怒りから逃げ出すように足を進めた。居住区域を出ると、相変わらず灰と雪と氷の寒々しいばかりの星が見える。
そこできゅるきゅる、と動く見覚えのある黄色を掴まえた。チャティとかいったはずだ、あの女は『かわいい』なんて言ってやがったが。
「おい、『お喋り』野郎」
『………G5 イグアスか。帰るんだな?』
「当たり前だ、もう用はねえ」
『そこを右に行って、突き当たった先のドックにお前の機体がある』
何も言わずに向かおうとすると、待て、と声がした。
「まだ何かあんのか」
『お前は笑わないな』
急に何だ、と思って訝しげに見るが、気にせずそいつは喋り始めた。
『生きてるなら笑え、とボスがよく俺に言う』
「………知るか、てめえの事なんざ」
『お前も笑えるようになればいい』
クソ野郎。
思いつく限りの罵倒と蹴りでもってその答えとした。鉄のからだに何をしようが、どうせこっちの方が手傷を負うだけである。蹴った時の痛みが明瞭に脚に残っていた。
お喋り野郎はブーストを吹かして距離を取り、少しノイズの入った声で喋った。
『次はない、とボスが言っている』
「………チッ………!」
解消出来ない苛立ちを感じながら、グリッドの右側へと歩いていく。
そのさまをじっと、チャティは見つめていた。
一方621はといえば、無言で傷痕───特にイグアスに絞め上げられたときの鬱血痕を、じっくり睨むように見るウォルターが怖くてしょうがなかった。
「621」
「………なに、ウォルター」
「あの男を気に入っているのか」
それは事実確認に近い声だった。621が頷くと、さらに目が鋭くなる。やはり怖い。何故か焦って目が泳ぐ621を見ながら、ウォルターは淡々と口にした。
「しばらくあの男には会うな」
「………まあ、中央氷原まで行けばそりゃ………会えなくはなるだろうけど………」
やはり気まずい。もにょもにょ、とそう言う621に、静かにウォルターが告げた。
「ミシガンもそのつもりでいる」
その名前が聞こえた瞬間、うげ、とつい顔を歪めてしまった。どこまで知っているのだろうかとは思っていたが、実際名前を聞くと今度会った時に何を言われるだろうと思ってしまう。
そんな顔をしている621に、ウォルターがさらに近づく。
「お前を放っておきすぎた」
優しい手が伸びた。
頭を撫でられ、傷をいたわるように触れられ、そうして抱き締められた。
「お前は知らないだけだ」
ウォルターの声が静かに響いた。確かに、ろくな人生は歩んでいないから、そう言われるのも納得はいく。
しかしどうにも、これだけは伝えておかなければな、と口を開いた。
「ウォルター、でも、私はアイツが好きだよ」
「………それは………愛とは………」
621は言い淀んでしまったウォルターを見上げる。その目には、呆けた顔で親鳥にエサをねだる雛のような鴉が映っていた。
まだまだ子供のようである。あのような行為に耽っていようと、やはり自分はまだまだ幼いと思い知らされる。
「違うのかな」
あなたはどう思うの。
揺れる目をじっと見つめ返す。ウォルターの表情はどこか悲しげで、自分を労り、そして慈愛に満ちた手がゆっくりと頭を撫でる。
ウォルターは何も言わなかった。
その暖かさに眠ってしまいそうになる。
ただ無言で、621はその手を受け入れた。
「………」
でも、好きなのになあ。
ウォルターの顔を見ながら、621はそう思った。
あの男が自分に触れて、同じ傷をつけもらって、それをなぞって、同じだと悦ぶことは普通とどう違うのだろうか。
愛とは、恋とは、自分の身の丈にあった人間と、同じように自分の傷を投射して慰め合うことではないのだろうか。
結婚が人生の墓場だというのなら、死ぬまで一緒に殺し合いたい、死ぬまで繋がりを感じながら一緒にいたいと思うこの感情は愛ではないのだろうか。
相手の全てを欲する代わりに、相手に全てを貪ってほしいと思うのは、恋では無いのだろうか。
分からなかった。
ウォルターの温かさに顔を埋めながら、取り留めのない考えが浮かんでは消える。
同じなのに。
あの男が暴力と罵倒でしか愛を知らないように、自分もウォルター以外から与えられるそれは暴力と罵倒の形をしている。
過去の記憶が少しだけ蘇った。
父の愛は罵倒の形だった。
母の愛は暴力の形だった。
一応姉のようなものもいた。
アレはそもそも自分に暴力と理不尽しか寄越さなかった。
みんなで弱いものをいじめる方が楽しいんだろう。誰もそんなものをマトモに与えはしなかった。
───イグアスが奴らと違うのは、それ自体は快楽を、嗜虐心を、欲望を満たす用途でない部分である。
自分につけた傷を通じて、自分の傷を抉って、その血を啜っている男だ。
あの男は自分と同じだ。負け犬だった。弱虫だった。
そこから強化人間の中でもゴミのような旧世代型だとしても這い上がったのだ。
自分はその途中だ。
今はウォルターの猟犬という意味がある。
あの男にはレッドガンという矜持がある。
意味と矜持で我々が変わるだろうか。
対して変わっていないと621は思っている。
どこまでいってもみっともなくて、どこまでいっても救いようのない塵である。
心配そうに少しだけ震えるその身体を、いつの間にかゆるんでいた腕で再びしっかりと抱き締め返した。
痩せた老爺の身体とはいえ、その熱はウォルターがここに生きている事実を感じさせてくれる。
たまに不安になるのだ。この人はいつか、自分の見ていないところで死にそうだと。
今は自分を使った目的があるので、まだ死にはしないだろうが。にしたって人の事を言えない人である。
「自分を大事にしろ」
「うん、ごめんね、ウォルター」
ウォルターが離れた。それに少しだけ名残惜しくなるが、大人しく621も離れることにした。
撫でられたことでボサボサになった髪の毛を毛繕いしていると、ウォルターが静かに話を始める。
雰囲気の変わり方で分かった。自分のスイッチは可愛こぶっている飼い犬から、ウォルターの猟犬へと変わる。
「ここからは仕事の話だ、621」
貰った端末には、ベイラムのロゴに並ぶ
「大豊からの依頼だ。ブリーフィングを確認しろ」
「分かった」
起動すれば、見慣れた赤とヤドカリのロゴが浮かんだ。いつも通り、621は彼が話し始める前に相手の音量を少し下げる。
『G13 レイヴンに伝達ッ!これはベイラム系列企業、大豊からの依頼であるッ!』
「うわ、うるさ」
『うるさいとは何だ貴様ァ!』
「あっ」
思わず漏れた声が伝わったらしい。ため息とともにこれでも聞こえるか、と言ったレッドの声が少し小さくなった。
「うん、ありがとう」
『………』
「どうしたの?」
『………いや、いい。貴様が戻った時にたっぷり話してやる』
「なにそれ」
変なの、と思いつつもそれ以上は追求せず、任務の内容を聞いた。
作戦内容は、アーキバスの調査キャンプ襲撃、および観測データ奪取。相手の戦力を削れば削るほど、報酬は上乗せしてくれるいつもの方式である。
説明を最後まで聞き終わって、後は切るだけとなった時、621が呟いた。
「たのしみ」
笑いながら漏れたその声に、エアが返した。
『貴女は戦いを好むのですね』
「うん、だって楽しいから。ACに乗るの、楽しいよ?エアも乗れないのかな」
『今の私には、貴女の機体に着いていくだけで十分です』
「そうなの?絶対面白いのになあ」
しかし、それを聞いていたレッドとウォルターは訝しげにする他できない。急にひとりで話し始めた621の様子を聞き、レッドが一言口にする。
『………任務の前に調整を受けておけ』
「え?あ、うん」
『以上だ』
「うん、ばいばーい」
明らかに頭の方を案じられたな、と思った。
しかしまたやってしまった。ついエアが『いる』気がして喋ってしまうのである。イグアスに絞められたばかりなのに、どうしてこう喋ってしまったのか。
そんな621の後悔など露知らず、ウォルターは何も言わずに歩いて来て、621にソファに横にならせた。
「ウォルター?」
「………今日はもう休め。明日俺の伝で中央氷原に向かい、作戦を行うぞ」
「分かった」
大人しくそのまま目を閉じた。
新しい戦いで、自分にはどんな傷がつくだろう。どういう死を感じるだろう。
あの男は、どういう死を見るだろう。
まるで遠足に行く前の子供のように、621はわくわくしながら眠りについた。