:四号谷地
影が伸びた。
頬が熱くなるのを感じたペリカは、跳ねるように振り返る。
爆炎と、黒煙と、怒号のような衝撃。ビリビリと鼓膜が揺らされて、堪らず耳を畳んでしまった。
一体何が?
考えるまでもない。
こんな状況でも飄々としてる女が隣にいる。
カツンっ……! 踵鳴らし、踏み込んだ。掴みかからん勢いで手を伸ばす。
「おバカっ!!」
直近の爆発に比べれば、随分と可愛らしい怒号ではあった。
けれど、そこに込められた鬱憤は比べるべくもない。
「管理人! 言いましたよね? 私。待てってっ。待ってってっ。ステイですよ? 分かります? お座りだっつってんのっ!!」
肩を揺さぶられ、それでも管理人はマスクの裏の笑顔を絶やさない。
それが気に入らない。何度もだ。もう何度目だ。人の気も知らないで。人の話を聞きもしないで。
「この間だってそうですよっ。馬鹿みたいに榴弾塔を並べ立てて、馬鹿みたいな爆発起こして、馬鹿みたいに大穴開けてっ。もうっ、バカなんですかっ!! 記憶と一緒に常識まで忘れてきましたかっ!! 皆さんに謝り倒すのは私なんですよっ。どれだけ恥ずかしかったかっ……」
皆の苦笑が今でも目に浮かぶ。
活性点の処理のため。拠点防衛のため。どうして爆発物を多用するのか。
剣の腕だって悪くはないくせに。敵と見れば、しれっと爆弾を放っている。
ああ……いっそ私も、チェンのようであれば楽だったのか。もう慣れたようにそこから連携を始めている。毎度こめかみや眉間を押さえる私は、どうしても一歩出遅れてしまって。
「まぁまぁ。落ち着きなよ、ペリカ? 言ってくれれば私だってさ?」
「……なんですか、これ?」
差し出された その爆弾(モノ)ではなく、意図を問う。
おもむろに爆弾を投げるなと、何度も釘を差した。必要なら任せるからと頼みもした。そのすれ違いが今だというのに。どうしてこの女は、私に爆弾を差し出せるのだろうか?
「キミも投げたかったんだろう? ゴメンね、気づかなくって。さぁ、まだあるからさ。一発ドカンと……ね?」
カッチーンっ……!
いけないことだと分かっている。物に当たるなど、幼さの見本みたいだ。
けれど、腹立たしい。どうして私が悪いみたいになっているの。一度だって、投げさせて? なんて言ったことはないのに。
思わず手が出てしまった。
パチンッと手を弾くその音は、ハイタッチの後のように小気味が良い。
管理人の手から溢れた爆弾が地面にぶつかるその直前、慌てたチェンが滑り込んできた。
「あっぶなっ! ちょっ、ペリカこれ爆弾爆弾っ。怒るのは分かるけど、ちょっと落ち着いて」
「構うものですか。落としたくらいで爆発なんかしませんよ」
後でチェンにも謝らないと。セーフティは効いてるだろうが、爆弾を転がして焦る気持ちも分かる。しかし……それはそれとしてチェンにも言いたいことはあった。
「それにチェン。あなたもですよ?」
「うわっ、こっちきたっ」
自覚はあるらしい。
私の視線を受けた彼女は、気まずそうに顔を背けた。
「止めて? と、頼んだでしょう? 何をホイホイ管理人の言うことを聞いているのですか」
「いやぁ……これは、だってね? 周辺の安全確認は大事なことでぇ……それにぃ、そのぉ、あのぉ……そうっ!」
閃いたっ!
ぱっと顔を上げたチェンは、早口で思いつきを並べ立てる。
「言って聞くような管理人じゃないんだからっ。被害を最小限に抑えるためだったんだよっ。いたしかたなかった。うん、間違いないっ」
理屈ではそうかも知れない。チェンの言うことにも一理ある。
無法よりも悪法か。変に押さえつけるよりも、適度に発散させた方が良い。その柔軟性は見習うべきものだ。しかし、その屁理屈には何処か聞き覚えがあった。
「チェン……あなた、管理人に似てきましたね?」
「ぇぇ……やだぁ」
すっごく……嫌そうな顔をした。
この二人の関係もよくわからない。
飼い主とそのペット。火に油かと思えばそうでもない。時には気の置けない友人のようであり、一緒くたにされるのは酷く嫌がる。謎の美少女仮面剣士……。管理人からお揃いのマスクを手渡された時は、断固として固辞していた。
そもそも、マスクを付けていたら美少女かどうかも分からないでしょうに……。
怒りが呆れに変わっていく。
チェンのお陰と言えばそうかもしれない。管理人と二人だったら、もう少しキツく当たっていたかも。
「道具箱(ストレージ)……開けてください、管理人」
「え、やだぁ……」
「聞く耳持ちませんっ」
体を抱いて一歩下がる。だが、そんなことに構いはしない。たとえ私が暴漢に見えていようとだ。強引に回線を繋ぎ、管理人のデバイスに手を突っ込んだ。
「……」
爆弾、爆弾、爆弾……。そうじゃなければ榴弾塔だ。粉薬ですら粉塵爆発に使うんじゃないかと疑えるほど、底底に爆発物が詰まっている。
全回収からのアクセス拒否。自分の職権を、こんな風に乱用するなんて思わなかった。管理人の権限ならいくらも迂回出来ようものだが、その間に対策を打たなければ。
「酷い、酷いよペリカ……。せっかくいっぱい作ったのに」
「はぁ……。一体、何があなたをそうさせるのですか?」
戦えるからといって、戦いが好きとは限らない。
剣が使えるからって、敵を切りたい訳じゃない。戦わずに済むなら、私だってそうしたい。爆弾一つで敵が逃げていくのなら、それは御の字だろうが。
「何って……そりゃ、うん。思うんだ。私の悩みも、こんな簡単に吹き飛んでくれたらなって。爆発を見てるとね? 少しだけ気が楽になるんだよ……」
「それはっ……! その……」
あまりにズルい。
普段の飄々とした態度とは正反対のしおらしさ。影が揺らいで見える。今にも消えてしまいそう。管理人に無理をさせている。分かっていた。でも、頼るより他はなくて……。大丈夫だという彼女に、また甘えてしまった。
「何を……悩んでいるのですか? 私に出来ることなら何だって」
こんな事しか出来ない自分が情けない。
記憶がないこと。それを踏み台に向けられる期待の重さ。その不安は想像に難くない。それでも、爆弾以外でどうにか管理人の不安を和らげられないか。手探りでも指を伸ばしたかった。
「なんでも……ね?」
「なっ……ぁ」
触れられた頬が熱くなる。抱き寄せられて、体が固まってしまう。
少しの背伸び。マスク越しに重なる視線。近づいてくる彼女の唇に吸い込まれそうだ。目を閉じて身を委ねてしまいそう。チェンが見ていることなんて、完全に忘れていた。
「もっとキミを困らせたい……とかかな?」
まるで、褥で乙女を口説くような声だった。
その瞬間……。
ハイタッチのように小気味の良い音が響き渡った。
「そりゃ、怒るて……」
「あははははっ♪」
呆れるチェンと、笑う管理人。ドスドスと分かりやすい足音を立てながら、立ち去っていくペリカの背中。
「あんなに肩を怒らせて……ふふっ。可愛いなぁペリカは……はぁ」
「無敵か、アンタは」
ウットリとしてらっしゃる。頬に手形を貼り付けながら、それでも笑顔を絶やさない。お互いの好意は目に見えているのに、どうしてもっと仲良く出来ないのだろうか? 10年ぶりなんだ。ケンカなんかよりやることはあると思う。
「そうでもないさ……」
振り返った管理人はもう笑っていなかった。
ううん、口元はまだ笑みを形作っているのに、マスクの向こうはきっとそうじゃない。
「今にもキミに嫌われるんじゃないかと思うとね。指が震えてしまいそうだよ」
差し出された手を取り立ち上がる。
おちゃらけた言葉とは裏腹に、管理人の指先は冷たいまま。その不安をちゃんと伝えたことはあるんだろうか?
「あたしには言うんだ?」
「チェンなら笑ってくれるだろう?」
「人を無神経みたいに言うなっ!」
「逞しいとは思っているよ?」
「せめて頼もしいって言ってっ」
「あはははっ♪」
また、笑って誤魔化すんだ。めんどくさい人。そうは思うけど、放っては置けない。人に甘えるのが上手いと言うか……なんなんだろうな。
少しだけペリカが羨ましい。
あたしには悩みの一端を話してくれたけど、ペリカには言わないんだ。
遠慮のない関係。頼りにされるのは素直に嬉しい。贅沢だって言うのかな? でも、あたしにはそれがすっごく羨ましい。
*******
:ペリカの個室
申請と、要請と、どれもこれも似たような内容だ。誰もが管理人頼みで嫌になる。こんなの、以前は自分たちでやれていただろうに。彼女の活躍が増えれば増えるほど、広がる噂は泳ぎだす。ロッシが口にしてた荒唐無稽な伝説のほうが、まだ可愛げがあったくらいだ。
後ろは見ない。視線も上げない。
部屋に入ってきた管理人は、壁に背をあずけて佇んだまま。邪魔をしないならそれでいい。しばらく放っておいてはみたものの、流石に何もなさすぎて気味が悪くなった。ロクでもない悪戯に、期待を寄せる訳ではないけれど。
無言に耐えきれなくなったペリカは、根負けする形で声を掛ける。
「チェンに、何か言われましたか?」
「ん? そりゃ『仲直りしてこい』くらいは言うさ?」
チェンの言いそうなことだ。悪戯な笑みを浮かべて、管理人の背中を押す彼女の姿が目に浮かぶ。私には出来ないこと。だから、話したんですか?
「でしょうね」
そう言うのが精一杯。はぐらかされたのが腹立たしい。物分かりが良いふりを自分にも辟易してしまう。一つ、二つ、数を数えて胸のもやもやを押し込んだ。
そっと、管理人の手が伸びてくる。肩に手を回されて、座ったまま後ろから抱きしめられた。
「困ったものだよね。ケンカしてるつもりはないんだけど」
「じゃあ、何のつもりですか?」
「言っただろう? キミを困らせたいんだって……」
「怒りますよ?」
「あはははっ♪」
三つ、四つ。まだ、気分は落ち着かない。
それどころかますます荒れる一方だ。挑発的な言動にイラ立ちが募る。笑い声ですら鬱陶しい。思わず手を払い除けてしまいそうになった。
どんな、顔をするのでしょうね。
それでもまだ、笑っていられますか?
少しだけ、管理人の気持ちがわかってしまった。倉庫に積み上がった大量の工業爆弾。コイツを一気に起爆させたら、どれだけ清々しいんだろう。
何もかもを木っ端微塵にして、お腹の底まで響く振動に酔いしれたい。
大きく息を吸って、吐き出した。
六つを数える頃になっても、血の気は引かないまま。私を困らせると言うなら、もう十分だ。頬を撫でられ、アゴの下をくすぐられる。ふっと、耳に息を吹きかけられ、思わず喉を鳴らしてしまう。
放っておけばいい。
その内、飽きたら止めるだろう。
いつもなら割り切れた事も、今日は何だか上手く出来なかった。
虫の居所が悪い日くらいある。フェリーンのように長い尻尾があれば、管理人を引っ叩いている頃だろう。
「……やめて」
「やーだ♪」
自分でも驚くくらい冷たい声だった。今は、あなたを受け入れている余裕がない。
二度も警告したのに、聞いてはもらえないんだ。なら、もういい。すぅっと、何かの境界線が薄れていくのが分かる。
人の気も知らないで……。
当然だ……。
口にしたことなんて一度も無いのだから。
「え、あれ……ぺり、か?」
あぁ、びっくりしてる。まだ、そんな顔が出来るんだ。私への信頼を疑ってもいない。沸騰した感情が脳を焼く。気づけば、管理人をベッドに押し倒していた。
「あなたが……悪いんだから」
「な、なにさ……今日は随分、情熱的じゃないか……」
声が震えていた。私も、彼女も、突然の状況に上手く対応しきれない。
何を他人事のように言っているんだ。「今すぐ離れて」心の何処かで声がする。
けれど、私は私を止められない。頬に触れ、顔を寄せて、彼女のマスクを取り上げた。
「ぁっ……」
悲鳴にも似た小さな声。一瞬の光に目を細めた管理人の瞳は、揺らいでいた。
マスクの裏に隠された弱々しい素顔。逃げるように視線がそれる。
「……ごめん」
囁くような謝罪に心が震えた。罪悪感と支配欲に全身が総毛立つ。
謝らないで。許してしまいそうになるから。あなたのくれるものなら何でも。
ワガママだっていい。涙の一粒。向けられる感情の全部が愛おしい。
気づけば、その唇を奪っていた。
驚きと困惑。唇が引き結ばれて、肩を掴まれる。
柔らかくて、瑞々しい。甘い甘い果実。小鳥がそうするように、何度も何度も啄んだ。
「ペリカ……やめ、なにを……んっ!?」
何でしょうね? 自分でも分からなくなっていた。
愛している。なのに、傷つけたくて堪らない。失うのが怖くなった。奪われるのが許せなくなった。こんな事、してる暇なんて無いのに。
「口……開けてください」
「……っ」
引き結ばれた唇を指でなぞる。頑なな拒絶に悲しくなった。
あの後、チェンに何を言ったのですか? 私には言ってくれないのですね。
ペリカは真面目すぎるから? でしょうとも。気に留めてられない。あなたの不安を真に受けて、きっと考えすぎてしまう。
服の隙間に手を差し込んだ。
籠もった熱が纏わりつく。なだらかなお腹の上を、くすぐりながら奥へと進む。
ムズがる声。捩れる背中。伝わる鼓動が跳ねると同時に、指先が膨らみの袂へ辿り着く。「やめて」とも言われない。管理人は顔を背けたまま、そのままで。
今までの仕返しなら、これくらいでいいはずだ。これ以上は……そう、思うのに。
軽く指で押しただけ。
ちょっとした悪戯。ただ、離れるのでは名残惜しい。
一つ、二つ、それだけのつもりが、止まらない。触れるたびに、管理人は小さく体を揺らして身悶える。引きつった自分の笑い声を初めて聞いた。持ち上がった口の端は笑顔になりきれない。冷えた指先が、温もりを求めてやまなかった。
包みこんで、力を込める。
形を変えて、押し返される。
張り、艶、包み込むような柔らかさ。汗ばんだ肌が吸い付いてくる。
ゾクッと、怖気が走るようだ。目の前がクラリと揺れて仕方がない。荒い吐息が鼻に掛かる。呼吸にまで意識が回らなかった。ゆっくりと、管理人の胸を揉みしだきながら、頂きに向かって指先が伸びていく。
「……ぁぁっ。んっ……っ」
甘く響く上ずった声。指の腹を押し返す感触が確かになるほど、唇は隙間を広げていく。逃げるように背筋がそれた。頬に触れ、唇を撫でる。
抵抗はさせてあげない。すっかり固くなった乳首を転がしながら、指先を膨らみへと沈めていく。唇を閉じようとするたび、爪の先で引っ掻いた。瞳から零れ落ちた涙に、心苦しさを思い出す。
でも、管理人がいけないんですからね?
いつも、いつも、いつも、私を困らせてばかりで……。
唇に挟まれた指先が、温もりに包まれる。ううん、いっそ熱いくらい。
奥へと逃げた舌を追いかけて、さらに指を伸ばした。唾液に塗れた指が蕩けてしまいそう。押し返そうとする舌と擦れ合い、電気のような痺れに鼓動を乱される。
もっと奥に……。
受け止める側のことなんて忘れていた。「けほっ」と、エヅイた管理人の声に、ようやく正気を戻す。慌てて指を引っ込めた。だけど、けれどもだ。紅潮した頬。口の端から零れる涎。乱れた吐息が吹き掛かる。涙に揺れる瞳に見つめられて、理性が焼き切れた。
「んくっ……!?」
唇を奪う。今度は貪るように。そこに小鳥の可愛さなんて残ってなかった。
例えるなら猛禽か……。いえ、管理人から見れば今の私は、ただの強姦魔にも映ったでしょうね。
ぎゅっと、肩に掛かる手に力が入った。唇が結び直される。
けれど、その全部が弱々しい。まるで、何かに怯えるようでもあった。あぁ、そういう……。その時、何かがすっと胸に落ちた。
「んっ……んんぅぅ……っ!?」
体重をかけて組み伏せる。アゴを指で挟んで、無理矢理に口を開かせた。
管理人の舌を絡め取って、強引に吸い上げた。ジュッと、引きずるような。グチュっと、掻き回すような。淫靡な水音を繰り返しながら、味合うように彼女を愛でる。ゴクリ……大きく喉を鳴らすと、全身が満たされるみたいだった。
吐き出した自分の吐息から管理人の匂いがする。
唇に残った唾液を舐め取った。まだ足りない。もっとほしい。媚薬に浮かされたみたいに意識が曇る。
「ペリカ……もう、やめっ……ひゃっ」
「いいえ。あなたも、飲んでください……」
喉の奥へと届くように、舌を伸ばす。
流れるままに、唾液を彼女の口の中へと注いでいく。頬の裏にたまり、舌の根本を満たして。息苦しいんだろう、咳き込むように鼻息が乱れる。
ちょんっ……軽くひとつまみ。
鼻先を摘んでみせると、管理人は目を丸くして身悶えた。
唇を引き剥がそうと顔を振って、でも私はそれを許さなくって。じわり、大粒の涙が膨らみ落ちる。それと同時に、小さく喉がなる音がした。
コク、コク……。
粘つく唾液に咳き込みながら、何度も、何度も、小刻みに。「けほっ」後に残ったのは、私達が混ざりあった飛沫だけ。
「はぁっ、はぁっ……。のんだ、よ? だから、これで……もう」
終わるわけがないでしょう。
手近なものがなかった。ダメになってしまうかもしれないが、そんな事にまで気が回らない。上着を脱いだ私は、管理人の両手を縛り上げてベッドに固定する。
「ペリカ……もう、ほんとに。お願いだから……」
お願いだから、なんだというの?
足を引き寄せ、腰を引いたのを見逃さなかった。小さく、息を呑むのが分る。
意識させるように、ゆっくりと、太ももの内側から奥に向かって指を這わせた。
滑らかなタイツの向こう。緊張で固まる体。むわっと、芯に近づくほどに熱気は広がり、汗とは違う湿り気を感じ始める。
「これは、なに?」
「しらない……」
人差し指と、親指との間に透明な糸が出来ていた。
ネバネバとして、ヌルヌルとしていて、指に絡みつく。それを目の前に広げられた管理人は、ふいっと顔を背けてしまった。
「乱暴にされて、気持ちよかったんですか?」
「……っ」
「私は嬉しいですよ? 全部、忘れられた訳じゃなくって。以前もこうやって、あなたは悦んでくれて……」
「うそっ……。私、そんな……ペリカ、と?」
「さぁ? どう思います?」
歯噛みした管理人は、それ以上強くは出られない。
残酷な事をしている。自覚はあった。記憶をなくして不安になっている所に、こんな追い打ちみたいなこと。ズルい女だ。私に嫌われるのが怖い。彼女の不安に気づいて尚、それを利用している。
「体に聞いてみましょうか?」
耳の先まで真っ赤になった。わざとらしく息を吹きかけると、肩をすくめた管理人から子猫のような声が漏れる。可愛い。嗜虐心と、庇護欲と、溢れる感情が胸に収まりきらない。服を脱ぎ捨て、肌を晒す。管理人の服を捲り上げた私は、目の前で揺れる素肌に手を伸ばした。
「あっ、やだ、ペリカ……そんな、乱暴にっ……はっ、ぁぁ……」
口では嫌がりながらも、触れるたびに緊張は解けていく。
諦めたのか。受け入れたのかまでは分からない。ただ、足を絡めようと、差し込んだ太ももを管理人は拒まなかった。
もっと直に触れ合いたい。
薄いタイツの隔たりですら口惜しい。
脱がすか。もっと乱暴に破いてしまうか。でも、そんな余裕は残ってない。今更仕切り直すのもイヤ。今すぐにおっぱじめないと、気が触れる。
「ペリカ?」
不安げな声にはっとなる。何か、粗相をしただろうか? 記憶の食い違いを探るような視線。急に動きを止めた私を前に、管理人も戸惑っている。押し倒した側が気を使われているのでは、あんまりに格好が悪かった。
おでこにキスをした。
鼻先にキスをした。
瞼に、頬に、唇に、キスをするたび好きを囁く。
タイツに黒い染みが広がるほど、お互いの境界が曖昧になっていった。
腰を揺らし、太ももを押し付け、管理人の体がベッドに沈む。背中に手を回し、抱きしめた。素肌を擦り合わせて、耳の先を甘く喰む。
こんなに……小さいんだ。
管理人が何処か大きく見えていたのは、私からの勝手な期待のせいだ。
何も変わらない。私と同じ。彼女だって、こうしてしまえばただの女の子でしかないのに。
恐る恐るだ。
私からの愛撫を受け止めながら、管理人が少しずつ肌を寄せてくる。
「もっと……。良いんだよ、ペリカ? キミの、好きにして……」
「……っ!?」
そんな震えた声でよく言えたものだ。違う。いつも、そうだったはずだ。
私の期待に応えようとして、彼女はいつも……。腸が煮えくり返る。イラ立ちを何処にぶつけて良いか分からない。
「バカッ!!」
もう、叫んでいた。
「バカッ、バカっ、ばかっ……っ。辛いなら、そう言って。怖いなら、言ってよ。私のために無理しないでっ、お願いだから……全部、ちゃんと、話してください……。いわれなきゃ、わかりませんよ。私……チェンみたいに、できないっ」
「良いんだよ、キミはそのままで。私がペリカの為に頑張りたいって思ったんだ。だから、うん、良いんだ」
おいで、ペリカ。
あ、ダメだ。
いま、そんな事言われたらダメになる。
押し倒したのは私の方なのに、気づけば甘えてるのは私の方。キスの跡が焼き付いても、噛み跡が残ってしまっても、受け入れてもらえる。爪が経つほど抱きしめた。馬鹿みたいに腰を振りながら、醜い感情を押し付ける。もっと、深くに、一つになりたい。固くなった頂きが、お互いの膨らみの中へと沈んでいく。
擦れて、乱れて、快感が全身を駆け巡った。
下腹に力が入って、意識が飛び飛びに白んでいく。
「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、ごめん……なさぃっ。許してっ、管理人……今だけ。いまだけで、明日には元にもどりますから……だからっ。ぅぅぅ……っ!!」
涙で視界が埋まる。ドクンっと、一際強く鼓動が跳ねると、呼吸さえも止まった気がした。一つ、二つと、数えて、ようやく自分が彼女に抱きついていることを思い出す。
「大丈夫。大丈夫だよ、ペリカ……」
子供をあやすような優しい声。
それだけが、少し不満だった。
ゆっくりと、管理人の刻む音に合わせて、乱れた鼓動も落ち着いていく。
なにを、やってたんだろう。焼け野原で一人佇んでいるようだ。いつもこう。管理人に無理はさせたくないと思う一方で、結局最後はこうなってしまう。
「う、うぅぅっ……」
管理人の腕の中で、安心しきった私は溢れる涙を止められない。
「なんでペリカが泣くのさ? 泣きたいのはこっちだよ。急に押し倒されてこんな……」
「だって、だって、でも、でも……っ!」
話にならない。嬉しいのと、悔しいのと、一杯の感情で頭のなかがグチャグチャだ。
「えっと、だから……違うんです。何があっても、私はっ。管理人の味方ですから。そこだけは、安心して……下さい」
途切れ途切れの言葉でも、ようやくそれだけは伝えることができた。
********
ペリカが遅刻なんて珍しい。今にも超域の裂け目が広がるんじゃないか。
そんな珍事を前に、様子を見に来たチェンが個室の扉を開けて中を覗き込む。
「おはよう、チェン」
「おはよう、管理人」
何をやってるんだろう? 仲直りしてこいとは言ったけど。
ベッドの上でスヤスヤと。管理人に寄り添いながら眠るペリカは、いつになく穏やかな顔をしていた。
「よかったら、解いてくれないか? 昨日からずっとこの体勢でね。そろそろキツイ」
「まぁ、とやかくは言わないけど」
近づいてみた管理人の肌には、大量の噛み跡とキスマーク。おまけに、ベッドに両腕を固定されていて。随分、情熱的な夜だったのは疑うべくもない。
「ペリカ、そろそろ時間だよ。起きて?」
「ん……ぇ、なに? えっと……?」
管理人に肩を揺すられ、寝ぼけ眼を擦ったペリカはゆっくりと起き上がる。
「ああ、おはようございます、管理人。すみません……今、時間は……いえすぐ」
「いいけど。とりあえず、服着たら?」
「ぇ、ちぇん? ふく……って? なに……ぁ」
肩から毛布がずり落ちた。惜しげもなく晒される白い素肌。遠慮したチェンが視線を逸らすのと同時に、ペリカの顔が真っ赤に染まる。
廊下にまで響き渡る可愛らしい悲鳴。
その持ち主が誰だったのか。噂話が落ち着くまでの間、ペリカは余計な気苦労を抱えることになった。
「違うんです、チェン……。あの、説明をさせて下さい」
「良いって別に。何も違ってないだろうしさ?」
「みてみてチェン。キスマーク♪」
「おー、良かったねぇ管理人」
「管理人はちょっと黙ってて下さい」
理性溶かしたペリカに襲われたかった。