早朝・青波砦
霧被る山間に、柔らかな朝日が差し込んだ。
目を覚ました小鳥たちは、口々に朝を歌い、柔らかい囀りが響き渡る。
平和だ。実に。
けれど、静寂はいつだって破られるもの。
肌が震える。ビリビリと。鉄鍋とお玉を打ち鳴らす程度ならまだ可愛い。
銅鑼だ。銅鑼がドラドラ鳴っている。重たい余韻は尾を引いて、テンポを上げながら砦中に響き渡った。
「お嬢ぉぉぉっ!」
すわ敵襲か。寝息をかいていたタンタンは、ばっと跳ね起き、部屋の窓から身を乗り出した。
頭が痛い。
砦の周りをなんか黒いのが走り回っている。
しかも、銅鑼を打ち鳴らしながらだ。やかましいことこの上ない。いっそ水飛沫の方がマシとまで思う。飛び起きた砦の連中も、アレを追いかけ回してはいるものの、彪獣のような身のこなしに追いつけないでいるようだ。
溜息を一つ。大きく息を吸い込んだ。
パンっと両手で頬を打ち据えて、寝ぼけた頭を振り払う。
「うっせーぞっ、黒夜叉っ!!」
窓から飛び出し、屋根を伝い、走る。
眼下に黒い影を捉えたタンタンは、思い切りに足を突き出した。
どぉぉぉぉんっ!
腹に響く銅鑼の音。鉄の板に体が乗った瞬間、もう一度足を踏み鳴らした。
ドンガラガッシャン。銅鑼が転がり、跳ねていく。その裏側から聞こえてくる笑い声は、実に楽しそうだ。
「あははははっ。おはよう、大親分♪」
ゆらり。何事もなく立ち上がった黒夜叉は、唇で半弧を描き親指を立てた。
会えて嬉しい。気持ちは同じ筈なのに、どうにも噛み合わない。どんなにデカい水車にだって限度はあった。洪水のように溢れてくる好意に、そのまま押し流されてしまいそうだ。
「おはようじゃねーよ。なんなんだ朝っぱらから」
悪気は無い。分かってる。故に邪険にも出来ない。
集まってきた連中を散らして、とりあえず銅鑼は取り上げさせた。
「何って? 大親分が言ったんじゃないか。ドラ鳴らして走り回れって。伝わったかい? 私の誠意。ああ、そうだプレゼントもあるんだよ」
「プレゼントだぁ……」
流れ星。だったらどれほど良かったか。空から一直線に、砦の外れに落ちてくる。
身構えたのも一瞬。銅鑼に比べれば静かなもんだ。森の空気が僅かに揺らぎ、驚いた番獣達が遅れて飛び出してきた。
「お嬢ぉぉっ。エンドフィールドから大量の玉葉人参が!」
「持って返らせろっ!!」
滅多なことを言うものじゃないな。
1といえば10で返してくるし。何も言わなくたって助けてくれた。
受けた恩を思えば、一生かかっても返し切れるかどうか。それが歯がゆい。押し付けたタンタン券も、遊びの誘いや、おやつのおねだりばかり。それじゃあ、使われる方も困ってしまう。
ほんとに、どうしてコイツはこんなに……。それは、黒夜叉に限ったことでもなくて、砦の皆もよく着いてきてくれている。
だったら、余計そうだ。
お頭としての面子もあった。自分で言ったことを無しにはできない。
「おい黒夜叉っ。俺様は蹴っ飛ばすとも言ったよなぁ?」
「さあっ、こいっ!」
手のひらに拳を打ち付けて、怒ったふりをして見せる。わびの一つでも入れりゃぁ許したものを。
「こいじゃねーんだよ。なんでちょっと嬉しそうなんだ、気色悪ぃな」
「当然じゃないか。犬になれというなら、私はいつでも「ワン」と鳴ける所存だよっ。さぁ、なんでも命令してっ」
ずぃっと、下手に出た黒夜叉が踏み込んでくる。
抱きつかれて、腹に頬ずりをされた。引き剥がそうにも、へばり付いた水飛沫よりしぶとく剥がれない。
「怖い怖い怖い怖いっ。すり寄るなっ。タンタン券を押し付けるなっ。どうすりゃいいんだよ俺様はっ! お前らも見てねーで、コイツを剥がすの手伝えって」
「じゃあ、俺等は仕事にもどりますんで……」「お嬢たちはごゆっくりぃ♪」
あるいは気まずそうに。あるいは面白がりながら。
思い思いに散っていった部下たちは、遠巻きに眺めるばかりで当てになりゃしなかった。
「お前らっ、後で覚えてろ……。あ、こらっ。お前も何処に手ぇ突っ込んでんだ黒夜叉……いい加減にっ!!」
******
帝江号:製造室
「なんですか、それ?」
聞いてはいけないと思った。聞きたくもなかったけれど、無視をするにはあんまりだ。管理人の跡を追って製造室を覗き込んだペリカは、こめかみを押さえて十秒。ようやく疑問を口にできた。
「なにって? タンタン券だよ?」
「それは、そうです」
止めてほしい。不思議そうな顔をしないで。頭痛がひどくなりそうだ。
振り返った管理人に驚く様子はなく、実にあっけらかんとしたものだった。
どうして?
聞きたいのはそれ一つ。
「どうして『密造』してるのか、ということで……」
「だって意地悪言うんだもん、タンタンが。500枚集めないと使っちゃダメだとかさ」
「それは……あなたが雑に使っているからでしょう? 知りませんよ、バレて怒られても。庇いませんからね、私は」
「怒って……くれるかな?」
「はい?」
言ってる意味が分からなかった。
偽造タンタン券の山を崩した管理人は、寂しそうに肩を落とす。
「材質も、額面も、傷跡だって同じに作ったんだ。私にだって見分けが付かないんだよ? 偽物(コレ)。足りないのは思い出だけ。そんなの、誰が分かるもんか」
自嘲気味な吐露。
素直になったのは良いことだ。隠される方が腹が立つ。
「ねぇ、ペリカ。君にとって、今の私は……」
言わせてはいけない。いや、聞きたくなかった。
その答えを、私は持っていないから。思い出してもほしい。当然だ。けれど、今の彼女を否定したいかと言われればそうじゃない。思い出せないのなら、それでいい。日に日にそんな感情も強くなる。
パシンっ!
咄嗟に、口を塞ぐつもりで伸びた手は、思い切りに管理人の頬を打っていた。
「それ以上言うと引っ叩きますよ?」
「いったっ……ぇ? ぇぇ……。引っ叩いてから言うのはズルじゃん」
ごもっともだ。
頬を抑えた管理人。マスクの縁がキラリと光る。
ちょっと強く叩きすぎたかも? 反省はしても、後悔までは。下らないことを言う彼女が悪い。
「ズルいのは貴女もでしょう? そう言えば、私が何も言えないのを分かって」
「それは、そうなんだけど……」
犬の首輪を引くように、襟首を引き寄せる。
罪悪感からか、顔を背けた管理人は、私と目を合わせようとはしなかった。
「思い出の一つや二つで何をガタガタと。そんなの、いくらでも作ればいいじゃない。それとも管理人。貴女は、今日までのことも嘘にされるんですか?」
「そんな事言わないよっ。思ってなんかないっ」
飛び跳ねるように顔を上げた管理人。予想以上の反応に、少しだけ驚いた。
これで迷うようなら、もう一発引っ叩こうかと思っていたのだけれど……その代わり。
カツ……
踵を鳴らし、踏み込む。背後で製造室の扉が閉まり、後ろ髪が風に揺れた。
逃げ場を求めた管理人が一歩下がると、コンソールに浮かぶエラーの表示。
赤く明滅するその文字は、彼女の頬の色にそっくりだ。
「あの……ペリカ、観察官?」
「なんですか、管理人?」
様子を伺うような問いかけに、キッパリとした口調で返す。
伸ばしたつま先を、管理人の足の間に差し込んだ。たじろいだ彼女は、更に一歩下がって行き止まり。コンソールにお尻が乗ると、エラーの表示が切り替わった。歯噛みした印刷機が音を立てて停止する。
「観察官自ら風紀を乱すのは、管理人としては……そのぉ、ね?」
それは、そうかも知れない。言ってることは正しい。至極当然だ。
今の彼女に思う所はある。けれど、急ぐ話は何もなかった。言いたいことはこの一つだけ。
「今の貴女に一番言われたくない言葉ですね、それ……」
降参のポーズ。
私を押し返そうと、肩に触れた手が上がる。
手首を掴む。もう逃さない。線の薄い彼女の首筋に、そっと歯を立てた。
******
青波砦:タンタンの部屋
静かな夜だった。
川のせせらぎと、虫の鳴き声が重なって、今朝の喧騒を洗い流していくようだ。
「なぁ……黒夜叉?」
ベッドの上。膝枕をしていた彼女の頭を撫でる。
タンタン券まで使って何を頼むかと思えばこの程度。まったく使われないのも寂しいが、こうホイホイ使われるのももどかしい。こんなの、頼まれればいくらでも……は、しないか。渋々だ。絶妙な塩梅でイヤになる。
「お前はさ、親に会えたら……会いたいか?」
太ももに頬ずりをしていた黒夜叉は動きを止めると、少しだけ頭を持ち上げた。
視線はマスクの向こう側。でも、随分と気にさせてしまったの分かる。急に家族の話なんてして、そりゃ心配かけてもしょうがない。お節介なやつ。まだ何も言ってないのに、きっとまたゴチャゴチャと考えているんだろう。
「ちげーよ。兄貴のこととか、親父の話をしたいんじゃないんだ。お前んとこの奴らがさ、色々調べてくれるんだよ……それが、なんか悪いなって」
エンドフィールドに入って一つ分かったのは、お節介なのは何も黒夜叉に限った事じゃないこと。青小龍だって、白能面もそうだ。初対面の奴らですら、気を使ってくれる。注射をぶっ刺してくるあの野郎だって、俺様の体調を心配してくれているんだろう。
「お節介だったかな?」
「いや。ありがたいとは思うぜ。だけどよ……」
「急につれてこられても困る? 聞きたいことはあっても、聞くのが怖いとか?」
「心読めんのかよ、お前は……」
「大親分の顔に書いてるだけさ」
堪らず顔を拭ってみても、文字の跡は見つからなかった。
拾われた時と同じだ。今から捨てようってゴミに、可愛くリボンなんて結びはしない。手紙があった訳じゃないけれど、ただ邪魔になっただけじゃないはずだ……と、信じたい。
「私は……どうかな? 自分の経歴を眺めてみても、実感なんて湧かないし。両親ですって、いきなり顔を出されてもさ。家族って意味なら、大親分の方がよっぽど家族だよ、私にとってはね」
勘違いをしていた。
記憶が無いって意味なら、俺様にだって分かってやれる所はあるんじゃないか。
でも、親父がいて、兄貴がいて、砦の皆は家族みたいで。赤ババアも、まぁ数にいれてやってもいい。不足はあっても足りてないわけじゃなかった。
想像して、ゾッとする。
今この瞬間、全部を忘れて砦に放り出された自分。
お頭だの、お嬢だの、周りから持ち上げられても戸惑うだけだ。積み重ねのない責任に、覚悟なんて決まるはずもない。
「お前もさぁ……もう少し俺様を頼れよなぁ。なんでも出来ちまうからって、なんでもするなよ」
「だからこうして、慰めてもらっているんだろう?」
「てめぇ……まぁ、いいか」
頬ずりにもどった黒夜叉の頭を引き剥がそうとして、やっぱ止めた。
いつでもはしてやれない。ちょくちょく顔を出してはいても、すぐどっかにいっちまう。今日だってそう。たまたま時間が空いたのか、無理矢理時間を作ったのか知らないけど。
好きにさせとくか……。
コイツの頭を撫でられる機会も、そんな多くねーし。
会話はなかった。
頬ずりをして、頭を撫でる。思い思いに過ごす時間に夜は更けていく。
うつら、うつら、瞼は重くなり、ふわっと大きなあくびが漏れた頃。
手のひらに、タンタン券を押し付けられた。
「今度は何だよ?」
添い寝でもさせようってか? 今更床に放り出すなんてしねーし。勝手寝てくれとは思う。
「キス……しよ?」
「は?」
目が覚めた。一瞬で。なのに頭が真っ白だ。
カタカタと壊れた機械みたいに視線を下げるのがやっと。頬が熱くてしかたなかった。
クシャリ……
タンタン券が更に一枚。訳もなく黒夜叉を見下ろしていると、手の中にもう一枚と押し込まれる。
「ばっっっっっ……おまっ、押し込むな、押し付けんな、キ……すって、あれ、おま、ちゅ、ちゅーだろ? えっちすぎんだろ、そんな、は?」
慌てる俺様とは反対に、太ももに頭を乗せたままの黒夜叉は、不思議そうに小首を傾げていた。
「もしかして……大親分ってさ、ちゅーすると子供が出来るって思ってる?」
「……」
ニヤリ……
黒夜叉の口元が持ち上がったのを見るや、くるり、目が回っていた。
目の前には天井と、それを遮る彼女の顔。初めて見る素顔は意外と可愛らしくって、何処にでもいる普通の女の子って感じだった。
「それ……外していいのかよ?」
「タンタンとちゅーする時間くらいはね」
「……名前。いや、そもそもちゅーとか、しねーって」
勘違いをしていた。きっとそうだ。
ちゅーしたって子供は出来ない。そうでなきゃ「ためしてみよっか?」なんてさ。
タンタン券が3枚、タンタン券が4枚。
握りしめた手の中で、クシャリ、紙が潰れる音が響く。
「ちょっとだけ、ね? ちゅって、するだけだから」
ゾワゾワした。耳元で囁く声、拭き掛かる吐息が温かい。
心にそっと入り込んでくるようだ。頭を揺らす声音を拒めない。
タンタン券が5枚。
押し付けられて、指が開いていたことに気づく。
慌てて閉じると、黒夜叉の指と仲良く絡まった。まるで、恋人達がするみたいにだ。握り返され、引き込まれる。振りほどこうにも、離してくれない。
「好きだよ……タンタン」
「ひゃぁぇ……!!」
耳の先を啄まれた。パタパタ動かすと、跳ねた耳が唇を弾く。
柔らかかった。温かった。バクバクと鳴り響く鼓動の音が、耳の先から聞こえてくる。
「好き、好き、大好き……たーんたん♪」
「おま、やめ……まじ、で。これいじょうは、ぶっとば……ぁぅっ」
「はむっ♥」
好きの声が耳から離れない。言われるたびに胸が爆発しそうになる。
ベッドが軋む。黒夜叉を押し返そうとして、でもどうしてか黒夜叉に力負けしてしまっていた。
「ちゅって……しただろ。もうさっ、はなれ……」
「やだ」
「やだって……」
「だって、キスはココにするものでしょ?」
「ぅっ……」
アゴを持ち上げられ、指で撫でられた。
頬に触れた手を払おうとしても、首を振って逃げるのがやっとだ。
なんでだ?
どうして……。
イヤかと言われればイヤではない。でもそれは、したいと同じじゃない。
このままじゃ流される。驚かせるかもしれないが、中途半端な抵抗じゃもう誤魔化せなかった。
「それ、やめ……すきって、いうなぁ……」
でも、ダメ。
繰り返される「好き」の言葉。耳をくすぐる声音と吐息。
体を起こそうとして、お腹から力が抜けていく。離れたくない。繋いだ手が吸い付いたみたいだ。
「なんでさ? いつも言ってるだろう? 大好きだよって。ね? タンタン」
「ぅ、ぁ……。みみ、たべんなぁ……」
顔が熱い。何も、考えられなくなる。
いま、俺様の顔には何が書いてあるんだろう? 見られたくなくて顔をそらせば、耳を差し出す形になった。
ちゅっ……
好きと言われて、水音が弾ける。交互に、交互に、繰り返しながら、だんだんと近づいてきた。黒夜叉の唇が頬に落ちる。一つ、また一つ。足跡を残すように俺様の唇のすぐ横へ。
思わず唇を引き結んでしまった。
次に、ちゅっと弾けたときには、きっともう俺様たちの唇は重なっていて。
キス……。黒夜叉と、でも……。腹は決まらない。コイツが何を考えてるのかも分からない。
握ったタンタン券の感触が、嫌に生々しかった。
これは、ズルだろ。本当に俺様のこと、好きでしてくれるんならさぁ……。
それに、なんか手慣れてるのも腹が立つ。唇には触れてもらえなかった。
からかうように通り過ぎ、首筋からその下へ逃げていく。
スルリ……スルリ……
流れるように、寝間着が脱がされた。
気づけばお互いに素っ裸。ますます止めるタイミングを見失う。
「おまっ、待てよっ、マジで。まてって……」
「?」
「不思議そうな顔すんじゃねーっ! 俺様が間違ってるみてーだろっ!!」
「だって、タンタンが可愛いから」
「大親分だっ。可愛いとか……そんな」
うっとりしてた。俺様が多少強がってみせた所で火に油だ。
「ひゃっ」唐突に、変な声まで出てしまった。胸の先を指で弾かれ、肩が跳ねる。
一瞬、目の前が真っ白になった。大きな溜息。それと一緒に、体の強張りが抜けていく。
手……ちっちぇんだ。
揺れた膨らみを、明らかに持て余してた。
こんな小さな手で、いつも剣を振り回してんのかよ。下手をすれば、棒っきれを振り回して遊んでる子どものほうがまだ。
小指、薬指、中指と。指が沈んで、伸びた人差し指が、また先端に。
分からなくなった。さっきまで何を考えていたっけ? 指で先っぽを転がされると、頭の中がゴチャゴチャになる。
確かなのは、握りしめたタンタン券の感触だけ。
見られたくなくて、両腕で顔を隠す。鼓動の音がやけに煩い。乱れた吐息が口元に纏わりつく。くすっと、聞こえてきたのはきっと黒夜叉の笑い声だ。
触れられた肌が熱い。
瞼を閉じたせいで、余計に気が向いてしまう。
胸を揉んでいた手がお腹へと。伸びた小指がおヘソの穴に入り込む。注射の針を刺されたみたいだ。爪で引っ掻かれ、鋭い刺激に腰が引けてしまう。
おかしいんだ。ダメなのに、もっとって。頭の隅っこでさ。
とんっと、下腹を指で叩かれた。汗が吹き出すような感覚が広がって、頬の熱が、だんだんと目尻に上がってくる。温かいのが、熱くなって、全身が熱に浮かされた。じっとしてられない。ベッドに背中を擦り付けるみたいに体が動く。
こんな情けない所、黒夜叉に見られたくない。
目指したのは、かっこよくて、頼りになる大親分。可愛いとか言われても、からかわれてるようにしか聞こえない。深呼吸して、鼓動を落ち着ける。手繰り寄せた気を取り直して、力を入れ直そうとした時だった。
ちゅっ……
唇が弾ける音。
「好き」の言葉が蘇る。
思わず伸びた手が、黒夜叉の頭を抑えつけた。
「そこっ、なんでっ。だめ……だってマジで、やめっ……きたな」
「タンタンに汚い所なんてないよ?」
「そこでしゃべんなぁっ……!!」
いつから、だったんだろう。
自分の体が自分のものじゃなくなっていく。
足の間に黒夜叉がいた。頭を突っ込んで何をしてるのかと思えば、また唇が弾けた。ちゅっ……。水音が響いて、頭の裏で火花が散った。背筋を伝って、駆け上がってくる刺激に目が回る。ますます熱くなった下腹から、グツグツと音がするみたいだ。
「でてるって、でてるからぁ……。漏れ……俺様、吸うなよ、そんなの」
足に力が入らなかった。閉じようとしても、腰から下が動かない。
黒夜叉の唇が股間に触れるたび、お腹の熱が漏れ出してくる。我慢しようにも、止められなかった。甘く痺れて、溶け出して……流される。なんだこれ、気持ちいいのか? 初めての刺激を、どう受け止めていいのか分からない。
「大丈夫だよ、タンタン。おもらしとかじゃないからさ」
「じゃあ、なんなんだよ……これ。くろや……しゃ、ひゃぁぁっ♥」
クスリと、微笑んだのが見えた気がした。
止めろというまもなく触れられて、頭の中がひっくり返る。
声を上げると、少しだけスッキリした。水辺で大声を出すのと同じだ。でも、モヤモヤは晴れない。お腹はどんどん重たく、熱くなって。胸が苦しい、涙が滲む。
「黒夜叉……くろやしゃぁ……俺様っ、もう……っ」
時間が止まったみたいだ。
目の前が霞んで、意識にボヤける。
タンタン。タンタン。
全力で走り抜けた後みたい。体を包む倦怠感は、だけど波に揺られるように心地が良かった。乱れた呼吸も少しずつ収まって、胸の苦しさも軽くなっていく。
「大丈夫かい?」
薄く引かれた黒夜叉の唇に、視線が吸い込まれる。伸びた舌先が、きらめく雫をペロリと舐めた。全身をくまなく、恥ずかしい所まで触れられたのに、そこはまだ。ここだけ、なんで? キスしよ?……そういったくせに。
「なん……で?」
「?」
ああ、ダメだ。
我慢できない。
何もされないのが辛すぎる。唇が冷たいんじゃない。他が熱くなりすぎて、頭おかしくなる。
「不思議そうな顔すんじゃねぇっ! 人の体好きにして、全部おかしくしやがって。なのに、なんでだよ。するんだろ? してくれよ……いやじゃないからさぁ」
何が何だか分からない。訳も分からず涙が溢れた。
情けない所を見せている。自覚はあっても止められなかった。
「ごめんね、タンタン。ちょっと、意地悪だったね」
胸の真ん中に指を置かれる。
とくんっと、鼓動が高鳴った。
「……ぁっ」
次に弾けた水音は、唇が重なる音だった。
*******
翌朝。
まだ空も白み始めた頃。ガサゴソと聞こえた音に、タンタンは目を覚ます。
寝ぼけ眼に浮かんだ顔は、誰だっただろう? ちょっと寒い。さっきまで隣にあった温もりが遠のくようだ。肌寒さに身を寄せると、面影は霞んで消えていた。
布団を被り直し、丸くなる。
代わりに思い出したのは、昨夜の出来事だ。素っ裸で寝ていれば、そりゃ寒い。
それでも温かったのは、きっと二人で寝ていたからで。
「おい黒夜叉」
「あ、ごめん。起こしちゃった?」
「声ぐらい掛けてけよ。起きた時いないと……なんか、アレだろ?」
言葉にできなかった。寂しい……のはそうだけど。形にならない不安が胸に広がって、寝起きの不機嫌に繋がっていた。
「ごめんね、タンタン……」
ベッドが軋む。黒夜叉の気配が近づいてくる。
「あっ、ちょっ、そういうんじゃ……まてって、あ、んっ」
頬に唇が落ちた。少し強引に顔を向けられると、今度は唇へ。
「じゃあ、行ってくるね?」
顔を見れなかった。頬が熱い。俺様の顔にはきっと「好き」って書いてある。
「タンタン券……」
「?」
「次に偽物掴ませたら……許さねーからな。欲しけりゃ言えよ、ちゃんとさ」
「きづいた……の?」
「あ? そりゃ分かるだろ」
不思議そうだった顔が驚きに変わる。悪戯にしては手が込んでいても、それだけだ。むしろ、どうしてバレないと思ったのか。500枚。本当に用意して脅かそうとでもしたんだろう。山積みにしたタンタン券を前に、得意げにしている姿が目に浮かぶ。
「は? え? あ、おい……まてまてまてっ。仕事じゃねーのかよ」
まるで、時間が巻き戻ったみたいだ。
途中まで着替えていた服を脱ぎ捨てた黒夜叉が、布団の中に潜り込んできた。
「うん。だけど、タンタンが悪い。タンタンが可愛いのが悪い。仕事と俺様、どっちが大事なのって言われたら、そりゃさ、そりゃね?」
「バっカじゃねーのかっ! そこまでは言ってねぇっ絶対!!」
「書いてあったの、顔に。書いてなくても書くだけさ。私頑張るから」
「頑張んなっ。さっさと行っちまえって、この、やめ……ほんと、マジ……ぁっ」
いっちゃった。
「寂しい」「行かないで」「大好き」1回や2回じゃ許してくれない。
黒夜叉が満足するまで、ずっと、ずっとだ。すっかりと日が昇って、ようやく解放してくれた。白能面から通信が来なかったら、どうなってたか。散々弄ばれた体は未だに言うことを聞いてくれず、黒夜叉が出ていった後も動けないまま。
「行ってくるね?」
名残惜しそうに、それでも笑顔で手を振って。
一人、残された部屋は静かだった。それこそ、余計なことまで考えてしまうほどに。「続きはまた今度……」黒夜叉の声がグルグルと頭の中を回っていた。
続きって何だ?
キスだけでもあんなになるのに……
想像だけが膨らんで、大きくなる。悶々とした感情に指が掛かりそうになったとき、部屋の外から話し声が聞こえてきた。
「お嬢、まだ起きてこないの?」
「あーいいから、今はいいから」
「え、なんで?」
「ほら、さっき黒夜叉が……なんかツヤツヤしてたじゃない?」
「あ、あぁぁ……あー。えらく機嫌良さそうだったよね。じゃあ、朝の声って……」
「まあ、そういうわけだから。しばらくしたら起きてくるでしょ」
出られねぇ……。
どんな顔して、俺様は……。
*******
おまけ
帝江号:製造室。
魔が差した。遊び心とも言うべきか。
放置されていたタンタン券密造施設を解体しようとして、ペリカの手が止まる。
額面を少し変えただけ。悪戯に作ったペリカ券を明かりに透かして自嘲した。
「何を、やってるんでしょうね」
これを管理人に渡して、どうしようというのか。その場でデートに誘われて終わりそうな気もする。そんなのいつだって……。けれど、最近はそうでもないのか。忙しさにかまけて、食事の時間ですらすれ違っていたように思う。
口実には、なるのかな。
抜き取った一枚を懐に忍ばせた。
「みぃっちゃった」
はっと振り返ると、そこにはチェンの影。
さっと、ペリカの横をすり抜けると、コンソールに指を滑らせていた。
「チェンっ。いつから……いえ、待って下さいこれは、違うんです」
「違わない違わない。いやぁ、ペリカさんも可愛い所ありますなぁ」
「だから……。って、それは……貴女」
チェンの手には額面の変わったタンタン券。言ってしまえばチェン券だ。
「あははっ。作ってみると、結構恥ずかしいねコレ」
「……ノーコメント」
「渡さないの?」
「別に……そういうつもりじゃ」
「そっか……」
意外とあっさり引き下がるものだ。
もう少しからかわれるものかと、身構えてはいたけれど。チェン券を手にした彼女は、何を言うでもなく出口に向かう。
「じゃ、ココから先は競争だね♪」
にかっと、悪戯な笑顔が残る。ヒラヒラと揺れる尻尾を見送った。
だから、別に、違うというのに。渡すつもりなんて、そんな……。
廊下を覗き込むと、小走りに駆けていくチェンの背中があった。それに、必要なのは、順番じゃなくてタイミング。早ければ良いというものでもない。まあ、でもそう。後々になって勝ち誇られるのも面白くはなかった。
「うひゃぁぁっ!?」
廊下に響くチェンの悲鳴。そのすぐ横に雷が落ちた。
タンタンより、ロッシのほうが一人遊びの経験多そうな不思議。
ご覧いただきありがとうございました。
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