とにかく人と関わりたくなかった。男子はもとより、女子とも。
生き物として別の何かだった。同性も、性を抜きにすれば一応理解の範疇にあった。
俺は愚鈍な男だ。人間ではない何かだ。
だから、ない知恵を絞って感情を、空気というものをエミュレートして、それを再現しなければならなかった。
世間一般では、発達障害に分類されるのかもしれない。繋がれているようで、繋がれていない。同じ話題で盛り上がっているようで、できていない。でも孤独を癒そうと思えば、そこにすがるしかない。たとえそこで、また違う孤独を味わうとしてもだ。
旧来の、旧弊の場所として最も槍玉に挙げられる場所は、学校だ。軍隊式の集団生活。社会的な協調性をたたき込む場として同い年の男と女を集めて生活させる。
俺は男の加害性を、同性として仕方のないものとなあなあにするように、女子も、女子の加害性を仕方のないものとしてなあなあにするのだろう。そうやって何とか適応しようとしている。
生活は常に緊張を強いられる。でも、この貧乏学生の間の恋愛こそが、最初で最後のチャンスでもあるのだろうと思う。社会人として出ていって、年収が500万円ほどの男たちが、ようやく求められる男としてスタートラインに立てる。非正規や、パート・アルバイトはもとより、障害者はその資格がないというのは残酷な真実、というよりも、統計的に導き出される結果であるというしかない。
性欲をぶつける相手として、2次元の女子は大変役に立つ。それだけではない。自分を癒やしてくれる異性もまた、2次元の女子の真っすぐさや善良さだ。
ただ、彼女たちで代替できないのが人恋しさや人肌のぬくもりで、そればかりはどうしようもない。たぶんそれさえ克服してしまえば、俺たちは真に異性を必要とせず解放されるのではないかと思う。もしもこれが成功すれば、男が女を、女が男を求める必要がなくなる。何とか互いを理解しようとしてきた無駄なあがきは、そもそも意味をなさなくなる。
女子は共にあるという空気で恋人との関係に満足するという。それに比べれば男子はより即物的だ、と。本当かどうかなんて知らない。ただ、人肌の恋しさに実際のぬくもりを求めるのは事実かもしれない。
そしてそんな俺に悪夢のような授業がやってきた。
たとえ異性の体での経験であっても、体を重ねるという体験に男子たちは積極的で、女子もまあ、はじめは嫌がるが、異性の体になれるという非日常に最終的に納得する。ここでも俺は置いてけぼりだ。
この授業を本気でサボろうとするなら、医者の診断書が必要になる。うちの親が、そんな余計な金を払ってくれるはずがなかった。内心でどう思おうが、俺は強制参加だった。
皆浮ついていた。どんな言い方をしようと皆が楽しみにしていた。よりにもよってネクラのタケダかあ、と女子が大きな声を出す。顔は女を犯す欲求に赤く染まり、俺は毛穴という毛穴から恥のようなものが噴き出すような錯覚を覚える。舌なめずりする俺が、俺を押し倒す。慣れた手つきで胸を触り唇を奪い、せっせと愛撫に勤しむ。
口ではなんだかんだ、男の性欲について文句を言っていても、実態はこれだ。男の体や肉欲を与えられる、押しつけられる立場になった途端に都合よく批判を忘れる。自分の体だからという理由で入れ替わった男子に女子役を強要し、自分は性欲を押し付けられた側として仕方なくその肉欲に応える。男の加害性、女の被害者的立場なんて言葉は、入れ替わりによってすっかりなくなっているはずなのに、この倒錯した理論はまだまだ現役だ。
仮に男がそれほど性欲に弱い生き物ならば、女と見た瞬間から襲い始める、エロ漫画のようなディストピアが出現していないとおかしい。この授業で欠けているものがあるとするならば、男子の肉欲の衝動性やらを、女子が耐えるものだろうと思う。
「やっぱ、タケダって、ネクラ。こっちを気持ちよくさせようっていうサービス精神がまるでないよね」
体をしたいようにして、性欲の処理に付き合って、あげく突きつけられたのがこのセリフだった。
「仮に入れ替わってない状態で、俺がそれを求めたら、絶対に嫌がるくせに?」
「当たり前じゃん。なんでタケダとやんなきゃいけないの。授業だからやってあげてるんじゃん」
答えになっているようで、かみ合っていない。たぶんその自覚さえない。
「じゃあなんで、俺がお前にそのサービス精神を発揮しないといけないんだ?」
途端に、女子は顔をしかめる。
「ウザっ。そんなんだからモテないの、わかってないの?」
モテたいなんて思わない。でもそんな風に言っても、彼女は自分に都合の悪いことはすべて、「ウザい」で流すだろう。都合が良ければ性別を持ち出し、都合が悪くなれば性別を持ち出す。
これが女だ、と俺は息をひそめる。この入れ替わりの授業は、あまりにも女が得するようにできている。平等なんて言い出しても、これが現実だ。
ーー俺は、人間に関わりたくない。
衝動で理性さえ放棄させようとする男の肉体が恨めしい。理論を感情論にすり替えて、集団で糾弾してくる女子が嫌いだ。男を肉欲で動くものと勝手に思い込んで女のフリをするネカマや釣りアカウント。世の中はそんなものばかりだ。
人間のいないところにいきたい、と思う。女子に道理を説くのは無駄だ。猥談で盛り上がろうとする他の連中に訴えても、気取っているという答えしか返ってこないだろう。
こんな事を言いだしたらそれこそ仏門を叩くしかなさそうだが、そこまで大げさでなくていい。ただ、ある程度社会に溶け込んだうえで、それとなく人と人の絆がなければ成り立たないとかいう仕事ではなく、そういったしがらみから解放されたい。
保健の授業が近づくたびに、体調が悪化した。薬を飲んで目を閉じれば、下半身がスウスウする、乳房をぶら下げた女になっている。卑しい男が俺の顔で肌の上を這いずり回る。舌で肉体を舐め回し、唇を求めてくる。そして最後は必ず、肉体の中に入ってくる。俺は必死に耐えようとシーツを逆手に握っていた。いつしか、「タケダに当たるのは運が悪い」という噂が巡り始めた。どんな女子もペアになった途端に舌打ちして、こんなヤツに体を預けないといけないなんて、と嘆く。だからといって中止するかといえばそんなことはなく、律儀に薬を飲んで体を入れ替えて、裸になってベッドの上に乗ってくる。言っていることとやっていることが違う。嘘つきばかりだ。
たとえフーゾクで、ブスが来たとしても、チェンジできないならするしかないじゃん、と言っていた男と何が違うのか。どんなに文句を言おうと、それがヤれる女なら手を出そうとする、それでいて普段は女なのだと主張する。そんなことが平気でまかり通るのだ、ここでは。
抵抗らしい抵抗を見せた覚えはない。表情を取り繕ったことこそないが、相手がどんなプレイを望んだとしても、それには極力応えてきた。
それでも性格が悪いと非難される。女は男を気持ちよくさせるもんだって分からないのかなあ、女子に人気の木下が笑う驚くべきことに、その主張が笑いとともに受け止められる。その言葉自体が女性は尽くすものだと言っているのに等しいのに、女子は非難の声さえ上げない。あいつはネクラ。その一言で済まされてしまう。
男女の距離が縮まった?ああ、そうだろう。そこに本物の敬意はなくなってしまった。刹那的な快楽を貪り、それを肯定して羨ましがる連中ばかりになった。
これ以上の相互理解はないだろうよ。