20連勤目の終焉、あるいは地獄の先
「……あと、3パーセント。ミノフスキー・フライトの……慣性減衰率を、抑えれば……」
薄暗い開発室に、電子音とタイピング音だけが空虚に響いていた。
ユウゲツ・ヒカリは、充血した瞳でモニターを見つめていた。画面に映るのは、次世代MS――Ξ(クスィー)ガンダムの慣性制御プログラムの最終パッチだ。
18歳の少女の姿。しかし、その正体は一年戦争期に地球連邦軍が作り出した「強化人間」の生き残りである。処置の副作用、あるいはバグか。彼女の肉体は18歳のまま止まり、老いることがなかった。戦後、戦う場所を失った彼女は、その超常的な演算能力とニュータイプ的な直感を買われ、アナハイム・エレクトロニクスへと「納品」された。
それから数十年。彼女は技術者として、数々のガンダムを、化け物を、歴史の裏側で生み出し続けてきた。だが、その代償はあまりにも過酷な労働環境だった。
「所長、もう20連勤ですよ。いい加減、休んでください……。これじゃ労基が……あ、うちには労基なんてありませんでしたね」
「黙ってろ。……このミノフスキー・フライトは、マフティーへの『デリバリー』に間に合わせなきゃいけないんだ。あいつら、納期にうるさいからな……」
それが、彼女の宇宙世紀での最期の会話だった。
心臓が不自然なリズムを刻み、視界が急速に狭まっていく。キーボードを打つ指が、まるで鉛のように重くなる。
「ああ……次は、もっと効率の良い……自動設計(オートマチック)プログラムを組まないと……」
そんな仕事の愚痴を遺言に、彼女の意識は深い闇へと沈んでいった。
次に意識が浮上したとき、彼女を包んでいたのは死の冷たさではなく、懐かしい「油とオゾンの匂い」だった。
「……は?」
跳ねるように上体を起こすと、そこは開発室の椅子ではなく、巨大な艦橋(ブリッジ)の司令官席だった。
全天周モニターに近い広大な視界。目の前には、彼女がかつて基本設計に関わった、宇宙世紀最大の巨艦――ゼネラル・レビルのメインコンソールが並んでいる。
「所長! お目覚めですか。過労による失神から、15分ですよ。まったく、ヒヤヒヤさせないでください」
聞き慣れた声に振り向くと、そこにはアナハイムで彼女の「無茶振り」に耐え抜いてきた、80人の精鋭部下たちがいた。
「……ここは?」
「我々にも分かりません。ですが、計測データによれば、ここは我々の知る宇宙(そら)ではないようです。ミノフスキー粒子の反応はゼロ。代わりに、奇妙な中性子干渉波――『ニュートロンジャマー』と定義されているエネルギー抑制界が、この宙域を支配しています」
ユウゲツは即座に立ち上がり、コンソールを奪うように叩いた。
表示されるデータ。歴史。勢力図。
「プラント……ザフト……地球連合……コーディネイター?」
彼女は数分でこの世界の概略を読み解き、そして鼻で笑った。
「遺伝子を弄って身体能力を上げただと? そんなのは強化人間(私たち)の劣化コピーだ。それにこの『モビルスーツ』……。バッテリー駆動だと? 重厚長大、大推力。宇宙世紀の完成された思想が何一つ入っていない。原始人が鉄の塊を振り回しているようなものだ」
不遜な笑みが、ユウゲツの唇に浮かぶ。
手元にあるのは、全長630メートルの超弩級巡洋艦。
そして、格納庫に鎮座する80人の部下と、彼らが操る重MSメッサーF01型。
さらに、彼女専用のΞ(クスィー)ガンダムと、シナンジュ・スタイン。
「いいか、野郎ども! 20連勤明けで悪いが、残業代はたっぷり出す! 我々アナハイム・エレクトロニクスが、この遅れた宇宙に『本物のモビルスーツ』ってやつを教えてやるんだ!」
「「「了解、所長!!」」」
80人の人間部下たちの咆哮が、艦内に響き渡った。
3. 技術者としての「査定」
「所長、状況に変化ありです。中立コロニー『ヘリオポリス』付近で、ザフト軍による襲撃が開始されました。地球連合軍が極秘開発していた機体――通称『G兵器』の強奪が目的と思われます」
オペレーターの報告を聞きながら、ユウゲツは艦内モニターに映る「G」の姿を見つめた。
ストライク、デュエル、イージス、ブリッツ、バスター。
それぞれの機体が持つ特徴を瞬時に分析し、彼女は溜息をついた。
「……フェイズシフト装甲ね。物理衝撃を電圧で相殺するか。面白いアイデアだが、エネルギー効率が最悪だ。機体のフレームを強化せずに装甲に頼るなんて、技術の退歩だよ」
「所長、どうしますか? 介入しますか?」
「いや、まだだ。まずはデータを取れ。あの未熟な機体たちがどれほどのものか、この目で確かめてやる。……ああ、でも見ていられないな。あんなスパゲッティ・プログラムで機体を動かしているなんて」
ユウゲツは自らの端末を叩き、ヘリオポリスのネットワークへ密かに侵入を開始した。
彼女の目的は、この世界の機体を「改造」することではない。そんな他人の作ったガラクタを弄るのは、アナハイム社員としてのプライドが許さない。
彼女が求めているのは、あくまで「自社の技術こそが至高である」という証明。
そして、この世界の技術(フェイズシフト装甲やニュートロンジャマーキャンセラーなど)の有効性を「資料」として吸い上げることだった。
「所長、アークエンジェルが脱出を開始しました。ザフトのクルーゼ隊が追撃に移ります」
「よし、頃合いだ。ゼネラル・レビル、発進。……ついでに、あの『G』を設計した連中に、本物のガンダムがどういうものかを見せてやろうじゃないか」
「メッサー隊、1番から3番。まずは挨拶代わりに、あのザフトのジンとかいうブリキ缶を蹴散らしてこい。撃墜する必要はない。ただ、『格の違い』を見せつけるだけでいい」
ユウゲツの号令。
ゼネラル・レビルの巨大なカタパルトから、重装甲の塊――メッサーF01型が3機、暗黒の宇宙へと解き放たれた。
同時に、ユウゲツ自身も艦内移動用のリニアレールを走り、専用ハンガーへと向かう。
そこに鎮座していたのは、純白の装甲を纏った「原石」。
シナンジュ・スタイン。
フロンタルとゾルタン、二人の「シャアの再来」の戦闘データがプリセットされた、呪われし機体だ。
「……フロンタル、ゾルタン。お前たちの亡霊ごとき、私の脳(OS)でねじ伏せてやるよ」
ユウゲツがコックピットに滑り込む。
全天周モニターが起動し、サイコフレームが彼女の強化人間としての意識とリンクする。
瞬間、宇宙(そら)の広がりが、自身の神経のように生々しく感じられた。
「シナンジュ・スタイン、ユウゲツ・ヒカリ。出るぞ」
ブーストが点火された。
その加速は、C.E.のいかなる機体も、あるいはコーディネイターの動体視力さえも置き去りにする、異次元の閃光だった。
ヘリオポリスの残骸を背に、アークエンジェルを追うザフト軍。
その戦場に、突如として「理不尽」が介入する。
「な……なんだ、あの白い影は!? 速すぎる!」
ザフトのパイロットの悲鳴が通信回線を埋め尽くす。
ユウゲツは、シナンジュのメインカメラが捉えた敵機を、冷徹に「査定」し始めた。
「……機動力が足りない。火力が足りない。そして何より、美しくない」
シナンジュ・スタインのハイ・ビーム・ライフルが火を吹く。
それは、これから始まる技術的蹂躙の、ほんの序章に過ぎなかった。