完全解呪のプリースト〜状態異常完治スキルで呪われた美少女を救うたび、俺への依存度がカンストしていく件〜【7/24第2巻発売】 作:pelca
「『秘蹟《サクラメント》』……?」
俺の呟きに真っ先に反応したのは、カナンの姉であるカレンさんだった。
この様子だと、カナンさん自身は教会学校に通っていたわけではなさそうだ。
ドロテイアにメディナ――考えてみれば、この場にいる面子は教会関連の知識が薄いのかもしれない。
「『秘蹟』はな、条件さえ揃えば誰でも行える特別な儀式だ。たとえば、魔法が使えない奴でも魔法を発動できるような魔道具に近いものだと思えばいい」
魔道具もそれ自体に魔力が込められている。
だから魔力を持たない者でも扱うことができる。
「そして、この『秘蹟』で一番重要なのは――相手の同意を得ることだ」
「じゃあ、眠っている相手には使えないのかしら?」
「いや。同意の条件を満たせば、寝ていても成立する。……例えば、相手の手を動かして承諾の形を取らせる、とかな」
おそらくカナンは、知らぬ間に同意させられたのだろう。
そして一種の催眠のような状態に陥っている――俺はそう見ている。
「つまり、カナンはその『秘蹟』で何かを施された、ということね?」
「ああ。おそらくだが……正直、考えたくもない最悪の方向に進んでいる気がする」
想定できる最悪の事態。それは――
「……カナンが、イカーンとの縁談を受け入れる、ということ?」
「そういうことだ」
◇◇◇
――時は、三十分ほど前に遡る。
「カナン嬢。まずは乾杯を」
「はい……」
イカーンは目の前のグラスを手に取り、カナンにも同じように持たせた。
軽くコツンと触れ合わせると、二人は紫色の飲み物――ぶどう酒を口に含む。
「カナン嬢のものは、アルコールを薄めてあります」
「ありがとうございます……」
カナンも酒を飲める年齢ではある。
だが飲んだ経験は少なく、その配慮は正直ありがたかった。
「では早速、親睦を兼ねて普段のことをお聞きしてもよろしいですかな?」
「ええ、はい……」
イカーンが何を話題にするのか、カナンには見当もつかない。
自分から話すつもりもなかったため、向こうから切り出してくれる方が気は楽だった。
「教会学校に通っておられるとか。楽しく過ごされていますか?」
「えっと……はい。とても楽しいです。ボクは特別クラスに所属していて、他のクラスとは少し環境が違いますけど……今では、このクラスで良かったと思っています」
人数は少なく、親が特殊な職に就いている生徒や、校長の判断で選ばれた者が集められる特別クラス。
カナンは父が著名人であるため配属されたが、結果的に居心地は悪くなかった。
「それは何よりです。では卒業まで通われるおつもりですな」
「もちろんです。ですから、この縁談は――」
「――カナン嬢。私もあなたの意思はできる限り尊重したいと考えております。教会学校の卒業も、その後の進路も応援しましょう」
「……え?」
思いもよらぬ言葉だった。
イカーンと結婚すれば、神殿騎士を目指す道は閉ざされると覚悟していたからだ。
(この人は……本気でボクを自由にするつもりなの……?)
だが、どう考えても疑念は拭えない。
「ですから、もし私との縁談をお受けくださるなら、あらゆる面で支援いたしましょう。私の商会は武器製造を主としております。鍛冶職人のような一点物ではありませんが、カナン嬢が望むのであれば……」
「……ありがとうございます」
カナンはそれ以上、言葉を続けられなかった。
提示される条件自体は悪くない。ただ――好きでもない相手と結婚しなければならない、その一点を除けば。
「まだ緊張されているご様子ですね。せっかくの料理です。召し上がってはいかがです?」
「そ、そうですね……」
そこではじめてカナンはテーブルの料理に意識を向けた。
(あれ……この並び……なんだろう、少し違和感が……?)
「どれもカナン嬢のために用意した高級料理です。まずはパンとスープからどうぞ」
「わかりました……」
言われるまま、パンを口にし、続いてスープを飲む。
その後も勧められるままに料理へ手を伸ばした。
「……美味しいです」
「はは、それは良かった」
本当に美味なのだろう。
だがカナンは緊張のあまり、味をほとんど感じていなかった。とりあえずそう答えただけだ。
「では、食事をしながら私の話も少し」
「はい……」
カナンが料理に手を付け、いくらか緊張が解けた頃を見計らい、イカーンは静かに自らのことを語り始めた。
「私が武器を扱っていることは、すでにご存知かと思いますが……屋敷でのこともお話ししておきましょう」
(や、屋敷……)
まさかここで『少女趣味』の件を持ち出されるのでは、と身構え、カナンはわずかに背筋を伸ばした。
「この王都にも別邸はありますが、普段私が拠点としているのは北方の屋敷です」
「そう、なんですね」
イカーンは、北方に位置するロンブル聖王国との国境防衛を任されている。同時に、武器製造を担う街へすぐ赴けるよう、最も近い地に屋敷を構えていた。
「屋敷には多くの使用人がおります。私が不在の間も屋敷の維持や鍛錬に励んでいます。無論、私の指示は絶対ですが、各々が臨機応変に動けるよう教育しているため、戦闘能力だけでなく、使用人同士の絆も深められるよう過ごさせているつもりです」
「それは……素晴らしいことだと思います」
(使用人達は、案外楽しくやっているのかな……)
聞くかぎり悪い印象はない。だが、本人の口から語られる話だけが全てとは限らなかった。
「もちろん、使用人とは別に私兵もおります。彼らは屋敷に住まわせているわけではなく、それぞれの任務に就かせています」
国境防衛を担う立場であれば当然のことだ。
これまでイカーンをただの変人と思っていたカナンも、話を重ねるうちに、その権力の大きさを思い知らされていた。
「ですから、カナン嬢が屋敷で暮らすことになれば、その身は必ず私達がお守りします」
身の安全の保証。それは妻となる者にとって、本来なら心強い言葉のはずだった。
「屋敷で暮らす、ですか……」
「……ご希望なら、しばらく別邸で過ごしていただいても構いません。私の仕事は多少やりづらくなりますが、妻のためならば、その程度は耐えましょう」
「っ…………」
話が具体的になるにつれ、カナンの首筋にじわりと汗がにじむ。
それに気づいたのか、イカーンは静かに飲み物を勧めた。
「どうぞ、まだ残っていますよ」
「は、はい……では――」
カナンはグラスに残ったぶどう酒を一息に飲み干した。
アルコールは薄いと言われた通り、酔いが回ることはなかった。
――だが。
「チェックメイト、というやつですな」
「…………へ?」
その瞬間、イカーンが中央に置かれていた十字架を、ぱたりと倒した。
同時に、カナンの脳が激しく揺さぶられたかのように、視界がぐらりと歪みはじめる。
「ぁ……う…………っ」
イカーンは静かに椅子から立ち上がり、淡々と告げた。
「『秘蹟』における同意は、難度が高いほど効力が増す――カナン嬢。指定した順に料理を口にしていただけるか、内心ひやひやしておりましたよ」
「な……に、を……っ」
薄れゆく意識の中、カナンは彼の薄い笑みを見た。
「私が定めた『同意』は、料理を口にする順番。そして最後にグラスの中身を飲み干すことでした」
「じゅん……ばん……っ」
カナンは震える視線で卓上の料理を見下ろす。
最初に覚えたわずかな違和感――その正体に、ようやく辿り着いた。
(ああ……そうか。ボクは最初から、騙されて……)
胸の奥に浮かぶのは、ただ一人。
傍にいたいと願った少年の名。
「――シュウ、くん…………」
その名を最後に、カナンの意識はカチリと音を立てるように切り替わった。
「――さて、カナン嬢。奥へおいでください」
「はい、イカーン様」
カナンの瞳からは、すでに光が消えていた。
命じられるまま立ち上がり、静かに彼の後に続く。
奥の扉を開けると、そこはレストランの裏口だった。
正面には馬車が一台停まり、イカーン達を待ち受ける少女達の姿があった。
「イカーン様、準備は整っております」
「ご苦労。カナン嬢を乗せなさい」
「かしこまりました」
スーツ姿の使用人が三人。
いずれも若い女性で、無駄のない動きで指示に従う。
一人は周囲を警戒し、一人はカナンを支えて馬車へ導き、もう一人は御者台へ。
やがてイカーンとカナンが乗り込むと、馬車は静かに石畳を走り出した。