僕が茶柱先生との秘密の契約をひっそりと結んだ翌日。
退学がかかった中間テストを控えているせいもあってか重苦しく空気が淀みつつあるDクラスの面々が、ちょっとだけ沸き立つ出来事があった。
「堀北さんっ、体調は大丈夫? 長い間お休みしてたから心配してたのっ」
体調不良。という名目で三日以上も学校を欠席していた堀北さんの復帰だ。
実の兄によって背中からコンクリートに投げ落とされた衝撃が如何ほどのものだったのか。前世からヘタレのチキン野郎である僕には想像すら出来ないけれど、やはりダメージは相当に大きいらしい。
いつもはその気丈さと孤高への憧れを体現したような姿勢の良さを誇っている彼女は、時折右半身を引き攣らせるにしてぎこちなく席に向かっていた。
これは僕の予想だけれど、きっと彼女は病院にも行かなかったのじゃないだろうか?
階段から落ちた。とでも言い訳すれば医者も怪しむことは無いとは思うのだけれど、下手に診断書が発行されて学校に連絡が行ってしまえば大事になる。
万が一にも尊敬する兄に迷惑を掛けられ無い。と一人で抱え込んでいるのかも知れない。
「余計なお世話よ。私の事は放っておいて頂戴」
まあ、仮にそんな切実な事情があったとしても。少なくとも表面上は心配そうに気遣いを見せているDクラスの天使である櫛田さんに向かって刺々しい態度と台詞を返したら当然クラスの空気は悪くなってしまうのだけれど。
「ご、ごめんね? でも、私は堀北さんともお友達になりたいし……それに、クラスメイトが体調を崩したら心配するのは当然の事だよ」
「前にも言ったけれど私は一人が好きなの。これ以上つきまとわないで」
悲しそうに眉尻を下げて足元に視線を送る櫛田さんの庇護欲を唆るようないじらしい態度に同情したのだろう。
周囲で様子を伺っていた何人かの女子生徒が声を上げだした。
「その言い方は無いんじゃない? 櫛田さんが可哀想じゃん」
「っていうか堀北さんさー。四日も学校を休んでおいてその態度、マジで何なの? あんたのせいでクラスポイント減ったらどうするつもり?」
いわゆるクラスの一軍女子だとか陽キャグループなどと揶揄される、華やかでありながら何かと気の強い女子生徒達を束ねる『軽井沢 恵』が。
そして彼女の次に影響力のある女子グループの取りまとめをしているらしい『篠原 さつき』が堀北さんを睨みつけながら堀北さんを非難しだした。
「先生の話を聴いていなかったのかしら。現時点でのポイントが0である限りいくら遅刻欠席しようともマイナスにはならないわ。そもそも授業態度諸々で盛大に減点させたあなた達のような程度の低い人間に言われたくない」
堀北さんは鞄から文庫本を取り出しつつ非難の声をあげる女子達の意見をバッサリと切って捨てた。
確かに茶柱先生は五月一日にクラスポイントが0の内は授業中に私語をしようが居眠りをしようが遅刻欠席を繰り返そうがポイントは減らないと断言していた。
最もそれは、今さら授業態度を改めたところでプラスにもならない。当たり前の事をやっているだけなのだから0ポイントから加点される事も無いという盛大な皮肉でもあるのだけれど。
「はぁ? 何その言い方?」
とは言えそんな態度を取られたら黙っていられないのがDクラスの女王である軽井沢さんだ。
見向きもしない。正に歯牙にもかけない堀北さんの態度に怒りを覚えたのだろう。声のトーンが低くなり、圧を掛けるかのように堀北さんの席に近付いていく。
そして何人もの女子がそれに追従していく。爽やかな初夏の朝とは思えない程にバチバチで最悪の空気だ。
「それに聴いたよ。勉強会って名目で須藤くん達を無理やり呼び付けておいて、めちゃくちゃに悪口を言いまくったんでしょ?」
「本当に性格悪いよね。いくら自分が頭良いからって調子乗ってんじゃないの?」
恐らく女子グループの大半は堀北さんを明確な敵と見做したのだろう。
元々クラスで浮いているどころか、その攻撃的な態度のせいで孤立していた堀北さんだったけど今までは平田くんのフォローや櫛田さんの(演技だけど)歩み寄りのおかげもあってか『そういう娘だから』という扱いをされていた。
「あなた達は……佐藤さんと森さんだったかしら? そこの軽井沢さんと同様に小テストの結果は奮わなかったようだけれど、私になんか構ってる暇があるのかしら? 須藤くん達のように退学になりたくないのならば一分一秒でも長く勉学に時間を割く方が有意義だと思うわよ」
だけど、そんなある意味での特別扱いは終わってしまったようだ。
少なくとも多くの女子達は堀北さんが喧嘩を売って来たと認識してしまったであろうから。
「はあ!? 余計なお世話よ!! 何!? 私達に喧嘩を売ってるんでしょ!?」
「あんたマジで性格悪過ぎ。って言うか先ずは須藤くん達に頭下げるのが先でしょ。堀北さんって、ちょっとオカシイんじゃない? 人として」
「……ごめんなさい。あなた達の言っている意味が欠片も理解出来ないわ。何故、私が彼らの様な無知無能な不良品に謝罪しなければいけないのかしら? 全く道理が通らないと思うのだけど」
燻っていた火種は堀北さんの正論と言う名の暴論であっという間に燃え上がり、盛大に噴火した。
主にとある男子の激憤という形で。
「てめぇ堀北!! 黙って聴いてりゃ、また俺のこと馬鹿にしやがって!! マジでぶん殴るぞ!?」
「落ち着いてくれ須藤くん!! 堀北さんも言い過ぎだ!!」
「酷いよっ! どうして堀北さんはそうやってクラスメイトを傷つける様な事を軽々しく言うの!?」
「マジでウザい……平田くんも櫛田さんも、もうこんな女放っとこうよ」
「さんせーい。もうクラスからハブでいいじゃん。無視しようよ堀北みたいなKY女なんか」
「軽井沢さんっ! 佐藤さんっ! そんな虐めのような事は絶対に駄目だ!!」
騒ぎの中心でありながら我関せずとばかりに読書を始めている堀北さん。
気に食わない女子生徒を徹底的に排他しようとする軽井沢さんを中心とした気が強い女子グループの面々。
クラスメイトを徹底的に侮辱する様子を見せる孤高の少女を涙ながらに糾弾する櫛田さん。
怒りのせいで髪色にも負けないぐらいに顔を赤くして暴れようとする須藤。
そんな不良少年を必死で羽交締めして抑えながらも、女子グループから漂う不穏な空気を察知して叫び声をあげる平田くん。
彼ら彼女ら以外も皆。それこそ自由人の高円寺と自習に熱心な幸村以外の生徒達は皆堀北さんに視線を向けていた。
嫌悪。怒り。不信。クラスのネガティブな感情を一身に引き受けてしまった堀北さんは一体どうなってしまうのだろう。
「……やっぱり先生との契約。早まったかも知れないなぁ」
思わず小声でそんな弱音がポツリと漏れ出る。
歴代最悪の不良品。
学校側からそのように称される我がDクラスの雰囲気は、どう贔屓目に見ても最低最悪のものだった。
「はぁ……これから本当にどうしようかなぁ」
ギスギスとした。なんて言葉が可愛く感じられてしまう程に火種が燻ぶりまくっているDクラスから抜け出して、時は放課後。
そこらの市民プールとは比べ物にならない広さと設備を誇る学校内の水泳場にて僕はプールサイドで溜息を漏らしながら今後について憂いていた。
授業中でも無ければ水泳部でも無い僕が、どうして放課後にこんな場所に居るのかというと強制的に受けさせられる水泳授業の補習だった。
初の水泳授業の際に体育担当の東山先生が言った「競演にて一位を取った生徒には5000ポイントを。逆にビリの生徒には補習をプレゼント」という言葉が本当だったからだ。
ちなみに何でテスト前のこんな時期に補習をやっているかと言うと、テスト前期間で水泳部の活動が停止しているからだそうだ。
いや、テスト前期間なんだから素直に勉強させてよ。とも思うのだけれど、体育も立派な勉強科目の一つだから仕方無いのかな?
「よし、いいぞー佐倉。だいぶフォームが整って来たぞ。そのまま太腿の動きを意識してバタ足を続けるんだ!」
「は、はいぃ〜」
目の前ではビート板を持ったクラスメイトが泳いでるんだが溺れてるんだか分からない姿勢で必死に脚をバタバタさせている。彼女は僕と同じ補習組である『佐倉 愛理』さんだ。
ちなみに補習開始五分にして、筋肉の化身かつthe体育会系の熱血体育教師である東山先生から。
「俺が水泳を初めて20年以上かつ教師を初めて10年になるが水にトラウマがある訳でも無いのに、ここまで見事なカナヅチは初めて見たぞ」
と、早々に匙を投げられてしまった僕よりも佐倉さんの泳ぎはだいぶマシらしい。
四月の頃こそ殆どが体育授業でサボタージュを決め込んでいたDクラスの女子生徒だったけれど、五月からは一変。
授業態度が減点対象になると知った途端、『女の子の特有の体調不良』を患っている人以外は真面目に授業に出るようになった。
軽井沢さんはサボってたけど。確か脇腹に傷があるんだっけ?
「よし、佐倉は10分休憩だ。先生はCクラスの生徒を指導しているから、今の内に息を整えておきなさい」
「は、はひぃ〜……」
死にそうな表情でビート板にしがみつきながらプカプカと浮かぶ佐倉さんは眼鏡を外している。
か細い呼吸音を漏らしながら白目を向いているという、年頃の女の子としては割と致命傷な表情をしているにも関わらず彼女は可愛らしかった。
それもその筈、活動停止中とは言え彼女は現役のグラビアアイドル。いわゆる雫スタイルの佐倉さんは美少女揃いのクラスメイトと比べても頭一つ飛び抜けたルックスと抜群のスタイルを兼ね備えた飛んでも無い美少女である。
ちなみに僕も前世の記憶が生えて来て以来、ちょくちょく彼女のブログをチェックしている。
自撮り写真の可愛らしさにホッコリしつつ、件のストーカーからのコメントの気色悪さにゲンナリだ。
「茶柱先生との契約。目前に迫りつつある中間テスト。堀北さんVSクラスの女子グループの冷戦問題。あとはテスト明けの須藤の暴行事件に佐倉さんのストーカー問題まであるのか…ラノベの世界だからって、いくら何でも嫌なイベントが多過ぎるよ」
金髪のおかっぱ頭の男子と銀髪の女子生徒。恐らくCクラスの『金田』と『椎名』であろう生徒に向かって暑苦しい指導の声を張り上げている体育教師の叫びをBGMにしながら、僕はどう足掻いても碌な事にならないであろう未来が迫っている事実に思わず頭を抱えた。
「取り合えず、直近の中間テストを乗り切ること自体は問題は無いんだ。適当な先輩からポイントで過去問を譲って貰えばいいだけの話だし……でも、その後がなぁ」
茶柱先生の為に全力で僕はAクラスを目指して行動する。その見返りとして彼女から定期的にエッチな事をして貰う。
言葉にすればする程に出来の悪いエロ同人みたいな契約に思えて来る。いや、まあ確かによう実の18禁系の二次創作とかでそういう話は読んだ事もあったけども。
「そもそも僕の最初の予定では万年Dクラスでのんびりモブキャラ人生を貫く予定だったのに。よりによって180度の方向転換だもんなぁ。本当にどうしよう?」
前世の記憶を取り戻した日の放課後。
寮の自室にて夜なべしながら、ああでもない、こうでもない。と色々考え込んで辿り着いた計画の中では僕はAクラスを目指すつもりなんて毛ほども無かった。
原作知識を用いてSシステムの裏側をネタに大量のポイントを確保。その後は目立たない様にじっくり貯金を切り崩しながら細々としたスクールライフをおくる。
……そんなつもりだったのにどうしてこうなってしまったのやら
「茶柱先生に目をつけられるのは割り切っていたし、綾小路と違って脅迫されるネタも無かったから手を出される可能性は低いと踏んでいたんだけどなぁ」
Sシステムの裏側を早期に暴いた実力で報酬を貰う。これもどこかの二次創作で読んだ事を思い出して、モノは試しにとやってみたお小遣い稼ぎの一環だ。
まあ現実と創作は違うし、仮にポイントが貰えたとしても精々10万位。運が良くても100万ポイント位かなぁ?
……なんて考えていたら僕の予想をぶっ千切るようにして、まさかの500万という大金を得た挙げ句、見事に茶柱先生からロックオン。
おまけに僕の勘違いでなければ原作の綾小路への注目以上に何やら期待されている気がする。
「退学をチラつかせて脅迫。ぐらいは有り得るかと思っていたけど、まさかそれを通り越して露骨な色仕掛けを仕掛けて来るなんて。まあ、結局は先生の色香に負けた僕が馬鹿なだけなんだろうけどさ」
実は茶柱先生に「退学にするぞ」と脅された時の対策として、彼女に呼び出された時には常に録音状態のボイスレコーダーを懐に忍ばせていた。
とは言え、まさかあんなアダルティーな展開になるとは想像もしていなかった。仮にこの録音を校長や理事長に提出すれば茶柱先生は未成年への淫行で解雇される事だろう。
だから武器としてはかなり凶悪である事は間違い無いんだろうけど……、
「先生に居なくなって欲しく無いなぁ」
またもや溜息。何というか、僕という人間が本当に浅ましくて愚かに感じる。自己嫌悪というやつだ。
僕は原作知識で茶柱 佐枝というキャラクター……否、女性を知っている。
元々はこの高度育成高度育成の生徒であり卒業生。Aクラスまであと一歩まで迫ったところで自分自身のせいでDクラスへ陥落。友人と恋人。おまけに理想の将来まで全て失った事により高校生活に強烈なトラウマと執着を持っていて、そんな辛い過去から卒業する為にAクラスへの昇格を切望している。
だからと言って主人公である綾小路を脅迫したり、生徒の事を自分の野望を叶える為の道具扱いしている時点で教師として、人として失格の性格破綻者だと思う。
だから僕も前世では一読者としては何て嫌なキャラクターなんだとヘイトを向けたいたし、この学校で初めて顔を合わせた時も美人ではあるけれど内面がアレだからなぁ……と、堀北さんと出会った時のように極力、関わり合いを持たないようにしよう。と決意していた。
「初恋。なんだろうなぁ」
にも関わらず、この有様だ。
二次元世界から飛び出した、信じられないような美女。きっとこれだけだったら僕は彼女に夢中になる事は無かっただろう。
だってこの学校には絶対にルックスも採用基準になっているだろう。とツッコミを入れたくなるような美少女ばかりが揃っているのだから。
人生経験の豊富な成熟した歳上のお姉さんだから。これも決め手にはならないだろう。
確かに茶柱先生は歳上だし、クールビューティーという言葉がピッタリの自己への揺るぎ無い自信と余裕を感じる魅力的な女性だ。
けれどその中身は身体だけ成長してしまった、大人になりきれない子供大人だという事を僕は知っている。
「山内くんや池くんの事、バカにできなくなっちゃったな」
つまり僕は美人で、歳上で。何よりも童貞の僕にエッチな事をしてくれる女性だから惚れてしまったのだ。
言葉にすると何て現金で、愚かな男なのだろう。もう、何だか哀しくなってくる。
僕は参加していないとは言え、原作でも行われた水泳授業のおっぱい賭博に参加していたDクラスの男子。異性への興味があるのは当然としても、それを表だって主張する彼らの愚行に内心で見下していた僕だったけれど。
「何だっけ? 同じ穴の狢。だったかな?」
結局、僕だって彼らと同じぐらいに。否、それ以上に単純で愚かな不良品に過ぎなかったわけなのだ。
「問題だらけだけど先ずはやっぱり中間テストだよね。過去問を誰かから買わないと」
兎にも角にもいつまでも嘆くばかりでは何も変わらない。
幸いにもポイントは潤沢だし、原作知識のおかげで中間テストの問題は毎年使い回されている=先輩から過去問を入手できれば簡単にクリアできる事を僕は知っている。
いや、まあ須藤はそれでも赤点取ったけど。
「あとはやっぱり隠れ蓑扱いできる堀北さんの代役みたいなのが欲しいなあ」
原作では綾小路は堀北さんに自分の功績を全て押し付ける事で徹底的にその存在感を薄くしていた。
この学校で目立つ事は『龍園』や『坂柳』を始めとする問題児達のターゲットにされる事と同意だ。
「それなりに優秀でクラスにもそこそこの影響力がある……『彼女』が僕に協力してくれればいいのだけれど」
櫛田さん経由で明日の放課後に呼び出して貰う予定のクラスメイトの顔を思い浮かべながら。
僕はどこか憂鬱な気持ちのままに、もう一度プールの中に飛び込んだ。
感想プリーズ!
サブヒロインについて
-
いらない。
-
松下
-
佐倉
-
星ノ宮
-
その他