学園一の美少女は、キモデブの俺から絶対に離れない【完結】 作:ドン・ドナシアン
「ふふふ、言うことを聞かなければ、この写真はあっという間に出回りますから。いいですね──? 取りあげようとしても無駄ですから──。もう、自宅のパソコンにデータを送信済みです──」
遠藤かおるは、スマートフォンを胸の高さで構えたまま、口角を上げていた。
階段の踊り場。昼休みのざわめきが遠くにあるのに、ここだけ空気が薄い。
まずい──。
大悟の頭の奥が熱くなる。
あの写真が出回れば、真白は……。
「おい、消せ。それを──」
大悟は声をあげた。
しかし、最後まで言い終わる前に、真白が前に出た。
肩が触れる。
背中が視界を塞ぐ。
「な、なんですか……。お、脅しだと思ってるんですか……?」
さっきまで勝ち誇っていたかおるの声が、わずかに揺れた。
真白の背中は動かない。
「……さあ、どうでもいい……。ただ、都合がいいかと思っているだけ」
「都合がいい?」
かおるが怪訝そうに表情を変える。
「大悟とあたしのことで、羽虫が騒ぐのはわかってた。全部潰すつもりだったから、自分から名乗ってくれるなら早い」
真白は全く動じた様子はない。むしろ、声に圧がある。
階段下から誰かの笑い声が聞こえる。
なのに、ここだけ音が吸い込まれている。
「早い?」
「写真をばら撒きたいなら、好きにすればいい」
声が低い。
怒鳴っていない。
抑揚もない。
「えっ……で、でも……」
「どうせ騒ぐ連中はいる。炙り出すつもりだったの。自分から名乗り出てくれるなら、そのほうが効率がいい」
前を向いている真白の顔は大悟には見えない。
しかし、かおるの指先がわずかに震え出すのはわかった。
「こ、効率?……」
かおるはたじろいでいる。
「……あたしが怖いのは、大悟を失うことだけ……。あんな写真くらい、どうということはない」
心臓が跳ねる。
真白の背中は、真っ直ぐだ。
「好きなようにしなさい……」
「……好きなようにって……」
「その代わりに──あんたは確実に破滅させるから……」
真白の口調は静かだ。そして、どこまでも冷たい。
叫びでも、怒声でもない。
ただ事実を告げる声──。
かおるの喉が鳴った。
「……破滅って……なに、言って……」
「まずは退学……。でもそれだけで済むとは思わないことね……。あたしは潰すって言ったら潰すの。大悟に触れた代償は、必ず払わせる」
「い、いえ、そんな……。ちょ、ちょっと待ってください。あたし、そんなつもりじゃ……」
かおるの呼吸が荒くなる。
「じゃあ、どんなつもりなの?」
真白が初めて、一歩前に出た。
「……ご、ごめんなさい──」
声が裏返って、かおるの膝が折れた。
尻もちをつき、脚のあいだから短いスパッツが覗く。スマートフォンが床に落ち、乾いた音が響いた。
「……ちが……こんなはずじゃ……」
ぼろぼろと涙をこぼす。泣きながら、息を吸えないように肩を震わせる。
「おい、大丈夫か、あんた?」
大悟は思わず声をかけてしまった。
「はあ?」
すると、真白の背中が、わずかに揺れた。
真白が、ゆっくりと振り返る。
顔から表情が完全に抜けている。
「……大悟」
低い……。
名を呼ぶ声が妙に澄んでいる。
「な、なんだよ。待てよ、真白」
「いま、この羽虫を心配した?」
真白の眼は静かに座っていた。
怒らせた──?
咄嗟に悟る。
「いや……泣いたから……つい……」
たじろぎながら答えた。
「つい、なに……? あたしたちを脅そうとした女を? 泣けば、誰でも優しくするの?」
一歩、近づく。
距離が縮まる。
「いや……違くて……」
ぞっとした。
真白って、こんなに怖かったか……?
「かわいそうだと思ったの?」
「そういうわけじゃなくて……。しゃがみ込んだから……」
「しゃがみ込んだから? 目に入ったものが気になった? あたしのものよりも?」
視線が逸らせない。
真白の顔が冷えきっていた。
「なんだよ、それ」
「見るなら、あたしのを見て。こんな羽虫に価値なんてない」
「い、いや……わかっているし……。あ、あの、もし、真白以外に目移りしたみたいに……思ってるなら……。それは違うぞ……。俺は真白だけだ……」
「……本当に」
制服の胸元に、指先が触れる。
強い──。
「ほ、ほんと……。本当にほんと……」
「そう」
真白はそれだけを言うと、しばらくのあいだなにも言わずに、大悟を睨むように見つめ続ける。
背中に妙な汗をかいてきた。
やがて、少しだけ真白の顔が緩んだ。
指先に込めていた力も弱くなった。
ほっとした。
しかし、背筋の冷たいものはまだ残っている。
「……ならいい……。でも、優しさを向ける相手は、あたしだけにして……」
「わ、わかったよ」
大きく頷く。
「他の女を心配する必要はない」
声は落ち着いているが、眼は据わっている。
「もちろんだ」
大悟はなんとか口元を綻ばせた。
だが、ちょっと怖いと思ったのは気のせいだろうか。
すると、真白もほっとしたように、身体から力を抜くのがわかった。
とりあえず、よかった……。
そのとき、真白の向こうのかおるがごくりと喉を鳴らす音がした。
視線を向ける。いつの間にか、その場に正座をするように、大悟と真白の話に聞き入る姿勢になっている。
すでに、涙は出てない。まばたきを忘れたように、大悟たちに見入っている。
「なんだ?」
大悟は眉をひそめた。
「……すご……」
かおるが喉を鳴らす。
「……もしかして……大好きなのは一条さんの方で、木許先輩にすごく執着してないですか?」
かおるの顔は好奇心に染まったような表情になっていた。
それだけでなく、はっとしたように、スマホを拾ってなにかを書き込み始める。
「待てよ、なにメモしてるんだよ?」
大悟は声をさすがに文句を口にする。
しかし、かおるは大きく息を吸った。
「ちょっと待ってください──。いまの感じだと、一条さんが、木許先輩を完全に囲ってる感じですか? そもそも、どういう関係で……? お付き合いをすることになった切っ掛けを教えてください──。それと、校門で木許先輩が、一条さんが選んだのが木許先輩だって言いましたよね? あれって、やっぱり、一条さんが先に好きになったという意味ですか?」
かおるがいきなり早口でまくし立て始めた。
なんだ、こいつ──?
真白はゆっくりと視線だけをかおるへ向ける。
「先も後もない。あたしたちはずっと両想い」
「えっ、それはどういう意味ですか?」
かおるはスマホを操作する指はめまぐるしく動いている。
「いいから、スマホを触るな──。さっきから、なにしてんだ──」
大悟は怒鳴った。
「わっ──。木許先輩って、そんな声も出すんですね──。でも、校門のときも格好よかったですし、意外……」
かおるが息を吐く。
「……羽虫。静かに」
真白がかおるを睨んだ。
かおるが硬直する。やっと、スマホに触れるのをやめた。
気のせいか、空気がぴたりと止まった気がした。
「羽虫、答えなさい。なんのために、あたしたちを盗撮したの?」
真白の声は低く、感情が削ぎ落とされていた。
「……羽虫って……あたし、遠藤かおる、って言います……。あの、文芸部で……」
「質問に答えなさい──」
「あっ、申し訳ありません。データはすぐ消しますから……」
かおるが慌てて、スマートフォンを操作しようとする。
だが、その手首を真白が掴んだ。
「勝手に消さない。それよりも、答えなさい。なぜ、盗撮したの?」
「す、すみません……出来心で……」
「出来心とはなに? あなたは出来心で、すぐに人を脅迫するの?」
言葉が静かに刺さる。
「い、いえ……追い掛けてきたら、たまたま……」
「たまたまとは?」
真白はかおるを静かに睨んでいる。
しばらく待っていたが、やがて、かおるは「ごめんなさい……」とだけ言った。
真白が嘆息する。
「……まあいいわ。目的を言いなさい。追い掛けてきた理由は? 羽虫は、さっきの校門のときにいたわね」
真白の言葉に、大悟は感心した。
かなりの生徒に囲まれていたと思うが、真白は冷静に周りを観察していたようだ。
「……そうですけど。気がついたんですか?」
「質問にはすぐに答えなさい。それと、いつまでも座ってないで立つ」
「は、はい──」
かおるは、ずっと正座したままだったのだが、慌てたように立ち上がる。
「取材させていただきたいと思いました──」
かおるが直立不動の姿勢で言う。
しかし、取材とはなんだろう?
「取材って?」
大悟は思わず横から訊ねた。
「しょ、小説の題材に……」
「小説の題材? もしかして、俺たちをモデルにか?」
大悟はさらに横から口を挟む。
「はい。絶対に受けると思うんですよね。文芸部の定期刊行の小冊子に投稿しようかと……。あっ、おふたりの名前はそのまま出しません。あくまでもフィクションです。題して──『きもデブの逆襲』。いいですよね──?」
両手を胸の前で組み、きらきらした目で見てくる。
「なにが、きもデブの逆襲だよ……」
大悟は小さく息を吐く。
「学園一の美少女に選ばれた、きもデブの快進撃です──。絶対に評判になります」
「だけど、俺はきもデブの役なんだろう? ……まあ、きもデブだけど」
「そこはインパクトが大事でして」
かおるは人懐っこそうな顔でにこにこしている。
「……はあ、わかったよ。ただし、条件付きだ。発表前に必ず見せろ。まあ、モデルくらいなら構わないか……。なあ、真白?」
「本当ですか──」
かおるが跳び上がる。
「……それでいいか?」
真白を振り返る。だが、真白は、まだ、かおるを冷ややかに見ていた。
「……題名が気に入らない」
「そこ?」
大悟は眼を細める。
「それと……計算もあったね?」
真白がかおるを見る。
「えっ?」
「出来心で脅迫なんてあり得ない……。あたしは人寄せしない。だから写真があれば拒否できないと思った。違う? 追い掛けてきて、機会があったのはたまたまかもしれない……。でも、しっかりと計算していた」
真白の言葉に、かおるはすぐに口を開いたが、なかなか言葉は出てこなかった。
やがて、俯いてしまった。
「……はい……」
小さく頷く。
「なるほど……。じゃあ、計画的な脅迫行為ということね」
真白は淡々としている。
「……すみません」
「……謝って、終わり?」
「い、いえ……。でも、とりあえず、写真は消します──。自宅に送ったなんてのは嘘です。そんな余裕なかったです。スマホの記録を調べてくれていいです……。それと、もともと、SNSで公開するつもりは、全くありませんでした。それだけは信じてください──」
かおるががばりと頭をさげた。
「別に公開してもいい」
しかし、真白はさらりと言った。
「え?」
「大悟があたしのものだと全員にわかる。問題ない」
「……いや、問題あるだろう。公開するなよ」
大悟は慌てて口を挟む。
「それより、その写真をこっちに送りなさい」
真白が自分のスマートフォンを差し出す。
画面には、通信アプリの友人登録用にQRコードがあった。
「え、えっ?」
「送りなさい──」
真白が強く叱咤する。
「あっ、はい──」
かおるが震える指で自分のスマホを取り出して、真白のスマホにデータを転送するための操作をする。
やがて、送信完了したようだ。真白が画面を確認し、満足げに小さく頷いた。
「……悪くない。大悟がご主人様をしてる……。待ち受けにする」
真白が無表情のままかすかに微笑む
「やめろ」
大悟はすかさず突っ込んだ。
真白は自分のスマホをしまうと、改めてかおるを見据える。
「……これで、羽虫があたしを脅迫したという証拠はできあがり」
「えっ?」
「写真がスマホに送られた。これは羽虫があたしたちを脅迫したという動かない証拠になる。あたしが告発すれば、羽虫は間違いなく退学になる……」
「ま、待ってください──。許してくれたんじゃなかったんですか。謝ったじゃないですか──」
「謝って終わりという理屈はあたしは知らない……。とにかく、大悟に恋愛感情を抱かないこと。それを破れば、これを使って、羽虫はあたしを脅迫したと言う」
「い、いや……きもダ……いえ、木許先輩に恋慕するなんて、百パーセントないです……。それだけは安心してください」
かおるは、ちょっと嫌そうな表情になった。
「まあ、そうだろうな」
大悟は苦笑した。
「とにかく、羽虫……。あなたにやって欲しいことがある。従いなさい」
「あのう……なにを……」
かおるが困惑した表情になる。
「羽虫に拒否権はない。逆らえば、恐喝未遂で告発する」
「逆らいません」
かおるがびくりと震えた。
「お前なあ、真白……」
大悟は大きく息を吐いた。