学園一の美少女は、キモデブの俺から絶対に離れない【完結】 作:ドン・ドナシアン
「羽虫は、学園内に蔓延っているSNSで情報を流しなさい。あなたは、そういうことが得意そうね」
真白は腕を組んだまま、わずかに顎を引いてかおるを見下ろしている。声量はそれほどでもない。怒鳴っているわけでもない。視線は一度も逸れず、かおるに有無を言わせないような圧があった。
「いえ、得意とか、そういうことは……」
かおるが小さく首を振る。怯えているのは確かだが、目線は外さない。
「なら、得意になりなさい。昨日からあたしについて、不愉快な噂が流れているのは知ってるわね?」
「……まあ、わりと派手に流れてますから」
かおるは小さく肩をすくめた。怯えはあるが、言葉は濁さない。
「えっ? どんな内容だ?」
思わず横から口を挟む。真白についての不愉快な噂──単純に気になった。
真白が一瞬こちらを見る。しかし、すぐにかおるに顔を向け直す。
「……大悟は知らなくていい。あたしが対応する」
「教えてくれないのか?」
わずかだが、むっとしてしまう。
「……教えたくない……。大悟の機嫌が悪くなる」
真白は大悟に横顔を見せたままだ。
「いまさら機嫌なんか悪くなるか。色々なことは、もう腹を括った」
「でも……」
迷う真白の横顔を見て、かおるには死角になる位置へ一歩寄る。
スカート越しに指先で一度だけ、お尻の溝を下から上へ軽くなぞった。そこも真白の最大の弱点のひとつだと覚えていた。
「……んんっ」
真白の肩がびくりと跳ね、息がわずかに漏れた。
しかし、すぐに姿勢を立て直す。だが、頬が赤い。
「……言えよ。命令だ」
耳元で低く言う。
真白は、一瞬だけ視線を伏せ、それから息を整えた。
「……あ、あたしに恋人ができたって、かなり流れてる。相手は憶測で何人も挙がってる。大悟の名前はない」
言い終えた真白の口元は、わずかに端が上がっていた。
ふと見ると、かおるは眼を丸くしている。
「……ええっと……。いまの、なんですか? 一瞬、一条さんの顔が、見てはいけない感じになってましたけど」
「余計なことは言わなくていい、羽虫。とにかく、お前は、学園のSNSに片っ端から、あたしと大悟が結婚したと流しなさい」
「いや、待てよ。それは学園に止められているだろう。教頭が念を押してただろ。夫婦の件は外に出すなって」
大悟は慌てて口を挟む。
真白の横顔は、さっきまでの強気とは違い、どこか意地になっている表情だった。
「あたしにメリットがない。大悟はあたしのもの。そのために、色々と跳ばして籍を入れた。曖昧にされるくらいなら、最初から既成事実にしたほうが早い」
真白がやっと大悟に顔を向ける。
無表情に近いが、大悟にはこれが不機嫌なときの顔だとわかる。
「色々と跳ばした自覚はあったんだな……。とにかく、結婚と出すのはだめだ。それに、なにもしなくても朝の騒ぎで俺が相手だってすぐ広がる。時間の問題だ」
「それじゃだめ……。つけいる余地があると思われるのが不愉快。夫婦だと教えたらいい」
「婚約だ。婚約で手を打て」
「嘘をつく必要はない。大悟はあたしの旦那様」
「いいから、言うこときけ──。はあ……。どうでもいいけど、お前、ときどき、子どもみたいになるな」
大悟は溜息をついた。
「あ、あのう……」
かおるだ。
視線を向けると、かおるは眼を見開いている。
「あのう……いまの話、本当なんですか? もう夫婦っていうのは?」
真白がかおるに向き直る。
「四月で成人してる。だから婚姻届を出した。本当。大悟が署名した」
当然のように言う。
「えっ、本当に──? すごい──びっくりです。結婚が本当なんですか──?」
かおるは唖然となっている。
「結婚が本当。すでに夫婦……。わかったら、羽虫はそれを拡散して」
「待てって。婚約だ──。参ったなあ……。じゃあ、小説では結婚と書いてもらおう。それで妥協しろよ、真白」
「……わかった。そこまで言うなら、大悟に従う……」
真白が低い声で言った。
だが、明らかに不機嫌だ。
大悟は小さく息を吐く。
「えっ、えっ、ええっ──。小説におふたりのこと書かせていただけるんですか──?」
かおるが声をあげる。
「どうせ、文芸部の部内冊子なんて、誰も読まないしな。それに、それが出る頃には、ほとぼりもさめてる」
「ひどいですね。絶対に注目されますから、『きもデブの逆襲』──」
「わかったよ。とにかく、取材は後日だ。SNSのことは頼んだぞ」
「任せてください──。その代わりに、絶対に後で取材させてくださいね」
かおるは、上機嫌で階段を駆けおりていった。
ふたりきりに戻ったところで、大悟は真白に身体を向け直す。まだ、ちょっと──いや、かなり機嫌が悪そうだ。
「……なんで? 結婚でいい。それが事実」
真白は不貞腐れた口調だ。
大悟はくすりと笑ってしまった。
「……どうした。まだ怒ってるのか?」
大悟は微笑んだ。
「……怒ってない」
真白は、わざとらしく大きく頬を膨らませた。
こんな顔を見せるのは大悟の前だけだ。家族の前でも、学園でも見せることはない。
「でも、怒ってるだろう?」
「怒ってない──」
真白は、くるりと身体を回し、大悟に背中を向ける。
大悟は苦笑し、ちらりと腕時計を見た。
かなり早めに学校に来たが、ホームルームの予鈴まであと五分ほどしかない。
「じゃあ、なんでもいいから、ひとつだけ言うことをきく。それで機嫌直せ」
真白の肩がぴくりと動く。
それは昔からの約束事だ。
喧嘩やすれ違いがあったとき、謝罪の代わりに“ひとつ命令に従う”。それで必ず、ふたりは仲直りしてきた。
「本当ね?」
振り返った真白の表情は、もう半分ほどほどけている。目尻が下がり、頬にはうっすらと赤みが差していた。
「本当だ。なんでも言うことをきく……。じゃあ教室に行くか」
大悟は真白のカバンと自分のカバンに手を伸ばす。
「……」
しかし、その手を真白が掴んだ。指先が制服の袖越しに絡む。
真白は一瞬だけ視線を落とす。呼吸がわずかに浅い。
さっきまでの不機嫌とは違う熱が、顔に浮かんでいる。
「……じゃあ、要求……」
ゆっくり顔を大悟に向ける。
真白の顔は真っ赤になっていた。
「あたしを、どきどきさせて……」
大悟の腕を掴んだまま、真白は甘えるように言った。
そこには、大悟へのはっきりとした期待感が浮かんでいる。一昨日と昨日──。ふたりきりの夜に、幾度も接した顔だ。
目の前の幼馴染の顔に浮かんだ妖艶な色に、思わず唾を飲む。
「ど、どきどきか?」
「うん、どきどき……」
大悟はじっと真白を見つめる。
階下の三階からは、廊下でたむろしていたり、ぎりぎりに登校してきた生徒たちが慌ただしく教室に向かう気配がしている。
大悟は、ぐっと手を握る。
目の前の美少女は、大悟の幼馴染で──学園一の美少女で──カーストトップ。そして、大悟だけのMだ──。
だから、大悟は真白のS──。
真白は、ちょっと潤んだ眼で、大悟を見ている。
怒っているのではない。甘えているのだ。
命令してほしいのだ。
「……なら、命令だ。ここでショーツを脱げ。今日一日、ノーパンで過ごせ」
意識して冷たい口調で言う。
真白の瞳が大きく見開かれる。
しかし、その動揺は一瞬で溶け、柔らかな色に変わる。
「……意地悪……」
「命令だ。逆らうな」
「……わかった」
真白は小さく息を吐き、制服の内側に両手を差し入れて、でもぞもぞと動かす。
数秒後、両足首から抜かれ、丸められた白い布が差し出された。
大悟はそれを受け取り、無言でポケットに押し込む。
真白はカバンを前に抱え、視線を伏せたまま一歩近づく。
三階へ向かう階段を下りながら、大悟は耳元に低く囁く。
「どきどきするか?」
大悟の言葉に、真白の肩が震える。
「うん……どきどきするよ、大悟」
その声は、満足していた。
だが、いつもよりも短くしたと口にしていたスカートの裾から伸びる脚はわずかに震えていた。
三階の廊下をクラスの教室に向かって歩く。
並んで歩くだけで、空気が変わる。すれ違う生徒の視線が、はっきりとこちらに向けられているのを感じた。
ひそひそと声が交わされ、足を止める者もいる。
学園内のSNSでどこまで流れているのかはわからない。朝の校門での宣言がどう伝わっているのかも、想像するしかない。
だが、少なくとも、なにかがあったことは共有されているらしい。
真白はいつもよりも静かだった。歩幅は小さく、無言のまま前だけを見る。
大悟はその横顔を一瞬だけ見て、歩調を合わせた。
予鈴が鳴ると同時に、ふたりは教室の扉をくぐった。
一瞬だけ、空気が止まる。
視線が集まる。ざわめきが広がるよりも早く、前方の扉が開いた。
「席に着け。ホームルームを始める」
担任の声で、教室は強制的に静まった。
出席確認が進む。誰も大悟と真白のことには触れない。朝の騒ぎは確かにあったはずだが、話題にする空気ではない。
「連絡事項だ」
担任はプリントを掲げる。
「文化祭の実行委員を決める。来週水曜、六限目のロングホームルームで選出する。立候補する者はそれまでに考えておけ。推薦も受け付ける。クラスから男女一名ずつだ」
小さなざわめきが起きる。
「押しつけ合いはするなよ」
軽い笑いが広がる。
それ以上の話題はなく、ホームルームは終わった。
担任が教室を出る。
次の授業まで、わずかな空白──。
途端に空気が緩む。
真白の席の周囲に、いつもの顔ぶれが集まった。笑い声が上がり、手振りが交わされる。真白は前側の中央付近、大悟は窓際の一番後ろと、ふたりの席はかなり離れている。なにを話しているのかは聞こえない。
真白は椅子から立たない。
背筋を伸ばしたまま、両手をきちんとスカートの上に置いている。
脚は揃えられ、膝がぴたりと密着している。
囲まれているのに、中心にいるはずなのにいつもより静かだ。
大悟は自分の席から、その様子を見ている。
口元が勝手に緩んだ。
一方で、大悟に話しかけてくる者はいない。
それもまた、いつも通りだった。
ほどなくして、一時限目の現代文の教師が入室する。
日直が号令をかけ、全員で起立して頭をさげる。だが、大悟は真白だけを後ろから見ていた。明らかに、いつもと違う真白のぎこちない礼が面白かった。
「教科書を開け」
ざわめきが収束する。
評論の本文が黒板に書き出され、淡々と授業が始まる。
大悟もノートを開く。
視界の端には、真白──。
右手で筆記している。
左手は机の下で動かない。
脚は揃えられたまま。
真白がふと顔を上げて、一瞬だけこっちを見た。
目が合う。
一瞬だけ、揺れる。しかし、すぐに逸らされる。
大悟は何も言わず、黒板へ視線を戻した。
一時限目の終了を告げるチャイムが鳴った。
椅子が引かれ、教室は一気に緩む。
大悟はノートを閉じ、次の数学Ⅲの教科書を机の中から引き出そうとした。
そのとき、机の上に影が落ちる。
顔を上げる。
三人の女子が立っていた。
いずれも、クラスのなかでは、ちょっと癖のある連中だ。
「……ねえ、きもダイ、あんたさ、あのお姫様と付き合ってんの? ウケんだけど」
声は抑えめだ。
今度は、口元を押さえていた女子が、くすりと笑う。
「ねえ、朝、校門で公開告白したっての、ホント?」
「一条さんとあんたが婚約したってのも、流れ出したけど? あんた、なんかしたの?」
三人が面白がるように、大悟の机に寄る。
強い香水の匂いで、思わず鼻がむずついてしまう。