学園一の美少女は、キモデブの俺から絶対に離れない【完結】 作:ドン・ドナシアン
階段を降りかけたところで、下のキッチンから、突然、重い衝撃音が鳴り響いた。
ドン、と鈍い音が壁を震わせる。
「なに? なんの音?」
陽奈が目を見開く。
「なんだ? 料理の音じゃねえよな」
大悟は陽奈と顔を見合わせ、ほぼ同時に階段を駆け下りる。
キッチンの入口が見えた瞬間、大悟はびっくりした。
「うわっ、真白姉ちゃん、待って──」
「危ない、動くな──」
真白がキッチンの中央に立ち、右手に包丁を握りしめていた。しかも、その包丁を頭の上まで大きく振りかぶっている。
「……どうかしたの、大悟?」
包丁を天井に向けた姿勢のまま、真白が顔だけをこちらに向けた。
「どうかしたじゃねえよ。なにやってんだ?」
「……なにって、オムライス。とりあえず、玉子を切る」
「玉子?」
大悟は怪訝に眉を寄せ、真白の前のまな板を覗き込んだ。
木のまな板の上に、玉子がひとつ置かれている。
ただ、その玉子とまな板のあいだには、なぜか布巾が一枚挟んであった。
「真白姉ちゃん、もしかして、玉子を包丁で切ろうとしてる?」
陽奈が声を上げる。
「大丈夫……。さっきは転がってうまく当たらなかった。今度は転がらないようにした。ちょっと離れて」
真白は淡々と言い、再び玉子に向き直った。
さっきって……あの凄まじい音は、まさか包丁にまな板が当たった音なのか?
そのとき、包丁が、再び振り下ろされようとする。
「やめてえっ」
陽奈が悲鳴を上げた。
「わっ、一度、包丁をおろせ──。め、命令だ──」
大悟も思わず叫ぶ。
一瞬、身体を静止させた真白が、ゆっくりと包丁をおろした。
ほっとした。
しかし、大悟は、横のコンロに目をやって凍りついた。
火がついている。フライパンが熱せられ、表面から白い煙のようなものが立ちのぼっていた。
「……火も消そうか」
大悟は急いでコンロに歩み寄り、つまみを回して火を止める。
さらに、真白の手から包丁をそっと取り上げた。
「はあ……びっくりした……」
ようやく包丁のなくなった真白の手を見て、陽奈が胸を押さえている。
大悟も大きく息を吐いた。
「真白、玉子は包丁で切らない」
まずはそこからだと思った。
真白がわずかに眉間に皺を寄せる。
「……じゃあなんで切るの? 玉子を切ってフライパンで熱する。それで正しいはず」
「全然正しくないよ。玉子は切るんじゃなくて割るのよ、真白姉ちゃん」
反対側からまな板を覗き込みながら、陽奈が言う。
「……割るってなに? 切ると割るは一緒でしょ」
「その一緒という発想がわかんない。やっぱり真白姉ちゃんって、一度も料理したことないの?」
「誰でも最初はある。でも、あたしは大悟に料理を作りたい。妻の役目」
真白はきっぱりと言った。
「……いや、俺が作るよ。座ってくれ」
大悟は腕をまくりながら言う。
その瞬間、真白が一歩踏み込んできた。胸を押しつけるように肩へ身体を当ててくる。
思わず大悟は一歩後ろへよろめいた。
「……あたしは大悟に料理を作りたい……。それが妻の役目」
静かな声だったが、妙に圧がある。
大悟は訝しんで真白の顔を見る。
無表情だが、明らかに不満顔だ。
「わっ、これなに?」
陽奈が突然声を上げた。
大悟もそちらを見る。
シンクの中にボールが置かれていた。
その中に生米が山のように入っている。しかも、その米はケチャップが混ぜ込まれて、どろりと赤く染まっていた。
……赤い。
「……オムライスのケチャップライス」
真白が淡々と言う。
「ケチャップライス?」
陽奈が首を傾げている。
「ご飯をケチャップで混ぜながら材料を加えて混ぜるとあった。レシピのとおり。まだ全部材料を混ぜてない」
「ええ? 炊く前に混ぜるの? そんなレシピがあるの?」
「これ」
真白が陽奈に向かって、キッチンテーブルの上に置いていたスマホを差し出した。
大悟も横から覗き込む。
材料を先に炒めて、ご飯とケチャップを混ぜながら温めるという、ごく普通のケチャップライスのレシピだった。
「ご飯じゃなくて、どうして、お米のままなの?」
陽奈がスマホと真白を交互に見る。
「ご飯だよ……。お米はご飯でしょ?」
真白も不思議そうに首を傾げた。
「えええ? 真白姉ちゃんって、そんなになんにも知らないの? 家庭科の授業はどうしたのよ」
「……家庭科は満点。全部覚えている」
「覚えてないわよ。ご飯は電気釜で炊くんだよ。それに、お母さんが冷凍庫に入れてるご飯、いっぱいあるじゃん。それを使えばよかったのに」
「電気釜で炊くのは知っている。でも、やり方がわからないから、フライパンでやろうと思った。材料を入れて熱を加える。やっていることは一緒」
「違うだろ」
大悟は思わず笑ってしまいそうになるのを堪えた。
「まあいいや。……こうなってしまったら、パエリアにするか」
そう言いながら、真っ赤に染まった生米の入ったボールを手に取る。
「へえ、パエリアでもいいよ、お兄ちゃん」
陽奈が明るく声をあげる。
「わかった。真白はもういいぞ」
「……うう……。料理の役目……」
しかし、真白が小さく呟いた。
そして、今度は本当に大悟を押しのけるように身体を寄せてきた。
「いや、真白姉ちゃん、お兄ちゃんに頼も。やってくれるって。行こうよ」
陽奈が手を伸ばした。
「ああ、大丈夫だ。とりあえず三十分くらいだから、上に行ってていいぞ」
大悟はそう言いながら、キッチンの方へ向き直った。腕を軽く振って、調理の準備を始める。
フライパンでもいいが、たしか母親が趣味で買った中華鍋があったはずだ。米の状態から考えると、その方がまだやりやすい。
大悟は棚の方へ手を伸ばしかけて、ふと視線をキッチンの中に走らせた。
思わず、小さく笑う。
あれだけ無茶な料理をしていたわりに、台所は妙に整然としている。
玉子はまな板の上に置かれ、包丁もきちんと横に揃えてあった。ケチャップのボトルも、生米の袋も、乱雑に散らばっているわけではない。材料や道具はきれいに並んでいる。
もし本当に玉子に包丁が当たっていたなら、黄身や殻がそこらに飛び散っていてもおかしくないが、そんな形跡はない。
几帳面なのか、不器用なのか、よくわからない。
台所の状態だけを見ると、料理の初心者が暴れたようには見えなかった。
そのときだった。
「ぶわっ」
思わず変な声が漏れた。
真白の身体がぐっと前に出てきて、乳房が大悟の顎に押し当てられたのだ。
「えっ、真白?」
大悟は反射的に顔を上げる。
真白はすぐ目の前に立っていた。
距離が近すぎる。
しかも、表情はさっきよりさらに不満そうだった。無表情のまま、じっと大悟を見下ろしている。
「……あたしが料理したい。妻だから……」
「いや、無理でしょ」
陽奈が横から容赦の無い突っ込みをする。
大悟は頭を掻いた。
「ああ……じゃあ……卵焼き作るか? 教えてやるから。俺は横でパエリア作るよ」
大悟は言った。
「やる」
真白が無表情のまま、目尻をすっと落とす。
こいつが、大喜びをしているときの表情だ。
学校から配られていた数学のプリントを解いていると、階段の下から大悟の声が聞こえてきた。
顔を上げて、時計代わりにしていたスマホの画面を見る。
もう一時間くらい経っていた。
陽奈は立ち上がって階段を降りる。
ダイニングに入ると、テーブルの上に夕食が並んでいた。
三つの皿に分けられた赤いパエリア。そして、大皿の上には卵焼きが置かれている。きれいに巻かれていて、等間隔に切り分けられていた。
思わず少し目を丸くする。
卵焼きは、真白が担当するようなことを口にしていたと思うけど……。
真白はすでに席についていた。いつものように背筋をぴんと伸ばして椅子に座っている。
大悟は冷蔵庫から水出しの緑茶を取り出していた。コップに注ぎ、陽奈が椅子に座ると、その前へ静かに置いてくれる。
「ありがと」
そう言いながらコップを手に取ったときだった。
横目に、真白がちらりと大悟の様子を見た。
そして、大悟の席の椅子を、すっと自分の方へ引き寄せた。
陽奈は、眼を細める。
大悟が振り向き、椅子に腰を下ろそうとして──ふと「あれ?」という顔になった。
少しだけ横にずらそうとしたが、その瞬間、真白の手が椅子の背をがっしり掴んだ。
一瞬だけ、二人の眼が合う。
真白は微動だにしない。
大悟がその手を見て、小さく息を吐いた。
そして諦めたように、そのまま腰を下ろす。
結果、大悟と真白はほとんど肩が触れるほどの距離になった。
……というより、完全に密着している。
あれでは食べにくいだろう、と陽奈は思う。
でも、真白は少しだけ口元を緩めていた。
滅多に表情を崩さない真白が明らかに微笑んでいるのだ。
あれは、かなり機嫌がいいのだろう。
陽奈は、小さく笑ってしまった。
「へえ、綺麗な卵焼き。本当に真白姉ちゃん?」
陽奈が手を伸ばし、取り箸で卵焼きを取ろうとした。
その瞬間だった。
真白の手が、がしりと皿を掴んだ。ぐい、と自分の方へ引き寄せてしまう。
「えっ?」
取り箸を持ったまま、陽奈は思わず声を上げた。
すると、その箸もすっと奪われる。
「大丈夫。あたしが渡す。皿ちょうだい」
真白が言う。
陽奈は自分の皿を差し出した。
真白は、その皿を横に置き、大悟の皿を手に取ると、卵焼きをじっと見つめる。
「……これと、これが一番形がいい。これは大悟」
そう言って選んだ二切れを、大悟の前の皿に丁寧に置く。
次いで、陽奈の皿に残りの卵焼きを二切れ移した。こちらは特に選ぶ様子もなく、さっと置いただけだった。
陽奈は苦笑する。
「……そんなにこのお兄ちゃんが好き?」
思わず聞いてしまう。
目の前の真白は絶世の美少女だ。太っていて背も低く、「きもデブ」と呼ばれる兄の大悟とはどう考えても釣り合わない。
なのに、真白は大悟にひどく執着している。
どうしても理解できない。
「好き……。当たり前」
真白はあっさりと言った。
あまりに迷いのない答えだった。
でも、釣り合っていないカップルのはずなのに、こうして三人で食卓を囲んでいると、不思議とお似合いに見えてくる。
「陽奈、食べてみろ。味見したけど、よくできてるぞ」
大悟が言った。
陽奈は卵焼きを口に運ぶ。
「……普通に美味しい」
思わず声が漏れた。
「大悟が教えてくれた。明日から毎日作る」
「ねえ、あの感じなのに、本当に全部真白姉ちゃんが作れたの?」
陽奈は、箸をスプーンに持ち替え、パエリアを口にしながら今度は大悟を見る。
大悟は窮屈そうに卵焼きを食べていた。真白と完全に密着しているせいで、少し体を傾けないと箸が動かせなさそうだ。
「そうだな。教えただけだ。手際もいいし、多分、他の料理もできるようになる。やったことがなかっただけだ」
「卵焼きは完璧。油は十五cc。キッチンペーパーに染み込ませてフライパンに塗る。それから……」
真白が説明を始めた。
「えっ、油十五ccってなに?」
陽奈は思わず口を挟む。
「大さじっていう計量用の道具。それを縁まで入れると十五cc」
「ああ、大さじ一杯のこと? そうなの? 適当でいいんじゃないの?」
フライパンに敷く油の量なんて、量って入れたことはない。
「適当でもいいんだけど、真白はちゃんと数字で示した方がわかりやすいみたいだ」
「大悟の教え方は上手。レシピよりもわかる。塩少々もわかった。一番小さい茶さじで薄く敷くまで。砂糖は……」
「ああ、いいよ」
陽奈は慌てて手を振った。
真白はまだ説明を続けたそうだったが、口を閉じる。
一方で、大悟は卵焼きばかりを美味しそうに食べている。
真白は、大悟が本当に美味しそうに卵焼きを食べているのを見て、満足そうだ。
やっぱり、お似合いなのかもしれない。
「パエリアも美味しいよ、お兄ちゃん」
陽奈が言う。
「パエリア“も”か?」
大悟が相好を崩した。
「パエリアも次は覚える……。教えてほしい。料理は妻の役目。覚えたい」
真白が大悟を見た。
「パエリアは……すぐには難しいんじゃねえか。まあ、そのうちな……。とりあえず、卵焼きを頼む。ほかのは俺が作るから……。あと、当分は俺のいないところで、しばらく料理はやるなよ……。ええっと、命令だ」
「むう……。命令は狡い……。だったら、夜にやってみたいことがある。そっちを教えて」
「夜?」
「大悟の集めている雑誌にあった……。口でするやつ。パエリアよりは簡単そう」
「ちょっと──真白姉ちゃん──。やめてよ」
さすがに、陽奈は赤面してしまった。
翌朝、陽奈が一階に降りていくと、いつものように家族が揃っていた。
台所にはお母さんと真白。
テーブルにはお父さんと大悟が座っている。
食卓には、ご飯と味噌汁、漬物と納豆。隅にお母さんが作った三人分の弁当が並び、その横に大皿の卵焼きが置かれていた。
「おはよう、陽奈」
「おはよう」
お父さんとお母さんが声を掛ける。
「おはよう」
大悟も軽く手を上げた。
「おはよう」
陽奈も席につきながら返す。
「陽奈ちゃん、おはよう」
真白が大悟の茶碗によそったご飯を前に置きながら言った。
そのとき、陽奈は大皿の卵焼きに目を留めた。
「あれっ、この卵焼き……?」
形と色に見覚えがある。
昨日、真白が初めて作った卵焼きと同じだ。
「真白ちゃんが作ったらしいぞ。美味しかったぞ」
すでに朝食を終えているお父さんが、湯呑みのお茶をすすりながら言う。
「大悟のために作った。余りはみんなも食べていい」
真白はそう言いながら、自分のご飯をよそい、大悟の隣に座った。
「本当、かなりの手際で驚いたわ。真白ちゃん、料理も上手なのね」
お母さんが感心したように言う。
「卵焼きは得意。ほかのは少しずつ覚える。大悟が教えてくれる」
真白は淡々と答えた。
そのとき陽奈は、ふと気づく。
大皿とは別に、大悟の前の皿にはすでに卵焼きが取り分けてあった。
しかも一番形のいいものばかりだ。
なるほど。「大悟のために作った。余りはみんなも食べていい」というのは、本当に言葉通りらしい。
「一条のお母さんは、今日は向こう?」
陽奈は味噌汁をすすりながら聞いた。
真白と母親の一条さんは二人暮らしだが、朝食だけはこの家で一緒に食べることも多い。昔からの付き合いで、ほとんど家族のようなものだった。
「お母さんは昨日から出張。戻るのは明後日」
真白が言う。
「そうなの」
陽奈は頷いた。
……ということは。
昨日の夜は、大悟と真白は一条家で二人きりだったということになる。
ふと、昨日のことを思い出す。
そして、つい想像してしまう。
夜の一条家。
二人きりの家。
大悟と真白……。
……いやいやいや。
陽奈は慌てて頭を振った。
なんだかんだで、大悟も真白も、かなりエッチだ。
でも、兄のそういうことを想像するのは、さすがに嫌だ。
……とは思うのだけど。
気になってしまうのも事実だった。
つい、ちらりと真白のスカートに包まれた下腹部へ視線を向けてしまう。
確か──昨日、真白が学校につけていくとか言っていた、あの変な道具……。
本当に、しているのだろうか……?
その視線に気づいたのか、真白がわずかに首を傾げた。
そして椅子を少し寄せ、顔を近づけてくる。
「……あれは学校でするのは無理だった。つけてない」
耳元で小さく囁いた。
「ま、真白姉ちゃんって──」
陽奈は絶句した。
【作者より】
ハーメルン版では、真白の「初フェラ体験」のエピソードを、次回投稿の閑話として追加予定です。