学園一の美少女は、キモデブの俺から絶対に離れない【完結】 作:ドン・ドナシアン
朝の空気はまだ少しだけ軽かった。五月の連休の合間の平日だからか、人の流れもどこか緩い。大悟と真白は学園への道を並んで歩いていたが、いつもよりも人はまばらな感じがする。
「弁当、今日は普通だから」
真白が前を見たまま言う。
「普通ってなんだよ?」
「卵焼きと、昨日の残り。あとウインナー」
「十分だけど、お前、そればっかりだな」
大悟は短く返す。
「むっ、じゃあ、ほかのも教えて」
「そのうちな」
大悟は小さく笑う。
真白はもともと料理をほとんどやったことがなかったが、一度覚えたレシピは崩さない。いまのところ、作れるのは卵焼きとウインナーだけだが、そのふたつは間違いなく絶品だ。
「でも、毎日、早起きしているのに、無理して弁当作らなくていいんだぞ」
大悟は真顔に直して、真白を見る。
真白の朝は早い。運動、身支度、肌と髪の手入れ、弁当、予習まで一通りこなしてから登校している、完璧な美貌と成績は真白の努力のうえで成り立っている。
正直にすごいと思う。
とてもじゃないが、大悟は真白のようにはできない。
「無理ならやらない。これは無理じゃない」
「じゃあ、無理だと思ったら必ず言うんだよ。命令だ」
「むううっ、命令……。わかった」
“命令”と言えば、真白は逆らわない。そういうことになっているのだ。
真白はちょっとだけ不本意そうな表情になったが、それ以上はなにも言わなかった。
駅からの通学路に差し掛かると、人の密度が変わる。さっきまでの空気が薄くなり、制服の群れが一気に周囲を埋めていく。
横をすれ違う連中の視線が、わずかに集まるのを感じる。
大悟と真白のカップルも、少しずつ浸透はしてきたが、まだ違和感があるのか、いまだに珍百景扱いでもある。ほかの生徒たちのざわめきがどうしても耳に入ってくる。
『……あれだよな』
小さな声が、すぐ後ろで途切れる。
『マジで?』
『いや、でも──』
別の方向から、似たような声が重なる。
大悟はできるだけ気にしないようにして、前を向いたまま歩く。真白も同じだが、真白については、心底、気にならないのだと思う。
幼い頃から図抜けた美貌を持つ真白は、常に人の視線と噂話の対象だった。大悟は慣れないが、真白にとってはこれが日常なのだ。
『ほんとか?』
『……デブの方だろ』
今度ははっきり聞こえた。すぐに笑いを噛み殺すような音が続く。
『やめとけって』
『でもさ、あのデブでいいなら──』
言葉は最後まで聞こえない。
人の流れに紛れて、声だけが断片で残る。
真白は一度も振り返らない。
「ねえ、大悟、昼はどうする?」
すると、ふと真白が訊ねてきた。
「昼って? 一緒に喰わないのか?」
「一緒は当然。羽虫があたしたちのことを聞きたいって言ってた」
「そういえば、そんな連絡が昨夜、あったんだな。忘れてた」
“羽虫”と真白が呼ぶのは、文芸部に所属する遠藤かおるという女生徒のことである。縁があり、真白が舎弟のように扱っているが、大悟と真白の関係を小説のネタにしたいと頼まれていて、そのうち取材の時間を作る約束になっていた。
しばらく放置していたが、そろそろ話を聞かせてくれと言ってきたのが、昨夜のメッセージアプリだ。
「できれば、昼食を一緒にどうかと連絡が来た」
「どこで?」
「文芸部の部室。文化部棟。エアコンもあるらしい」
「教室や学食で食べるよりも煩わしくなさそうだな。いいんじゃねえか」
「わかった。じゃあ、羽虫にあたしたちの教室に迎えに来るように知らせておく」
真白はスマホを取り出して、歩きながら素早く操作をすると、しまい直してそのまま歩き続ける。
大悟と真白に向ける奇異の視線はなくならない。そのまま通学路を校門に向かって進む。
そのときだった──。
「大くん──」
不意に後ろから声を掛けられた。
「ああ、賢一、おはよう」
大悟は振り返った。
駆け寄ってきていたのは佐藤賢一 ── 大悟と一年のとき同じクラスだった友人だ。戦国大名シミュレーションゲームが好きで、同じゲームオタクでよくつるんでいた。二年になってクラスが変わり、顔を合わせる機会は減ったが、会えば普通に話す程度の距離は保っている。
「……おはよう」
真白も振り返って声をかけた。
「あっ、真白姫──」
すると、賢一が硬直したように立ち止まって真っ赤になった。
「真白姫?」
真白がいつもの無表情のまま首を傾げる。
「あっ、すみません。つい癖で──。ぼ、ぼくは、大くんの……いや、大悟……大悟くんの友達で……」
賢一はしどろもどろと真白に向かって喋り始める。かなり緊張しているのは明白だ。
考えてみれば、家が隣通しの幼馴染で放課後は、大悟の家に入り浸っていた真白だが、学園内でも親しく接するようになったのは、この半月くらいのことだ。
賢一にも、真白のことは話したことはない。
「普通でいい……。賢一くん」
真白が振り返って、賢一に視線を向けたまま言う。
「えっ、なんで僕の名前を……」
「大悟から聞いている。夫の友達は把握する」
「えっ、夫……?」
「なんでもない──。行くぞ──」
大悟は慌てて口を挟んだ。
三人で学園に向かうかたちになる。
学園に近くなったことで歩道も広くなり、大悟と真白が並ぶ左隣に賢一が重なる態勢になった。
「あ、あの、いい天気ですね」
賢一は真っ赤になったままだ。すでに可哀想なくらいに汗もかいている。
「なんで、天気なんだよ?」
大悟はすかさず突っ込む。
「だって、お前、緊張すんだろ──」
「緊張?」
真白が口を挟んだ。
「あっ、すみません。緊張してません」
「いや、してんだろ」
大悟は笑ってしまった。
「はあ……でも、なんで、お前、普通なんだよ」
賢一が大悟に向かって、大きく息を吐く。
「普通って、当たり前だろ」
「当たり前じゃねえよ。真白姫だぞ……。あっ、ごめんなさい、一条さん」
賢一は一瞬大きな声をあげたが、真白の存在を思い出して、すぐに小さく謝った。
「問題ない」
真白は淡々と応じる。
すると、賢一はまたもや、大きく息を吐く。
「はああ……。でも、付き合っているって、ホントだったんだな。まあ、前から噂になっているけど……」
「碌でもない噂だろ。俺が脅しているとか」
大悟はさっきの生徒たちのささやきのことを思い出して言った。
似合わないカップル──。
それが大悟と真白の評価なのはわかっている。それどころか、大悟が真白に迫ったとか、弱みを握っているとかいう噂もなかなか消えないようだ。
まあ、気にしないようにはしているけど……。
「いや、大くんが脅すとか。ありえねえよ。そんなこと信じるわけないだろ」
賢一がきっぱりと言う。
「おっ、そうか。そりゃ、ありがと」
「まあ、勝手な噂があるのはホントだけどな……。名物カップルって、珍しがっているだけだと思うぞ……。でも、仲よさそうだな。よかった。心配してたんだ」
「心配って?」
真白が口を挟む。
「あっ、いや、心配とか。そういうことじゃなくて……。あ、あのう……ごめんなさい、一条さん」
「お前、謝ってばかりだな」
大悟はまた笑ってしまう。
「よかったとは?」
真白は真顔のまま賢一をじっと見る。
賢一の顔がみるみる再び真っ赤になる。
「い、いや。その……。大くんが大丈夫かあとか……。まさか、嘘告とかじゃないよなあとか……。そんなわけないけど、ちょっと心配で……。あの、あの、ごめん──。そんなことなさそうだし。よかった」
賢一が顔の汗を手で拭きながら言う。
大悟は思わず口角をあげた。
「……まあな。心配してくれたのか……。実は、幼馴染なんだ。前からこんな感じだ。言わなかったけどな」
「げえっ、幼馴染──。結局、お前もリア充だったのかよ。俺たちの仲間みてえな振りして」
「仲間だろ。勝手に仲間外すな」
「うるせい──。この裏切り者──。あっ、ごめんなさい、一条さん」
賢一がまた真白に謝る。
「あたしにも普通でいい。言葉も」
「いや、いやいやいや──。そんな畏れ多い──。そんなわけないです──」
「そんなわけあるだろ。普通に喋ろって」
大悟は声をあげた。
「そ、そんなわけいくか──。ああ、もうだめだ──。俺は先に行く。じゃあ、またな──」
賢一は脱兎のごとく駆けだしていく。
あっという間に、先を進む生徒たちに紛れて姿が見えなくなった。
「……逃げたな」
大悟は呆れたように言って、頭をかいた。
「うん、逃げた」
真白は淡々と答える。
そのまま三人で歩いていたときと同じ歩幅で、何事もなかったかのように前へ進む。
校門を抜け、昇降口へ向かう。
下駄箱の列に入ると、周囲の空気がまたわずかに変わった。
視線が集まる。
だが、誰も話しかけてこない。
真白は自分の口箱の前に立つと、迷いなく手を入れた。
「今朝は三通」
取り出した封筒を、そのまま大悟に差し出す。
「仮にも、お前宛だろ。毎回俺に渡すなよ」
「夫婦に秘密はない。必要ないなら捨てて」
「捨てるくらい自分でしろって」
大悟は苦笑しながら封筒を受け取る。
上靴に履き替えて、校舎内に進む。
真白は視線を動かさない。
しかし、胸ポケットからスマホを取り出して、ちらりと画面を見てから、大悟に視線を向けた。
「羽虫から。昼休みに迎えに来るって」
「わかった」
大悟は頷く。
そして、途中にあった廊下のゴミ箱に、さっきの手紙をそのまま放り込んだ。
紙が軽く当たる音がして、静かに沈む。
ざわめきが一段大きくなった気がした。もちろん、大悟は気にしなかった。