学園一の美少女は、キモデブの俺から絶対に離れない 作:ドン・ドナシアン
「まあ、あんた、その格好で、玄関から来たの?」
麗子さんが真白姉ちゃんを見て、眉をひそめた。
「どうせ隣じゃない」
真白姉ちゃんはそう言って、わざわざ椅子を少し移動させ、ぴたりと距離を無くして、きもデブの隣に座った。
暑苦しくないのだろうか。
真白姉ちゃんの髪は、タオルで包んではいるけど首元から雫が少し垂れている。
「あんた髪くらい乾かしてきなさいよ。風邪引くわよ」
「大悟がお腹空いたって言ったから」
「それなら自分だけ乾かしてくればいいでしょう」
「大悟のそばにいたい」
「……あんた、大悟くんを手に入れたら、もう気を抜いてるのね」
「抜いてない。これも技のひとつ」
「技?」
「湯上がりでうなじ見せてる。大悟は興奮してくれる」
「ま、真白……」
きもデブが動揺して、顔を赤くした。陽奈は思わず嘆息してしまう。
一方で、真白姉ちゃんは本気だ。冗談の気配がひとつもない。
そして、麗子さんの顔はひとつも見ずに、すでに小皿を取り寄せて、どんどんとお寿司やおかずをその皿の上に盛りだしている。自分の皿じゃなくて、きもデブの皿に。
「あっ、自分でやるよ……」
きもデブが戸惑っている。
「やらなくていい。妻の役目……。取ってほしいのがあれば、命令して」
真白姉ちゃんは、真剣な眼でおかずの容器を見て、さらにデブの皿に盛っている。すでに山盛りになっている。
「おっ、なんかすげえな。まあ、それくらい食うか。だが、大悟ももう少し、痩せた方がいいんじゃないか。お前もそろそろ食うのは自重しろよ」
冷蔵庫から新しい缶ビールを持ってきたお父さんが座り直しながら笑う。
「……痩せなくていい……。格好良くなったらいや」
真白姉ちゃんがぼそりと言った。そして、今度は盛った食べ物を箸できもデブの口に持っていく。
きもデブは、照れたような表情になり、口を開けてそれを口にした。
真白姉ちゃんは、相変わらずの無表情だ。しかし、よく見れば、口の端がわずかにあがってる。
まったく……。
やっぱり、世界の七不思議だ。
「ありがとう……。でも、真白も食べろよ。あとは自分で食べるよ」
「むっ、まだやりたい」
「いいから」
きもデブが真白姉ちゃんから、箸をとりあげる。
「ははは、若いっていいなあ」
お父さんが笑った。
「……ねえ、お二人さん。うちの食卓でそのあーんはやめない?」
陽奈が我慢できずに、ついに口を挟んだ。
そもそも、真白姉ちゃんのきもデブとの距離がおかしくなったのは、あの結婚騒動からだ。それまでも、仲がいいなあとは感じていたけど、それは幼馴染としての馴れ合いのようなものだと思っていた。
なにしろ、このきもデブと、大美少女の真白姉ちゃんだ。恋人になる可能性など、微塵も感じてなかった。
しかし、 籍を強引に真白姉ちゃんが入れてから、たがが外れたように、真白姉ちゃんは自重しなくなった。
いまにしてわかるが、真白姉ちゃんがこのきもデブを好きすぎるのだ。
おそらく、真白姉ちゃんはおかしい。
その真白姉ちゃんがきょとんとした顔で、陽奈を見る。
「どうして、陽奈ちゃん?」
「どうしてって……」
「大悟が喜ぶ」
「喜んでないよ。あっ、いや、喜んではいるけど……」
きもデブが小声で言った。
「喜んでるんだね」
「まあ……」
「じゃあ、この話は終わり。まだ、やる」
真白姉ちゃんは、今度は自分の箸できもデブの口にお寿司を運び出した。
「あんた、いい加減にしなさい。ほんとに大悟くんのことになると、おかしくなるわねえ」
麗子さんが呆れながら言った。
「妻として、当然のことをしてるだけ」
「はいはい。で、あんた本当に髪を乾かさないの? 髪が傷むわよ。アシュフォードの契約のこともあるんだから」
麗子さんがふと真面目な声を出した。
Ashford〈アシュフォード〉──。
真白姉ちゃんがカタログモデルをしているアメリカの一流ブランドだ。
真白姉ちゃんがモデル活動をしていることは、お母さんたちはなんとなく知っていたみたいだけど、きもデブも知らなかったし、陽奈も知らなかった。真白姉ちゃんときもデブが結婚をしてから教えてくれた。
カタログモデルとは言いながら、アメリカ国内向けのファッション雑誌にも数回載ったらしい。
そのため、モデル単価が高くなっていて、お母さんが前に『あの子は一回の仕事で庶民の何か月分も稼ぐらしい』と言っていた。
まあ、あの真白姉ちゃんなら、おかしくはない。
ただ、海外ということで、学園では誰も知らないだろう。陽奈も真白姉ちゃんが載ったという雑誌は、見たことはない。
「契約に髪を乾かすことなんて書いてない」
「そういうことじゃなくて、あんた、見た目が仕事なんだから」
「なら、大悟に乾かしてもらう」
「はあ?」
「大悟、あとで髪を乾かして」
真白姉ちゃんはまた兄を見る。兄はうんと小さく頷いた。
「大悟くん、あなたも大変ねえ」
麗子さんが深いため息をついた。
「いや、別に……」
きもデブは困ったように頭をかいた。
でもまんざらでもない顔をしている。
きもデブのくせに。
陽奈は麦茶を一口飲んだ。
「それに、どうせまた汗をかくから。シャワーを浴び直す。そのときにちゃんとする」
真白姉ちゃんが唐突に言った。
一瞬、ダイニングの空気が止まった。
「汗をかく?」
お母さんが箸を止めて聞き返した。
「そう。大悟と、またいっぱい汗をかく」
真白姉ちゃんは無表情のまま兄の手を握った。テーブルの下だが、横なので見えてしまった。
「おい、真白……」
きもデブが焦った声を出す。
陽奈は、顔を背けて息を吐く。
「本当のこと」
「本当のことでも言わなくていいことがあるだろ」
「隠すことじゃない。大悟と汗をかくことは、恥ずかしいことじゃない」
「いや、恥ずかしいだろ」
兄の顔が真っ赤になっている。
真白姉ちゃんは相変わらず無表情だった。でも頬だけがほんのりと赤い。
「まあまあ。そういうことは、二人の部屋でやってくれよ」
お父さんが頭をかきながら言った。
「そうね。食卓で言うことじゃないわね」
お母さんも苦笑いしている。
一瞬、静まり返っていた部屋が賑やかさを取り戻す。
真白姉ちゃんたちも、握っていた手を離して食事を再開した。
「はいはい。この子は、大悟くんのことになるとほんとにブレーキが利かないわね」
麗子さんはワインをあおった。
「で、その汗をかくことに関係するんだけど……」
麗子さんは真白姉ちゃんをじっと見た。
「……あんた、ちゃんとピルは飲んでるでしょうねえ」
麗子さんが言った。
手元のお寿司を食べようとしていた真白姉ちゃんがぴたりと止まった。
「……」
「真白?」
麗子さんがもう一度呼んだ。
真白姉ちゃんは箸を持ったまま動かない。目はテーブルの一点を見ている。無表情なのはいつも通りなのに、今日はその無表情がなんだか答えを隠しているように見えた。
「えっ、真白?」
きもデブが横から覗き込む。
明らかに焦っている。
真白姉ちゃんは、黙ったままだ。
「ちょっと、どうしたのよ」
お母さんも箸を置いた。
「まさか、飲んでないの?」
麗子さんの声が少し低くなった。
真白姉ちゃんは、黙ったままだ。
「飲んでないのか、飲んでるのか、ちゃんと答えなさい──」
麗子さんが大きな声をあげた。
「一応……飲んでる……」
今度はゆっくりと首を縦に振った。
「……おいおい」
お父さんが低い声を出す。
大人たちは、一斉に息を吐いた。
「……でも、やめてもいいんじゃないかと思ってる。自然に任せても……」
「えっ?」
声を出したのは、陽奈だった。
ほかの大人たちは、顔をひきつらせている。きもデブは、目を丸くしているだけ。
「ちょっと、なに言ってんのよ、あんた──」
麗子さんが声をあげた。ワイングラスがテーブルに強く置かれて、ごんと音がした。
「冗談を言ってないで、ちゃんと飲みなさいよ」
「冗談は言ってない。あたしたちは夫婦。結婚すれば、子ができても変じゃない。普通のこと……」
「あんたたちは、高校生でしょう──。やっちゃいけないって言ってんじゃないわよ。避妊はしなさいと言ってるの──」
「ちょっと、麗子さん、落ち着いて……」
お母さんが口を挟む。
「アシュフォードの契約のこともあるのよ──」
「妊娠してはならないという契約はない」
真白姉ちゃんがいつもの平坦な声で応じた。
「言外に当然でしょう。あなた、まだ高校生なのよ」
「高校生でも、妊娠はできる」
「できるからって、していいわけじゃないの」
「できても問題ない。大学は産んでからでもいける。保育園に預けて一年遅れて通ってもいい。そのお金もある」
「あんたねえ……」
麗子さんが額に手を当てる。
陽奈はきもデブを見た。
真白姉ちゃんの横で、顔を真っ赤にして固まっている。
「やめてよね。マタニティバッジ付けて卒業式なんて。また呼び出されて叱られるでしょう」
「呼び出されてもいい。大悟の子なら」
「わたしは、呼び出されたくないの──」
麗子さんがテーブルをばしんと叩いた。
部屋がまた静まりかえる。
きもデブがなにか言えばいいと思うけど、まだ固まっている。
「大悟は、いや?」
真白姉ちゃんがきもデブを見た。
「いや……ってわけじゃないけど……。その、まだ早いだろ」
「早くない。大悟との子どもだったら、いつでもいい。妊娠する」
「いやあ……。まだ、よくないかなあ……」
きもデブが気押された感じで言った。
「……大悟くん……。悪いけど、あなたが避妊して……。この子、あなたのことになると、なにするかわからないから……」
麗子さんが椅子に背中を預けるようにして、額に手を置いたまま言った。
「そうだな。ゴムしろ……」
お父さんがぼそりと言う。
「むっ、それはいや。大悟には生でして欲しい」
真白姉ちゃんが口を挟んだ。
さすがに、陽奈も顔を赤くしてしまう。
「あんたは、黙ってなさい──」
麗子さんが、また声を張りあげた。
束の間、沈黙が場を支配した。
すると、しばらくしてから、きもデブが口を開いた。
「……俺もまだ、子供は早いと思っている」
きもデブの声は、さっきまでの騒がしさが嘘のように小さかった。
「早くない。大悟とだったら……」
「待ってくれ、真白」
真白姉ちゃんの言葉を、きもデブが遮った。
普段は弱気で、真白姉ちゃんのペースに巻き込まれがちな、きもデブが珍しくはっきりとした口調だった。
いや、そうでもないか……。最近では、きもデブの方が主導権を握って接していると感じることもあるか……。
「覚悟がないわけじゃないんだ……。真白と子供ができるって想像したら……嬉しい。でも、俺、自信がないんだ」
「自信がない? 大悟はすごい。十分にすごい」
真白姉ちゃんが即答する。
「違う、そうじゃないと思う……。俺、ずっと自分に自信がなくて。真白が雲の上の存在だと思い込んでた。真白がずっと俺を見てくれてたって知ってからも、そう簡単に自信なんて持てなくて」
きもデブが視線を落とす。
「あたしは雲の上の存在じゃない。大悟の妻」
真白姉ちゃんが静かに言った。
「もちろん、真白は俺に自信をつけさせようといろいろやってくれて……」
「いろいろ? もしかして、ごっこ遊びのこと?」
真白姉ちゃんが小首を傾げた。
「……ごっこ遊び……?」
陽奈は思わず口を挟んだ。
「あっ、それは……もちろんありがたいと……。なんか、違う俺になれるみたいで……。あっ、でも、いまは、その話はやめよう」
きもデブが慌てていい淀む。
「わかった」
真白姉ちゃんが頷く。
「……ごっこ遊びがなにか、聞きたくないわね……」
麗子さんがぼそりと口を挟んだ。
陽奈も顔を背ける。
「あっ、いや、その……」
きもデブも顔を背けて、しどろもどろになる。
しかし、再び顔をあげた。
陽奈は、兄を見る。
あれ……?
気のせいか、少しだけ顔つきが変わっている気がした。きもデブなのは変わらないけど、心無しか毅然としているような……。いや、やっぱり気のせいか……。
きもデブに限って、それはない。
「……わかってる。でも、俺は……。無駄な時間を過ごしてきたと思ってる。俺に自信がなかったせいで、恋人らしいこともしてないし。中等部のときからついこの間まで、真白とは距離を置いてた。俺のせいだ」
「距離なんて置いてない。大悟はずっと一緒にいてくれた」
「そうだな、真白は変わってない。俺の気持ちの問題だった。だから、まずは真白との時間を、もっと作りたいと考えている」
「時間?」
「うん。たとえば、来月末から夏休みだし……海とか、行きたいかな。受験もあるけど一度くらい。それに、旅行とかも……」
「行く。受験なんて問題ない──」
真白姉ちゃんが即答した。
そのあまりの勢いに、きもデブが少し苦笑いする。
「でも、子供ができたら、気軽には行けないだろ? だから……子供は、真白が大学を卒業してからでもいいんじゃないか。まだ俺たちに時間はある。俺も進学か就職か迷ってるし。俺も進学するとなれば、子供は卒業して就職してからにしよう。それが子供のためでもある」
きもデブが、真白姉ちゃんの顔をまっすぐ見た。
「……」
「だから……待ってくれないか。ピルは、ちゃんと飲んでくれ」
真白姉ちゃんが、少しだけ目を伏せた。
なにかを考えているような、いつもの無表情とは違う、少しだけ人間らしい顔だった。
「……なに、考え込んでいるのよ。ここまで大悟くんが言ってくれてるのに、“はい”って言いなさいっ──」
麗子さんは口を挟んだ。
「……でも、子供ができれば、大悟を縛りつけられるし」
真白姉ちゃんがほとんど独り言のような声で呟く。
「……やっぱり、あんた、そんなこと考えてたのね……」
麗子さんが深く溜息をついた。
「いや、俺は真白だけだ」
兄が驚いたように声を上げる。
「そうだな。真白ちゃんだけだろ」
「そうね。そんな甲斐性はないわね」
お父さんとお母さんが断言する。
真白姉ちゃんは、しばらく黙ってきもデブを見ていた。
それから、ゆっくりと口を開いた。
「……じゃあ、ちゃんと飲む。妊娠してよくなったら言って」
「わかった」
兄が安心したように大きく頷いた。
「それと、海も行く。旅行も行く。夏休みに」
真白姉ちゃんが畳みかけるように言う。
「それもわかった。約束な」
兄が微笑むと、真白姉ちゃんも小さく頷く。
その頬が綻んでいた。
いつものわかりにくい笑顔ではない。満面の笑みだ。
本当に嬉しそうだ。
……本当に、真白姉ちゃんはどこかおかしい。
陽奈は、まだ残っている手元の寿司を口にした。
でも、きもデブの兄だけは、この真白姉ちゃんの暴走を止められる。それが一番の不思議かもしれない。
やっぱり、世界の七不思議だ──。