学園一の美少女は、キモデブの俺から絶対に離れない 作:ドン・ドナシアン
圧巻だった。
まるで、一枚の絵のようだった。
ほんの一瞬、グラウンドが静まり返ったあと、割れんばかりの歓声が湧き上がっていた。
パフォーマンスを披露した赤組の応援席だけではない。
白組も青組も、立ち上がって拍手を送っている。中には両手を高く掲げて歓声を上げている生徒までいた。
感動したのか、涙を拭っている女子生徒の姿まである。
それほどの演技だった。
大悟たちも、本部テントの前で夢中になって拍手をしていた。
「いやあ、すごかったっすねえ……」
横に立つかおるが息を吐きながら呟いた。
大悟も拍手を続けながら頷いた。
正直なところ、ここまでのものを見せられるとは思っていなかった。
赤組の応援合戦のパフォーマンスの題材は、フランス革命だった。
グラウンドの校舎寄りには、応援合戦用の階段状の大きな仮設舞台が設けられていた。そこには華やかな衣装をまとった貴族たちと、軍服姿の王国軍が陣取っていた。
一方、グラウンドに広がるのは、粗末な服を着た民衆たちだ。
応援合戦の開始とともに、舞踏会を思わせる華やかな音楽が流れだし、貴族たちは台上で歌い、踊りだす。
その足元では、民衆たちが重い荷物を運ばされ、畑で働かされている。収穫した作物は徴税官に奪われ、泣き叫ぶ女や子供が家族から引き離されていく。
それを感じさせる演出がグラウンドのあちこちで起こるのだ。
台上の明るい音楽と踊り──。
地面では暗い演出──。音楽ではない。雑音を思わせる不協和音──。
それが交互に繰り返される。
大きな音楽に合わせて、貴族たちが民衆を嘲笑する。
最初は華やかな音楽の方が長かった。しかし、場面が繰り返されるうちに、その長さは逆転していく。ついには、雑音の不協和音だけになる。
そんな光景がしばらく続いたあと、舞台上の貴族たちの中から、ひとりの男が進み出た。
工藤だった──。
飾りのついた上着に、胸元のひらひらした白いシャツ。ほかの貴族たちと同じような華やかな衣装だが、なぜかその顔には怒りが浮かんでいた。
工藤は、舞台の下で虐げられている民衆たちを見下ろした。
そして、振り返ると、貴族たちに向かって何かを叫んだ。
しかし、貴族たちは嘲笑するばかりだ。
工藤が拳を握りしめた。
次の瞬間、舞台の端へ駆け寄ると、勢いよく飛び降りた。
……おいおい、すげえな。
大悟は思わず身を乗り出した。
工藤は地面に着地すると、膝をついていた民衆のひとりを助け起こした。そして、舞台上の貴族たちに向き直る。
華やかな衣装のまま、民衆の先頭に立ったのだ。
工藤は王国軍の陣取る舞台に向かって拳を突き上げた。
そして、抗議の声を叫んだ。
王国の圧政を糾弾する、怒りに満ちた雄叫びだった。
しかし、貴族たちは笑うばかりだった。
王国軍の兵士たちも、工藤を取り囲むようにして威嚇する。
それでも工藤は退かなかった。
やがて、工藤が地面を踏み鳴らした。
ドン、ドン、パン──。
二度の足踏み。そして、一度の手拍子。
ドン、ドン、パン。
ドン、ドン、パン。
ドン、ドン、パン。
崩れ伏せている民衆の先頭で、工藤は王国軍を睨みつけながら、同じ動作を繰り返した。
その抗議の声も、次第に一定の節回しを帯び、歌うような調子に変わっていく。
ところが、王国側の音楽が一段と大きくなった。
舞台上の貴族たちが声を揃えて歌い始め、兵士たちがそれに合わせて行進する。
工藤の声は、たちまち大音響にかき消されてしまった。
それでも工藤は叫び続けている。
足を鳴らし──手を叩いて──。
喉が張り裂けんばかりに、何度も、何度も。
……すげえな、工藤。
大悟は感心した。
普段の言動には、いろいろと思うところがある。だが、あれだけの観客を前に、たった一人で抗議を続ける姿には、素直に迫力を感じた。
そのときだった。
ドン、ドン、パン。
工藤の後ろで、一人の民衆が立ちあがり、足を踏み鳴らした。
ドン、ドン、パン。
すると、別の場所でも、同じ音がした。
工藤は振り返らない。ただ、王国軍を睨みつけたまま、足踏みと手拍子を続けている。
さらに一人、また一人。
それまで怯えたように身を縮めていた民衆たちが、次々と立ち上がり、工藤と同じリズムを刻み始めた。
最初はまばらだった音が、少しずつ揃っていく。
ドン、ドン、パン。
ドン、ドン、パン。
十人、二十人。やがて数十人。
足踏みが重なり、手拍子が鋭く響く。
王国側の音楽は相変わらず大音量だったが、もう民衆の抗議をかき消すことはできなかった。
気がつけば、グラウンドに広がる民衆たちが、ほとんど全員で同じ動作を繰り返していた。
ドン、ドン、パン。
ドン、ドン、パン。
地面を踏み鳴らす音が腹の底に響いてくる。
やがて、押し流されるように王国側の音楽が小さくなっていった。
工藤が台上に向かって、拳を突き上げる。
民衆たちも、一斉に拳を突き上げた。
ついに、王国側の音楽が聞こえなくなった。
グラウンドを支配しているのは、数百人の足踏みと手拍子だけだった。
そして、スピーカーから重低音が響き始めた。
クイーンの『We Will Rock You』だ。
工藤が刻み続けていた足踏みと手拍子に、あの独特のリズムが重なっていく。
そのときには、観客席から大きなどよめきが起きていた。
大悟も思わず身を乗り出していた。
……なんだよ、これ……。
工藤一人が始めた抗議が、いつの間にか数百人の民衆を動かし、王国側の大音響を圧倒してしまったのだ。
だが、革命はそれほど簡単には成功しなかった。
突然、重く荒々しい音楽が鳴り響いた。
王国軍の兵士たちが、一斉に舞台から進み出たのだ。
民衆たちが後退した。
それでも足踏みと手拍子は続いていたが、王国軍の進軍に合わせて、一人、また一人と倒れていく。
音が乱れ、手拍子が途切れる。
あれほど鳴り響いていた音楽も、いつの間にかなくなっていた。
工藤は最後まで抵抗していた。
王国軍に向かって叫び、拳を突き上げる。
しかし、その工藤もついに膝をつき、倒れた。
最後の手拍子が途切れた。
王国側の音楽だけが、勝ち誇ったように響き渡る。
やがて、それも止まった。
グラウンドが静まり返った。
倒れ伏した民衆たちは、誰一人として動かない。
……終わりか?
大悟がそう思ったときだった。
グラウンドの奥から、ひとりの女性がなにかを口ずさみながら現れた。
赤い旗を高く掲げている。
真白だった──。
白いブラウスに、赤を基調とした長いスカート。腰には幅広の帯が巻かれ、まとめ上げた髪からは、幾筋かの髪が肩に流れている。
まるで絵画から抜け出してきたようだった。
なにを歌っているのかまでは、まだ声が小さくて聞こえない。それでも耳に心地よい。
真白は倒れた民衆たちの間をゆっくりと歩き、工藤のそばで足を止めた。
そして、片手を差し伸べる。
工藤が顔を上げた。
やがて、その真白の手を取って立ち上がった。
その瞬間、工藤の歌声が響いた。
先ほどまでの怒りに満ちた叫びではない。力強く、希望を感じさせる歌声だった。
曲は『ラ・マルセイエーズ』。フランス革命のさなかに生まれた、後のフランス国歌だ。
……ああ、さっき真白が口ずさんでいたのは、この曲だったのか。
大悟がそう気づいたとき、真白の声が重なった。
先ほどまでの小さな歌声とは違う。グラウンド全体に響き渡る、澄んだ歌声だった。
大悟は思わず息を呑んだ。
工藤の力強い歌声と、真白の澄み渡るような美しい歌声。
まるで互いを引き立て合うように、二人の声が響き合っていた。
やがて、倒れていた民衆が一人、また一人と立ち上がり、歌に加わっていく。
二人だけだった歌声が、次第に広がり、ついにはグラウンド全体を包み込む大合唱になった。
さっきの足踏みと手拍子ではなく、今度は民衆の歌がすべてを圧倒していく。
真白が赤旗を高く掲げて進む。その横に工藤が歌いながら並ぶ。
それを合図に、民衆たちが一斉に前進を始めた。
真白と工藤に導かれるように続く。
再び、貴族たちに向かって階段を一歩ずつ昇りだす。
『ラ・マルセイエーズ』の歌声が最高潮に達した、そのときだった。
再び、あの足踏みと手拍子が響き始めた。
ドン、ドン、パン。
ドン、ドン、パン。
そして、スピーカーから『We Will Rock You』が流れ始めた。
民衆たちは赤旗を掲げ、力強く歌いながら王国軍の陣取る舞台へと進んでいく。
王国軍も再び音楽を鳴らし始めたが、もう民衆の歌声をかき消すことはできなかった。
ドン、ドン、パン。
ドン、ドン、パン。
足踏みと手拍子が響く。
歌声が重なる。
民衆たちが、舞台の階段を一段、また一段と上っていく。
王国軍が後退した。
貴族たちも次々と退いていく。
やがて、舞台の頂上に真白と工藤が立った。
真白が赤旗を高く掲げる。
工藤が、その空いている方の手を取った。
二人は並んで立ち、民衆たちに向かって腕を掲げた。
その背後では、赤い旗が一斉に翻っている。
歌声が最高潮に達した。
ドン、ドン、パン。
ドン、ドン、パン。
最後の一音に合わせて、すべての赤旗が高々と掲げられた。
そして、フィナーレ──。
音楽が止まった。
舞台の中心で、工藤が真白の手をとったまま、天高く突きあげた──。
「赤組の勝利だ──」
まるで、一枚の絵のようだった。
ほんの一瞬、グラウンドが静まり返った。
そして、割れんばかりの歓声が湧き上がったのだった。
大悟は、まだ拍手を続けていた。
「すごい……」
あれだけの人数で、一つの物語を作り上げたのだ。
工藤の演技も見事だった。あいつに、あんな一面があったとはなあ……。
もちろん、真白も素晴らしかった。
赤旗を掲げて現れた瞬間の姿は、きっと忘れられないだろう。
ただ、最後に工藤と手を取り合って並んだ姿は、少々複雑だった。
……まあ、演技だからな。
大悟はそう思うことにした。
「……なんか、口惜しいです……」
そのとき、不意に背後から小さな声が聞こえた。
振り返ると、小柄な珠世が、まだ舞台の方を見つめていた。隣にいる律子と恵子も、どこか不満そうな顔をしている。
「なにがだ?」
大悟は声を掛けた。
「……最後のあの二人です」
「あの二人か」
「工藤先輩と真白さん……。なんだか、すごくお似合いに見えちゃって……」
大悟は返事に詰まった。
確かに、最後の場面は見事だった。
赤旗を掲げた真白と、その手を取って民衆を鼓舞する工藤。
まさに、絵になるふたりだった。
それは、大悟にもわかっている。
わかっているのだが……。
「……あれは、演技だよ」
大悟は吐き捨てるように言い、まだ歓声の続くグラウンドへ視線を戻す。
「……さっきの感想を、真白先輩の前で言っちゃだめっすよ。間違いなく、あの人は不機嫌になるっすから」
すると、かおるが一年生たちに振り返って、ぴしゃりとたしなめた。
そして、軽く手を二度叩いた。
「……さあ、そろそろ仕事に戻るっすよ」
一年生たちに声を掛けた。
「……もうしばらくしたら、応援合戦の順位が届くっす。それを採点システムに入力して、総合得点を更新するっすよ」
その言葉に、珠世たちも気持ちを切り替えたようだった。
「はい」
「それから、最後の組対抗リレーっすけど、順位旗の係は、あたしと大悟先輩、それにもう一人で担当するっす。……珠世、お願いしていいっすか?」
「はい、わかりました」
珠世は素直に頷いた。
「えっ、俺も出るのか?」
大悟は思わず聞き返した。
体育祭が始まってからというもの、大悟はずっと本部テントで採点システムの動作を確認していた。競技の準備や片付けはもちろん、順位旗の係も一度として担当していない。
順位旗というのは、ゴールした選手を着順ごとに誘導するための旗だ。通常の競技では運営係の生徒たちが交代で担当していたが、大悟はその仕事を間近で見たことすらなかった。
「そうっす。最後の組対抗リレーは、体育祭の華っすからね。大悟先輩にも、ちゃんと働いてもらうっす」
「いや、働いてないわけじゃないだろ」
「わかってるっすよ。だから、最後くらいはグラウンドに出てきてほしいんす。言っときますけど、問答無用で質問禁止っすから」
かおるはにやりと笑った。
「なんだよ、それ……」
大悟は苦笑した。
とはいえ、採点システムの方は、ここまで大きな問題もなく動いている。あとは応援合戦の順位と、最後のリレーの結果を入力するだけだ。
操作も一年生たちがすっかり覚えている。
大悟がいつまでもタブレットに張りついている必要はないだろう。
「……まあ、旗を持って、ゴールした選手を誘導すればいいんだろ。システムの方も、いまさら問題は出ないだろうし……わかったよ」
「決まりっすね」
かおるが満足そうに頷いた。
「それで、俺は何位の旗を持っていればいいんだ?」
大悟はかおるを見た。
「まだ、わかんないっす」
「わかんない?」
大悟は首を傾げた。
「競技の途中で決めるっす。決まったら旗を渡しますから、その順位を先輩に受け持って欲しいっす」
「ええっと……。なんで、そんなことするんだ。だったら、俺三位でいいかな。一位とか二位は盛りあがるだろうから、俺は目立たないように、こっそり終わらせるよ」
「問答無用で質問禁止って言ったじゃないっすか。旗は途中で渡すっす。先輩はそれを持って、アンカーを待ってくれればいいっす」
かおるが有無を言わせぬ口調で言った。
大悟は肩を竦めた。
まあいいか……。
大悟は、まだ歓声の余韻が残るグラウンドに目を向けた。
最後の組対抗リレー。
体育祭の締めくくりとなる、赤、白、青の三組による真剣勝負だ。赤組のアンカーは、運動部の工藤を差し置いて、真白が務める。ほかの組のアンカーは間違いなく、運動部の男子だろう。
その真白のゴールを、思いがけず間近で見ることができるのだ。
大悟が本部テントに戻ると、グラウンドでは、最終プログラムのひとつ前に予定されているエキシビションの準備が始まっていた。
ダンス部、書道部、体操部の順に、それぞれのパフォーマンスが披露されることになっている。いずれも採点の対象ではない。
そして、それが終われば、いよいよ体育祭最後の競技、組対抗リレーだ。
やがて、ダンス部の演舞が始まった。
軽快な音楽がグラウンドに流れ、観客席から歓声が上がる。
そのパフォーマンスが始まってしばらくした頃、応援合戦の採点結果が本部に届いた。
やはり、一位は赤組だった。
二位が白組、三位が青組だ。
「……やっぱり赤組だったっすね」
かおるが納得したように頷いた。
「まあ、あれだけのものを見せられたらな……」
大悟も頷いた。
届いた順位が採点システムに入力され、その結果が手元のタブレットに表示された。これで、最後の組対抗リレーを除くすべての競技の得点が反映されたことになる。
総合得点は閉会式まで公表されないが、画面に表示された数字を見て、大悟は思わず目を見張った。
……おいおい、ほとんど差がないじゃないか。
赤組、白組、青組。
三組の総合得点が、ほぼ横一線に並んでいたのだ。
最後の組対抗リレーに割り当てられた得点を考えれば、その着順が、そのまま総合順位になりそうだ。
つまり、どの組にも優勝の可能性があるということだ。
「……最後までもつれたな」
大悟が呟くと、横から画面を覗き込んでいたかおるも頷いた。
「そうっすねえ。最後のリレー、盛り上がりそうっす」
その口調は、どこか楽しそうだった。
大悟は再びグラウンドへ目を向けた。
ダンス部の演舞は、まだ続いている。
その向こうでは、各組の応援席も、先ほどの応援合戦の興奮が冷めやらない様子だった。
「……それにしても、真白先輩、確かに頑張ったっすねえ」
不意に、かおるが声を掛けてきた。
「……ん?」
「もしも、赤組が優勝したら、間違いなく真白先輩の力っす。ダンス、二人三脚、応援合戦、最後のリレー。あの人の参加した競技の全部で一位をとったことになるっすね」
「そう……なるな……」
「ふふ、約束してたご褒美、どんなのにするっすか?」
見ると、かおるがにやにやと笑っていた。
大悟は顔をしかめた。
まったく、こいつは……。
「……放っておいてくれよ」
大悟は吐き捨てるように答えた。
そして、肩を竦める。
ご褒美だろうと、お仕置きだろうと、もしかしたらやることは一緒かもしれないな……。
想像して、ほくそ笑む。
「……先輩、いやらしい顔してるっすよ……。まったく……。本当にお似合いの夫婦っす。誰が見ても、あの工藤先輩の入る余地なんてないっすよ」
かおるがくすくすと笑った。
大悟は慌てて、口元を手で隠した。