学園一の美少女は、キモデブの俺から絶対に離れない 作:ドン・ドナシアン
グラウンドに、体育祭最後の競技を告げるアナウンスが響いた。
『お待たせいたしました。いよいよ、本日の最終競技、組対抗リレーです』
それまでざわめいていた応援席から、一斉に歓声が上がった。
大悟は、リレーのゴール地点から少し離れたフィールドの端に立っている。隣には、かおると珠世がいた。
また、かおるは、一位から三位までの順位旗を三本まとめて持っている。大悟は何度も、自分の担当を訊ねたのだが、途中で渡すの一点張りで、結局、まだ渡してもらっていない。
……まったく、なにを考えているんだか。
大悟は小さく息を吐いた。
グラウンドの反対側となるトラックのスタート地点には、赤、白、青の三組から、それぞれ一人ずつ選手が並んでいた。
赤組は一年生の男子。青組は二年生の女子。そして、白組は三年生の男子だ。
組対抗リレーは、各組から各学年の男女二名ずつの計十二名が出場する。走る順番は各組に任されているため、スタート地点に並んだ三人も、学年も性別もばらばらだ。
アンカー以外の走者は、グラウンドを半周する百メートル。最後のアンカーだけが一周二百メートルを走る。
すでに第二走者たちは、グラウンドのこちら側でバトンを受け取る準備をしていた。
一方で、校舎二階のバルコニーに設置された三台のモニターでは、一年生の女子運営係たちの操作で、赤龍、白虎、海神のアニメーションが次々と映し出され、リレー開始を待つ観客たちを楽しませている。
大悟は、スタート地点から視線を移した。
トラックに近いフィールドの一角には、アンカーを務める三人の選手が待機している。アンカーの三人は、それぞれの組の色のタスキをつけていた。
その中に、真白がいる。
赤組のアンカーだ。
真白は真剣な表情で、まっすぐ前を見つめていた。小刻みに足踏みを繰り返し、ときおり軽く膝を曲げて、身体の調子を確かめている。
先ほどまで自由の女神に扮していた姿とは、まるで違う。
いまは赤組の選手として、最後の勝負に備えているのだ。
……それにしても、いつ見ても、華のあるやつだ……。
大悟は見惚れてしまうのを避けることができないでいた。
ただ立っているだけでも人目を引く真白だが、こうして真剣な表情で競技に臨んでいる姿には、また別の魅力──いや迫力がある。
近寄りがたいオーラのようなものまで感じる。
周囲の生徒たちも、話しかけることもなく、ちらちらと真白の方を見ているだけだ。
また、真白の横にいる青組と白組のアンカーは、やはり運動部の三年生男子だった。
青組は陸上部のエース。白組は工藤と同じサッカー部の選手だという。
……相手は、どっちも男子か。
真白の運動能力が並外れていることは、大悟もよく知っている。
それでも、陸上部の男子選手を相手に二百メートルを走るとなれば、簡単な勝負ではないだろう。
もっとも、本人は少しも気負っている様子がなかった。
ただ、前を見据えている。
……頑張れよ、真白。
大悟は心の中で声を掛けた。
幸いなのは、あの鬱陶しい工藤がグラウンドの反対側にいることだ。
どうやら、赤組の第十一走者を務めるらしい。
つまり、工藤からバトンを受け取って最後の二百メートルを走るのが、真白ということになる。
「……大悟先輩」
横から、かおるが声を掛けてきた。
「なんだ?」
「真白先輩ばっかり見てないで、ちゃんと仕事もするっすよ」
「見てないって」
「そうっすかあ?」
かおるがにやりと笑った。
珠世まで、口元を押さえて笑っている。
「……それより、そろそろ旗を渡してくれないか?」
「まだっす」
「まだなのか?」
「そうっす。ちゃんと渡すっすから、心配しないでほしいっす」
かおるは三本の旗を抱え直した。
大悟は肩を竦めた。
まったく、最後の最後まで、こいつは、なにを企んでいるんだろう。
そのとき、再び放送が響いた。
『選手の皆さん、スタートの準備をしてください』
グラウンドの空気が変わった。
スタート地点の三人が、それぞれの位置につく。
応援席からの声援がなくなり、グラウンドは一瞬静まり返った。
『位置について──』
三人の走者が身構えた。
スタートのピストルが鳴った。
三人が一斉に飛び出す。
グラウンドが大歓声に包まれた。
最初に飛び出したのは、白組の三年生男子だった。
赤組の一年生男子がその後を追い、青組の二年生女子が少し遅れる。
白組が先頭で第二走者にバトンを渡した。
続いて赤組、青組。
ところが、第二走者が走り始めると、順位はたちまち入れ替わった。
赤組の二年生女子が、前を走る白組の一年生女子との差を一気に詰めていく。
そして、トラックの中ほどで並びかけると、そのまま追い抜いた。
応援席から歓声が上がった。
しかし、反対側では青組の男子選手が猛然と追い上げていた。
第三走者へのバトンパスでは、赤組が先頭を守ったものの、青組が白組を抜いて二位に浮上した。
第三走者では青組が赤組に追いついた。
第四走者では白組が二人をまとめて追い抜き、先頭に立つ。
順位が入れ替わるたびに、三組の応援席から大きな歓声が上がった。
『白組、先頭に立ちました。赤組、青組も負けていません』
放送席の声も、次第に熱を帯びてきた。
第五走者にバトンが渡るころには、白組が十メートル近い差をつけていた。
ところが、今度は赤組の男子選手が速かった。
白組との差をぐんぐん縮め、反対側のバトンゾーンに入る直前には、ほとんど並びかけていた。
第六走者では、青組の女子選手が追い上げた。
それまで開いていた三組の差が、再び小さくなった。
大悟の隣で、かおるがふと真白の方に目を向けた。
真白は、ほかのアンカーたちと並んでレースを見守っていた。
ときおり走者の動きに合わせて視線を移すものの、それ以外に変わった様子はない。
かおるはしばらく真白を見つめていたが、やがて視線をトラックへ戻した。
第七走者では赤組が再び先頭に立った。
しかし、第八走者では白組が逆転する。
青組も食い下がり、先頭との差を広げさせなかった。
そして、第九走者にバトンが渡った。
三組とも男子選手だった。
ここからは、どの組も速い選手を揃えているらしく、順位は簡単には入れ替わらなくなった。
白組が先頭。
赤組がその後を追い、青組がさらに続く。
しかし、その差はわずかだった。
『さあ、残り四走者です。三組とも、ほとんど差がありません』
放送席の声に、応援席が沸いた。
「……まだっすか……」
不意に、かおるが小さく呟いた。
大悟が横を見ると、かおるはレースの方を見ていなかった。
視線の先にいるのは、真白だ。
真白は相変わらず、じっとトラックを見つめている。
その表情にも、立ち姿にも、特に変化はなかった。
かおるは小さく息を吐くと、手にした三本の順位旗を抱え直した。
第十走者へのバトンパスが始まった。
白組が先にバトンを渡す。
ほんの一瞬遅れて赤組。
さらに青組が続いた。
三人とも男子選手だった。
白組の選手が勢いよく飛び出した。
赤組も負けていない。
青組はやや出遅れたものの、すぐに加速して二組を追い始めた。
トラックの向こう側では、すでに第十一走者たちがバトンを受け取る準備をしていた。
その中に工藤がいた。
白組の第十走者が、わずかに先頭を守ったまま、バトンゾーンへ近づいていく。
そのすぐ後ろに赤組。
さらに青組。
三人の差は、ほんの数メートルしかない。
そのときだった──。
各組の応援席から、とりわけ赤組の応援席から、ひときわ大きな歓声が巻き起こった。
工藤を鼓舞するかのように、真白が大きく右手を掲げたのだ。
その人差し指がまっすぐ天を指している。
大悟は思わず息を呑んだ。
先ほどの応援合戦で、赤い旗を高く掲げて民衆を率いた自由の女神。その姿を彷彿とさせるほどに、いまの真白は堂々としていた。
大悟には、一瞬、神々しくさえ見えた。
「俺に、任せろおお──」
工藤が真白に応えるように片手を高く掲げ、絶叫した。
赤組の応援席が、さらに大きく沸き上がった。
「一位っすか。自信あるっすね」
隣で、かおるが小さく呟いた。
次の瞬間、一本の旗が大悟の胸元に押しつけられた。
「おっと」
思いがけない勢いに、大悟は慌てて受け取った。
かおるだった。
大悟が手にしたのは、一位の順位旗だ。
「先輩は一番っす。珠世はこれっす」
かおるは残った二本のうち一本を、無造作に珠世へ渡した。
大悟がなにか言うより早く、白組の第十走者がバトンゾーンへ飛び込んできた。
「早く、来い──」
赤組の第十走者に向かって、工藤が片手を上げて叫んだ。
先頭の白組とほとんど差はない。
工藤と白組の第十一走者が、ほぼ同時に走り出した。
二人の手に、それぞれバトンが渡る。
さらに、青組の第十一走者もバトンを受け取った。
残るは、あと二走者。
三組の勝負は、まだわからなかった。
工藤が一気に加速した。
ほぼ同時にバトンを受け取った白組の男子に、あっという間に並びかける。
そして──抜いた──。
赤組の応援席から、大歓声が上がった。
しかし、工藤の勢いはそれだけでは止まらなかった。
力強く地面を蹴り、腕を大きく振りながら、ぐんぐんと白組との差を広げていく。
『赤組、先頭に立ちました。工藤選手、速い。白組を引き離していきます』
放送席の声が響く。
工藤はまっすぐ前を見据え、ただひたすらに駆け続ける。
最後のコーナー──。
その先には、真白がいた。
すでにバトンゾーンに移動し、工藤の走りを見つめている。
「真白おおお──」
バトンゾーンが近づいたところで、工藤が叫んだ。
真白が飛び出した。
工藤も速度を緩めることなく、その後を追う。
二人の距離が、みるみる縮まっていった。
「はっ」
工藤が声を上げた。
真白が全力疾走のまま、右手を一瞬だけ後ろへ差し出した。
その手に、バトンが渡る。
完璧なバトンパスだった。
しかし、なぜか、大悟は少しだけ胸がざわつくのを感じた。
……なんだよ。さっきの一番の合図だって、工藤を鼓舞したのかよ……。
真白は振り返ることもなく、そのまま加速していく。
少し遅れて、白組のアンカーにもバトンが渡った。
そのときには、真白はさらに差を広げていた。
真白の二百メートルが始まった。
真白が先頭を駆けていく。
二位の白組も懸命に追っていたが、その差はなかなか縮まらなかった。
赤組の応援席から、割れんばかりの歓声が上がる。
『赤組、木許選手が先頭です。白組との差を保ったまま、第一コーナーを抜けていきます』
しかし、その後方で、猛烈な追い上げを見せている選手がいた。
青組のアンカーだ。
陸上部のエースとして知られる男子生徒が、凄まじい勢いで白組との差を詰めていた。
『青組が追い上げています。速い、速い。白組との差がどんどん縮まっていきます』
大悟は思わず身を乗り出した。
青組の男子は、明らかにほかの二人より速かった。
半周を過ぎたところで、ついに白組の男子に並びかけた。
そして、一気に抜き去った。
『青組、二位に浮上。さあ、先頭の赤組を追います』
だが、青組の勢いは止まらなかった。
今度は真白との距離が、少しずつ縮まり始めたのだ。
「……真白……」
大悟の口から、思わず声が漏れた。
真白は腕を大きく振り、太腿をあげ、長い脚で地面を蹴りながら、懸命に先頭を守っていた。
それでも、青組の男子はじりじりと迫ってくる。
『青組、さらに追い上げています。赤組との差が縮まってきました』
ゴール前、最後のコーナー。
真白が駆け込む。
そのすぐ後ろを、青組の男子が追っていた。
もはや、二人の差はわずかだった。
青組の男子が、真白を抜くために外側に進路を取る。
「真白おおお──」
「行けええ、青組いいい──」
「一条さああん──」
赤組の応援席から真白の名が叫ばれる。
青組からも、アンカーの男子を応援する声が次々と上がった。
誰もが立ち上がり、声を張り上げている。
大歓声がグラウンドを包み込んだ。
そして、二人は最後の直線へと飛び込んだ。
「……ああ、まずいっす……。珠世、念のために、その二位の旗をこっちに──」
かおるが困ったように声をあげた。
念のため──?
大悟は首を傾げた。
ゴール前──。
青組の男子が真白に迫っている。
真白も必死に走っている。
あんなに一心不乱の真白は見たことなんてない──。
「真白おおおお──抜かれるなあ──」
大悟は絶叫した。
こんな大声は、自分でも生まれて初めてじゃないかと思ったくらいの叫びだった。
その瞬間だった──。
真白がわずかに加速した──。
青組の男子は……追いつけない──。
そのまま、胸ひとつの差で、真白が一位のまま、ゴールテープを駆け抜けていった。
その瞬間、赤組の応援席から爆発するような歓声があがった。
『ゴール。赤組、一位です。木許選手、青組の猛追を振り切りました』
放送席の声も、興奮を隠しきれていなかった。
赤組の応援席では、生徒たちが立ち上がり、互いに肩を叩き合っている。トラックの内側で見守っていたリレーの走者たちも、一斉に歓喜の声を上げた。
「やったあああ──」
「赤組、一位だああ──」
工藤も両手を突き上げ、何度もその場で跳びはねていた。
大悟は手にした一位の順位旗を握り直し、真白のもとへ駆け寄ろうとした。一位の走者を誘導するのが、いまの大悟の仕事なのだ。
ところが、すでに真白の周囲には、赤組の選手たちが殺到していた。
「一条さん、すごい」
「よく逃げ切ったなあ」
「一位だぞ。一位──」
口々に真白を祝福する声が飛び交っている。
近づいたときには、真白の姿はすっかり人垣の向こうに隠れてしまっていた。
大悟は足を止めた。
さすがに、あの輪の中に割って入るわけにもいかない。
手にした旗を少し持ち上げてみたものの、結局、そのまま下ろしてしまった。
大悟は小さく苦笑した。
……頑張ったな、真白。
あれほど必死に走る真白を見たのは、初めてだった。
最後の直線で青組の男子に追い詰められたときには、心臓が止まるかと思った。
それでも、真白は抜かれなかった。
大悟は一位の旗を手にしたまま、歓喜に沸く赤組の選手たちを眺めていた。
そのときだった。
人垣の一角が不意に揺れた。
「大悟──」
聞き慣れた声が響く。
次の瞬間、赤組の選手たちの間から、一人の女子生徒が飛び出してきた。
真白だ──。
まだ右手には、赤いバトンが握られている。
その頬は紅潮し、額には汗が浮かんでいた。走り終えたばかりで、肩も大きく上下している。
けれど、その顔には、満面の笑みが浮かんでいた。
真白は人垣を突き破るように飛び出すと、迷うことなく、まっすぐ大悟の方へ駆け出してきた。
「うわっ、真白──」
声をあげたときには、手に持っていた一位の順位旗ごと、真白に抱きしめられていた。
「やったよ、大悟──。一番だよ──一番を取ったよ──」
真白が大悟にしがみついたまま、弾んだ声を上げた。
「わかった。わかったって。おめでとう、真白」
「一番だよ、大悟。一番だったんだよ──」
真白は聞いているのかいないのか、大悟を抱きしめたまま、その場で何度も跳びはねた。
「お、おい、真白。ちょっと落ち着けって」
しかし、真白は止まらない。
大悟の身体を揺さぶり、頬を寄せ、まるで全身で喜びを表そうとするかのように、身体をすり寄せてくる。
その勢いに、大悟は一位の順位旗を握ったまま、よろめきそうになった。
いったい、どうしたというのだろう。
真白がここまで我を忘れて喜ぶ姿など、これまで一度も見たことがなかった。
周囲には、真白を追いかけるように赤組の選手たちが集まってきていた。
最初は驚いたように目を丸くしていた生徒たちも、やがて笑顔になり、二人を温かく見守り始めた。
「すげえな、一条さん」
「よっぽど嬉しかったんだなあ」
そんな声も聞こえてくる。
その中で、工藤だけは少し様子が違っていた。
つい先ほどまで両手を突き上げて跳びはねていたというのに、いまは険しい表情で二人を見つめている。
「大悟、大悟──」
「だから、わかったって。よく頑張ったな、真白」
大悟がそう言うと、真白はますます嬉しそうに身体を寄せてきた。
そのときだった。
ふと、間近にある真白の顔を見た大悟は、妙なことに気づいた。
眼だ──。
頬を紅潮させ、息を弾ませ、まるで興奮が収まらない様子の真白。
ところが、その眼だけは、妙に冷静だった。
いや、勝利の喜びがないわけではない。あれほど必死に走ったのだから、嬉しくないはずがない。
それでも、なにかがおかしい。
大悟を抱きしめ、跳びはねながらも、その瞳には、どこか悪戯っぽい光が宿っている。
……なにか企んでいるのか?
そう思ったときだった……。
「大悟──」
真白がもう一度、嬉しそうに名前を呼んだ。
次の瞬間、真白の顔が近づいてきた。
大悟がなにかを言うより早く、真白の唇が、その唇を塞いでいた。
周囲には赤組の選手たちがいる。その向こうには、険しい顔をした工藤もいた。
応援席には大勢の生徒たち。保護者や教師たちだっている。
そんな場所で、真白は大悟に口づけをしている。
感極まった挙げ句の発作的な行動だ──と周りは思っているだろう。
だが、大悟だけはわかる。眼にはかなりの冷静さが残っている。こいつは計算している。
そして、順位旗のことが結びついた。
かおるがあれだけ、大悟に持たせる旗にこだわったのも、真白がゴールした直後に大悟に抱き付くことに違和感がないようにするためだったに違いない。
工藤の疾走前に、大きく手をあげて、指を一本立てた──。あれは、工藤への合図ではない。かおるに、大悟に一番の旗を持たせろという指示だったのだ。
呆然としている大悟の口から、真白はなかなか唇を外さない。
それどころか、舌まで入れてきやがった。
こいつめ……。
大悟は真白の口づけを受けながら、仕方なく真白を抱きしめ返す。
真白がそうされたがっているのは、肌から伝わってきていた。
「やったああ、一番──」
真白がやっと大悟から顔を離して、手を空に突きあげた。大悟を強く抱きしているもう一方の腕はそのままだ。
わっという歓声が周りの赤組からかかり、大悟は真白とともに彼らの歓喜の輪に包まれてしまった。