※この作品はR-18です。

海賊王に俺はなる?のか?   作:ずんだニャン

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15話 エピソード・オブ・ナミ 2

 

 東の海(イーストブルー) アーロンパーク

 

「ふわぁぁ……やっぱり、ベッドで寝られるって最高ね」

 

 窓から差し込む朝日を浴びながら、ナミは大きく伸びをした。

 三日間、波に揺られる小舟の上で過ごし、夜は硬い甲板に体を横たえていた。久しぶりの柔らかなベッドは、一度沈んだら二度と起き上がりたくなくなるほど心地いい。

 それでも今日は、いつまでも寝ているわけにはいかなかった。

 

「ココヤシ村に帰らなきゃ。一億ベリーを用意して……ベルメールさんのお墓参りもしておきたいしね」

 

 十年間続いたアーロンとの取引も、村のみんなが怯えながら暮らす日々も、今日の昼にはすべて終わる。

 そう思うと、眠気などすぐに吹き飛んだ。

 ナミはベッドから降りると、手早く身支度を整えた。服を着替え、髪をまとめ、机の上に置いていた荷物を確認する。

 その途中で、手が止まった。

 

「あれ……?」

 

 机の端に置いていたはずのものがない。

 引き出しを開け、中をかき回す。机の下を覗き込み、ベッドの脇や隙間まで探した。それでも見つからない。

 胸の内に、じわりと嫌なものが広がっていく。

 

「なんで……確かに机の上に置いたのに……」

 

 記憶違いではない。

 昨夜、部屋へ戻ってきた時、確かに机の上へ置いた。

 ナミがバッグの中身を漁っていた、その時だった。

 

「探しているのは、これか?」

 

 背後から低い声が落ちてきた。

 振り返ると、部屋の入口にクロオビが立っていた。その手には、折り目のついた古い地図が握られている。

 ナミの表情が固まった。

 それは、子供の頃に描いた一枚の地図だった。

 

 (なんで、あいつが持っているのよ)

 

「どうした、ナミ。随分と顔色が変わったな」

 

「それ、私の地図よ。返して」

 

 ナミはすぐに歩み寄り、地図へ手を伸ばした。

 だが、クロオビは腕を軽く上げただけでそれをかわした。背丈も腕の長さも違う。ナミがもう一度取り返そうとしても、地図は指先のわずか先で揺れるだけだった。

 

「古びた地図だが、よく描けている」

 

 クロオビは地図を広げ、値踏みするように眺めた。

 

「地形を見る限り、この島全体を描いたものだな。そして、この印がついている場所は……ココヤシ村か」

 

 地図の一角に描かれた大きなバツ印。

 クロオビの目が細くなる。

 

「ここには何がある?」

 

「別に、なんだっていいでしょ!」

 

 バシッ!

 ナミは地図を奪い返し、すぐに折り畳んで懐にしまった。

 

「なんだってよくはない」

 

 クロオビの声には笑いも怒りもない。ただ、獲物の嘘を探るような冷たさだけがあった。

 

「もしそれが財宝の在り処を示す地図なら、仲間で山分けしなければならないからな」

 

「残念ね。これは子供の頃、遊びで描いたただの宝の地図よ」

 

 嘘ではなかった。

 この地図は、ナミが生まれて初めて描いた宝の地図だ。

 ただし、海賊が欲しがるような金銀財宝が埋まっていたわけではない。

 

 地図に記された宝とは、ココヤシ村そのものだった。

 ベルメールとノジコと暮らした小さな家。みかん畑。ゲンゾウや村のみんな。貧乏でも毎日が輝き、笑い声が絶えず、明日が来ることを疑いもしなかった日々。

 あの頃のナミにとって、それ以上の宝などどこにもなかった。

 

 だが、皮肉なことに、今では本当に宝の在り処を示す地図になっている。

 アーロンから村を買い戻すため、十年かけて集めた一億ベリー。その金は、ココヤシ村にあるナミの家の裏手、みかん畑の一角に埋めてある。

 隠し場所を知っているのは、ナミとノジコだけだ。

 

 アーロンにも、幹部たちにも、手下の魚人にも教えていない。こいつらに知られれば、どんな理由をつけて奪われるかわからない。

 今日まで積み重ねてきたものが、すべて台無しになる。

 その危険が、今まさに目の前まで迫っていた。

 ナミは懐へしまった地図を、服の上から押さえた。

 

「随分と信用してくれないのね。分け前はきちんと渡してきたし、アーロンに頼まれた海図だって、全部描いてきたでしょう」

 

「ああ。だが、俺はお前を一度たりとも信用したことはない」

 

 クロオビは一歩、ナミへ近づいた。

 

「村人を裏切り、親を裏切り、金以外は何も信じない。そんなお前を俺が信用するとでも思ったか?」

 

 言葉が胸の奥へ突き刺さる。

 村を裏切った。ベルメールを裏切った。

 それはアーロン一味へ入り込むため、ナミ自身が選んだ仮面だった。誰に憎まれてもいい。村のみんなに裏切り者だと思われてもいい。

 一億ベリーを集め、村を解放できるなら。

 そう決めたはずなのに、面と向かって言われると、何も感じずにはいられなかった。

 けれど、クロオビの前で傷ついた顔など見せられない。

 

「今さら、あんたに信用してほしいなんて思ってないわ」

 

 そして、わざと強く言い切る。

 

「今日の昼になれば、私はもうあんたたちの仲間じゃなくなるんだから」

 

 クロオビの横をすり抜け、そのまま部屋を出る。

 背後から追ってくる気配はなかった。

 長い廊下を歩き、アーロンパークの門を抜けるまで、ナミは一度も振り返らなかった。

 朝の海風が頬を撫でる。

 昨日までなら心地よく感じたはずの風が、今日は妙に冷たかった。

 

「……最悪の朝ね」

 

 懐に入れた古い地図を確かめる。

 誰にも知られてはいけない。

 一億ベリーをアーロンへ渡す、その瞬間までは。

 ナミはココヤシ村へ向けて歩き出した。

 

 

 

 

———♢♢♢————

 

 

 

 

 東の海(イーストブルー) ココヤシ村

 

「不良娘が帰ってきたわ」

 

 聞き慣れた声に、ナミは顔を上げた。

 青い髪に、小麦色の肌。その露出した肩や腕からは、いくつもの刺青が覗いている。

 ナミの義姉、ノジコだった。

 

「みんな、久しぶり」

 

 ナミの声が、静かな村の通りに響いた。

 その手には、ここへ来る途中で摘んだ色とりどりの花が束ねられている。道端に咲いていた中から、なるべく綺麗なものを選んできた。

 

「ナミ……」

「ナッちゃん……」

 

 通りにいた村人たちが、一斉にナミを見る。

 何人かは何かを言いたそうに口を開きかけたが、結局、誰も声をかけてはこなかった。目が合えばすぐに逸らし、荷物を抱えていた者は足早にその場を去り、家の前にいた者たちも次々と扉の向こうへ姿を消していく。

 あっという間に、村の通りから人影が減っていった。

 

 ナミはその光景を黙って見送った。

 アーロン一味の仲間となった自分に関われば、どんな厄介事に巻き込まれるかわからない。村のみんなが自分を避けるのも当然だ。

 そう思っているからこそ、ナミも誰かを呼び止めようとはしなかった。

 

「どうしたの?」

 

 ノジコがナミの隣に並んだ。

 

「あんたが村の真ん中を堂々と歩いてくるなんて珍しいじゃない」

 

「ちょっとね」

 

 ナミは前を向いたまま、少しだけ笑った。

 

「そろそろ、慣れておこうかなって思って」

 

 アーロン一味に入ったあの日から、ナミはこの村への出入りを禁じられていた。

 もっとも、それを律儀に守っていたわけではない。

 村の外れには、ベルメールやノジコと暮らしていた家がある。みかん畑もあれば、ベルメールの墓もある。だから島へ帰ってきた時には、人目を避けて村の裏手から回り、家や墓へ足を運ぶことは何度もあった。

 それでも、こうして村の真ん中を堂々と歩くことはなかった。

 今日までは。

 

「ん?」

 

 ノジコのそばにいた男が、ナミへ顔を向けた。

 帽子に風車を差した、村の駐在ゲンゾウだ。

 

「ナミ、いつ戻ってきたんだ?」

 

「昨日よ、ゲンさん」

 

「そうか……今回は随分長かったじゃないか。なかなか帰ってこないから心配してたんだぞ。無事でよかった」

 

「……ゲンさん」

 

 その言葉を聞いた瞬間、ナミは突然ゲンゾウへ抱きついた。

 

「お、おい!? ナミ、どうしたんだ!」

 

 予想もしなかった行動に、ゲンゾウの体が固まる。両手を宙に浮かせたまま、どうしたものかと目を泳がせていた。

 

「あら」

 

 その様子を見ていたノジコが、面白そうに笑う。

 

「どうしたの? 急にゲンさんに甘えたくなった?」

 

「……なんか、急にこうしたくなったの」

 

 ナミはゲンゾウの胸に顔を寄せたまま答えた。

 ベルメールがいなくなってからも、ずっと自分たち姉妹を気にかけてくれた人だ。

 口では村に来るなと言いながら、ナミが帰ってくればいつも無事を確認してくれる。ベルメールの代わりにはなれなくても、ナミにとってゲンゾウは、ずっと変わらず自分を見守ってくれている大切な人だった。

 

「まったく……どうしたんだ、今日は」

 

 困ったように言いながらも、ゲンゾウはナミを振りほどかなかった。

 そこで、ナミが手にしている花束に気づく。

 

「その花は……ベルメールにか?」

 

「うん。あとでお供えしようと思って、ここに来る途中で摘んできたの」

 

「そうか」

 

 ゲンゾウは花束を見て、穏やかに笑った。

 

「綺麗な花だ。ベルメールもきっと喜ぶ」

 

「……うん」

 

 ナミの顔にも、自然と笑みが浮かんだ。

 

 村を離れたナミとノジコは、二人で丘を登った。

 村の外れにある小高い丘からは、コノミ諸島を囲む青い海が一望できる。潮風が吹き抜けるその場所に、ベルメールの墓はあった。

 

 ナミは持ってきた花を墓前へ丁寧に供え、その前にしゃがみ込む。ノジコも隣に腰を下ろした。

 しばらくの間、ナミは何も言わずに墓を見つめていた。

 ベルメールを失ってから、もう十年になる。

 本当に長かった。

 

「ベルメールさん……」

 

 独り言のような、小さな声だった。

 

「ようやく、ココヤシ村を救えるよ」

 

 そう告げて、静かに墓前へ手を合わせる。

 今日の昼、一億ベリーをアーロンへ渡せば終わる。ベルメールが殺されたあの日から続いていたすべてが、ようやく終わるのだ。

 

「ねえ、ナミ」

 

 隣からノジコの声がした。

 

「なに?」

 

「あんた、今日はちょっと変よ」

 

「変?」

 

「いつもここに帰ってくる時は、魚人たちへの文句ばっかり言ってるじゃない。今日はやけにおとなしいし……なんだか朝からずっと変」

 

 ノジコはナミの横顔を覗き込んだ。

 

「何かあったの?」

 

 ナミは少しだけ迷ったが、ノジコには隠しておきたくなかった。

 二人は昔から、嬉しいことも辛いことも、何でも話してきた。ベルメールがいなくなってからは、なおさらだった。

 

「ねえ、ノジコ」

 

「ん?」

 

「私がアーロンとした約束、覚えてる?」

 

「もちろん覚えてるわよ。一億ベリーでココヤシ村を買い取る。そういう約束でしょ?」

 

「うん」

 

 ナミは一度、大きく息を吸った。

 そして、もう隠しきれない笑顔を浮かべる。

 

「一億ベリー、貯まったの!」

 

「……え?」

 

「全部貯まったのよ! だから今日のお昼、アーロンと取引する!」

 

 ナミの声が弾んだ。

 

「一億ベリーを渡したら、ココヤシ村を解放してくれる。村のみんなも、もうアーロンたちにお金を払わなくていいの。私もアーロン一味を抜けられる!」

 

 ノジコは何も言わなかった。

 ただ、目を見開いたままナミを見つめている。

 

「ノジコ?」

 

「それ……本当に……本当なの?」

 

「うん。本当よ」

 

 次の瞬間、ノジコの目から涙が零れた。

 ベルメールが殺され、アーロンに島を支配されてから、もう十年になる。ゲンゾウを中心に、村のみんなで耐え忍ぶことを決めた。今は戦えない。戦えば殺される。それなら、いつかこの地獄が終わる日まで耐えるしかない。

 

 けれど、現実はあまりにも苦しかった。

 毎月、アーロンに命を買うための金を納めるだけで精一杯で、誰か一人でも払えなければ容赦なく殺される。明日を生きるためだけに働き、その金のほとんどを奪われながら、それでも村のみんなは十年間耐えてきた。

 

 そしてナミも、ずっと戦っていた。

 自分たちとは違う場所で、たった一人で。

 十年間。

 そのすべてが今日、ようやく報われようとしている。

 

「よかった……」

 

 ノジコは泣きながら笑った。

 

「本当に……よかった……!」

 

「うん! これからは村からお金を取らないって約束もしたの。だから……」

 

 そこまで言ったところで、ナミの声が震えた。

 村は助かる。

 これでもう、ゲンゾウも、ノジコも、村のみんなも、アーロンに怯えながら生きていかなくていい。

 もう誰も殺されなくて済む。

 

「だから……みんな……」

 

 最後まで言葉にすることはできなかった。

 ナミの目からも、堪えていた涙が溢れ出す。

 それを見たノジコは、すぐにナミを抱きしめた。

 

「ありがとう、ナミ」

 

 耳元で、優しい声がした。

 

「本当に、よく頑張ったね」

 

 その一言で、ナミの中に十年間張り詰め続けていたものが切れた。

 

「もう……村の誰にも死んでほしくないから……」

 

 震える声のまま、ナミはノジコの胸に顔を埋めた。

 

「みんなのことを考えてたから……ここまで頑張れた……」

 

「うん」

 

 ノジコは何度も頷きながら、ナミの頭を優しく撫でた。

 

「ナミは、本当に優しいね」

 

 しばらく二人は、そのままでいた。

 やがて涙が落ち着いた頃、ノジコが静かに尋ねる。

 

「このこと、ゲンさんや村のみんなにも知らせる?」

 

「ううん」

 

 ナミは目元を拭った。

 

「ちゃんと取引が終わってから知らせる。全部終わってから、私の口からみんなに言いたいの」

 

「そう」

 

 ノジコは微笑んだ。

 

「その方がいいかもね」

 

 その時だった。

 

 ぐうぅ~~~~。

 

 静かな丘の上に、妙に大きな音が響いた。

 二人の動きが止まり、ノジコがゆっくりとナミを見る。

 

「……あんた、朝ごはん食べてないでしょ」

 

「もぉ! 言わないでよ! 恥ずかしいじゃない!」

 

「ふふっ。だってこんな大きな音が鳴ったら、誰だってわかるわよ」

 

「仕方ないでしょ。朝から色々あったんだから!」

 

 ついさっきまで泣いていたのが嘘のように、二人はいつもの姉妹のやり取りへ戻っていく。

 ノジコは立ち上がると、服についた草を払った。

 

「お昼まではまだ時間もあるし、家に戻りましょ。なんだか私もお腹が空いてきたわ」

 

「そうね」

 

 ナミも立ち上がった。

 

「久しぶりにノジコの料理が食べたい!」

 

「なら、料理を作るの手伝ってね」

 

「もっちろん!」

 

 ナミはベルメールの墓へもう一度振り返った。

 墓前に供えた花が、海から吹き上げる風に静かに揺れている。

 その光景を目に焼きつけてから、二人は並んで丘を下り始めた。

 いつの間にか、ナミの手はノジコの手を握っていた。

 子供の頃と同じように、姉妹は手を繋いだまま、懐かしい我が家へと帰っていった。

 

 

 

 

——♢♢♢——

 

 

 

 

 

 東の海(イーストブルー) ココヤシ村 ナミ・ノジコの家

 

 二人が家へ戻る頃には、朝の陽もすっかり高く昇っていた。

 みかん畑を抜け、懐かしい我が家の扉を開ける。

 

「ただいまー」

 

「誰もいないけどね」

 

「いいのよ。なんとなく言いたくなったの」

 

 久しぶりに帰ってきた家は、やはり落ち着いた。

 使い込まれた家具も、歩くたびに鳴る床板も、窓から差し込む陽の匂いも、ベルメールと三人で暮らしていた頃からほとんど変わっていない。

 

 今日の昼には、アーロンとの取引が終わる。そうなれば、もう人目を避けて村の裏から帰ってくる必要もない。村の真ん中を堂々と歩き、この扉を開けて、当たり前のように「ただいま」と言えるようになる。

 

「それで……何作る?」

 

「そうね。お祝いにはまだ早いけど、今日は奮発しちゃおうか」

 

「うふふ、そうこなくちゃ」

 

 冷蔵庫や戸棚から食材を取り出し、二人で並んで台所に立つ。

 

「ナミ、鴨肉に添える野菜を切ってくれる?」

 

「わかったわ。これくらいでいい?」

 

「もう少し小さく。火が通りにくいから」

 

「はいはい」

 

 野菜を切り終えたナミは、隣の鍋を覗き込んだ。鍋の中ではシチューが静かに煮え、柔らかな湯気とともに食欲をそそる匂いが立ち上っている。

 

「ノジコ、シチューはまだ混ぜた方がいい?」

 

「一度底から混ぜたら、あとは弱火で煮込んでおいて」

 

「わかった」

 

 鴨肉をオーブンへ入れると、ノジコはみかんの果汁を使ってソースを仕上げた。小さな匙ですくい、ナミの口元へ差し出す。

 

「味見してみて。ノジコ特製のみかんソース」

 

「んんっ、おいしい! ノジコ……天才ね」

 

「これくらいで大袈裟ね」

 

「本当においしいんだから仕方ないでしょ」

 

 ノジコは笑いながら、今度はトマトを手に取った。

 

「ナミ、そっちのトマトを取ってくれる?」

 

「何に使うの?」

 

「トマトのリゾット風オムライスにしようと思って」

 

「すごくおいしそう!」

 

 オムライスの中身を作り終えたところで、ノジコは戸棚の奥から一本の酒瓶を取り出した。大切にしまっていたのか、瓶には薄く埃が積もっている。

 

「それから、とっておきのお酒」

 

「あっ、そのお酒、大好き!」

 

「これは取引が終わってからね。無事に帰ってきたら、みんなで乾杯しましょ」

 

「楽しみね。絶対すぐに帰ってくるから」

 

 料理をしながら、二人の話は尽きなかった。

 ノジコが特に興味を示したのは、ナミが外の海で経験した出来事だった。シェルズタウンで海図を盗んだことや、バギー海賊団に追い回されたこと、オレンジの町で騒動に巻き込まれたこと。

 そして、そこで再び出会った麦わら帽子の男のこと。

 

 鴨肉が焼き上がり、シチューが煮えるまでには、もう少し時間がかかる。オムライスの卵も、ほかの料理を食卓へ並べる直前に焼けばいい。

 二人は一度手を休め、食卓の椅子へ向かい合って腰を下ろした。

 

「それにしても、会ってみたいわ。そのルフィって男に」

 

「会いたくなる要素あった?」

 

「あるわよ。見ず知らずの私たちを、本気で助けようとしてくれたんでしょ?」

 

「命知らずのお節介なだけよ」

 

「でも、アーロンを倒して村を救うって言った」

 

「事情もろくに知らないくせにね。アーロンがどれだけ恐ろしい奴なのかも知らないで、簡単に言うんだから」

 

 呆れたように話しているのに、ナミの声はどこか楽しそうだった。

 ノジコはそれを見逃さず、不意に笑い出した。

 

「ふふっ」

 

「何よ。変なこと言った?」

 

「あんた、ルフィの話をしてる時、ずっとニヤけてるから」

 

「なっ……」

 

「自分じゃ気づいてなかったの?」

 

「もう、この話は終わり! それより料理はまだ? 私、もうお腹ぺこぺこなんだから!」

 

 図星を突かれたナミは、強引に話を打ち切った。

 

「はいはい。それじゃ、お皿を用意して」

 

 ナミが食器棚を開け、皿を取り出そうとした時だった。

 

 コンコン。

 

 玄関の扉を叩く音が響いた。

 

「はーい」

 

 ノジコが立ち上がり、玄関の扉を開ける。

 

「あれ? ゲンさん、どうしたの?」

 

 そこに立っていたのは、帽子に風車を差した村の駐在、ゲンゾウだった。

 ノジコは家の中に漂う料理の匂いを振り返り、からかうように笑った。

 

「あっ、もしかして匂いに釣られてきたんでしょ?」

 

「ああ……いや、そうではなくてな」

 

「遠慮しなくていいわよ。料理は多めに作ってるから、ゲンさんも食べていって」

 

 いつもなら喜ぶか、揶揄うなと怒るところだった。

 だが、ゲンゾウは家へ上がろうとはせず、言いにくそうな顔でノジコの向こうを覗き込んだ。

 

「今、ナミも一緒にいるのか?」

 

「え? いるけど……ナミ、ゲンさんが呼んでるよ」

 

 ノジコに呼ばれ、ナミも玄関へ顔を出す。

 

「ゲンさん、どうしたの?」

 

「ナミ……お前に客だ」

 

「私に?」

 

 ゲンゾウの言葉と同時に、みかんの木の陰から複数の海兵が姿を現した。

 先頭に立つ鼠のような顔の男を見て、ナミの目つきが変わる。

 

「チチチチ……初めまして。私は海軍第十六支部大佐、ネズミだ」

 

 ネズミは薄気味悪い笑みを浮かべながら、玄関先まで歩いてきた。

 

「すうーー……ずいぶんといい匂いだ。私も中に入れてもらっていいかね?」

 

「お断りよ。あんたたちに出す料理なんてないわ」

 

 ノジコは急いで台所へ戻り、鍋とオーブンの火を止めてから、ネズミを睨みつけた。

 

「まあいい。私も食事の話をしに来たわけではないからね」

 

 ネズミは改めてナミへ向き直った。

 

「君が、犯罪者のナミだね?」

 

「犯罪者……そうね。海賊だから大犯罪者ね」

 

 ナミはネズミの出方を探りながら、あえて強気に言い返した。

 

「だけど、私はアーロン一味の幹部でもある。世渡り上手な大佐さんなら、私に手を出したらどうなるかくらいわかるわよね?」

 

「チチチチ……アーロン一味の幹部?」

 

 ネズミはわざとらしく首を傾げた。

 

「人間嫌いのアーロンが、君のような小娘を幹部にしたという情報は、私のところには届いていない。それに今日ここへ来たのは、君が海賊だからではない。泥棒行為について通報を受けたからだ」

 

「通報……?」

 

 ナミだけでなく、ノジコとゲンゾウも顔を曇らせた。

 

「君が海賊専門の泥棒であることは、こちらも把握している。海賊相手の盗みを、今さら一つ一つ咎めるつもりはない」

 

 ネズミはそこで言葉を区切り、口元を歪めた。

 

「だが、泥棒は泥棒。盗品は盗品だ。これまで君が盗み、蓄えてきた金品は、すべて政府が押収する」

 

「バカ言うんじゃないわよ! そんな理屈が通るわけないでしょ!」

 

「聞こえなかったかね? 君が盗んで蓄えた盗品を、すべて差し出せと言ったんだ。これは政府の決定だよ」

 

 ネズミは背後の海兵たちへ顎を向けた。

 

「おい、盗品を探せ!」

 

「「はっ!」」

 

 命令を受けた海兵たちが、家の中へ踏み込もうとする。

 ナミはすぐさま先頭の海兵の肩を掴み、勢いのまま外へ投げ飛ばした。

 

「うおっ!?」

 

「やめろ! 人の家に勝手に入らないで!」

 

 海兵はほとんど抵抗することなく、あっさりと地面へ転がった。

 ほかの海兵たちも助けに入ろうとはせず、何がおかしいのか薄い笑みを浮かべたままナミを見ている。

 まるで最初から、この家の中に用などないようだった。

 

「これが、今の海軍がやることなの?」

 

 ナミの声が震える。

 

「もっとほかにやることがあるでしょ! アーロン一味は人を殺して、町を潰してる! あいつらに支配されて、この島の人間はみんな奴隷みたいに生きてるのよ!」

 

「チチチ……犯罪者が偉そうに、この私へ説教を垂れるな」

 

「島の人たちは海軍の助けを待ってるのよ! 何年も、ずっと! 困っている人たちを見て見ぬふりしておいて、よくここに来られたわね!」

 

「ふーむ……」

 

 ネズミは面倒そうに耳をほじると、部下へ尋ねた。

 

「この島の住民から、海賊による被害届は出ているか?」

 

「はっ! いいえ、大佐! この島から海賊被害についての報告は、一件も受けておりません!」

 

「チチチチ……聞いた通りだ、小娘。被害の報告など存在しない。以上だ」

 

「この……クズ!」

 

 ナミが吐き捨てても、ネズミは顔色一つ変えなかった。

 

「何とでも言うがいい。おい、どうせ家の中にはない。畑を掘り返せ。邪魔なみかんの木は、全部引き抜いてしまえ!」

 

 ネズミは足元へ転がってきたみかんを、靴底で踏み潰した。

 果汁が弾け、柔らかな実が土の上で潰れる。

 その光景を見た瞬間、ナミの怒りが頂点に達した。

 

「汚い手で、ベルメールさんのみかんに触るな!」

 

 バキンッ!

 

 ナミは武器を構え、みかんの木へ手をかけようとした海兵を殴り飛ばした。

 

「私のお金は渡さない! あのお金は……!」

 

「この子の金は、ココヤシ村を救うための金だ!」

 

 ナミの言葉を引き継ぐように、ゲンゾウが海兵たちの前へ出た。

 

「それでも貴様らに、この子の金を奪う権利があるというのか! 海軍!」

 

「村の駐在ごときが、海軍大佐である私に物言いかね?」

 

 ネズミが何かを言い返している。

 だが、ナミの耳にはもう入ってこなかった。

 なぜ、ゲンゾウが金の目的を知っているのか。

 

「なんで……」

 

 ナミはゲンゾウを見つめた。

 

「なんでゲンさんが、そのことを知ってるの? 私、その話はノジコにしか……」

 

 そこまで言って、ナミは息を呑んだ。

 ノジコとしか共有していない秘密を、ゲンゾウが知る方法など一つしかない。

 ナミが振り返ると、ノジコは申し訳なさそうに目を伏せた。

 

「ごめんね、ナミ。あたしが教えたの」

 

「えっ……」

 

「ノジコを責めないでやってくれ」

 

 ゲンゾウが静かに口を挟んだ。

 

「ナミがアーロン一味へ入った時、私たちはどうしても納得できなかった。だからノジコを問い詰めて、お前の本当の目的を聞き出したんだ」

 

「じゃあ……」

 

「ああ。村のみんなも、最初からすべて知っていた」

 

「でも、みんな私を見たら避けて……誰も話しかけてこなかった……」

 

「あれは、お前を嫌っていたからじゃない」

 

 ゲンゾウは迷うことなく言い切った。

 

「いつかアーロン一味から逃げ出したいと思った時、私たちの存在がお前の足枷にならないよう、関わらないふりをしていたんだ。」

 

「足枷だなんて……そんなわけないでしょ」

 

 ナミの声が揺れる。

 自分は十年間、村のみんなから憎まれていると思っていた。それでも構わないと、自分に言い聞かせてきた。

 そのすべてが違っていた。

 

「なるほど」

 

 そこへ、ネズミの声が割り込んだ。

 

「つまり、貴様らはこの娘が盗品を何に使うつもりだったのか、承知していたということか」

 

 ネズミは三人を順に見回し、愉快そうに目を細める。

 

「村ぐるみで泥棒に加担していた。そう認めて、全員まとめて捕まえてほしいと言っているのかね?」

 

「ふざけんじゃないわよ!」

 

 ノジコが怒鳴った。

 

「あんたたち政府の人間が頼りにならないから、一人一人が自分にできることをして、生き延びようとしてるんだ! 村を救うつもりがないなら、さっさと出ていきな!」

 

 ノジコはネズミの背後にいる海兵たちまで睨みつけた。

 

「ぐずぐずしてたら、あんたたちの船だってアーロンに狙われるよ!」

 

「……アーロンに、ねぇ」

 

 ネズミは一瞬だけ目を細めたあと、不敵な笑みを浮かべた。

 

「それはどうかなぁ……チチチチ。まだ見つからんのか!」

 

 ネズミが、みかん畑を掘り返している海兵たちへ声を張り上げた。

 

「そんな深いところに埋めているはずはない! 一億ベリーだ、すぐに見つけろ!」

 

「一億ベリー……?」

 

 ゲンゾウの顔色が変わった。

 

「おい、待て。なぜ貴様が金額を知っている?」

 

「ん? ああ、なんとなくだよ。一億ベリーくらい貯めていそうだと思っただけさ」

 

「そんなわけ……」

 

 ナミの胸を、冷たい予感が突き抜けた。

 一億ベリーという金額を、海軍が知っているはずがない。

 その額を知っているのは、ナミとノジコ。そして、今しがた真実を知っていたと明かした村人たち。

 もう一人だけ、その取引を知る男がいる。

 

 (シャハハハハハハハ)

 

「まさか……」

 

 ナミの顔から血の気が引いていく。

 

「アーロンが、あんたたちをここへ差し向けたの?」

 

「さぁねぇ」

 

 ネズミは答えず、肩を揺らして笑った。

 

「我々は通報を受けたと言っただろう。政府の人間として、当然の処置を取っているだけだ」

 

 一億ベリーの存在を知り、海軍を動かせる者など、アーロン以外にいるはずがなかった。

 

「貴様ら……それでも海軍か!なんと腐った奴らだ」

 

 ゲンゾウが声を震わせた。

 

「海軍が、海賊の言いなりになるなんて」

 

 ノジコも怒りで声が震えている。

 

「アーロン……!」

 

 ナミは唇を噛み締めた。

 

「無駄話はこれまでだ。捜索の邪魔になる」

 

 ネズミが片手を上げると、控えていた海兵たちが一斉に銃を構えた。

 

「こいつらを家から離せ」

 

「「はっ!」」

 

 銃口が、ナミとノジコへ向けられる。

 

「ナミ、ノジコ、危ない!」

 

 引き金が引かれる直前、ゲンゾウが二人の前へ飛び出した。

 

 ドンッ! ドンッ! ドウン!

 

 銃声が、みかん畑に響き渡る。

 ゲンゾウの肩と脇腹から血が弾け、その体がナミたちの目の前へ崩れ落ちた。

 

「「ゲンさん!!」」




読んでいただきありがとうございます♪
16話はすでに書いてあるので、すぐに投稿します(*^ω^*)
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