『先に見える未来に希望はない。……この関係を終わらせなければ、お互いきっと不幸になる』
それをわかっていながら、私は彼との行為をずるずると続けていた。
しかも、家庭教師を辞めると決心したはずなのに、それを口にすることすらできなかった。
──思い悩んだ末の結論だった。
彼の前から静かに姿を消すことが、最善の選択だと心に決めたはずだった。
なのに、これが最後と誓いながらも、その姿を目にした途端、心が揺らぐ。
ダメだと思いながらも彼に抱かれ、次の日になると同じ過ちをまた繰り返す。
しかも、そんな気持ちとは裏腹に、身体を重ねるたびに、彼の存在は心の中でますます大きくなっていく。
──このままではいけない。
思い悩んだ末、私は彼と距離を取るために、家庭教師の仕事をしばらく無断で休んでいた。
このままクビになり、連絡が途絶えれば、自然と彼から離れられると思っていた。
しかし、彼と過ごした日々は、思った以上に心に大きな楔を打ち込んでいた。
一人きりの寂しい夜に、自然と思い浮かべるのは、彼と身体を重ねていた時の記憶──。
意地悪なことを散々繰り返されて、ようやく絶頂を迎えさせられた時の”あの快感”が、いまだに記憶に焼き付いて離れない。
堪え切れずに自分自身を激しく慰める。
だが、満足するどころか、ますます大きくなっていく彼との記憶──。
この欲望を打ち消す為には、もっと刺激的な快楽に溺れる以外にないだろう。
しかし、私はもともと活発な性格でもなければ、そんな大胆なことをする行動力すらも無い。
これまで生きてきて、彼氏など作ったことがないのだ。
ひたすら勉強に打ち込み続けてきた私にとって、男性など必要のない存在でしかなかった。
心にぽかり穴が開いたような虚しさを感じつつも、時間は容赦なく過ぎていく。
私は部屋にこもってばかりもいられないと、授業を受けるため、いつも通りに大学へ向かった。
だが──
「せ、先生!」
キャンパスの近くまで来たその時、背後から聞き慣れた声が響く。
──今、顔を合わせるわけにはいかない。
その姿を目にしただけで、私の心は揺らいでしまうだろう。
そう思ったはずなのに──
声を聞いた瞬間、時が止まったように固まる身体──。
素肌をつたって汗がじわじわと溢れ出し、鼓動は激しく揺れ動く。
私は鉛のように重い足を必死に前へ踏み出し、後ろを振り返ることもなく早足で歩きだした。
「待ってよ! ……なんで、家に来なくなったのさ!?」
しかし、彼はとっさに私の手首を掴み、歩みを止めた。
興奮しているかのようなその荒い息づかい。
ずっと私を探していたのか、全身からじんわりと汗が噴き出している。
私は彼と目も合わせず、声をかすかに絞り出した。
「……やめるの。……もう家庭教師は続けられない」
平静を装いながら、必死に動揺を隠す。
そうでもしなければ、彼に流されていくこの感情を抑えることはできなかった。
しかし、彼がその言葉を素直に受け入れるはずがない。
「なんでなんだよ!? ……もう僕のことが嫌になったの!?」
その一言は、私の心を強く揺さぶった。
──好きとか嫌いの問題ではない。
このままでは、お互いに地獄を見ることになるのだ。
「こんなことを続けてちゃダメなんだよ! ……私は、普通に生きたいの!」
私は感情的になっていた。
だが、その言葉は今の私の正直な気持ち。
短い沈黙とともに、重苦しい空気が流れていく。
「嫌だよ! ……先生が居なきゃ、僕はもう生きていけない!」
しかし彼は、まるで私の心を見透かしているかのように、背後からギュッと抱き付いてくる。
その瞬間、蘇る彼との熱い記憶──
お尻には、私をとことん絶頂に追い詰めていた”あれ”が、衣服越しにぴったりと密着していた。
慣れ浸しんだ熱く火照ったその温もりに、身体中の力がみるみる抜け出していった。
「いや、やめて! ……ここ、学校の近くなんだよ!」
私は慌てて、彼から離れようとする。
だが、私のことをどこまでも知り尽くした彼──
こんな時、どうすれば私がなびくのかをよく知っていた。
さり気なく胸元に回り込んだ手は、天辺の敏感な部分を服の上から優しく撫でていた。
しかも、意図的なのか、耳元に熱い吐息を吹きかけながら甘い言葉を囁く。
「ねぇ……しよう?」
そう言われた途端に、あの日々の記憶が鮮明に蘇っていく。
吸い付くようなサラサラの素肌──
あの燃えたぎる熱き血潮が、私の奥まで入って、全体をまんべんなくかき回していた。
何度も何度もそれに突かれた私は、喜びの声を上げながら悶え狂っていた。
それをもう一度、求める気持ちは今の自分にさらさらない。
なのに、身体が勝手にあの感覚を欲しがっていた。
思い出すだけで、子宮がキュンキュンと疼き始める。
だが、感傷に浸ってなどいられない。
私は彼と決別しなければならないのだ。
「放して!」
そう言って、私は身体に回った彼の手を乱暴に振り払う。
そして、鋭い視線で睨みつけた。
「私たちは、もう終わったの!」
そう言って振り向くと、彼は思っていた以上に落ち込んだ様子を見せていた。
肩を落とし、捨てられた子犬のようにしょんぼりとしている。
その姿を見た瞬間、胸がきゅっと締め付けられた。
「どうして……そんなこと言うの?」
彼は少し俯きながら、こちらの顔を窺うように見上げている。
潤んだ瞳には、いつもの飄々とした態度も、欲望に満ちた笑みもなかった。
悲しみ満ちたその姿に、どうしても心が揺らぐ。
「このまま、お別れしよう? ……その方が、いいんだよ」
本当なら、もっと強く言うべきだった。
だが、私には最後まで彼を突き放すことなどできない。
慰めるように、できるだけ穏やかな声でそう告げたのは私なりの配慮だった。
「……わかった」
しかし、彼は短くそう答えると、くるりと背を向けた。
そして、肩を落としたまま、とぼとぼと歩き出す。
その背中は、まるで人生を終えた老人のように、ひどく小さく見えた。
胸の奥に広がる罪悪感が、じわじわと私を締め付けていく。
本当に、このまま別れてしまっていいのだろうか。
「ま、待って。……最後に少しだけ話そうか?」
ダメだとわかっていながら、思わず声をかける。
その選択が、大きな間違いだったことに、この時の私はまだ気づいていない。
「えっ!? ……本当に!」
まるで別人のように、そう言ってキラキラと輝かせるその瞳。
意気揚々と歩き出す彼に手を引かれ、私は来た道を戻り始めていった。
~to be continued~