※この作品はR-18です。

性年のしがらみ   作:村上しんご

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第六話 歪んだ心⑥

 ハジメの母、メグミは──

 息子が連れてきた女の姿を目にした瞬間、言葉を失っていた。

 

 まるで、気が狂ってしまったとしか思えなかったからだ。

 

 小柄で華奢な息子とはあまりにも不釣り合いな、その体躯。

 丸々と膨れた輪郭は幾重にも重なり、荒れた肌には吹き出ものが生々しく浮かび上がっている。

 

 ずり落ちかけた黒縁の眼鏡は、脂に滲んで光り、かろうじてその位置に留まっているようだった。

 

 ──どうして、こんな女を。

 

 声にならない疑問が、胸の奥で渦を巻く。

 

 最近、様子がおかしいとは思っていた。

 学校から帰るとすぐに部屋にこもり、ノックをしても返事がない。

 

 こっそり覗いてみると、下半身を剥き出しにして、一心不乱にマスターベーションに没頭していた。

 床には丸めたティッシュペーパーが、山のように積み上がり、その姿はまるで盛りの付いた犬。

 

 だからといって──

 

 もう、女なら誰でもよくなってしまったのだろうか。

 

 メグミには、自分の息子が正気を失ってしまったとしか思えなかった。

 

 だが──当のハジメは違う。

 

 目の前の、力士のような女を、まるで宝物でも眺めるかのように、うっとりと見つめている。

 

 その視線には、なんの迷いも嫌悪もない。

 ただ、深く満たされたような色だけが宿っていた。

 

 それどころか、メグミが用意したケーキを、まるで恋人同士のように分け合いながら、自然に笑みまで交わしている。

 

 しかし、母であるメグミに、息子を咎めることなどできなかった。

 

 相手の容姿を理由に口を挟むなど、あってはならないことだ。

 それに──どんな相手を選ぼうと、それはハジメ自身の問題だ。

 

 自分が差し出せる手など、どこにもない。

 

「僕の部屋に行こうよ……見せたいものがあるんだ」

 

 ハジメは目を輝かせ、そう言いながら彼女の手を引いた。

 そして二人はそのまま、自室へと向かっていく。

 

 引き止めることもできず、メグミはただ、その後ろ姿を見送るしかなかった。

 

 仲睦まじく手を繋ぐその後姿は、まるで親子──

 

 ふと、胸の奥に引っかかる。

 息子が自分の部屋で何をしようとしてるのかは、なんとなく想像がついていた。

 

 家に着いた時から、彼女を見つめるうっとりとした瞳には、他のものは何一つ映っていない。

 女として見ているのは明らかで、しかも股間の辺りが、ずっとモッコリと膨らんでいた。

 

 しばらくしてから、息子の部屋をこっそりと覗く。

 

 そこで、目にしたのは──

 

 やはり、二人は始めていた。

 

 女はスカートを捲り上げられ、大きな尻を突き出し、息子の背丈に合わせて小さく屈んでいる。

 その窮屈に見える姿は、まるで巨大な饅頭。

 

 そんな醜態を前にして、息子は下半身を丸出しにして一心不乱に腰を振っている。

 巨大なお尻に股間をペチペチと打ち付け、満足げに薄っすらと笑みを浮かべる姿は──まるで、理性を失くした獣のようだ。

 

 自分が産んだ息子とは、とても思えない。

 

 そう思いながらも、メグミはわずかに開いたドアに手をかける。

 そして二人に気づかれぬよう、息を殺して──そっと扉を閉めた。

 

 我が子がどれほど苦しんでいようと、自分にはどうすることもできない。

 もはや、この女に託すしかないのだ。

 

 どれほど容姿が醜くとも、息子自身が彼女を選んでいる。

 

 今はただ、盲目になっているだけ。

 だが、熱が冷めれば、いずれ正気に戻るはずだ。

 

 ──そうあってほしい。

 

 メグミは、そう自分に言い聞かせるしかなかった。

 

 リビングに戻ろうとする彼女の耳に、あの女の淫らで悩ましい声が微かに届く。

 その肩は、悔しさを押し殺すように小さく震えていた。

 

 一方で──

 本当の愛を知ったハジメは、もはや周囲の視線など意にも介していなかった。

 

 何を言われようと構わない。

 ヤスコが愛おしくてたまらないし、これほどまでに自分を求めてくれる存在がいることが、ただ嬉しかった。

 

 心から満たされている。

 そう思えるほどに。

 

 だが──

 愛を知ってしまったからこそ、胸をよぎるものがある。

 

 拭いきれない、たった一つの後悔。

 

 ──カズミのことだ。

 

 彼女と繋がってしまったことは、まぎれもない事実。

 だが、そこには愛どころか、何の感情さえも無かった。

 

 ただ、自分の欲望を満たすために彼女の身体を強引に奪ったのだ。

 

 その行為は紛れもなくレイプ──

 

 どんなに冷静さを失っていても、あんなことをしてしまっては獣にさえ劣る。

 相手の気持ちを思いやる心がなければ、どんなことをしたって満たされるはずはないのだ。

 

 ハジメは彼女の感情など無視して、その身体を奪ってしまったことを、今になって後悔していた。

 そして、彼女を性処理の道具としか見ていなかったことに、深い罪悪感を感じていた。

 

 次の日──

 

 ハジメは、カズミに謝る覚悟を決めていた。

 

 あれだけのことをしてしまったのだ。

 当然、その報いは受けなければならない。

 

 あの日と同じように、授業を抜け出し、朝から屋上へ向かう。

 彼女が来るのを、一人で待ちながら、ぼんやりと空を眺めていた。

 

 空を見上げるその横顔は、どこか穏やかで──

 不思議なほど、晴れやかだった。

 

 本当の愛を知ったからこそ、ハジメは変わった。

 

 もう、逃げない。

 

 たとえカズミがどんな無理難題を突きつけてこようと、すべてを受け止めるつもりでいた。

 

 誠心誠意、許しを乞うために──。

 その結末がどうなろうとも、受け入れる覚悟はできていた。

 

 そのとき、屋上の扉がバタンと荒々しく開いた。

 

「お前、よく学校に来れたなぁ?」

 

 開口一番、嘲るような声。

 

 現れたカズミは、やはり一人ではなかった。

 背後には、ガラの悪い上級生たちを従えている。

 

 その立ち姿には、決して許さないという意思が、はっきりと滲んでいた。

 

 取り囲むように近づいてくる先輩たちを見て、ハジメの喉がひくりと鳴る。

 

 覚悟していたはずなのに──

 身体が、正直に怯えていた。

 

 それでも。

 

 ここで逃げれば、すべてが終わる。

 

 ハジメは歯を食いしばり、意を決すると──

 

「……すみませんでした!」

 

 その場に崩れ落ちるように、深く頭を下げた。

 震える身体を押さえつけながら、地面に額を擦りつける。

 

 だが──

 カズミの憎悪は本物だった。

 

 最初から、言葉など届くはずもない。

 

 平伏するハジメを見下ろしながら、カズミは小さく目配せをする。

 

 次の瞬間──

 

 男たちが、一斉に襲いかかった。

 

 鈍い衝撃が走る。

 殴られ、蹴られ、容赦なく身体を打ち据えられる。

 

 息が詰まり、視界が揺れる。

 

 それでも──

 

「すみませんでした!」

 

 ハジメは叫び続けた。

 

 打ちつけられる痛みに顔を歪めながらも、何度も、何度も、頭を下げ続ける。

 

 決して──やめようとはしなかった。

 

 それはもはや、常軌を逸していた。

 何かに取り憑かれているとしか思えない、異様なしぶとさ。

 

 やがて、その執拗さに気圧されたのか、男たちの手が、次第に鈍っていく。

 

 先ほどまで威勢よく怒鳴っていた声も、いつの間にか消えていた。

 

 そして──

 

 カズミの表情にも、変化が現れる。

 

 腕を組んだまま見下ろしていたその顔から、険しさが、ゆっくりと抜け落ちていった。

 

「……もう、いいよ」

 

 小さく、息を吐くような声。

 

「でも──あんなことをしたんだ。慰謝料だけは、ちゃんと貰うからね……」

 

 その言葉は、許しでありながら、決して優しさではなかった。

 それは、カズミなりの譲歩。

 

 ハジメの“本当に申し訳ない”という想いが伝わったからこそ、彼女は──金で片をつけるという形の、逃げ道を与えたのだ。

 

「……三十万。それで全部、忘れてやるよ」

 

 その言葉に、ハジメははっと顔を上げる。

 

 額から血を流し、顔中を腫らしているというのに、そこに浮かんでいたのは、悲壮ではなかった。

 

 むしろ──

 

 救われた者のような、安堵。

 

「……わかりました! ありがとうございます!」

 

 声を震わせながらも、はっきりとそう答えた。

 

 男たちを従え、カズミはそのまま屋上を後にする。

 その姿が見えなくなっても──

 

 ハジメは、なお頭を下げ続けていた。

 

 やがて静寂だけが残る中、それでもしばらくのあいだ、顔を上げることはなかった。

 

 学生の身で三十万という額は、決して軽いものではない。

 

 だが──

 それだけの過ちを犯したのもまた事実だった。

 

 そして、それを払いきったとき、自分は何かを乗り越えられる。

 

 そんな確信にも似た思いが、胸の奥にあった。

 

 その日から、ハジメはバイトに明け暮れる。

 

 それはカズミへの償いのためだけではない。

 

 ヤスコとの未来のため──

 

 結婚資金を貯めるという、もう一つの目的のために彼は、すでに前を向いていた。

 

 

 

 

 

 

 

           ~to be continued~

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