いつの間にかいい時間になっていたので2人でホテルを出てタクシーで移動して船に乗る。沈みゆく夕日によって海が橙色に染まる光景はいつ見ても綺麗なものだ。
「そう言えばピロートークしてなかったですね」
「じゃあここでしちゃおっか。折角だから九十九くんらしい話が聞きたいな」
「うーん……俺の中でのセックスについて話しましょうか?」
まさかの話題に樋口さんは唸りながら目を瞑ってしまった。
「……ちょっと興味あるかも。お願いするよ」
許可をもらったので俺の中でのセックスの価値観を話す。
「俺は生まれが生まれなので、何人もの女性と体の関係を持つことに嫌悪感を覚えません。性的行為をしたい人しかいない、あるいはそう教えこまれた人しかいない、だからそれはあって当たり前だったんです」
「……結婚してもそれは変わらないの?」
「ええ。俺の中でセックスはコミュニケーションの一種なんです。挨拶をするように、握手をするように、ハグをするように、鼻と鼻を合わせるようにセックスをするんです」
「……とんでもない事を言うね。普通の人だったらセックスは好きな人としかしない特別な物なんだよ?」
「それを否定する心算はありません。ロマンティックラブも大切だと思いますから」
元よりそういう考えがあることは知っていて、友である淳之介君は正に彼女と同じ考え方だった。
「でも、そのせいで"セックスしない=愛していない"みたいな考えが生まれることもあるじゃないですか。ちょっとカッコつけて言うとNo Sex No Loveって奴です」
「……否定できないなあ。愛してるならセックスできるだろって言う人はよくいるんだよ」
囚人のカウセリングもしているのだからそのような理不尽な意見もよく聞くのだろう。
「愛を確かめるセックスがあるのは事実ですが、それだけがセックスの意味じゃないと思います。極論になりますけど愛がなくてもセックスは出来ますし、セックスをしたいと思います。風俗、ひいては青藍島があるのが何よりもの証拠です」
「うーん……説得力が違うなあ……」
「そもそもセックスの本来の意義は"生物として種を残す"なんです。そこに複雑な感情や解釈を入れているのは人間だけです。世界のあらゆる生命体の中でも唯一、人間だけがセックスに本来以上の意義を見出しているんです」
「でも、それが悪い事とは思ってないんだよね?」
「もちろんです。現に俺だってセックスはコミュニケーションという意義を見出しています。ただ、セックスの意義はコレしかないと偏見を持ってしまうことは良くないと思っています」
彼女がしみじみと相槌を打ってくれた。
「どんな物事にも言えることだね。十人十色って言うぐらい考え方があって、それを大切にしてそれぞれ生きている……それを忘れちゃう人が多くて私の仕事も増えちゃうのだ」
「受け入れろとは言いませんが、認識はして欲しいんです。その価値感を持つ事情を知って、そこから受け入れるか否かを決めても遅くはないと思います。なので間違っても俺の奥さんに言わないでください」
思わぬ着地点に彼女がぷっと吹き出した。
「やっぱり悪いことをした自覚はあるんだ?」
「事情を説明して分かってもらっても1日絞られます。分かってもらえなかった場合、後輩を連れてきての4Pで1日絞られます。流石に嬉しさよりも辛さが勝ります」
彼女はどうしよっかなーとわざとらしく口に手を当てて考え始めた。
「なんてね。今日のことを誰かに言ったら私も危なくなっちゃうから誰にも言わないよ」
「そうしてくれるとありがたいです……お酒飲んだときとか気を受けてくださいね?」
「そう言う九十九くんこそ気をつけるんだぞ~?」
「大丈夫です。最近は3%の350ml1本で酔えるようになりましたから」
「こりゃ九十九くんと飲むのは無理そうだな」
「代わりにココアで乾杯しましょう」
その夜二人で飲んだココアは甘くほろ苦いちょっと遅めの青春の味がした。
樋口さんとのお出かけを済ませた翌日、俺はソフィーヤ看守長を見つけて宣言した。
「問題が解決したので囚人に戻ります」
よく見る嫌そうな顔で全てを吹き飛ばすような溜息を吐かれた。
「だと思ったよ……お前、自分の立場が分かっているのか?」
「研修生兼このプリズンへの新しい刺激です」
「所長が止めないから誰にも止められないんだよ……こういう時だけは夕顔看守長の厳しさが羨ましくなる」
ということで囚人に戻って獄中生活を満喫する。食事は普通の物に戻っていて労働も理不尽に押し付けられることも無くなってつまらなかったが、それでも日常では味わえない楽しさがそこにあった。グラウンドに出て情報収集をしようと思った時、ふと鼻に煙草の匂いが届いた。ここでは囚人は当然、看守も禁煙のはずだ。気になったのでその匂いを辿っていくと、黒がかった灰色の長い髪を後ろで束ね、明度の低い紫の瞳を持ち、口元には所々無精ひげが残る、0126番の囚人服を着た初老の男性がいた。彼は俺の存在に気付き、紫煙を燻らせながら声をかけてきた。
「匂いだけで脱法おファックを見抜けると噂では聞いたが……どうやら本当らしいな」
酸いも甘いも知る経験豊富な人間を感じる喋り方で、01から始まる重大犯罪房の人間だから、このプリズンについてよく知っているはずだ。良い関係になって損はない、と思い丁寧に自己紹介をする。
「初めまして。わいせつ房の腹ペコくんこと九十九終です」
「これはご丁寧にどうも……
丁寧に返されたがどこにでもいる老人は重大な犯罪をしないし、この厳格なプリズンでタバコを吸わない。恐らく俺の素性を知っているからほどほどに返したのだろう。ならばここは少し踏み込んで探りを入れるとしよう。
「……間違えました。青藍島の『金色の狂犬』こと土口精です」
俺の本名を明らかにすると、彼は待っていましたと言わんばかりに左目を瞑った。
「最近はお前さんの情報を知りたいという奴が多くてね、稼がせてもらっているよ」
いわゆる情報屋的な存在なのだろう。俺本人からの情報を仕入れるべく煙草を一本差し出されたが、俺は右手を振って断った。
「気持ちはありがたいですが……酒と煙草は体に合わなくて。女しか受け付けてないんです」
「それは失礼したな。しかし、よく看守になれたな? ひと昔前のココじゃ青藍島生まれと言っただけで鼻つまみ者になったんだが……」
性が禁じられているのだからその権化の島からやってきたとなればそうなるだろう。思い当たる節があるので一応言ってみる。
「実力主義なんじゃないですかね? 自分でいうのもあれですが、滅茶苦茶有能なので」
「お前さんを敵に回したら大変そうだな。俺が女だったら簡単に仲間になれそうだが」
「女じゃなくて役立つ情報でもいいですよ」
「それじゃあまずはこのプリズン流の挨拶でどうだ? こうやるんだ」
挨拶ができない奴は施工も性交も出来ないので釘谷さんから教えてもらう。まずは拳をグーにして上から下、下から上とお互いに叩きつける。この時の上下は懲役の格の上下と同じになる。そして手のひらを叩きあって、戻り際に手の甲を叩く。最後に手お握り合ってお互いの肩をぶつける。
「となれば俺が下ですかね?」
「正直な所、お前さんを下に扱ったら何されるか分からないんでね。出来れば俺が下になりたい」
囚人と看守をほぼ自由に行き来する特別な存在で、先日の事件もすでに広まっている。ならば俺を優遇して穏便に済ませようということだろう。その上で俺は拳を下に出した。
「舐められたら終わりと三下から教わったので」
それが俺の望みと悟ったのか彼は俺の拳の上に拳を作った。
「……お前さんはかなり変わった人間のようだな」
プリズン流の挨拶をしながら見合った情報を提供する。
「特技は家事全般、趣味は料理とかっこいい口上を考える事、誕生日は9月29日、血液型はA、身長は180㎝、体脂肪率は10%……こんなところでしょうか」
「挨拶と自己紹介を済ませたって所か。思ったより情報が手に入って嬉しかったよ」
情報のレートがなんとなく把握できたところで、俺の知りたい情報を考えてみる。真っ先に浮かんだのは紅林ちゃんとソフィーヤ看守長の関係だ。ある程度答えは見えているので確認という形で質問する。
「ドローンガールとソフィーヤ看守長って姉妹ですか?」
そうだなあと煙草の灰が数㎜進む。
「……お前さんの好物だな」
そんな物でいいのか。なら簡単に答えるとしよう。
「ココアとカルビとマイスイートハニーです」
俺の答えに彼は煙草の灰を落としながら軽く答えた。
「お前さんの想像通り2人は姉妹だよ。ソフりんが姉でドローンガールが妹だ」
ソフりんて。そんな可愛げのある人じゃないだろ。ともかく、俺はすでに答えに辿り着いていたからあの程度でよかったということだろう。それでは次の質問だ。
「このプリズンで気をつけなければいけない人は?」
「……最近あった珍しい出来事を言ってくれ」
これも世間話ぐらいなのだろうか。樋口さんと体の関係を持ったことが一番珍しいが、それを言ったら流石にやばいのでその後の事を話す。
「矯正医官の樋口さんとココアを飲みました。俺がピュアココアから練った本格的な奴です」
「へぇ……今度感想を聞いてみるかな」
「樋口さんとは仲がいいんですか?」
「老体だから何かと世話になる事が多いんだ。それで気をつけなきゃいけない人だったな。主観が入ってるが……我妻樹里亜看守長だ、と俺は思っている」
宗教関係者だからという偏見を捨てて考えてもあの不気味な雰囲気は底が知れないし、なにせあの屑畜生女を良いように操って"教祖"に仕立て上げている。只者ではないのは確かだ。
「参考にします。とりあえず今知りたいのはこのぐらいですかね」
「それじゃあ商売の話をしよう。お前さん、何か欲しいものはあるかい?」
「看守補佐に戻ればある程度手に入るので特にないです」
すると彼はそれもそうかと喫煙者特有の少し黄みがかった歯を覗かせて笑った。クソ森よりもはるかに重要な情報源になりそうだ。しっかりと情報交換をしてこのプリズンの実態を掴んでいこうと決めた。
小沢と友達になって釘谷さんと話をして、信頼できる人間の作り方を教えてもらった。
「この人になら騙されてもいいと思える人間を信頼するのさ」
哲学みたいに難しくてオレにはよく分からなかったけれど、何故か九十九さんの顔が頭に浮かんだ。だから釘谷さんに彼のことを聞いてみようと思った。
「釘谷さんは……九十九さんについて知っているか?」
「おいおい! さっきもう一個って言ったじゃねェか!」
「それに関してはサービスとはいかないな。何か情報をくれないと」
俺が九十九さんに関して知っている情報は多くない。とりあえず思いついたことを言ってみる。
「九十九さんは看守と囚人を行き来できる」
「それは誰でも知っているな」
「九十九さんは追い込まれるのが好きだ」
「わざわざ囚人になるぐらいだからそうだろうな」
「九十九さんはご飯を食べるのが好きだ」
「腹ペコくんなんて呼ばれる奴はそうだろうな」
そろそろ無くなってきた。他に何かあっただろうか────この間ノアと協力して小沢を懲罰房送りにした時に凛さんが言っていたことを思い出す。
「九十九さんの本名は土口精だ」
それを聞いて小沢と釘谷さんがピクリと肩を動かした。
「何でてめェがそれを知ってるんだ……!?」
「凛さんが土口精と言っていた。2人は知り合いらしいから、あの土壇場で出たそっちが本名だと思った」
「……なるほど。その情報をなら話せることがあるな」
釘谷さんがふうと白い息を吐きだす。
「……彼はこのプリズンで何かを企んでいるらしい。それも、このプリズンを大きく変えるような事だ」