俺は釘谷さんの言っていた要注意人物である我妻看守長に会うべく囚人向けの教誨に参加した。最後尾に並ぶことになったが、目の前によく見慣れた坊主の囚人がいたので声をかける。
「おっ、湊君じゃないか」
「と、九十九……さん……」
あからさまに言い直した彼は俺の顔をじーっと見つめている。アヴァンギャルドなルックスと協力してくれた恩から俺に惚れたのだろうか。しかし、同性愛は認めるが自分が関わるのはお断り────
「プリズンを大きく変える何かを企んでいるって本当ですか?」
明らかに周りに聞こえる声量で聞こえてはいけない問いを投げかけられた。俺は実に冷静になってフッときざったらしく笑った。
「研修中だからね。このプリズンに悪い所があったら遠慮なく変えていくつもりだよ」
「……そうでしたか。てっきり脱獄とか反逆とか考えているのかと思っていました」
「想像力豊かで羨ましいけど、次からは人に聞こえない所でその話をしような。俺がそういうことを考える危険人物だと思われちまう」
誠にごめんなさいと謝ってくれたので許すとしよう。そのまま列に付和雷同し縦長の室内に辿り着き、均等に置かれた長い机の一つに案内される。湊君と隣り合わせになれたのはつまらなくなった時に頼りになりそうだ。
「……ん? この経典……」
使い回されているであろう経典をざっと速読する。それっぽい教訓が書かれているが、所々にモポッポロだのパッフンーだの訳の分からない単語が書いてあり、さらにはアーラメオラピーフなど孕めオライズムを感じてしまう単語がちりばめられている。俺の勘に引っかかったので両手を合わせて考え始める。要注意人物、宗教、分からない単語、淫語に近い単語、"教祖"は花丸凛──────
「俺は失礼するぜ、湊君」
突然立ち上がった俺に彼は目をパチクリして口を開いていた。
「……何でですか?」
「我妻看守長がインチキ宗教家なだけならまだいい。狂信者だったら今の俺に勝ち目はない」
花丸凛の持つ外道さと煽動能力だけは認めざるを得ない。それらを知った上で教祖にして利用価値を生み出したのであれば、もはや狂っているとしか言いようがない。その狂気に看守長の権力と教誨師の信仰が加わったらどうなるか。俺の想像もできない数と質の狂信者があちらこちらにいることになる。ただでさえ数が多い相手は苦戦するのに、常識の通じない相手ともなればどれだけの労力を費やすことになるか。情報がない内は不必要に関わることを避け、敵対することはもっと避けなければならな────
「はぁい、よくいらっしゃいましたねぇ。迷える子羊である皆さん……」
一歩遅かった。教卓の奥から聖書を携えた彼女が優しそうな笑顔を浮かべてやってきた。そして立ち上がっている俺を見つけてすぐに歩み寄ってきた。
「どうしましたか? お手洗いならここを出て────」
「単刀直入に聞きたい、"教祖"様に会えるか?」
今の段階で俺の目的を悟られる訳にはいかない。ならばただ興味を持ってきただけのせっかちなバカを演じた方が良い。彼女は清濁どちらかに振り切っているせいでよく分からないその瞳で俺を見つめてきた。
「申し訳ないのですが教誨は私が担当していて、"教祖"様は特別な集会にしか来ないんです」
「そうか、それじゃ失礼する」
最低限の言葉を残して背を向けて歩き出す。
「……あなたにも神の導きがあらんことを……」
どこまでそう思っているか分からない言葉に一言だけ呟く。
「……導いてくれればこんなことにはならなかったさ」
翌朝の朝食、何故か湊君がソフィーヤ看守長から腕立て伏せ400回やスクワット50回というすごい罰を受けていた。小沢から話を聞くと、湊君は"劣等囚人"および"不良受刑者"と認定され彼女の監視を受けることになったとのことだ。そんなことを聞かされては胸がドキドキしてしまってしょうがない。
「じゃあ俺も問題行動を起こしまくればあれぐらい厳しいことをしてもらえるのか……!」
「テメェ何考えてるんだ……!? 看守のは俺ら囚人の嫌がらせなんざ比べ物になンねぇぞ……!?」
「だから良いんだよ!」
俺は抑えきれず自主的にスクワットに参加した。それに気付いた彼女が一瞬だけだが明らかにやってしまったという顔をした。俺が次に何かをしでかすのを予測してしまったのだろう。しかしまだ何も起こしておらず、俺も頭の中で絶賛思索中なので問い詰めることもできない。しかし、かぶりを振って俺に近づいて胸ぐらを掴んできた。
「9924番! 勝手に何をしている! スクワットが騎乗位での動きに似ているから興奮が抑えきれなくなったか!?」
「はい!」
「そうか! なら貴様をこの場で"劣等囚人"および"不良受刑者"と認定する!」
何か問題を起こされる前に認定してしまえば何もしない。理不尽ここに極まれりという人もいるかもしれないが、俺にとっては特別待遇だ。思わず笑みがこぼれてしまう。
「ありがとうございます!」
「手始めに腕立て伏せ500回だ!」
「はい!」
言った張本人がえぇ……と引くぐらいのスピードで終わらせる。あれだけの飯を食ったぐらいでは俺のパフォーマンスは落ちない。期待を込めた眼差しを送ると早く作業場に行けと促された。仕方がないのでクリーニング工場で働いていたら、湊君と小沢を連れた彼女がやってきた。
「この2人が刑務作業場所変更になった……後は言わなくても分かるな?」
普通の囚人なら何も分からないだろうが、俺にはすぐに分かった。俺もどこかに飛ばされるということだ。しかも、劣等囚人にふさわしい場所と言ったらあそこしかない。ついに行けるのかと喜悦を禁じ得ない。
「はい!」
この上なく嬉しそうな俺、事態を察し切れていない湊君、俺が喜んでいる理由を察して引いている小沢、珍妙な三人衆は巨大なエレベーターに乗って"地獄の底"と言われている作業場へ向かう。
「……九十九さんは嬉しいのか」
「ああ嬉しいね。君と一緒だし、何よりどこよりも過酷な労働環境らしいからね」
「何でコイツ等に関わっちまったんだ俺は……!」
俺達を待ち構えていたのは────ライブ会場のような大きな証明、まさに空を裂く様に回る大きな換気扇、映画でしか見ないような巨大な機械の数々、そう採炭現場だ。様々な感情で動けなくなっている俺達に、横幅だけなら俺よりも一回りは大きい巨漢が駆け付けた。
「おいお前らァ!
現場の圧に圧倒され感動しているとつるはしを渡されて穴を掘ってこいと言われた。我慢できなくなって、2人を置いてつるはしを壁に向けて振るう。キィンと素晴らしい音が響いてガラリと壁が削れる。もうだめだ我慢できない、俺は力の限りに得物を振るっていった。服を着ていられない程暑い。粉塵を防ぐためのマスクが煩わしい。なのに体には力が漲っていく。
「うははは! これだよこれこれぇぇぇ! 劣悪な環境なのに、力は遠慮なく揮える! サイッコウだぜぇぇぇ!!!」
「うおっ!? こりゃすげぇの新入だ! 掘るだけじゃなくて台車にも運べよ!」
「了解だぜぇぇぇ!!!」
台車は俺の腹部ぐらいの高さで、それを押すのには腕の力だけでは足りず全身の力がいる。いつの間にか来ていた2人は非常に辛そうにしている。普通の人間にとっては"地獄の底"でしかないのだろう。しかし、俺にとっては"天の極楽"でしかな────
「おい、ガスが5%超えたぞぉ!」
男の声に咄嗟に反応してその方を見る。
「まずい────おいなにしてんだ新入ども!! 早く逃げろ!!」
全員が駆けだす方向を察知し全速力で走る。
「お前逃げ足も速いな! エアーマントかぶれぇ──!」
透明なレインコートのようなものにくるまりボタンを押すと、空気が吹き込んできて大きく膨張した。呼吸器を口に当て身構えていると、炎の塊が坑道を埋め尽くした。アレは"漢立ち"でも防ぎきるのは難しいだろう、俺でも死を感じざるを得なかった。
「だから良いんだよ……! 俺が望んでいたのはこういう環境だ……!」
呼吸器を外した俺は空腹の肉食獣が獲物を前にしたような本能的な笑みを浮かべていた。この生死がかかった労働に加えて、看守からの理不尽な罰もある。これで成長できない訳がない。
「くくく……あーっはっはっはぁ!!!」
現場に狂気的な笑いが響く。生命の危機に怯える人間はよくいるが受け入れて糧にする人間はほとんどいない。そんな奴を人は狂人と呼ぶだろう。この日から俺の二つ名は"狂人"となった。
囚人を正すのがソフィーヤ看守長の使命なのは間違いない。しかし、囚人であり狂人である俺を正すのは────やはりソフィーヤ看守長だった。湊君と全く同じ罰を科してくれるのだが────
「9924番! 何故片手で腕立て伏せをする!?」
「両手でやると早く終わってしまうからです! 片手ずつやれば二倍かかります! スクワットも懸垂も片方ずつやれば二倍です!」
「えぇ……? と、ともかく担当抗弁をするな! 相姦係数+0.003! グラウンド10周走ってこい!」
彼女の想定を上回る事の方が多かった。彼女も体育系女子のようだが、俺はそれを軽く凌駕する体育系男子だ。あの礼が鬼教官として教えてくれていたSS時代に比べたら大したことない。ただ、俺は問題なくても湊君の方はヤバそうだった。グラウンドで彼女に詰め寄られながら小便を漏らしていた。侮蔑の表情で罵られて羨ましかったが、立っているのもやっとそうだったので駆け寄って肩を貸した。
「何をしている9924番!」
「はい! コイツを背負って走ります!」
俺は彼女が何か言う前に湊君を背負って走り出した。背中が生暖かく濡れるが関係ない、俺が望んでこうしているのだから。背中の上の彼がぼそりと呟く。
「……何故九十九さんは俺に構うんだ?」
「前にも言ったろ? 君と一緒にいると退屈しなくていい」
とりあえず背負ったまま10周走って笑顔で彼女の前に立つ。
「お前……自分が何をしたのか分かってるのか?」
「はい! 彼の分を走ったので自分の分を走ります!」
「……は?」
背中の彼を置いて彼女を置き去りにして10周走り、再び彼女の前に笑顔で戻る。
「おま────」
「相姦係数+0.003な気がしますので走ってきます!」
またも置き去りにして10周走り、三度彼女の前に笑顔で戻る。
「……もういい。勝手にしろ」
彼女が信じられないモノを見たような表情で去っていった。これ以上はどちらに罰を与えても俺が平然とこなすと判断したからだろう。それを見届けて────俺は背中を地面に預けた。
「っだー……疲れたー……40手前にはちと堪えるぜ……」
俺とて体力は無限ではない。ここまでハードな運動をすると体が動かなくなる。そんな俺を見かねてか湊君が顔を覗き込んできた。
「九十九さん……」
「心配ゴム用、って言いたいけど……流石に休ませてくれ……」
「そこは俺がさっき漏らした場所だ」
「だから温かいんだな……温めておいてくれてありがとう……」
小便を浴びる所か飲んだこともある俺にとっては大した問題ではなかった。
「奴さんがあんな顔するのは初めて見たな……」
「……お前本当に人間か? なんかヤバイ薬に手を出してるんじゃねェか?」
意外と大事になっていたらしく釘谷さんと小沢もやってきた。差し出された手拭いで額を拭きながら起き上がる。
「こりゃ筋肉痛を覚悟しないとな……明日の作業効率落ちたらゴメン」
「あんだけ動いて働く意欲あンのかよ……」
「釘谷さん、情報あげますので湿布仕入れてもらえます?」
「良いもの見れたお礼にタダでやるよ。ソフりんが諦めて罰を与えなかったなんて前代未聞だ」
クールダウンのストレッチをしながらつつがない会話を交わす。
「つーことでこれからもどんどん問題行動起こしてくれよ湊君。楽しみに待っているぜ」
俺は湊君に向けて右手を差し出した。
「……ああ、九十九さんは俺の数少ない友達だ」
お互い何に塗れているのかよく分からない握手だったが、確かな友情を感じれたから問題ないだろう。