翌朝は嵐がやってきて、殴りつけるような雨がプリズンを襲っていた。殺風景なプリズンに強烈な雨音が響いて、これから何か起きるぞと言っている。その雨音に負けない程大きな声で山岸刑務官が命令を飛ばす。看守の時に知ったことだが、ここは古い建物を基礎にしている。なので大雨の時は囚人看守一同で被害を最小限に抑える"非常事態体制"になる。
「大変そうだな……んじゃ、俺は働くとしますか」
「おめェ話聞いてたか? 働いてる場合じゃねぇンだよ」
「俺一人働けば一班の半分ぐらい掘れるんだから働くべきだろ?」
「その力をプリズンを守る事には使わないんですか?」
「俺が働いてその分浮いた人材でプリズンを守れば────」
「炭鉱囚人が心配する事じゃない。お前達は今日も地下だ。0720番、0333番、9924番」
ソフィーヤ看守長もこう言っているのでさっさと行くとしよう。
「それじゃプリズンを頼みます看守長──────」
「今日は私も地下に降りる。お前達の仕事ぶりをしっかり見せてもらおう」
なんて気を張っていた彼女だがエレベーターの速さやマンベルトの音など、慣れない環境に驚いてばかりだった。仕舞いにはリーダーに邪魔だと突き飛ばされてしまった。転んで怪我をしないようにその手を掴んでリードする。
「……ここは不慣れな人間が一人で動ける場所じゃありません」
「き、貴様……! 私は看守長だぞ……!?」
「看守長である以前に一人の人間です。一人の力でどれだけ頑張っても集団には勝てません」
余計なお世話だと手を振り払われて歩き出してしまった。薄暗い中で見えた彼女の顔は燻ぶっていた頃の俺のような焦りが見えた。
「……ご安全に」
心配していても仕方ないのでとっととノルマを達成して終わらせよう。お得意の二刀流スタイルで掘り進めていく。彼女が怒声で色々と命令を飛ばしているが、要は働けということなので指示に従って働く。そろそろノルマかと思った頃、爆発音とともにブレーカーが落ちる。避難するために道を戻ると、リーダーが切羽詰まった表情で俺に向かって叫んだ。
「看守長がどっか行っちまった!」"狂人"! お前の鼻で探せないか!?」
最低限に頷いて眼を閉じて集中して探す────────何とか見つけることは出来たが、匂いの向かっている先が良くない。
「こっちは地盤が緩いからいつ崩れてもおかしくねえ……!」
大人数で行って落盤に巻き込まれたら話にならないので最低限の人数で行くべきだ。この中で最悪の事態を想定して選ぶとなると────彼一人しかいない。
「湊君借ります!」
「正気かおめェ!? 柊一郎は落盤に巻き込まれてるんだぞ!?」
「この中で一番小さいのは湊君だ! 万が一落盤に巻き込まれても助かる可能性が一番高い! 何より……俺が一番信頼できる!」
知り合ってまだ2ヶ月程しか経っていないのに、彼は幾多の試練を乗り越え俺に感動を覚えさせた人間だ。この窮地を乗り越えれる何かを持っているはずだ。
「なので湊君と行ってきます! 皆さんは避難してください! ご安全に!」
「お願いします、九十九さん……!」
湊君と一緒に走り出す。強くなる海水の匂いで彼女の匂いが感じにくい。足元はすでに浸っており、間もなく膝まで来るだろう。そうなったら落盤、いやこの暗闇を考慮したら転倒でも命の危機になりかねない。
「どうだ? いたか────」
「────離れろ、ソフりん!!」
彼の叫びに目を開け────
「きゃああああああああ──ッ!!」
彼女の叫びと同時にドドドゴゴゴと明らかにやばい音がし落盤が起こって煙が上がる。何とか視界が確保できた頃には歪な岩壁が聳え立っていた。
「ソフりん────!」
「慌てんな湊君! まずは情報整理だ!」
目から得られる情報はもうないから視覚以外で情報を得る。直前の叫び声、血の匂いはしていない、小さく短い呼吸音────とりあえず彼女は生きている。そこで俺は一つの質問をする。
「助ける?」
「もちろんです!」
「アマツくんも助けろって言ってるか?」
「言っています! そしてオレ達ならできると!」
「ならやるしかねえよなあ!」
2人で協力して山を切り崩していく。自然によって急にできた岩壁だからいつ崩れてもおかしくない。急いで助けないと────目前に巨大な岩が現れた。これを除ければかなり進むが、壁が崩れるかもしれない。だがここには2人いる。なら俺がやることは一つだ。
「俺が上を支えるからコイツを頼む!」
俺が抑えている間に彼に全てを託す。
「どけぇえええええええええ──!」
彼が満身の力を込めて岩を退かす。すると壁に穴が開き────俺が文字通り味わったことのある鼻をツンと刺す匂いがした。
「大丈夫……ですか?」
「あっ……あ……うん……」
今まで聞いたことがない程弱々しい声が聞こえた。なんとなく情景が思い浮かんだので目を閉じて彼に指示を出す。
「……立てるとは思えないから引っ張り出してやりな」
「分かりました」
やけに水っぽいドチャリという音が聞こえる。それを確認して安心して手を放すと、ガガガと音を立てて穴が埋まった。俺は目を閉じたまま服を脱ぎ、色々と濡れているであろう彼女に差し出す。
「……どうぞ」
「で、でも……その……」
「九十九さん、そっちにソフりんはいないです。90度右です」
「……洞窟だと音が反響して音の出所が分かりにくいんだ」
改めて彼女に服を渡す。彼女の震える手が味わった恐怖を物語っている。だから俺は軽く笑って彼女を励ます。
「医務棟……お姫様抱っこで行きます? それともおんぶで行きます? おんぶなら足を怪我したって体に出来ますし、育児で背負われ心地は保証されてますよ?」
「……おんぶがいい……」
彼女に背中を向けて首に手を回してもらう。
「そんじゃ行きますぜ、プリンセス」
カッコつけたセリフと共に立ち上がり両太腿を腕で抱える。背中に生温かく濡れた繊維が押し当てられる。レイラをおんぶしてた時を思い出す。あの子は普通の赤ちゃんの倍の量を食べて出していたから、俺の背中が濡れることはしょっちゅうだった。
「……この事は誰にも言うなよ湊君」
「……どのことでしょうか?」
「俺が裸になったことと────
やっと目を開いて炭鉱を後にする。いつの間にかついていた照明はいつもより眩しく感じた。
エレベーターを上がってきた俺ら三人の姿はツッコミどころが多かった。上裸になって看守長を背負っている俺、上裸の囚人に背負われているソフィーヤ看守長、"全裸マン"なのに隣の奴が上裸になっている湊君、三者三様だがこの非常事態体制にふさわしい姿だ。
「湊君は看守の指示に従ってプリズンの補強作業に入ってくれ。俺は彼女を医務棟に連れていく」
「分かりました。ご安全に」
彼と別れて医務棟に向けて歩き出す。この濡れた足で走ったら間違いなく転ぶだろう。そしたら地面を介して関節キスをすることになってしまう。
「……なんで助けたんだ?」
落ち着きを取り戻した彼女が雨に消え入るような声で呟いた。いつの間にか俺の右にあった彼女の顔に少し驚いたが、俺はすっとぼけたように答える。
「上司が死んだら報告書が面倒だからですかねえ」
「……今のお前は囚人だ。それに私が0720番にやってきた仕打ちを間近で見ただろう? お前の友達を平然と踏みにじるような奴なんだ、彼を適当な理由で抑えて私を見殺しにすることもできたはずだ」
「俺には思いつきませんでした。今度そんなことがあったら参考にします」
俺の首に回っている彼女の腕に力が入る。冗談はこれぐらいにしておいて一つ本音を言う。
「貴女が死んだら樋口さんが悲しむでしょう。彼女は貴女をソーニャさんと呼ぶほど仲が良い。だとしたら友達を不必要に泣かせるわけにはいきませんから」
樋口さんにはそれなりの事を打ち明けている。体の関係もある仲なので感動以外で泣かせたくない。それでも彼女の顔はまだ何かを求めている。もう少し踏み込んだ事情を話す必要がありそうだ。
「もう一つありますけど聞きたいですか?」
「……聞かせろ」
「……俺には家族がいました。既婚の妻子持ちだから当たり前だろって話ですけど、俺の両親と妹の話です」
妹という単語に彼女の腕がピクリと反応する。恐らく紅林ちゃんの事を思い浮かべているのだろう。
「もう皆事故で死んじゃってるんですけど、もしも逆に俺が死んでいたら皆はすごく悲しんだと思っています。看守長にもそんな家族がいると思ったら、絶対に死なせちゃいけないと思いました」
俺の右肩に雨ではない温か何かがぽたりと落ちる。
「……もしも私がお前の想像よりも酷い人間だったらどうする?」
「何かを思って涙を流せる人間が酷い人間な訳ないじゃないですか」
俺の言葉に彼女は何も返さず、ただ全てを委ねるように俺の肩に顔を置いた。
「…………私もお前みたいにもっと力があればなぁ……」
雨音が消しきれなかった彼女の本音に何も言えなくなった。きっと彼女はその真面目さ故に悩んでいるのだろう。今の俺が彼女に出来る事は、何事もなく医務棟に送り届けて樋口さんに託すことだけだった。
数日後の免業日、俺と湊君は嵐の日の一件で"労働奨励賞"を授与されることになり体育館に呼び出された。俺達は"優等受刑者"および"二等者囚人"の権利を貰った。所長の労いの言葉と夕顔看守長の宣言を受け、ソフィーヤ看守長の前に立つ。彼女はピキピキの作り笑顔とメダルを携えていた。
「おめでとう、九十九終くん! そして、072っ……湊、柊一郎、くん……! 君たちの働きは……とても、本当に、大変に立派だったぞ……っ!」
可能な限り俺の方を見ているが、その無理矢理すぎる作り祝いに思わず顔を伏せてしまう。
「どうしたんだ、九十九くん……! 祝いの場だから、恥ずかしがる必要は無いぞ……っ!」
「ちょっとしばらく顔合わせられないです……くくく……」
こうなると彼女は湊君と顔を合わせざるを得なくなる。願い事は何がいいかと聞いて、アマツくんに謝れと返され、思わず吹き出してしまった。しかも追い打ちをかけるように『漏らしたのに外を歩けるんですね』と耳打ちしたのだから膝を折ってしまった。
「め、滅茶苦茶根に持ってたじゃん……! 良く助けたなあ……! あはは……!」
何とか感動で地に伏せて泣いてるっぽく振舞っているが多分バレるだろう。それにしたってすさまじい口撃だった。アレはアサちゃんといい勝負をするかもしれない。
「言ったはずだ、貴様を────……
なんだその微妙にダサい決め台詞は。でも、何所か彼っぽくていいなとも思った。そんな彼に続いて俺もお願い事を受け取るべく何とか立ち上がる。
「つ、次は九十九くんの番だ! 何か、あるかなぁ……っ?」
一瞬シッコレンコ看守長って呼んでいいですかとよぎったが、それを言ったら殺されてもおかしくないので別の何かを考えてみる。今の囚人生活に不満はないし、優等生生活を取り消してほしいなんて無粋さもない。とりあえずパッと思いついた物を掛け合ってみる。
「それって看守補佐の時にして欲しい事でもいいですか?」
「もちろんだとも! 九十九くんは囚人はもちろん看守補佐としても優秀だからね! 可能な限りで聞こうじゃないか!」
「ぶふっ……じ、じゃあ、看守補佐に戻った時に一杯付き合ってください。それでいいですよ」
「そ、それじゃあその時を楽しみにしているよ!」
どう見ても虚勢を張って言っているのだから面白すぎる。俺も彼に倣って彼女に宣言しておくとしよう。
「では────『
これで彼女も俺に何をされるか分からない日々から解放されるだろう。お互いに震えながら渡されたメダルはいいお土産になりそうだ。