遂に湊君が懲罰房から出る日がやって来た。彼と一緒にいると退屈しなくて済むし、あの熱を受けて感化されて成長し────
「お前はしばらく私と一緒に0720番の担当看守だ」
ぬうっと背後から現れたソフィーヤ看守長にそう言い渡されていた。何でも、先日の図書棟での出来事に対しての罰だそうだ。余計な事しやがってと露骨に舌打ちをしてから看守服に着替える。
「ムカつくぜ干瓢女ァ! 俺のシュパス*1をことごとく邪魔しやがって! 何で俺に気持ちよく囚人生活を送らせねえんだ! 俺は俺が苦しむさまを楽しみたいんだよ!」
「なんなんだ……お前……」
とりあえず囚人に戻るまでは看守としての務めを果たさなければならないので、ガッガッとあからさまに不機嫌な歩きをしながら彼の匂いを辿る。グラウンドから戻ったであろう彼に詰め寄って睨みつける。
「0720番……今日からお前の担当看守になる事が決まった。覚悟してろよ」
「九十九さん……誠によろしくお願いします」
「……ソフィーヤ看守長もつくからマジで気をつけろよ」
ペコリと下げられた坊主頭にそっと耳打ちをしてこの場を離れる。とりあえず彼が何をするのかしばらくは見守るとしよう。
数日程彼の動向を見たが、あちこち見まわったり壁にアダルトサイトのURLを書いたりしただけで何も問題行動を起こしていなかった。あまりにも意に反して退屈だったので、消灯後に樋口さんに相談することにした。
「彼が何もしてないんですよ……あの問題児の彼が……」
「すぐに懲罰房に戻ったのは問題行動じゃないの?」
「あそこが気に入ったんじゃないんですかね? 俺も今すぐにでも戻りたいですし、十九人十九色って言いますし」
「うーん……九十九さんは人の好みに寛大すぎるねえ……もう少し咎めた方が良いんじゃないかな?」
俺はよっぽど人の迷惑になるようでも無ければ人の好みに立ち入るのは無粋だと思っている。アダルトサイトの落書きも露出も場所を選ぶのであれば問題ない。彼に何かを求めている俺としては、下手な助言をして彼を妨げることはしたくないのだ。そどうしたものかと伸びをしてベッドに寝っ転がる。
「しばらく囚人には戻れないし、彼は何もしないし……退屈だなあ……退屈じゃないことしちゃいます?」
俺は彼女にちらりと目線を送って妖しく微笑んだ。彼女は少し驚いて体をピクリとこわばらせたが、すぐに諦めたように笑って俺に近寄って来た。
「……いつ誰が来るか分からないよ?」
「ドアに体を押し付けてやれば大丈夫ですよ。急に誰かが部屋に降ってくるわけないですし────」
突如バゴシャアと何かが砕ける音がしたので、咄嗟に彼女を抱きかかえて地面に転がった。
「うひょああああぁぁぁ!?」
「ここで落盤事故が起きるなんて考えてなかった……ぜ……?」
音の発生源の下に囚人服姿の湊君がいた。俺の彼への期待に生み出した幻想だろうか? 見た目も匂いもかなりリアルで、まるで本人がそこにいる様だ。返答してくれるかどうか確認してみよう。
「……今俺が何しているか分かる?」
「樋口さんを抱きかかえて地面に転がっている」
「どう思う?」
「事情を知らない人が見たら脱法おファックをしていると思われる」
「本物だな」
俺は異様に心臓の鼓動を速めている彼女と一緒に起き上がって状況を確認した。どうやら水道管を通ってやって来て、薄い壁が壊れてここに落ちてきたらしい。俺の知らない所でそんなことをしていたとは流石だと言いたいが、やはり流石だった。事情を知って彼女は安堵の息を盛大に響かせた。
「よかった、危ない人かと思った!」
「世間的には危ない人です」
「世間体はギリギリ保っているけどかなり危ない人と一緒にいたんだよなあ……」
「強盗とかじゃなくてよかったよぉぉっ!」
「一応犯罪者なので」
「強盗が泣いて詫び出すような犯罪者スレスレの人と一緒にいたんだよなあ……」
ともかく彼女と一緒に彼を歓迎してこんなことをした動機を聞く。何でもゲーム制作を再開させるための説得材料を手に入れるためだそうだ。
「どうしても、やりたいと思ったんです。あれを作らないと、自分が生きてないんじゃないか……みたいに思えるんです」
そういう彼の目にはどうやったって消すことのできない確かな熱が宿っていた。それだけが自分の存在を証明する唯一の手段だと言わんばかりのそれは、俺が失って取り戻そうとしているモノそのものだった。
「
カッコつけてドイツ語で言ってみたが、俺にとってのソレとは"『金色の狂犬』であり続ける"だろう。そのために現場の最前線で戦い、後進育成を行い、性的マイノリティに対しての活動を行ってきた。しかし、それだけでは『金色の狂犬』は保てないとこのプリズンにやって来たのだ。だとしたら一体何が────
「────……足音がする」
「え?」
咄嗟に鼻を鳴らして来訪者を探る。この監獄や冬を連想させる冷たい匂いはソフィーヤ看守長だ。
「あっ……隠れて、こっち……!」
彼は樋口さんの太腿に挟まれながら机の下に押し込まれた。それと同時に扉が開いて────
「絵理子さあぁぁぁん……っ」
泣き事を言いながら、ダボっとしたパーカーを着たポニーテールのソフィーヤ看守長が俺に抱き着いてきた。
「あのイカレれたシスターとかんぴょう女がねぇ……! また私とつくもんにばっかり仕事押し付けてねぇ……!」
シコシコ連呼と吐精と比べたらかなりマシだが、今それを言うのは絶対にマズいと思う。
「……ソーニャさん、私はこっちですよ?」
「……へ?」
ソフィーヤ看守長が樋口さんを椅子に座っている樋口さんを視界に捉えて、顔を見上げて俺と目が合った。場の空気が凍り、誰かなんとか言えよと言わんばかりの沈黙が流れた。こうなったら俺が動くしかないと覚悟を決めて発言する。
「……ソフりんとつくもんでいいコンビになりそうですね────」
「なんで!?!?!? なんで!?!?!?」
やっと事態を把握したソフりんが喚き始めた。このままだとパニックで何をしでかすか分からないので、抱きしめ返して動きを止める。
「何をしているんだバカ!?」
「一旦落ち着いて下さいよ……ほら、ひっひっふー、ひっひっふー……」
「ラマーズ法で落ち着くかなあ……?」
「とっ、とにかく! い、今のは聞かなかったことにしろ! 看守長命令だ!
「なるべく努力義務は果たしますけど……その……つくもんを忘れるのは無理ですね……」
「私も忘れるの無理だなあ……ソーニャさんからつくもんだなんて……ふふっ……」
「2人とも言わないでくれええええ!!!」
いつになく取り乱した彼女はとても可愛かったし、その隙に湊君が戻っていったのはかなり良かった。ソフりんのつくもん発言という手土産もあるので、彼の探索は大成功といっても過言ではないだろう。そうこうして落ち着いた彼女とプルプル震えている樋口さんに狂犬のココアを振舞う。
「かっ、カカオに含まれているテオブロミンやポリフェノール、GABAはリラックス効果があるんですよ、そっ、ソフィーヤ看守長、ぶふっ……」
「ちょ、ちょっと……そんなに笑ったら……ソーニャさんが可愛そう、でしょ、つくも、ふふっ、くん……」
「誰か私を殺してくれぇ……」
折角オフの彼女と心中を見ることができたのでその辺りの質問をしてみる。
「あの2人の事を良く思ってないんですね?」
「……正直な話、あの2人は自分がイニシアチブを握って、プリズンを自分の想い通りに動かそうって考えているんだ」
「恥部を握ってか……青藍島と同じですね」
圧だけで殺されそうな視線が飛んできたので茶化すのは止めた方がよさそうだ。ココアを啜って口を閉じ、彼女の話の続きを聞く。
「所長はプリズンの経営には興味がないから、2人は今がチャンスだと思っているらしい。所長もどうにかしたいとは思っているだろうが……」
「特別警備隊の現場指揮を握る売れ残り干瓢と囚人からの人望が厚い狂信者だから迂闊に手が出せない、と」
彼女が目を瞑りカップで口を閉ざしたから図星だろう。上層部が腐敗していると組織がダメになるのはどこも同じで、所属している人間としては改善するべき事態だ。俺は口の中でココアを転がしながら考える。
(所長は俺をこのプリズンにとっていい刺激になると言っていた。それはここで働いているあの2人にとってもいい刺激になるとも言い換えていいはずだ。なら……当面の目標にいいかもな)
俺はゴクリと喉を鳴らしてニヤリと邪悪な笑みを浮かべた。
「……ちょっと所長に話をしてきますね」
「えっ? ……おい待て何を話すつもりだ?」
思い当たる節が幾つもありそうな彼女を尻目に、俺は立ち上がって左掌に右拳をぶつけてパンと鳴らした。
「研修内容についてです」
そうして向かった所長室では何故か人だかりができていた。ただ、兵隊のような黒づくめで首からサブマシンガンを下げた人だかりと、どう考えてもただ事ではなさそうだった。その人たちを押しのけて所長室に入ると、体中ににシールのようなものを張られた湊君と、それらと繋がったタブレットを持っている所長がいた。
「……失礼します。九十九です」
思わず言ってしまった言葉でこの場の全員の視線を集めてしまったので、俺は端的に要件を言い放った。
「……プリズンの研修について一言申し上げに来ました」
所長はハァと一つ溜息をついて俺を鋭い目で見てきた。
「今は取り込み中です。後にしてもらえますか?」
「なら今が取り込み中でなくなればいいですか?」
俺はそう言い放ち、黒づくめの兵隊たちに向けて警棒を向けた。舐められたと思った彼らはカチャリと銃を向けたが、俺の実力を良く知る彼女が止めるようにと右手で牽制した。
「……彼から"プリズンの正常化"を提案されました。それに協力してもらえるでしょうか?」
思いもよらぬ発言に俺は警棒の矛先を彼女に変えた。
「俺がそれをやるメリットは?」
再び銃を向けられたがそれでも彼女は発砲を許可しなかった。
「……
かなり大胆な発言だった。俺は一歩詰め寄ってその信憑性を探る。
「俺がそれを求めていると思った根拠は?」
「性を異常に規制しているこのプリズンに青藍島から『金色の狂犬』が来たからです」
「……あなたにそれが出来るという根拠は?」
「この『チューリップ・プリズン』を成り立たせている、というのはどうでしょうか?」
2つの言葉を聞き、俺は警棒を腰に収めて両手を上げた。
「……研修中の身なので所長の命令には従いますよ」
「私としてもあなたが協力してるならとても助かります。それではよろしくお願いしますよ、0720番、九十九看守補佐」
この研修を無事に終えることができたのなら、俺はここに来た真の目的を果たすことができる。新たなる難題を前に、俺の心は再び燃え上がり始めた。