夕顔看守長に言われ通りに自室で待っていると、コンコンコンとノック音が刺客の来訪を告げた。ガチャリとドアを開けると、特別警備隊の服とマスクに身を包んだ太田部ちゃんが立っていた。
「最低限のマナーは覚えたみたいだけど、俺に対しては4回じゃないかな? コンコン、コンコンってさ」
「……ついてきてください」
今までにない程神妙な雰囲気を出している彼女についていき、やけに血の匂いのする部屋のドアの前に立たされた。
「……ここからは土口さん次第です」
今は九十九さんなんだがなと小言を飛ばし、コンコン、コンコンとグローバルなノックをして入室する。
「失礼します。九十九で────」
崩れた壁から差し込む月明かり、それによって照らされた数々の人に苦痛を与えるための器具、そんな幻想的な残虐さを刻み込ままれる部屋に2人の女性がいた。
「今度はマナーを守れたようね?」
1人は俺を呼び出した張本人である夕顔看守長だ。そしてその足元には全身を殴られて腫らした生々しい波飛沫がたっていた。それは海神こと3507番の刺青だった。
「……すまない狂人先生……しくじっちまった……」
海神の発言から彼女がすでに俺のウィッグ工房での不正の情報を手に入れている可能性があると判断できた。ただ、俺が邪魔ならば所長に報告して研修を強制終了させればいい。だとしたら彼女が考えていることは1つしかない。
「不正を黙るから私に服従しろ、と……」
「話が早くて助かるわ。まずは0720番が何を企んでいるのか教えてちょうだい?」
彼女はすでに湊君が行動を起こしていることに気付いている。何で判断した? 直近であった出来事といえば図書棟の1件ぐらいだ。あれの何から判断でき────
「早く答えないと彼女の綺麗な肌が台無しになるわよ?」
「があああ!」
カチリと杖が鳴りあの電流が海神を襲う。俺ですらまともに動けなくなる電流を、一般人である海神が耐えられるはずがない。一刻も早く話したい所だが、彼の企みを話すということは俺の企みを話すということでもある。彼女と信頼関係を築く上で、それは決して行ってはならない行為だ。だから話す訳には────
「海水って電気を良く通すらしいわね?」
「ぐあああ!」
苦痛に悶える海神の叫びが俺の思考を揺らがせる。彼女は圧倒的な力で他者を屈服させる、俺が一番嫌いなタイプの人間のようだ。上司にしたくはないが、ある意味では組織に必要な人間である。そんな人間に抗うにはそれ以上の力で対抗するしかないが、その抵抗をしたら俺の不正が太田部ちゃんを介して所長に届く────
「あ、あたしの事は見捨てろ狂人先生……」
「……なんだと?」
海神の思わぬ発言に動揺してしまう。
「抱いた女の面影を追って紛い物を作って来たあたしは異常者だよ……その上で居場所を作ってくれた狂人先生にはどうやったって恩返しできねえ……ならとっととくたばって狂人先生の枷にならねえようにするだけだ……」
彼女が舌を出しながら大きく口を開ける。舌を噛み切るつもりだ。そんなことをされたら俺がする行動は一つしかない。俺は腰の警棒を蹴り飛ばし、海神の口に咥えさせた。
「……0720番はあなたを追い詰めようとしています」
ソフりんから夕顔看守長の情報を聞いていたら、彼女が急に倒れて痙攣し始めた。駆け寄って来た小沢によると貧血らしいので、体制を整えてブラを外した時だった。
「────……動くな!」
「────!?」
「うぐォ……!?」
オレたちはふたり同時に地面に叩きつけられた。
「妙な動きはするな。その瞬間に関節を外す」
背中越しに見えたのは特別警備隊の制服を着た九十九さんだった。特別警備隊に入ったのは知っているが、オレたちに手を出す意味が分からなかった。
「九十九ぉ!? あっ、いや九十九先生ェ! 誤解なン────」
「担当抗弁によって相姦係数+0.002及び警告無視によって執行だ」
小沢の反論を聞く間もなく九十九さんは小沢の肩からゴキリゴキリと鈍く痛々しい音を鳴らした。
「イッデェ────」
「黙れ三下」
痛みに叫ぶ小沢の喉を絞め瞬時に意識を落とした。何が起きているんだ。
「早速いい働きね九十九……」
コツコツと上機嫌に杖を鳴らしながら夕顔がやって来た。それにつられてぞろぞろと周囲に人が集まってきた。その中から一際大きな山岸刑務官の声が響いてきた。
「シコレンコ看守長!? おい警備隊、何をしている!? 早くシコレンコ看守長を介抱────」
「特別警備隊は夕顔看守長の命令が絶対です。それに背けというなら……例え看守相手でも容赦しません」
九十九さんが俺を脚で抑えながら、開いた手で山岸刑務官にハンドガンを向けた。
「制圧用のライオット弾ですが頭に当たれば十分な効果を発揮します」
「なっ、何しているんだ九十九!? 自分が何をやって────」
パアンと破裂音が寒空に響き、山岸看守の帽子が地面に落ちた。
「警告無視による執行は看守も対象です。お忘れでしたか?」
「な……あ……なん、で……」
「動じることはないわ姫瑠、彼は仕事をしているだけよ?」
狼狽えている山気看守に夕顔看守長が丁寧に説明を始めた。
「彼は私の指揮する特別警備隊に入った。だから絶対である私の命令に従っている……それだけの話よ?」
「そ、それはそうですが……でも、ソフィーヤ看守長をあの姿で大勢に晒すというのは────」
再び発砲音が響いて、今度は山岸看守の首元を掠めた。
「夕顔看守長に反論するんですか? ならばあなたもこの三下の様に────」
「止めなさい九十九。彼女は状況が理解できてないだけよ。ねえ、姫瑠?」
2人の圧によって山岸看守は何も言えなくなってしまった。だからこそ俺が何か言わないと。
「九十九さん……どうして……」
「……一言いうなら────『物故ろしてやるぜ、ベイビー』だ」
俺を見て笑う夕顔に対して、九十九さんは俺の顔を見ずに震えながら笑っていた。
九十九さんの異常事態に19班の皆で話し合う。
「……奴さんがあのかんぴょう女にお熱になっちまうとはな。流石にアタシでも読めなかったよ」
「そうですかね? 全裸マンと組むような奴ですから自分の都合で誰とでも組むと思いますよ」
「ぅ、うそ、だ……つ、九十九さんが、そ、そんなことするわけ、ぁ、ない……」
オレも何かの見間違いであって欲しかったが、誰に聞いても狂人が夕顔に飼いならされたとしか思えないと言っていた。オレたちの作戦は、九十九さんが警備隊をどうにかするという大前提があったので新たに計画を考えなくてはいけなくなった。
「しかしどうするかね……あんまり言いたかねえが、奴さんはこのプリズンで一番強いぜ?」
「ですが人間である以上何かしらの弱点はあるはずです。仲の良かったお前なら何か知っていませんか?」
「ぇ、う、あ……」
ノアに話題を振られたので思い出してみる。囚人と看守を行き来できる。食べるのが好き。トラブルに巻き込まれるのが好き。ウィッグ工房を担当している。俺より頭がいい。本名は土口精。どれもこれも弱点にはなりそうもない。他には────
「あの人は芸術性が俺よりも低い」
3人から冷たい目線を送られる。これでダメだったらもうあの人に弱点はない。他に九十九さんを知って良そうな人は誰だ? 情報屋である釘谷さんなら弱点を知っているかもしれない。
「そいつは流石に教えられないな」
釘谷さんは紫煙を燻らせながらため息交じりに告げた。
「知ってはいるが……彼からも情報を仕入れている以上、彼の信頼を失うような事はしたくない。もし彼の逆鱗に触れようもんなら……こんな老いぼれは片手間に殺せるだろうよ」
今の九十九さんは夕顔の指示だったら誰でも殺しかねない。もし夕顔が釘谷さんを見つけたら、嗅ぎまわっている奴がいるから殺せと命じるだろう。
「すまないが彼に関しては他を当たってくれ。俺も流石に命は惜しいんでね」
「分かりました……誠にありがとうございます」
プリズン流の挨拶をして別れ、再び九十九さんを知っていそうな人を考える。出来る事なら九十九さんと仲が悪くて、すぐにベラベラと喋るような人が良い。そんな都合のいい人は────いる。あの人は九十九さんと同郷の仲で、俺と九十九さんに一杯食わされたから関係は最悪のはずだ。
「ということで九十九さんについて話せ」
「はぁ!? 急にこんなところに呼び出してなんなんですか!?」
組長のツテと紅林のコネを使って、花丸を誰もいないクリーニング工場に誘い出した。
「今の九十九さんは異常だからなんとしてでも止める必要がある」
「アイツはいつも異常ですよ! シスコンから愛妻家にキャラ替えしやがって! どうせ妻のアソコが恋しくてヤケになってるんですよ!」
「「シスコン?」」
俺とノアが同時に疑問を抱いた。いつだか奥さんと子供がいるというのは聞いたが、姉妹がいるとは聞いていなかった。もしかしたら弱点に繋がるかもしれないから、数発殴って情報を吐かせる。
「そ、その路線は無理ですよ! アイツの妹はとっくの昔に死んでいます! どんな奴だったかは知りませんが、どうせアイツの妹だからロクでもない奴だったでしょうね」
「……だったら死んで会ってくるか? ええ?」
組長がいつになく怒気を発しながら花丸に詰め寄り、乾燥機の方を見て呟いた。
「事故で死んだとありゃあ……先生たちも深入りしねえだろうなあ?」
「ひええごめんなさい嘘です! 上の人間が優れているから下の人間も優れているんです!」
オレみたいな人間がいるからそうだとは思わない。とにかく他に弱点に繋がるような情報はないかとさらに追い詰める。
「だ、だったら頭です! 頭を狙えばいいんです!」
「人間なら誰でも頭は弱点でしょう」
「いや、アイツは特別頭が弱いんです! 慢性外傷性脳症を患っているはずです!」
全く聞いたことのない病気だった。病気の事なら樋口女医こと先生に聞くべきだ。
何故か妙に酸っぱい臭いのする医務室でその病気の事を聞いてみたら、先生はピクリと体をこわばらせた。
「知っているんですか?」
「え、あ、まあね、私は矯正医官だからね~」
先生らしくもなく不自然なはぐらかし方だったが、難なく説明してくれた辺り知っているのは本当のようだ。
「簡単に言うと脳に何度も衝撃を受けて、悪い状態から治らなくなっちゃっている病気なんだ」
「その状態でまた脳に衝撃を受けたらどうなるんですか?」
先生の瞳が一瞬だけ揺れた。
「……衝撃の程度にもよるけど、人が変わっちゃったり、忘れっぽくなっちゃったり、意識を無くしちゃったり……もしかしたら死んじゃうかもしれないね」
俺は落盤事故で死を覚悟したことがあるから分かる。それはあっさりやってくるが、とても受け入れがたい現実を押し付けてくる。いくら九十九さんを倒したいとはいえ、それを与えるようなことは出来ない。この路線も止めた方が良いだろう。
「……教えてくれてありがとうございました」
「勉強熱心なのはいい事だぞ。それじゃあ……アメちゃんどーっちだ?」
右手から赤いアメを貰って口に放り込む。甘いイチゴの香りが広がった所でふと思った。あの酸っぱい匂いは以前ノアがオレの独房でゲロをした時と同じだった。だとしたらオレが来る前に誰かがあそこでゲロを吐いたのだろう。貧血でソフィーヤ看守長が吐いたのだろうか、それとも九十九さんからボコボコにされた小沢が吐いたのだろうか。考えても答えは出なさそうなので、俺は九十九さんをどうやって倒すかに考え事を切り替えた。