ある夜、俺は所長室で九十九さんの異常事態について水城所長に相談した。彼女は眼鏡の奥の細い目を瞑って、ふぅと一息だけ履いて俺に告げた。
「彼曰く、『これが自分なりの"プリズンの正常化"だ』とのことです。夕顔看守長の権力がプリズンの全てに通じるようになれば……それもまた一つの"プリズンの正常化"と言えますからね」
彼女を追い詰めることを考えていた俺には思いつくはずがない考えだったが、だとしても優しかった九十九さんが思いつくようなものではなかった。思い悩む俺に彼女はポツリと呟いた。
「……彼の欠点は芸術性が低いという所です。私物のほとんどが金色なので納得しました」
それは俺も知っている。俺が7.4点で九十九さんは1.9点だ。
「……それ故に他者には伝わりにくい表現をしているということでもあります」
だとすると九十九さんは俺に何か伝えているのか? 俺と九十九さんが交わした言葉に何か答えがあるのかもしれない。俺は所長に一礼して部屋を後にした。そしていつものダクトに入────
「所長の言った通りだな」
「うぐ────っ」
聞きなじみのある声とともに押さえつけられ、俺は意識を失った。
目を覚ますと、オレは月明かりが差し込む見たこともない機械が並ぶ部屋にいた。
「やっと目を覚ましたか。だが、もっと目を覚ましてもらおうか」
ドッと強い衝撃が俺を打ち上げ天井に叩きつける。そしてどさりと地下に落ちる。おかげで視界が明確になったが、代わりに痛みに頭が支配された。
「どうかしら? 信頼していた人間から痛めつけられる気分は?」
見上げた先には、夕顔が楽しそうに笑いながら座っていた。
「ここはどこですか」
「それよりも聞いた方が良いことがあるんじゃないかしら?」
確かにそうだ。張本人がいるのだから聞いた方が良い。
「なぜ九十九さんはおかしくなったんですか?」
彼女は俺の方がおかしいと言わんばかりに笑って答えた。
「あれが彼の本性よ? 人間は強大な権力を持つと本性を露にするものなのよ」
彼女の持つ権力は所長程ではないにせよ、特別警備隊の指揮権という唯一無二の物がある。その配下に置かれたから九十九さんはあんな風になったらしい。
「それに……彼とドブネズミを離すためでもあるわ」
ドブネズミという明らかな言い方で、俺は予想するまでもなく千咲都の事だと分かった。
「どうして、それほどまでに彼女を憎む────」
「見て分からなかったか? あの不気味で気持ち悪い眼をよ?」
話を割って出てきた九十九さんがとんでもない事を言った。更生不能房で過ごしているせいで真面な入浴をしていなかった彼女を入浴させた時にその眼を見たが、黒くて真っ赤で闇の中で光るとてもカッコいい眼だった。それなのに九十九さんは彼女の眼を酷評した。
「流石"黒を抜き取る呪いを受けた一族"だな。あんな暗闇みてえな眼をしてりゃ呪われたかのように不幸になる、いや、それどころか他人様にも不幸を与えちまう……無価値どころか有害、閉じ込めて痛めつけて分からせないとなあ……? それをいち早くやった夕顔看守長には勲章が授けられるべきだぜ」
上機嫌な九十九さんの喋りに、俺は何かを感じ取った。
「夕顔看守長は、暗闇が怖いのか」
「……なんですって?」
やっぱりそうだ。この女は────
「黙れ0720番」
九十九さんがオレの身体からゴリゴリという音を響かせた。経験した事のないような痛みが襲い掛かってきて────
「動くな0720番」
その痛みから逃げようと身を捩ると新たな痛みが加わってくる。
「夕顔看守長に楯突くお前には丁度いいだろう?」
月明かりに照らされた九十九さんの顔は────金色の目の瞳孔は際限なく開いていて、口は歯をむき出しにするような笑顔を張り付けていた。
「最ッ高だぜ……権力に物言わせてクズをいたぶるのはよぉ!」
すでに抵抗できなくなった俺を警棒で打ちのめしてきた。
「手前等みてえなクズはなあ! 一生看守様の言うことを聞いてりゃいいんだよ! それができねえならこうなって当然なんだよ!」
神経に残るような痛みが降り注ぐ。防ぐことも逃げることもできない圧倒的な暴力。
「罪人がちょっと良い事をしたからって許された気になりやがって! 一度犯した罪は一生消えねえんだよ! 誰が何をしたって消えねえんだよ!」
それはオレに今まで感じた事のない強い恐怖を刻み込んでいるようだった。だからこそ理解できなかった。
「何でだ……何でこんなことをするんだ九十九さん……」
「ああ!?」
「あなたは……こんなことをする人じゃないはずだ……」
「はっ! 手前は俺の何を知ってるってんだ!?」
オレの言葉を受けてさらに攻撃が激しくなる。
「ちょっと優しくしたからって知った気になってんじゃねえぞ! 過去も! 悩みも! 苦しみも! 何も知らねえくせに知った気になってんじゃねえぞ!」
九十九さんに罵られて自覚した。俺は九十九さんの事をほとんど知っていなかった。ただの優しい変わり者の人ぐらいにしか思っておらず、ただ仲良くしていきたいと思っただけで何も知ろうとしていなかった。
「これが俺の本性だよ! 手前は利用できたから利用した! だがあのドブネズミと繋がってると判明した今、利用価値がなくなって害だけが残った! そんな奴に自由なんかあっていい訳ねえよなあ!」
体への痛みは当然、数少ない友達から裏切られたという心への痛みも大きい。九十九さんが裏切ってもいいような準備なんてしていなかった。釘谷さんの言う通り、裏切られてもいい人になるまでは信用しない方が良かったのかもしれない。
「もう一度言ってやるよ! 『物故ろしてやるぜ、ベイビー』ッ!」
「……つくも、さん……」
心身ともに擦切れたオレは、上と下からあらゆる液体を出しながら意識を失って現実逃避をすることにした────微かな揺れを感じて目を覚ます。前面から人肌のようなぬくもりを感じる。誰かに背負われているようだ。
「……やっと目を覚ました」
静かでありながら威圧感のあるこの声は、確か特別警備隊隊長の女性のはずだ。俺の敵である夕顔に忠実な彼女がなぜ俺を助けているのか、全く分からなかった。
「……どうして俺を助けているんですか?」
「……今から言うことは独り言だから気にしないで」
そう言って彼女はポツリポツリと微かに呟いていった。
「私の知っている九十九さんはあんな人じゃなかった。ものすごく強くて、誰も寄せ付けなくて、だけどとっても優しかった。私の持ってきたおにぎりを嫌な顔せず、とっても美味しそうに食べるぐらい」
オレと仲良くしていた頃の九十九さんは彼女の言う通りだった。なのに今は人が変わったように恐ろしい存在になってしまった。
「……でも、最近は食べてくれなくなった。食べたとしても、すごく辛そうな顔をしながら食べている」
九十九さんは何でも美味しそうに食べる人だった。すごく機嫌のいい時はうっかり食器まで齧るぐらいだった。
「……私はまた一緒に美味しくおにぎりを食べたい。もしそれが叶うなら……私に出来る範囲で力になってみたい」
それはオレだってそうだ。でも、どう考えても答えは一つしかなかった。
「……無理です。もう、九十九さんは九十九さんじゃなくなりましたから」
揺れる背中が一瞬ピタリと止まり、また再び動き始める。あの仮面の隙間からキラリと光る液体が落ちたような気がした。
翌朝、心身ともにズタボロのまま食堂に行ったら花丸が過呼吸になるほどバカにしてきた。
「ななな、何ですかその顔! 最高にイケメンですよ! やった人のセンスが光ってますねえ!」
「……九十九さんにやられた」
「だからそんなに不細工なんですね! センスが悪い人がメイクを施すとこうも悲惨になるんですねえ!」
あまりにもムカついたので、倒れるように抱き着いてゲーム作りに協力するように脅した。
「今のオレはかなり危険だ。後先を考えられないからな」
「いつもそんなもんでしょうが……! 分かりましたから離れてください……!」
今のオレと関わるのは危険すぎると言われ、夕顔と九十九さんの問題が解決したら参加することになった。多少気が晴れたので、19班の皆に昨夜の事を話した。
「……マジか。奴さんがそんなことをするなんてな……」
「まあ、所詮彼もそっち側の素質があったというだけです。かんぴょう女をどうにかすれば自然と彼もどうにかなりますよ」
「ぁ、う、うそ、だ……そぉ、んなの、まちがって、る……」
とりあえず夕顔を追い詰める算段は立ったが、それに伴って立ちはだかる九十九さんをどうにかする作戦も考えないといけない。ただ、今の状況は以前とは全く違い、生半可な手段では返り討ちなりかねない。だとしたら────
「最悪、殺すことも考えないといけないかもしれない」
明らかに今までとは違う考えに空気がピリッと張り詰めた。
「今の九十九さんに手加減をしている余裕はない。どんな手を使ってどんな結末になろうとも────」
「まぁって、全裸マン! そ、それだけは、だ、ダメ、だ!」
千咲都が珍しく大きな声を出して会話を遮った。
「つ、九十九さんは、こぉろしちゃダメ、だ! あ、あの人は全裸マンよりも、は、早く私を見つけて、私を認めてくれた!」
そういえば彼女は九十九さんに対しては最初から心を開いていたような気がする。
「九十九、さんは嫌な顔をしなかった! はぁじめて図書館で会った時、も! 落盤から全裸マンを、た、助けた時も! な、何より────この眼を見た時も!」
彼女が右の前髪を書き上げてあの眼を見せつける。その眼からは反対の目と同じく透明な涙が流れていた。
「き、きぃっと、九十九さんには、な、何かが、ぁある! だ、だから、殺すのはダメだ!」
彼女の悲痛な訴えによって、張り詰めていた空気が少しずつ変わっていった。
「……確かにアタシらヤクザだっておいそれと殺しはしねえ……どうしようもなくなった時の最終手段だ」
「それに、今の私達の実力では返り討ちにあって殺されるのがオチでしょうね」
「……そうだな。オレの考えが単純すぎた。誠にごめんなさい」
2人の意見を聞いて俺も少しずつ冷静になってきた。それを見て千咲都がへにゃりと崩れて泣き出した。
「よぉ、かった……私のせいで人が、死ぬのは、もうイヤだ……」
「まあ社会的に死んだ奴は1人いますけどね」
「エロデューサーか……そういや坊は奴さんにいつものアレを言ったのかい?」
アレというと『物故ろしてやるぜ、ベイビー』だろうか。首に手を当てて思い返したが、今回は言っていない気がする。むしろ、九十九さんの方が言っていた。
「……変だな……?」
確か九十九さんがエロデューサーに言い放った時は『
「……『
夕顔との関係を見るに、俺に対しての罵倒の発言は制限されていない。なのにわざわざ『物故ろしてやるぜ、ベイビー』を使ってまで『やりたいようにやらせてもらう』を避けている。だとしたら九十九さんが意図的に避けているとしか思えない。そんな理由なんて────
「……九十九さんへの対策が思いついた」
待ってましたと皆の視線が俺に集まる。俺は目を見開いて堂々と言い放った。
「何もしないで、ただ耐える」