「それじゃあ自分も貴方に対して容赦しませんよ売れ残り干瓢看守長」
「でしょうね。二度と自分の事を自分の前で悪く言わないでくださいね、夕顔看守長?」
九十九終こと土口精はそう言って私を侮辱した。彼は私の権力に屈さず暴力すら通じない、いくら研修生とはいえ私の地位を脅かしかねない存在だった。
「彼の担当しているウィッグ工房で不正が横行している可能性があります」
そんな中で警備隊からそんな情報が入ったのは幸運だった。すぐにウィッグ工房のリーダー担当の囚人に話を聞いたら、それはそれは面白いほどに色々喋ってくれた。
「あ、あの人は囚人に自由な自慰行為の許可を与えてぇ、囚人からプリズンの情報を手に入れているんですぅ! わわ、私はしていませんよぉ!?」
「本当かしら?」
「ほほ、本当ですぅ!」
「後で嘘だと発覚したら懲罰房行きよ?」
「1回だけしてしまいましたぁぁぁ!」
「あの工房で一番優秀な人間を教えたら懲罰房は無しにしてあげるわ」
「海神っていう坊主のヤバい囚人ですぅ! 3507番ですぅ!」
その囚人には太田部と逆茂木の練習台になってもらい、3507番を拷問して不正の情報を手に入れることができた。これで私は奴を支配できる。彼も呼び出して話をしたら見事に私の配下に成り下がった。彼は他の特別警備隊員を圧倒するほど強く、夏海のマイナス10倍は賢かった。研修期間という時間制限はあるが、それが来る頃にはプリズンが私の物になっているだろう。
そんなある日の夜、警備隊達から面白い情報が飛び込んできた。地価の炭鉱でドブネズミが0720番を人質にとって暴動を起こしたらしい。そんな面白いものは自分の目で直接見るしかない。椅子にしていた彼に声をかけて準備をする。
「背負いなさい九十九。あと、録画もしたいからスマホを持っていきなさい」
「……かしこまりました。夕顔様」
どう見ても趣味の悪い金色のラメを施したケースに、未練がましく黒髪の少女の写真を挟んだスマホを持った彼が私を背負う。あの筋肉の割には背負われ心地が良かった。この景色からあのドブネズミの番を見下すのは最高だろう。思わず杖を持つ手が震えてしまうほどだ。そうしてやって来た炭鉱では案の定小娘が騒ぎを起こしていた。
「ちっ、近寄るな────!」
腹にダイナマイトを巻いて、右手に起爆装置を、左手に0720番を持って周囲を威嚇している。
「君も……! 君の友達も……! 全部嘘だったんだ……! 抱きしめたのも……! 服を貸してくれたのも……!」
あの時彼の服からあの臭いがしたのはそのせいだったのか。少し引っかかっていた疑問も解けて、何もかもがうまくいってしまい、笑いを抑えることができなかった。
「あっはっはっは! こんなことになっているとは思わなかったわ!」
私に気付いた不愉快な眼がこちらを向く。やや高い位置にあるせいか無理して見上げているその様がなんとも滑稽だ。
「あんたが、全部めちゃくちゃにし、たんだ……ゆう、がお……!」
囚人の目が向くが私は気にしない。
「……さぁ、なんのことかしら?」
こんな小娘の挑発に乗る訳が────目線が前に動き、あの眼に近づいている。
「……は?」
私は動いていない。背負われているから当然だ。だとしたら答えは一つしかない。
「ドブネズミ如きがふざけるな……薄汚ねえ口で夕顔看守長の名前を言うんじゃねえ」
彼が怒りのあまりに勝手に動いているのだ。
「なっ、何をしているの九十九!? 近付いたら巻き込まれるわよ!?」
「大丈夫です夕顔様」
九十九が地面を蹴り上げて石を飛ばし、小娘の右手に当てた。
「っう……!」
小さな悲鳴と同時に右手から起爆装置が離れる。これで捕らえる隙ができ────落ちたはずみで起爆装置のボタンが押される。はるか遠くからの爆発音とが響き、地面が揺れて私と九十九は地面に倒れた。その拍子に太ももに強い衝撃を受け、生暖かい何かが広がっていく。これはもしかして血────
「落ち着いて下さい夕顔様」
カッとスマホの光に照らされた私の太ももには、何処からか薄黄色い液体がかけられていた。
「匂いから言って小便です。そして方向と距離から飛ばしているのは0720番です」
動いた光の先では0720が勃起した陰茎をこちらに向けて放尿をしていた。
「夕顔様が暗闇でパニックになるのを利用したかったのでしょうが……俺がいたせいですべてが台無しになったようですね」
私達を照らしたせいで見えなくなったが、あの2人が絶望に沈んでいるのが見える。考えた作戦が信じていた人間によって徒労に終わってしまったのだから無理もないだろう。入れ替わった絶望と希望に私は勝利を確信する。
「よくやったわ九十九……太田部からあなたを側近にした甲斐があったわ……」
「ありがとうございます夕顔様。では、俺も勝利宣言をさせていただきます────『やりたいようにやらせてもらう』」
その言葉を言い終わった彼は────見えなくなった。
「……は?」
「聞こえなかったか? 『やりたいようにやらせてもらう』って言ったんだよ」
暗闇の中から誰かが私の肩を掴んで地面に押し倒す。
「がっ……!? だ、誰……!?」
「誰にやられたのかも分かんねえのかかんぴょう女? あの位置関係でお前を押し倒せるのは────俺しかいねえだろ?」
光が彼の顔を照らす。しかし、そこにあったのは私の知る従順な仮面はなかった。代わりに、獲物を前にした獣の様に牙を剥き出しにして、限界まで瞳孔が開いた金色の三白眼を揺らす、まさに『金色の狂犬』がいた。
俺は夕顔を押し倒しながら杖を弾き飛ばした。これで彼女が俺に反撃できる手段は無くなったので、怒りに満ちた俺の顔を彼女の目に刻み付ける。何が起きているのか分からない彼女は、明らかな動揺を見せながら質問をしてきた。
「なっ、何をしているの、九十九……!?」
「ここまでされて分からねえのか? 手前を押し倒しているんだよ」
やっと状態を理解した彼女はインカムを起動して叫び出した。
「夏海! 早くなさい! 明かりをつけなさい! 私を助けに来なさい!」
それが最善の選択に違いない。しかし、最善の手を尽くしたからといって事態が好転するとは限らない。
「承知、ですが、囚人が混乱して……どこにいるのか……!」
「いいからとっとと来なさいよ!! 使えないわねえぇ!!」
最善の手でダメなのに握手を選べばどうなるか。自由落下よりも早く事態は最悪になっていくだけだ。
「この無能が!! 肝心な時に、なんのためにあの島出身のお前を引き上げてやったと思ってるの!?」
「────────」
「お前もコイツも碌なヤツがいない!!! だからあの島は────」
「それ以上言うな」
俺のビンタに夕顔の言葉が途切れた。インカムが吹き飛び、彼女は独りになった。それでも彼女は俺に向かって喚き散らした。
「このままだとお前の不正が所長の耳に入る! それでもいいの!?」
「良いに決まっているだろ。そもそもあんなシステム、所長の許可が無きゃ作れねえだろ」
ウィッグ工房の企画書を出した時、俺の情報収集システムの事も含めて所長に提案していた。
「……前代未聞です。自慰行為を許可する作業場など」
「だから人員は最低限で俺の目が届く範囲でやらせます」
「このような不正を見逃してはこのプリズンの汚点になりかねません。とても許可をすることは────」
「敢えて弱みを作れば、そこにつけ込んで来る問題児を狩ることができます」
俺の実力を知る物は近寄ってこないが、弱みのある人間だと分かれば近づくどころか利用しようとする輩が出てくるはずだ。不正を無くそうとするのではなく、自分の利益に変えようとする下賤な人間は刑務官にふさわしくないだろう。
「……看守には規則に従い罰する正しい心も持ち合わせなければならないそうです。不正を見つけた時どう対処するかも見るべきではありませんか?」
俺の理論に所長は目を閉じてプリズンの印を押した。
「……他の看守が正しく不正を報告してくるまではこの工房を認めましょう。不正の報告があったその時は、相応の処分を覚悟してくださいね?」
彼女はその不正を利用して俺を支配しようとした。だから今更不正を報告しても、所長が俺に何かしらの処分を下すことはしない。
「本当は別の奴をハメるつもりだったんだが、アンタが勝手にハマってくれて思わぬ収穫があったぜ」
「な、何ですって……!? じゃあ、3507番を助けたのは……!」
「アンタに支配されるための演技だよ」
俺は彼女に近づくためにはただ特別警備隊に入るだけじゃ無理だと思った。どこかのタイミングで湊君が彼女を狙っていることを伝えるつもりだったが、最高のタイミングが訪れたので不正と工房の囚人という偽の弱みを見せた。しかし、それでもまだ足りないと思った俺は更にもう一手間を加えた。
「演技とはいえ湊君に手を出すのはきつかったぜ……なんせ毎晩吐いたからなあ」
計画を筒抜けにして暴力まで振るえば、俺と彼の関係は断ち切られたと思うだろう。そうすれば支配しても何も問題ない駒と認識してもおかしくない。実際に俺を脚代わりにする程になったのだ。しかし、その関係が強固であればあるほど湊君達に対しての脅威になってしまう。だから俺の行動が演技であることを、彼女に悟られないように彼に伝える必要があった。
「その言葉が『物故ろしてやるぜ、ベイビー』だったんですね。だって九十九さんが言うなら『やりたいようにやらせてもらう』ですから」
彼の言う通り、俺は彼の言葉を借りて『やりたいようにやっていない』を伝えた。かなり遠回りな表現なので2回伝えたのだが、なんとか伝わったのでこのような絶好の機会を作ることができた。
「つまり……アンタは最初から俺の手綱を握ったと勘違いしていたんだ」
「バッ、バカな……私は……お前を支配したはず……」
全てを説明されてカタカタと震えだした彼女に三行半を告げる。
「お前は支配じゃなくて理解するべきだったんだよ。ちょっとでも俺を知っていれば分かったはずだ、俺は力を利用して誰かを支配するのが嫌いってな」
俺は青藍島での2つの事件から様々な事を学び、性的マイノリティを理解してもらう活動に活かしてきた。そして他者を理解するためにはお互いに歩み寄る必要があると知った。そんな俺にとって、力の差による一方的な関係はあってはならない物と考えている。それを振りかざしてきた彼女に心の底から従うなど、例え死んだとしてもしない事だ。俺は今までの彼女への怒りを爆発させ、彼女の喉を左手で押さえつけた。
「人を支配して全てを解決しようとしたアンタの落ち度だぜ、夕顔葉月ィ!」
「うぐっ……!」
彼女が杖とペンしか握った事がないような細い腕で、俺の手から逃げようとと必死にもがく。しかし、それぐらいで俺が退けられるなら最初から支配などしなかったはずだ。
「手前から教えてもらったんでな……支配するには逃れられない恐怖を与えればいいってよお……」
「あっ、あ……!」
教え通りに数発往復ビンタを顔に叩き込む。耳にスパァンと気味の良い音が届き、右手に安物の化粧品特有の粉っぽい感覚が付きまとった。しかし、それだけでは全く気が収まらないので右手も喉に当てた。
「アンタは根源的な恐怖が暴力と言っていたが……随分と生ぬるい環境で生きてきたみたいだな? 本当の根源的恐怖は────『死』だぜ」
言葉と共に全身に力を入れる。彼女は声にならない悲鳴を上げて動かなくなり、下からくぐもった液体の音が聞こえてきた。どうやら彼女が恐怖のあまり失禁をしたようだ。恐怖を与え続けてきた人間も自分が恐怖を与えられる側になったら所詮この程度だと理解して、フッと鼻で笑ってしまった。
彼女の意識が無くなったことを確認して、スマホの光を彼女に当てる。白目をむいて口が半開きになっているが、しっかりと呼吸をしていた。気道を確保する姿勢を取らせて、2人に駆け寄って頭を下げる。
「本当に申し訳なかった。いくらアイツを完全敗北をさせるためとはいえ、2人の作戦を台無しにしてしまった」
「大丈夫ですよ。むしろ九十九さんが夕顔を背負っているのを見て、俺達は勝ちを確信しましたから」
「九十九さんも、めい、えんぎだぁった……あのかんぴょう女が、あ、あんなに人を頼るの、初めて見た……」
許してもらえたようなので、安堵の息を漏らしながら頭を上げる。2人は嬉しそうにニコニコしていたので、俺もつられて笑ってしまった。しかし、2人からこの作戦の驚きの結末を聞いてしまったので、急いで彼女を左肩に担ぎ上げて走り出した。
「なら俺はコイツを連れて地上に戻るぜ。ご安全に」
「「ご安全に」」
暗闇と人混みを抜けて昇降機に乗ろうとした時、後ろから気配を感じたので空いていた右手で軽く裏拳を放った。パシリと受け止めたのは、仮面をつけた太田部ちゃんだった。
「……夕顔さんをどうするつもりですか?」
仮面の下からでも分かる怒りでギリリと拳を握り砕こうとしてきたので、ニヤリと笑って左肩の彼女を差し出した。
「俺としては十分干してやったつもりだ。後は煮て食うなり大切に保管するなりしな」
俺に敵意がない事を理解した太田部ちゃんは、俺の拳を放して大切そうに彼女を抱きかかえた。
「……私は九十九さんが夕顔さんを殺してしまうと思いました」
相変わらずの頭の悪さに、思わず昔の様に笑いながら頭を撫でてしまった。
「俺が同郷の人間に居場所を作った人を殺す様な薄情者に見えるか?」
「……そうでしたね」
「痛い目はみてもらったが、命まで奪うような事はしねえ。死別の辛さは──────俺が一番知っているからな」
事情を知っている人間には限られるが、俺の言葉が嘘でない事は簡単に証明できる。スマホケースの裏に挟んである、笑顔の卵の写真が動かぬ証拠だ。