現在俺は所長室で、体にシールのようなものを張られながら今回の事件の報告書を書いている。俺は夕顔の言動を間近で見た当事者で、嘘偽りなく書いてほしいと所長に言われたためだ。所長は手元のタブレットと俺を交互に見ながら不思議そうに尋ねてきた。
「嘘を吐いている様子はありませんが、ストレスを感じているのですね」
「書類仕事は大っ嫌いなので」
「その割には平均を大きく上回る速度ですが」
「嫌いだからと言って不得手だとは限らないですよ」
この報告書がもたらした結果は夕顔看守長の降格処分だった。炭鉱での不適切な発言・0720番への過剰な刑罰・俺に対してのパワハラと、降格処分が下されるには役不足の証拠があったから妥当だろう。ちなみに俺の失態は夕顔に大半の責任を擦り付けたため、特別警備隊からの除隊処分で済んだ。他者に責任を擦り付けるプロ2人に感謝しておこう。しかし、この2件は正直どうでもいい。なにせ────
「囚人番号0085番、黒鐘伊栖未であります────!」
千咲都ちゃんが伊栖未ちゃんとしてこのプリズンの一員になったのだ。気になったので所長に聞いてみたら、囚人間の相関係数を上手い事やりくりしてこうなったらしい。相変わらずの権力ですねと感心していたら、今度は私からと一つの質問を投げかけられた。
「今回の件で夕顔刑務官に同情しますか?」
「しません」
即答した俺に一枚の書類が渡された。
「……夕顔刑務官の経歴の書類です。特別警備隊に入る前に渡そうと思っていたのですが、すっかり失念していました」
今更見たって意味がないと思ったが、もしも低学歴だったら死ぬほど煽ってやりたいのでざっと目を通した。そこには思いもよらぬ情報が載っていた。
「……改めて聞きます。彼女に同情しますか?」
「……事情によっては許すべき事案もありますが、それでも俺の大切な友達を虐げたことは許せませんよ」
後日、湊君から19班にPCルームでの作業の許可が出たという話を聞た。なので俺は早速向かい入室し────
「ほんっっっとうに申し訳ありませんでしたああああああ!!!!!!」
すごい勢いで土下座をした。謝られている4人が怖気づくほどだ。
「いくら夕顔を欺くためとはいえ19班の皆様及びその関係者に多大な迷惑をおかけした事、深くお詫び申し上げます!」
この罪悪感から俺はあの日々の間、毎晩樋口さんの所に通って吐き続けたのだ。謝って許してもらえるとは思っていないが、謝らないと何も始まらないのだ。
「頭を上げてください、九十九さん。オレはもう気にしていませんよ」
「そぅだ、私と、全裸マンは炭鉱で、許しぃたから……」
「ああ小沢の事か。アレはお前さんが仕事をしただけだから、アタシからは特に何も言うつもりはないな」
「……元凶はあのかんぴょう女ですから、私からも特に何もないですね」
ここには慈悲深い聖人しかいないようだ。しかし、口先だけで済ませては申し訳ないので一つの提案をする。
「……ウィッグ工房でそれなりのもてなしをしたいんだ」
やって来た俺の作業場では頼れる3人が部屋の飾りつけをしていた。あの殺風景な作業場が、金色の折り紙を散りばめた最高の部屋になっていた。
「あっ、お帰りなさい! 先生の指示通り煌びやかにしましたよ!」
「噂はかねがね聞いているぜ19班の皆様。狂人先生が世話になったな」
「ふわぁ……眩しくて眠れないます……」
「よくやったお前達。褒美をやろう」
この部屋なら19班の皆もテンションが上がること間違い無しだ。振り返って確認してみる。
「何か……圧倒されるな」
「足利義満の生まれ変わりですかね?」
「……噂は本当だったのか。こりゃ組員には言わねえ方が良いな」
「ださっ……い、いや、何でもない……」
思ったよりも反応が良くない。やはり無理してでも金色のミラーボールをつけるべきだったか。見た目でのおもてなしは失敗した以上、物でのおもてなしは必ず成功させなければいけない。俺は人数分の紙コップを机に並べ、金色の保温ボトルの蓋を開けた。
「本当はお菓子も用意したかったんだが、流石に持ち込めなくてな……これで勘弁してほしい」
ボトルの注ぎ口から#6e4a55の液体が流れ出る。すると甘くてほろ苦い、どこか高級感のある幸せの匂いがふわっと広がっていった。
「もしかしてココアですか!?」
「まさか甘モノを持ってくるとはな……流石狂人先生だ」
「ふわぁ……しかも既製品じゃなくて一から作っているます……」
「ココアってお湯を注いで作る物じゃないのか?」
「そこの睡姦魔が言っていますが、ピュアココアから作る方法もあるんですよ」
「……噂は本当だったのか。これも組員には言わねえ方が良いな」
「おぉ、おしゃれだ……」
なんとか皆のテンションを上げることができたようだ。俺は紙コップをワイングラスのように持ち、ココアを回しながら音頭を取る。
「皆の力あってこの結末を迎えることができた。それを祝してささやかながら乾杯をしよう。それではお手を拝借……チンチン」
皆でコップを掲げてからココアを楽しむ。出来立てではないものの保温ボトルに入れていたお陰で十分に温かく、濃厚な甘みと苦みと香りが脳に安らぎを与える。
「すごい……こんなココアは初めてだ……」
「昔お姉ちゃんが作ってくれたものに比べたら少々劣りますが、中々良い味ですね」
「こんな逸品がここで飲めるとはな……やっぱりお前さんは只者じゃないな」
「初めて飲むから、ぉ、よく分かんない、けど、おいしい……」
「すごくすごいです! お店のココアみたいな味がします!」
「これを出す店があったら毎日通うな」
「ふわぁ……思わず眠っちゃいそうになるます……」
故郷のカフェでは俺監修の物でさえ毎日売り切れになり、俺が作る日が判明したらその日はカフェの電話がパンクするほどだ。このプリズンで飲めると情報が洩れたら、そのためだけに犯罪を犯す奴が出てもおかしくないだろう。なのでこのことは口外無用で頼むと皆にお願いする。プリズンでは滅多に味わえない甘モノのおかげか、皆はすぐに頷いて了承してくれた。これからも協力していくに値する、頼もしい人ばかりだ。
看守補佐としての仕事を終えた夜。俺は今回の件で迷惑をかけてしまった2人に謝罪するべく、コップを持って来てほしいと自室に呼んで深々と頭を下げた。
「この度はお二人に多大な迷惑と心配をお掛けして、誠に申し訳ありませんでした」
今回の謝罪の対象は看守の服を着たソフィーヤ看守長と山岸刑務官だ。程なくして頭を上げろと言われたのでちらりと目線だけ上げる。
「お前の立場上どうしようもなかった所があったし、それなりの処分も下された……私から特に責めるつもりはない」
「私の傷も襟に隠れる程度のものだからな……しばらくしたら笑い話にしてやるぞ」
慈愛の女神が2柱もいる。この方々がいるわいせつ房の囚人達は幸せ者だろう。もちろんこの2人にもココアを振舞う。しかも、目の前でピュアココアから作る本気の品だ。
「あのココアか。山岸刑務官、覚悟しておいた方が良いぞ」
「ココアは媚薬として使われていたからエッチな事をする覚悟ですか!?」
「自分のココア以外のココアが飲めなくなる覚悟ですよ。お待たせいたしました。『狂犬のココア』です」
可愛らしいネコがプリントされたコップと、ちょっと高そうなティーカップにココアを注ぎ2人に渡す。先にソフィーヤ看守長が、それに続くように山岸刑務官が恐る恐る口をつけた。
「気が動転していたあの時ですら美味かったのだから、平常時に飲んだらもっと美味いのは当然だな」
「おおっ!? 美味いぞ!? 何で今まで振舞ってこなかったんだ九十九ぉ!」
「振舞う機会がありませんでしたから……気に入ったのなら何よりです」
俺の記憶の限りではこのココアで喜ばなかった人間はいない。もっとも、まともな頭をしていない奴の記憶など当てにするものではないが。2人に許してもらえたようなので、どうしてあんなに痩せたのかの事情を話す。
「……とまあ、夕顔によるストレスでああなったわけです」
「それはよく分かるよ……私もあの人に仕事を押し付けられて寝れなかったことがあるからな」
ソフィーヤ看守長の死んだ目の原因の一つはアイツだったらしい。
「しかし恐ろしい程痩せたな……何キロ落ちたんだ?」
「測ったら7キロ落ちてました。幸せ太りの分は確実に落ちたでしょうけど……あんなダイエットは二度と御免です」
余計な脂肪は絞れたが鍛えた筋肉まで落としてしまっては意味がない。時間をかけてソフィーヤ看守長の指導の下取り戻すとしよう。
「私をトレーナー代わりにするな。というか、私がいなくてもお前一人で出来るだろ?」
「誰かの指導があった方が訓練は捗るんです。フォームが正しいかどうかを見ながらやるのは大変ですから」
「そういえば九十九はどんなトレーニングをしているんだ?」
聞かれて答えられないようなトレーニングはしていない。黄色くなってしまった歯を山岸刑務官に見せつけるように笑いながら自慢する。
「毎朝バーピージャンプ100回────」
「100回!?」
「────を3セット」
「3セット!?」
「そして筋トレとランニングですね」
「そしてチントレとクンニング!?!?」
この人は何でこのプリズンで何の罰も受けてないのだろうか。いつの日か青藍島に招待してどうなるか見て見たいものだ。
「……私もそれぐらい鍛えたらまだ強くなれるのかな」
微かに聞こえたそれには何も答えなかった。
2人を見送った後、俺は再び保温ボトルにココアを淹れて看守棟のある一室のドアをノックした。コツコツと杖を突く音がドアの向こうから響き、部屋の主が誰なのかを容易く示した。
「……私を嘲笑いに来たのかしら?」
開いたドアから夕顔看守長あらため夕顔刑務官が嫌そうに姿を現した。お望み通り笑ってやりたい所だが、そのために来たわけではない。ボトルをちらつかせて本題に入る。
「アンタと色々話さないとスッキリしねえ」
「あなたの都合に付き合うほど暇じゃないの。だから────」
「俺は交通事故で家族を失った」
彼女の杖と右脚がピクリと反応し、それを取り繕うように彼女が目線を逸らした。
「……不幸自慢かしら?」
「アンタの過去を知ってな。その脚……事故で悪くしたんだろ?」
所長から渡された資料に書いてあり、今の彼女が複雑そうな目をしているから間違いないだろう。
「やっぱりアンタが俺にするべきは支配じゃなかったな。理解するべきだった」
「……それを知った所で何になるのかしら?」
「同情を誘えた。この事を特別警備隊にいる時に知ったら、アンタはまだ看守長でいたかもしれないな」
所長の前では言わなかった俺の本音だ。湊君と彼女の事情を天秤にかけて思い悩み、あの作戦を実行に移すかどうか直前まで悩んだはずだ。それを聞いて彼女は憑き物が落ちたようにフッと笑った。
「……たらればを言った所でどうにもならないわ」
「……そうかい。じゃ、後一言だけ言わせてもらうぜ」
彼女に金色のボトルを押し付けて言い残す。
「『やりたいようにやらせてもらった』……ボトルは明日中に返してくれ。気に入ったんなら売ってる通販サイトを教えてやるぜ」