事態が落ち着いた今日この頃の夜、俺と湊君は所長室で次のターゲットについて話をした。
「警備隊の指揮はシコレンコ看守長に移行しました。ならば次にどの
山岸刑務官が聞いたら誤って射精をするなと怒りそうだ、とかくだらない事を考えている場合ではない。暗に次はソフィーヤ看守長を狙えと言っているのだ。何かが起きてからでは遅いのでその夜の内に囚人に戻って、翌朝の食堂で紅林ちゃんと例の件について話をした。
「今度の免業日さ、ソフィーヤ看守長について話さない?」
「……いいですよ。場所と時間は追って伝えるので待っていてください」
彼女はソフィーヤ看守長の話題になると露骨に反応を見せる。最前線で働いている誇れる姉だからだろうか。ややシスコン気味な気もするが、俺が言えた話ではないので食堂の薄い茶と一緒に飲み込む。その日の昼の内に伝言役がやってきて、昼に更生センターに来てほしいと伝えられた。夜の独房で考えた結果、事務作業の話とつくもん発言というデッキを組んで望むことにした。
約束の免業日になり言われたとおりに更生センターにやって来たが、何故か休館の看板が立っていた。日付を間違えたのかと思ったが、看板の奥からやって来た紅林ちゃんが事情を説明してくれた。
「かなり立ち入った話になるだろうから人払いをしておきました」
「それは嬉しいね。看守補佐として知った事だから、あまり人に聞かれたくないんだ」
立ち話もアレですからと一室に案内される。事務作業の話では彼女の有能ぶりにお互いに盛り上がったのだが、つくもん発言に関しては露骨に嫌な顔をされた。
「解釈違いです」
「本家が言ったんだよなあ……」
「本家が勝手に言っただけです」
作風が変わってからの作品を認めない厄介な懐古厨みたいな発言だ。こんじきわんこ先生としての俺にそういう文句を言ってきたヤツがいるからよく分かる。
「私だってあだ名を付けられたことがないのに……!」
「じゃあ俺がつけてあげようか? ノアだから……箱舟ちゃん?」
「そうやって安直に神話ネタを出すのは感性が幼い証拠ですよ」
礼にも同じような理由で金色にするなとよく言われる。
「それに……大切な人につけてもらうからいいのであって、九十九さんからつけてもらっても大して嬉しくありません」
「まあ、お姉ちゃんからつけてもらった方が嬉しいよなあ」
俺のお姉ちゃんという発言に彼女がピクリと反応する。
「……なぜソフィーヤ看守長が私の姉だと?」
「瞳の色・匂い・肌が荒れる……三の兆候があれば十分だよ」
「……シャーロックホームズのつもりですか?」
「答えはどうだい、アソコンくん?」
彼女はハアと溜息をつきながら頷き、他言無用でお願いしますと話を続けた。
「私はお姉ちゃんに看守を辞めさせるためにこのプリズンに来たんです。あの人はこの職場に向いていないですから」
確かにあの人はこの職場で働くには真面目過ぎるきらいがある。自分が正しく導いてやるんだ、正しく導けば誰でも真人間に戻れるんだ、そういった強迫観念に近い何かがある。しかし、それを成せるだけの力がない事を度々嘆いている。向いていないという所は賛同できるが、辞めさせるという所はそうもいかない。
「本人から辞めたいって聞いたの?」
今度は彼女が首を横に振って答えた。
「でも、あんな目をしてまで働くべきではないでしょう?」
以前医務室で樋口さんとソフィーヤ看守長のツーショット写真を見たことがある。どちらもまだ初々しさの残る微笑ましい写真だったが、ソフィーヤ看守長は何があったのか聞きたくなるほど変わっている。だからと言って、本人の意見も聞かずにアレコレするのは筋違いだろう。人生でそういうことをして迷惑をかけた俺は、彼女に対して無慈悲なアドバイスをしないといけない。
「……あんま言いたくないけど、相手が何を望んでいるのかも知らないで手を差し伸べるのは止めた方が良いよ」
「何故です? 私はこんなにお姉ちゃんを思っているんですよ?」
「思いの話じゃなくて、その人の為になっていないって可能性があるんだよ。善意ほど人を無自覚に傷つけさせるものはないからね」
「私がお姉ちゃんを傷つけているとでも?」
彼女の機嫌が明らかに悪くなって怒りを孕みつつあるのを感じたので、悪気はない事を伝えようとした。
「そう言うつもりはない……けど……」
なんとか弁明をしようとしたが、ソフィーヤ看守長から彼女がいるという発言を聞いていない事を思い出してしまい言葉が詰まった。看守の口から『囚人に妹がいる』なんて堂々とは言えないだろうが、ある程度ぼやかして『問題児の妹がいる』ぐらいは言っても問題ないだろう。俺の妹関連の事情はソフィーヤ看守長に話していないから、世間話のどこかで話になってもおかしくはない。なのに一度も妹の存在を聞かされていないというのは、少々引っかかる点であった。
「……けど、一度客観的に自分を見た方が良いと思うよ」
俺の意見が気に食わないのか、彼女はフンと鼻を鳴らして腕を組んだ。
「自分にはもう妹がいないから、お姉ちゃんの妹である私に嫉妬しているんですか?」
彼女の思わぬ発言に疑問が口から飛び出す。
「何だって?」
「自分が失ったものを持っている人間が気に入らないから意見をする……本当に心が幼いんですね。客観的に見るのはお前の方ですよ。お前は私にどんな感情を持って接してるんですか?」
自分の心の中を覗いてみると、小学生のパレットの様にごちゃごちゃして真っ黒でよく分からなかった。でも、間違いなく彼女に対して負の感情を抱いている事だけは分かった。これ以上話していると体まで黒に染まってしまいそうなので、失礼覚悟で無言でドアを開け────そこには話題のソフィーヤ看守長がいた。
「……何であなたが……?」
「それはこちらのセリフだ。私は呼び出されてここに来たんだ。まさかお前が呼び出し────」
俺の後ろにいる存在に気付いたソフィーヤ看守長は、俺に向けてするかのような大きな溜息をついた。
「────早く出ていけ」
「……分かりました」
お互い良くない雰囲気を感じ取ったので手早く部屋を後にする。あの部屋で何が起こるのかは分からないし知りたくもない。今はただ、どうしようもない黒い心をどうにかしたい。
「……九十九さん?」
途中で湊君にすれ違ったがそれどころではない。
「……悪い、今は取り込み中だ」
最低限の言葉を残し更生センターを後にする。見上げた空はどこまでも曇っていたが、俺の心よりは幾分か綺麗だった。
翌日、湊君から今度こそ19班のメンバーとして協力欲しいと頼まれたので、売り言葉に買い言葉で快諾した。絵は描けないが作画のアドバイスや、青藍島的語彙力を見せて差し上げるとしよう。早速PCルームの扉を開き────
「こんばんは九十九さん全裸マンさん、遅いですよ!!」
とても元気そうだった。最愛のお姉ちゃんと触れあえばこれぐらい元気になるのもおかしくないだろう。どうやら姉妹中の問題は俺の杞憂だった────
「あっ……ああ……ああぁぁぁ……っ!」
と思ったら急に泣き出した。遅効性お姉ちゃんロスが今になって発症したのだろうか。俺も妹が死んでからしばらくしてコレがやって来たからよく分かる。
「うわっ、こいつはどういう了簡だい……!?」
「どばどばしてんの、どっ、どうしたの……?」
遅れてやって来た組長と伊栖未ちゃんに事情を説明する。
「お姉ちゃんロスねえ……ホームシックの一種ってヤツかい?」
「そ、そういえば九十九さんは、ぃ、妹を、失ってるのか……」
「いや、多分昨日のアレが原因だと思います」
湊君曰く、彼女は俺が更生センターを出た後にソフィーヤ看守長から首を絞められたそうだ。姉妹間でそんなことが起こるのはそういうプレイをしているか、よほどの憎しみがある時だけだ。そしてソフィーヤ看守長は俺の性器を見ただけで怯む生娘だから、後者の方しかない。それなら俺の前で彼女の話をしなかったのに納得がいく。問題児の前でわざわざ嫌いな奴の話などしたくもないはずだ。
「……ノアとソフりんって姉妹だったんですか?」
「今更分かったのかい、坊?」
「話を聞いてれば何となく想像できる……」
残念な事に湊君の頭はそんなに良くない。それなのにあそこまでの作戦を作れるのは流石だと言わざるを得ない。青藍島で教育を受ければ、露出担当大臣として大いに活躍するだろう。皆で彼女を宥めて落ち着いた所で、俺は一つの目標を宣言する。
「姉妹間の仲をどうにかしよう。プログラミング担当がこの調子じゃゲームも真面に作れないだろうからね」
「オレもそれに賛成です。ノアには元気になってもらわないと困ります」
「紅林の嬢ちゃんのコネは馬鹿にできない。ゲーム制作に必要な物の仕入れは彼女担当だしな」
「そ、それにこの調子だと、何かしでかしそうで、すごく怖い……」
親愛が崩れた時の絶望感は人を容易く狂わせる。時に暴挙を引き起こし、時に死をもたらす。俺の人生で嫌というほど味わって、味わわせてしまった教訓だ。それによって一組の姉妹が永遠の別れを享受するのは絶対に避けなければならない。
その日の夜、たまには当直をやれとソフィーヤ看守長に言われたのでやってみた。ストーブに石炭をくべながら異常がないか見回りをするという、筋トレしながらでも簡単にできる仕事だった。
「余計な事はするな9924番。異常事態にすぐ対処できないぞ」
「それじゃあお喋りでもしませんかソフィーヤ看守長? 俺の事を知っておけば何かあった際に手綱を握れますよ?」
「……それは悪くないな。それじゃあ弱点でも喋ってもらおうか」
「実は俺のスマホには俺を暴走させる魔法の音声が入っています」
思わぬ発言に彼女が黙って瞬きを繰り返す。
「もちろん解除する音声も入っています。そして暴走を解除した後の俺はメチャクチャ弱いのでそこが狙い目です」
「……暴走中のお前はどう対処するんだ?」
「死に物狂いでどうにかするしかないですね」
言い換えれば対処法はないということだ。それを悟った彼女はいつものように大きな溜息をついて別の弱点を要求してきた。
「もっと対処しやすい奴で頼む」
「うーん……妹関連の話題になると怒りっぽくなる、とかはどうです?」
妹というワードに彼女がピクリと反応した。
「……お前には妹がいるのか?」
「正確にはいた、ですね。折角だからこの際に話しましょうか?」
「……そうだな。お前の弱点になるというなら、聞いておいても損はないだろうな」
まるでチャーシューを目の前に吊り下げられた畔のように食いついてくれた。まずは俺の妹事情を話してから、彼女とノアちゃんの関係を引き出すとしよう。