冷え入る夜の監獄で空気が凍るような話をするのだから、とチンチンのお湯を2つの湯飲みに注いで話を始める。
「俺には卵っていう妹がいましてね。卵のランです」
とりあえず卵の名前から紹介しないと始まらないので、空中に指でこう書くんですよと言いながら笑う。
「……精と卵か。さぞ馬鹿にされそうな名前だな」
実際故郷でも精子と卵子の兄妹とよく言われていたが、バカにしているというよりはそれを連想して当然みたいな感じだった。俺達兄妹も特に気にすることでもなかったので、ここは軽く流して話を続ける。
「妹は同性愛者、レズビアンだったんです」
「……なるほど、当時はあまり許容されるものではなかっただろうな」
彼女の言う通りで、青藍島も昔は同性愛に対して非生産的であると否定的だった。だからこそ俺は卵を認めてもらうために頑張り続けた。しかし、それ故に悲劇が起きた。正確には平行世界の俺の悲劇なのだが、それでも俺の悲劇であることに変わりはない。ただ、平行世界関連の話をするとややこしくなるので、あくまでこの世界の話として彼女に説明した。
「……と、俺は卵のためにやったことで卵から全てを奪ってしまったんです」
俺の話を聞いて、彼女は噛み潰した苦虫をほのかに温かいお湯で流し込んだ。
「……なるほどな。それで妹の話をされると後悔の念が押し寄せてしまうと」
「そうですね。もっと早く、卵が生きている間に同性愛を認めてもらいたかったと」
質問をさせる暇も与えずに卵の死の話をする。先の平行世界の話と辻褄が合うように、仲直りした後に交通事故で亡くなったという形で話した。
「……と、俺は卵との約束を果たす前に永遠に別れてしまったんです」
俺の話を聞いて、彼女は薬缶からお湯を補充して口に運ぼうとしたが、その口を開くことができずに湯呑を机に置いた。
「…………弱点になるのも頷ける話だな。もっとも、その弱点を突こうとするヤツはどうしようもないクズだろうな」
恐らく彼女がこの話題に触れることは当面ないだろう。
俺の話が終わったので今度は彼女から聞き出す番だ。
「さっ、今度はソフィーヤ看守長の番ですよ」
彼女は嫌そうな顔をしながらも、お湯を口に含んで舌を回す準備をしてくれた。
「……お前も知っている通り、落盤事故でのおもらしとつくもん発言────」
「違いますよ。
ある程度予想はしていただろうが実際に来るとは思っていなかった、と言わんばかりに彼女の湯飲みからお湯が零れる。
「……誰から聞いた?」
「ある程度推理してから紅林ちゃん本人から確認を取りました」
「どこまで話した?」
「あなたを好きだということ、看守を辞めさせたがっているということ、ですかね」
「……それだけしか聞いていないからこの話をしているんだな」
「
彼女は勢いよくお湯を飲み干して席を立った。
「これ以上話すことはない、見回りに戻れ9924番────」
「逃げたら紅林ちゃんは追いかけてきますよ」
彼女の目がピクピクと震えだした。恐らくここが正念場になるだろう。俺はさらに追い打ちを仕掛けることにした。
「彼女のあなたへの愛、いや、執着ははっきり言って異常です。俺がかつて卵にそうしたかのように、周りを全く見ないで捧げています。それを遠ざけて跳ね返し続ける限り彼女は同じ事を繰り返します。だからどこかで真正面から受け止めないと────」
「お前に何が分かる!」
ドンと机を叩きつけながら彼女が怒鳴る。すぐに監獄の静寂が襲ってきたが、それを押し返すように俺は言葉を続ける。
「言ってくれないので分かりようがありません。俺はあなたに言ったから分かってもらえました」
「ならばお望み通り言ってやるよ! アイツはなあ……
彼女は子供の頃から両親とあまり関わらないで育ってきており、その中で生まれた紅林ちゃんをお姉ちゃんとして大切に育てた。紅林ちゃんは彼女よりも優秀で両親も紅林ちゃんにばかりかまけていたそうだが、それでも彼女は紅林ちゃんに愛を持って接していた。そして彼女も憧れの演劇の学校に入って夢をかなえようとしていた。しかし、そこに紅林ちゃんが現れて役を奪ってしまった。
「……可哀そうだとは思いますが、それが現実ってものじゃないですか?」
「私もそれだけならまだ許せたさ……! だがな……! アイツは私が学校を辞めて一人暮らしを始めたら……学校を辞めてでも私を追ってきたんだ!」
なんと紅林ちゃんは彼女に会うためだけに演劇の学校を辞めたのだ。それによって彼女は全てを諦めて人生を送り、ボランティアで知った非行少年・少女の社会復帰を切っ掛けに刑務官になった。しかし、その刑務所にすら紅林ちゃんがやって来たのだ。
「なんでなんだよ……! アイツには私よりもはるかに優れた才能がある……! なのに……! なんで私の邪魔をするんだ……!」
俺は彼女の絶望に共感できなかった。そこまで深い絶望を味わったことが無いのに、軽々しく分かるなどと言いたくないからだ。それでも、この話で分かることが1つだけあった。
「……ソフィーヤ看守長が好きだからですよ」
「お前は好きな人の人生を邪魔するのが愛情表現だとでも言うのか!?」
「結果はそうなってしまっていますけど、動機はそれしかないと思いますよ」
話を聞くに紅林ちゃんも両親とまともに関われなかったはずだ。そんな中で自分を可愛がって育ててくれた唯一の存在なのだから、ありとあらゆる手段を使ってでも一緒にいたいと思うだろう。俺だって俺を救ってくれた礼に対してそれに似た感情を持っていたから分かる。
「……悪気はないんです。少しぐらいは認めてあげても────」
「じゃあお前は許せるのか!? 自分から何もかもを奪った奴が! あなたが好きだからとただその一言だけしか言わなくても! その言葉だけで今まで奪われた全てを埋められるのか!?」
彼女の心の底からの叫びに俺は瞬時に言葉が出なかった。俺から全てを奪った存在、言い換えればば卵を奪った存在か俺の家族を奪う存在。後者は想像できないが、前者は青藍島民とあの事故を起こした人間。もしそいつらが俺の事が好きだからそうしたと言ったら、俺はそいつらを半殺し以上にはするだろう。だから俺の答えは────
「……許せないです」
「そうだろう! これで許せると言ったらお前は異常者────」
「許せないから正面から立ち向かいます」
「なんだと……!?」
許せなくて認められない存在から逃げた所で根本的な解決になるとは限らない。むしろ時間経過で悪化する可能性すらある。ならば早々に正面衝突を起こして無理やり解決するか、どうしようもなくなる程悪化させた方が手っ取り早い。彼女はそれを避けてきたからこうなってしまった、というのが俺の考えだ。
「
「ッ……!?」
想像もしていなかった言葉に彼女の勢いが止まる。
「お前はアイツに辞めさせるように頼まれたんじゃないのか……!?」
「頼まれていたとしても今のあなたの話を聞いたら気が変わって同じことを言っているでしょう。それで……どうしますか?」
彼女は一瞬だけ目を逸らして、自身の右手を見つめた。
「……万が一に備えていつでも私を止められるように近くに居てほしい」
「……差し支えなければ事情を教えてもらっても?」
彼女は犯人が自白するかのように重々しく話を始めた。
「私はこの手で……囚人を殺しかけたことがある」
彼女には初めて担当した受刑者、十亀という囚人がいた。その囚人は仮釈放されて真っ当に人生を歩もうとしたが、悪い宗教集団の人間に唆されて再び悪事に手を染めかけた。しかし、ソフィーヤ看守長との『二度と犯罪に手を染めない』という約束を守るために自らその命を絶った。これだけでも十分な悲劇だがこれは始まりに過ぎない。
「……次に私が担当したのはその宗教集団の主犯、加藤という囚人だ」
自分が更生させた人間を唆して死に追いやった人物と会う。これだけで殺しかける事件に発展してもおかしくなかった。でも、彼女は十亀との『立派な刑務官になる』という約束を守るために、何とかその加藤にも更生を促した。しかし、彼女の努力空しく、加藤は看守を人質に取って交渉するという暴挙に出た。そこで彼女は加藤という囚人を警棒で撲殺しかけたのだ。
「……恐ろしかった。衝動のままに行動し、それに興奮していたことが」
「……人間として当然ですよ。俺だったら強すぎて殺しちゃってますけどね」
かもな、と力なく笑う彼女はとてもあの冷血なソフィーヤ看守長と同じとは思えなかった。
「……ノアを殺そうとしたことがある」
彼女が紅林ちゃんに役を奪われたその日、紅林ちゃんからお祝いをして欲しいと言われた時にそうしようと思ったらしい。
「思うだけなら自由ですよ」
「アイツがグレープフルーツを切っていたからできなかっただけだ」
凶器がなければ犯行は出来ないと彼女は言いたかったのだろうが、俺としてはそれだけではないような気がした。
「……本当にそうですか?」
「刃物がなければ人は殺せないだろう?」
「別に刺殺じゃなくてもいいじゃないですか。絞殺、撲殺、毒殺……俺の担当工房には顔面騎乗で窒息死させた奴もいます。要は殺し方はいっぱいあるんですよ」
「……何が言いたい?」
「本当は迷ったんじゃないんですか? 本当に殺していいかどうか」
「……あの時は刺し殺すとしか考えていなかったんだ、激情に駆られた人間はまともな判断ができないからな」
冷めきったお湯を飲んで彼女の意見を受け入れ、一言アドバイスを送る。
「……あなたは良い人です」
「私が醜い人間だと思わないのか?」
「あの冷たさは囚人達に罪の反省を促すためですよね」
「効果が出ているとは思えんがな」
「報われるまでやり続ければ報われますよ。俺がいい例です。悪人である俺が報われて善人であるあなたが報われない訳がない。だったら俺があなたが報われるように何かします」
「……問題行動だけは起こすなよ」
俺の言葉は少しでもでも彼女の励ましになっただろうか。いつもに増して死んだような目をして、それでも目から一筋の雫を流してたから、俺にはよく分からなかった。
いつの間にか当直の終わりの時間になっていたので、彼女に頭を下げて礼を言う。
「今日は色々話してくれてありがとうございました。おかげでソフィーヤ看守長の事を知れて良かったです」
「……お前は不思議な奴だ。どう考えても真面じゃないのに、不思議と心を開いてしまう」
「同じ金髪だからじゃないですかね」
「……そのセンスの悪さが人間味を出しているのかもな」
部屋を後にする直前、俺は彼女に一つの提案をした。
「明日からはソフィーヤ看守長の看守補佐になった方が良いですかね?」
「そうだな。お前なら私を止めることができるだろう。しばらく同行を願いたい」
「任せてください。言っておきますけど、俺は既婚者なので好きになっても報われませんよ?」
「……フッ、そうか。それは残念だな」
「でも体を求められたら応えちゃいますので────」
「良いから早く寝ろ」
怒られてしまったので足早に看守棟の自室に戻る。柔軟な研修のために俺の意思だけで囚人と看守補佐を切り替えられるようになったのは便利だ。明日からは彼女について回りながら、紅林ちゃんと仲直りするチャンスを作ることになる。
「……あの2人の仲を絶対に守ってやる」
俺は自他ともに認めるシスコンだ。妹とあれば、他人様の妹であろうとお節介焼きになるのだ。