組長曰く、薬が抜けるのには1ヶ月ほど摂取を断てばいいらしい。ならばソフィーヤ看守長には1ヵ月程強制的に休んでもらうだけだ。俺は湊君と結託して所長にとある申し出をした。
「ボクシング大会……?」
「ええ。たまには囚人看守混同で運動すれば心身に良いでしょうから」
「それは分かりますが、何故ボクシングを?」
「オレが球技苦手だからです」
意外な理由に少し呆れていたが、条件を満たせば可能であるとも言ってくれた。その条件は所長及び看守5名以上の許可、10名上の参加者、警備隊の監視下である。それなら容易いと俺は看守を、湊君は囚人を説得して人を集めた。その結果、総勢16名のトーナメントが開催されることになり、その中には今回のターゲットである彼女と紅林ちゃんもいる。そして俺のイカサマによって、勝ち上がっていけば2回戦目で俺と彼女が、3回戦目で彼女と紅林ちゃんが当たるような組み合わせになった。俺は紅林ちゃんにそっと耳打ちをする。
「俺が可能な限り彼女にダメージを与えておくから、君が止めを刺すんだ。俺が折ったら君から恨みを買いかねないからね」
「……分かりました。あの人の腕の骨1本は持っていきますよ」
「腕の骨を折るなら伸びきった所を狙うんだ。ストレートにアッパーを合わせる練習をした方が良い」
決着をつけるのはあくまで当人同士だ。今回の俺はそのための舞台装置に徹するとしよう。
迎えたボクシング大会当日。クソ森の選手宣誓によって始まった1試合は俺と波多江組三羽烏の1人の暴力担当花田だ。お互いリングに上がって軽く挨拶をする。
「金髪のゴリラと戦ったことはあるが……ハゲたゴリラとやるのははじめてだな」
「そういやあの時はお前さんと戦わなかったか……その胸、借りさせてもらうぞコラァ!」
ゴングと同時に花田が一気に近づいてラッシュを振るう。あの巨体から繰り出す拳は一撃でも喰らったらひとたまりもないだろう。しかし、いくら何でも大振りが過ぎる。構えを取るまでもなく、一歩も動くことなくスウェーと手だけでいなす。
「ふわぁ……スローすぎてあくびが出るぜ」
「くっ……! 一発ぐれぇ当たると思ったが……!」
「んじゃ、いい夢見ろよ」
伸びきった脇腹に鋭いボディーブローを差し込む。いくら筋肉で覆っても伸びて薄くなってしまえば意味はない。花田は短く息を吐いて膝を地面に着いた。
「がっ……! ば、バットで殴られたみてぇだ……!」
「おっ、耐えたか。もうちっと強くやっても良かったのか」
「こ、この上があんのか……!? 無理だ、勝てるわけがねぇ……! 降参だ……!」
こうして俺は難なく2回戦へと歩みを進めた。続く第2試合はソフィーヤ看守長とウィッグ工房の恐喝担当海神だ。
「あたしもつくづく運がないなぁ……初っ端から露助先生に当たっちまうとはよ」
「刑務官の前で不適切な言葉を使うとはな……どうやら身の程を教える必要があるな」
バチバチの舌戦のフライングを追うようにゴングが鳴る。彼女の身体能力はこのプリズン屈指のものだが、海神はどうだろうか。彼女の素早いジャブを放つ前から避け、逆にボディーに右拳を一発入れた。思わぬ展開に会場が沸き上がる。
「あたしは物心ついた時から武術を習っていてね。おかげで視線と筋肉の動きからある程度次の動きが読めるようになったんだ」
「なるほど。だが、一撃は大したことないな」
「生憎習っていたのは柔術でね。打撃は出来て基礎さ」
確かに海神の体のこなしは常人が見様見真似や一夜漬けで成しえるモノではない。しかし、空手家が相撲を取れないように、海神もボクシングでは本領発揮ができない。まして常日頃からこのプリズンという現場で実践を重ねてきた彼女には生半可な攻撃はダメージにならない。
「こりゃ千日手だな。判定勝ちを狙う────」
「いや、その必要はない」
彼女が目を閉じてファイティングポーズで固まった。
「……なるほど。こりゃ読めないな……」
「私も剣道を習っていてな。心眼なら多少の心得がある」
彼女がじりじりとすり足で迫り、海神をコーナーに追い詰めた。
「……四の五の言うぐらいなら一か八かだ。南無三」
海神の右ストレートが空しく空を切り、その腹部に強烈な右ボディーブローがめり込む。吹っ飛ばされた海神がコーナーポストに叩きつけられ、反動の勢いそのままにばたりと倒れた。
「……受け身を取ってこれか……へへっ、敵うわけねえや……」
「立ち上がったら何カウントで目が覚めるか保証できなくなるぞ」
無事彼女が勝利した。続く3試合目は紅林ちゃんと懲罰房帰りのジョッキーだ。
「確かお前は……私の盗撮に気付いては見せつけるように排泄していた奴ですね」
「あなたが撮っていてくれたんですか!? おかげでとってもいい経験ができました! ありがとうございます!」
ゴングが鳴ると同時に紅林ちゃんのアッパーがジョッキーのボディにぶち込まれる。
「対戦ありがとうございました」
「も゛っ……へぇぁ……」
ジョッキーが恍惚の表情で大小を漏らして秒で決着がついた。後は次のニュプノクスと小沢の試合だけ見てソフィーヤ看守との戦いに備えるとしよう。
「ふわぁ……何か劣化版狂人先生みたいな人ます……」
「テ、テメェ! 言うに事欠いてそれりゃねえだろ!? 俺は『波多江の強肩』だぞ……!?」
「ふわぁ……だったら僕は────『死の指揮を行う者』ます」
そんなこと言ってたかと首をかしげて思い出す。そもそも『ニュプノクス』が奴の二つ名で、『死の指揮を行う者』なんて仰々しいものは記憶にない。ゴングが鳴って小沢のジャブがニュプノクスの顔に────当たる直前でニュプノクスの身体が瞬時に小沢の腰より低い位置に下がった。あんな動きは常人には不可能だ。
「は……?」
小沢目線になって見ればニュプノクスがいきなり消えたのだから驚くのも無理はない。だが、試合の最中に隙を見せたらそこでゲームセットに直結する。まして相手が常人でないならなおさらだ。ニュプノクスの拳が固く握り締められる。
「────死の指揮を刻むがいいます」
いつものぽわぽわした声からは想像できない程冷徹な声と共に小沢の身体が宙に浮いた。ニュプノクスが放った鯉の滝登りのようなアッパーが決まって────
「ッ!? なんだあの眼……!?」
見開いていたから見えたニュプノクスの両眼は、黒目が赤で白目が緑、黄色で青紫、橙色で青緑、とにかく補色関係になるように目まぐるしく変わっていた。
「僕の名前は
ニュプノクスの過去はK.Oのゴングに消えた。それと同時にその瞳が瞼に隠され、ニュプノクスはいつものように大きなあくびを1つしてリングを降りた。
ソフィーヤ看守長の対策よりも気になる出来事ができてしまったため、リングを降りてきたニュプノクスに駆け寄って話しかける。
「お前のその眼……何があったんだ?」
彼女は珍しく顔をしかめながら渋々口を開いた。
「ふわぁ……僕の目は生まれつきこうだったらしいます。おかげで気味悪がられて親族たらいまわしの上、劣悪な児童施設行きになったます」
なんでもその施設では助成金目当てで子供をタコ部屋のように監禁していたらしい。そこでも眼を見せると気味悪がられたので、いつも眠そうにして目を細めて凌いでいたという。その恐怖は成長してても彼女から消えず、今でも平常時に眠たそうにしているとのことだ。彼女は溜息交じりにあくびをしながら肩を落とした。
「ふわぁ……でも一番の辛かったのはあの子を見捨ててしまったことます」
「あの子?」
「一番虐められてた子がいたます。笑ったら殴られ、泣いたら蹴られ、何もしなかったら包丁で切られたます」
子供にそんな仕打ちをする奴なんて死んでもらいたいものだ。そんな俺の憤怒を飛ばすように彼女がフッと笑う。
「だからあの爆破事件が起きてよかったと思っているます」
「爆破事件?」
「爆破事件が起きてその児童施設は閉鎖されたます。その子が爆弾を作って経営者を殺したます。その後、四色家の人に拾って育ててもらったます」
爆弾による殺人事件と聞いて何かがピンときた。このプリズンに爆弾関連で収監された人物がいる。俺は彼女に一つの可能性を提示した。
「もしかしたらその子に会えるかもしれない」
「……え?」
俺は驚いて固まっている彼女の腕を引いて観客席にいるとある黒髪の女囚に声をかけた。
「伊栖美ちゃん!」
「ぉ、九十九さん……ナイスファイト、だった……」
普通の囚人になっても相変わらずオドオドしている伊栖美ちゃんだ。俺は掴んでいる腕を引く────よりも早く彼女が伊栖美ちゃんの前に立って頭を下げた。
「あの時は本当に申し訳なかったます」
「えっ……?」
「あの時の僕は自分の身の安全のために君を見捨てたます。謝って許してもらえるとは思えないますけど、謝らないと気が済まないます」
「あ、え、だ、誰、だ……?」
「この眼を見れば分かると思うます」
彼女が目を開いて極彩補色の眼を見せる。それをみて伊栖美ちゃんが両手を口に当てて震えだした。
「あ、あの時の、眠たそうな子と、お、おんなじ眼だ……」
「……伊栖美ちゃん、本当にごめんなさいます」
「あ、だ、大丈夫、だよ……えと、君も大変だったはず、だから……」
伊栖美ちゃんがあの闇を宿した眼を見せる。目は口程に物を言ったらしく、言葉を交わすことなく抱き合った。
「伊栖美ちゃん、ありがとうます……伊栖美ちゃんのおかげで、僕は助かったます……」
「……こ、この眼を持ってよかったと思ったの、これで二回目だ……」
例え眼は人の常識で測れない代物であっても、その眼から流れる涙は人間である何よりもの証拠だ。
ひとしきり泣いた2人の頭を撫でて安心感を与える。
「ニュプノクスは後悔を晴らせて、伊栖美ちゃんは誰かを助けたことを実感できた……良かったな2人共」
「今日が一番狂人先生に感謝する日になると思うます。本当にありがとうます」
「私からも、ありがとう、ございます……時間があったら、にゅ、にゅぷのす? ちゃんと話したいます……あっ」
感極まって油断したのか伊栖美ちゃんに彼女の特徴的な語尾が伝染った。
「僕はニュプノクス……いや、四色沖奈というます。よろしくお願いするます」
「わ、私は文鐘伊栖美、だ……あ、い、伊栖美? い、イッツミー、だ……」
多少はマシになったとはいえ相変わらずガタガタな自己紹介だ。思わず彼女がとても楽しそうにあははと手を叩いて笑った。
「い、いい自己紹介ます……! こんなに笑ったのは久しぶります……!」
「ぅ、お、九十九さん……本当に、この自己紹介でいいの……?」
「いいと思うよ。伊栖美ちゃんならではの自己紹介だもん」
「そ、そお、か……んへへ……」
伊栖美ちゃんも幸せそうに笑った。この2人を見て俺は思いを押し留めて生きていく事は不可能だと悟った。どんな思いでどんな結末になろうと、どこかで面と向き合って伝えなければどうにもならない。改めてソフィーヤ看守長と紅林ちゃんを仲直りさせると心に決めた。