伊栖美ちゃんとニュプノクスと別れて控室である体育館倉庫でソフィーヤ看守長との試合の流れを考える。折角だからスマホで『ジ・エンターテイナー』を聞きながら考えよう。そもそも紅林ちゃんにつなげる必要があるため一方的な試合展開は望ましくない。そして彼女の戦い方が見えていないから迂闊に攻めるのは危険だ。ならラウンド1は受けに回って、ラウンド3で全力を出し切り、ファイナルラウンドで倒されるのがベストだ────コンコンコンとノックが響いたので、音楽を止めてスマホを机の上に置いてドアを開ける。
「…………」
先程盛大に漏らしていたジョッキーがぼーっと立っていた。何の用だと言ったら無言で一通の手紙を差し出された。
『ソフィーヤ看守長に負けろ。でなければお前の大切な物を奪う』
「……気をつけてください」
それだけ言い残して彼女は立ち去った。彼女はよく郵便屋さんになる人間のようだ。八百長の強要なんてよくありそうな話だが、こんなものが無くても犯人の思惑通りの試合になるケースは中々無いだろう。試合の流れが決まって暇だから、この無意味な脅迫状の犯人当てでもするとしよう。俺の知らない筆跡、特筆する事のない匂い、購入便箋を使えば手に入るような紙。犯人探しも無意味だったようだ。
「次の試合は九十九終看守補佐とソフィーヤ・シコレンコ看守長です。選手の方は会場にお越し下さい」
アナウンスが流れたので手紙を机の上に置いて会場に向か────スマホがない。さっき机の上に置いたような気がするのだが、無意識に別の所に置いたのだろうか。妙な不安が押し寄せてくるが、あの12桁のパスコードはそうそう突破できないはずだ。なら、紅林ちゃんに彼女を立ち直れないぐらいボコボコにしてしまうかもしれないと謝っておこう。
紅林ちゃんとの話を済ませ会場に躍りでる。この大会参加者の中で最強格の2人の試合なのか、薄ら寒いはずの体育館が顔をしかめる程の熱気に包まれていた。
「この勝負どっちが勝つと思う!? 俺は九十九さんに賭けるぜ!」
「いーや、最近のソフィーヤ看守長だったらやるかもしれねえぞ?」
「……私はどちらを応援したらいいか分からない」
「そういう時は応援したい方を応援すればいいぞ! 2人とも頑張れー!」
声援も半分半分と言った所だ。リングに上がって彼女と目線を合わせる。ここからは余計な不安は命取りになりかねないから捨てるとしよう。
「一度あなたとは本気でやり合って見たかったんですよ」
「奇遇だな、私もだ。HENTAI共の肩を持つ腐りきったキサマを叩きのめす機会がやって来た」
彼女の瞳には明確な憎しみが宿っていて、皮肉にもいつも以上に生き生きとしているように見えた。俺は熱烈なアプローチを余裕で受け止めてニヤリと笑う。
「あなたが身内に振ろうとしていた暴力……あなた自身が知れば二度とやろうと思わなくなるでしょうね」
「言っても分からないクズ共に言葉をかけるのは無駄だ」
「それは同感ですね。相手がそれだけのクズであればの話ですが」
ゴングが鳴り一気に彼女が迫る。牽制のジャブをスウェーで躱し────た先に右ストレートが飛んできた。右グローブで受けるが、容易く弾き飛ばされた。それを好機と捉えた彼女が一気にラッシュを叩き込む。想像とほぼ変わらないの連撃に防戦を強いられる。
「キサマは……! キサマは絶対に許さん……! 何でだ……! 何でキサマが……!」
一発ごとに憎しみが強くなる。俺が彼女の何を刺激しているのかが分からないが、誰かの憎しみを受け止めるのは得意だ。
「ここだ!」
見えたボディーブローを腹筋に力を込めて受け止める。常人なら動けなくなるような衝撃と痛みだが、様々な修羅場を潜り抜けてきた俺の動きを止めるには至らない。お返しと言わんばかりに彼女の顔にジャブを入れる。
「ぐっ……!」
入りが浅かったとはいえ彼女を怯ませるには十分だったようだ。連撃が綻んだ一瞬の隙で彼女と距離を取り試合を仕切り直す。受けに回りすぎると反撃に転じるのが難しいので、今度はこちらから攻めるとしよう。ピーカーブースタイル特有の頭と拳の振りで惑わしながらストレートを繰り出す。彼女のグローブとぶつかりスパアンといい音が響くが、彼女へのダメージには繋がっていない。
「これがお前の全力だとしたら……とんだ拍子抜けだな……!」
「こちとら40手前ですので……! 体が温まるのに時間がかかるんですよ……!」
ラウンド1が終わって一旦ポストに寄りかかって休む。まだ体が温まり切っていないのは事実だが、温まり切っても後の試合に響くようなダメージを残せるか不明なのも事実だ。もしここで俺が彼女を追い詰め切れなかった場合、紅林ちゃんが彼女の骨を折ることは不可能になる。そうなるぐらいなら俺が彼女の骨を折るべきか? 後で死ぬほど謝れば許してもらえるだろうか。ラウンド2開始のゴングが鳴り────
「お兄ちゃんは弱いよね?」
九十九さんの話では彼がお姉ちゃんにある程度ダメージを与え、私がお姉ちゃんの骨を折って決着という流れでした。ラウンド1で大きな動きを見せなかったのはお姉ちゃんの動きを見定めるためでしょう。ラウンド終了間際に反撃を見せたのでラウンド2はお姉ちゃんが打ちのめされるのを見なければなりません。とっても辛いです。
「お兄ちゃんは弱いよね?」
開始のゴングに紛れて聞き覚えのある弱々しい女性の声が聞こえたような気がしました。再びお姉ちゃんが距離を詰めて────その顔に彼の右拳が叩き込まれていました。早すぎて打った瞬間が見えませんでした。顔から離れた右拳には赤い液体がてらりと付いていて、お姉ちゃんの鼻からも同じ赤い液体が流れていました。
「……迂闊だったか。だが次はそうも────」
「あおおおおおおん!!!」
彼が空気を引き裂くような雄たけびを上げて右拳を振り下ろし、お姉ちゃんはそれを避けて────ドオンという音と共にリングが一瞬だけ傾きました。彼の拳がリングに当たったせいです。人間にあんな力が出せるのでしょうか。
「……どうやら本気になったようだな」
「うばっしゃあああ!!!」
「威勢だけは達者だ────-」
お姉ちゃんは両腕で1発の右ストレートを受け止めました。それだけのはずなのに、私近くのコーナーまで吹っ飛ばされ追い詰められました。
「ッ!? なんだこの威力は……!?」
「どっごらあああ!!!」
そしてお姉ちゃんを追い詰めた彼が容赦なく拳の豪雨を降らせました。バカな観客は大盛り上がりしていますが、このままだとお姉ちゃんが────向こうのコーナーで何かが光り、その直後にお姉ちゃんが彼の胸を殴って飛ばしました。
「ふーっ、ふーっ……!」
ちらりと見えたお姉ちゃんの横顔はいつもの死んだような顔ではなく、怒りや憎しみといった負の感情で開き切った瞳孔と食いしばった歯を固めたような顔でした。そこから2人はノーガードの殴り合いになりました。どこを打たれても怯まず、何を放っても止まらない、試合というよりは殺し合いのような展開です。流石にまずいと思ったのか特別警備隊が止めに入りました。
「ばるるるううう!!!」
「だああああああ!!!」
しかし、もはや暴走してると言っても過言でない最強格の2人を止める事は出来ませんでした。銃を構えても放つ前に止められる始末です。どうしよう。このままだとお姉ちゃんが。どうしようどうしようどうしよう────
「落ち着くんだノア!」
「────っ」
全裸マンの声によって思考が空白になりました。
「あれは九十九さんの作戦だ。異常なソフりんに対抗するためには自分も異常になるしかないと判断したんだ。そしてそれをノアが止める……これが九十九さんの考えた作戦だと思う」
それを聞いてあることを思い出しました。試合が始まる前に九十九さんが妙な事を言っていたのです。
「紅林ちゃん……もしかしたらこの試合でヤバい事が起こるかもしれない」
「何ですか急に?」
「確信が持てないから推測に留まるけど……もしヤバくなったら何を使っても良いから止めてくれ」
「何が起こるんですか?」
「……不俱戴天の怒り、かな」
先程聞こえたのは前に聞いた『不俱戴天』の声と同じでした。何故かは知りませんが、彼はそれを利用されるかもしれないと予測したのでしょう。そして予測が当たったら暴走して、自分ではどうしようもなくなるから私を頼った。これが真実でしょう。この事を全裸マンに話し、私は当てがあると提案しました。
「わざわざあんな音声をPCに入れたのは私達にも使えるようにするためですよ」
駆け足でPCルームに行き備品にあったポータブルミュージックプレイヤーに『不俱戴天』という音声ファイルをダインロードして、会場に戻って最大音量で再生しました。
「お兄ちゃんは弱いよね?」
「っ! るぐああああああ!!!」
あの声を聞いて彼はさらに凶暴に力を振りかざしました。再びお姉ちゃんがコーナーに追い詰められ、このままだと死者が出てもおかしくありません。
「お前は『金色の狂犬』だ!!!」
しかし、後に流れた音声を聞いて彼はピタリと止まりました。まるで彼に憑いていた何かが払われた様でした。
「……今……俺は……」
「うおおおおお!!!」
お姉ちゃんが全力で右拳を握るのを見て、私は仕上げに入るべくお姉ちゃんのいるコーナーに向かって走りだしました。お姉ちゃんの綺麗なフォームから放たれた右ストレートが彼の胸を捕らえ、私はその伸びきった右脚を目がけて思いっきりジャンピングアッパーを放ちました。
「いっだぁあああああああああ!!!?」
ボギリと痛々しい音とお姉ちゃんの素晴らしい悲鳴が響いて、私達の作戦が成功したことを告げました。19班のメンバーは喜んで、彼はお姉ちゃんの肩を支えていました。
「……これで確信が持てたが……まずはこの失態の責任を取ってからだな」
「うぐっ、いだああっ! いだあぁぁぁぁぁぁっ!? なにこれ、なにこれ痛いいぃぃぃ!?」
「あー、骨折れてますねそれ。誰か担架持って来てくれー」
あのお姉ちゃんの一撃を喰らっておいて無事な彼は、果たして人間なのでしょうか。