囚人になって山城と合流し我妻の教誨に向かう。道中の彼女は気が気じゃないと言った感じで、いつも以上にオドオドしていた。
「……なんで私がシスターの内通者だと分かったんですか……?」
「凛から手紙を受け取っていた事とボクシング大会での脅迫状の件だ。前者だけだったら分からなかったが、あの脅迫状の後に俺のスマホが無くなったら答えだろ」
「……迂闊でしたね」
「いや、あの女からしてみたらそれも計算の内だろうな。お前の事は情報源というよりは招待状として考えていただろうな」
彼女の人の扱い方はかなりうまい。宗教家としての人心掌握は当然、看守長という立場で積んだ人材の割り振りが尋常ではない。能力はさほど高くないが人当たりの良い山城はおびき寄せる餌に、人間性は最悪だが俺の弱みを的確に指摘できる凛は引き留める浮きにした。そして見事に俺を釣り上げることに成功した。もっとも、釣り上げた所で望み通りの調理ができるとは限らないが。
「因みに我妻関連でお前を糾弾するつもりはない。別にお前自身はそれしかやってないからな」
「……これからとんでもない形で裏切るとしてもですか?」
「お前の腕で俺を絶望させるほどの裏切りができたら大したもんだよ」
話している内についた教誨室の扉を開く。ここから先は彼女をボスとする教徒の群れのテリトリーで、迷える子羊の皮を被ったぐらいでどうにかできたら儲けものだ。
扉の先は相変わらず別世界のような神聖さを放っていて、以前よりも明らかに京都の数が多くなっていた。
「……ん? アイツらは……」
俺の目についたのはハゲたゴリラ、インテリ眼鏡、食道のおばちゃんからなる波多江組三羽烏だ。仁義と神は関係ないから極道は教誨に行ってはいけない、なんてことはないのだろう。むしろ反社会的勢力として思う所があるから意外とお世話になるのかもしれない。そんなことを思っている内に目的の人物が奥の教壇から降りてきた。
「はぁい、みなさーん、こんばんはぁ」
声こそゆったりとしているが、立ち振る舞いには微塵も隙が無い。元より暴力に訴えるつもりはないが、暴力でどうこうできるような相手ではなさそうだ。
「では今日も神の教えを学んでいきましょうねぇ」
そこからはパッフンーだのカヌルーだのよく分からない単語ばかりの薄っぺらな座学もとい立学が始まった。ここで真面目に聞いていたら彼女に飲まれかねないので、四色直伝の薄目開きとあくびで乗り切るとしよう。やっと教誨が終わって教徒たちが帰る頃、俺は机に突っ伏して彼女が近づいてくるのを待っていた。
「……あらぁ? 今日の話は簡単な物にしたはずなんですけどねぇ……?」
コツコツとわざとらしく靴の音を響かせて彼女がやって来た。なので俺も大袈裟なあくびをしてムクリと起き上がった。
「大人が小学校の算数をやってもつまらないでしょう?」
「それはそうかもしれませんねえ。でも、道徳の授業だったら身のためになると思いませんか?」
舌戦は向こうに分があると考えてよさそうだ。下手な失言をする前に本題に入るとしよう。
「今日はあなたに相談したいことがあって来たんです。その相談の答えであなたが信頼できるかどうか判断してから、教えを考えたいんです」
すると彼女はとても嬉しそうに笑って懺悔室の前に立った。流石に今回は懺悔する側に入る。
「まさかあの九十九さんが私なんかに相談してくれるなんて……まるで夢見たいです」
「私がシスターに悩みを聞いてもらうのがそんなに変な事でしょうか?」
「そんなことはありませんよ? ただ、急に相談してくるなんて、何かとんでもないお悩みなのではないかと思ってしまいまして」
ここは下手に隠すと隠したという事実につけ込まれかねないので本気の悩みを話す。
「……このプリズンに来た理由なんですけど、自分がよく分からなくなって来たんです」
俺は今までの人生とここに来た経歴を包み隠さずに話した。すると彼女からひっくひっくと泣き声が聞こえてきた。
「自己研鑽で来たとは聞いていましたが……裏にはそんな事情があったんですね……とても辛かったでしょう……」
なんだこの女は。確かに俺の人生は一般的な人間から見たら悲惨な物なのかもしれないが、人間は一度失墜させようとした人間に対してここまで涙を流せるものなのか。その不気味さに気圧されまいと話を進める。
「その中で幸せとは何なのかがよく分からくなる日もあって……シスターの意見を聞きたくなりました」
「もちろんいいですよぉ……私なんかの話で九十九さんのお悩みが少しでも和らぐならいくらでも話しますよぉ……」
いつの間にか彼女の泣き声は聞こえなくなっていた。そして彼女は一呼吸おいてから話を始めた。
「……私ねぇ、12歳の誕生日に、仲の良かった女中からプレゼントをもらったことがあるんですよぉ」
それが幸せでしたとか言う人だったら簡単だが、どう考えてもそんな人ではない。
「若い女の人でしたぁ。埼玉県出身っていってたかなぁ? その人、とても精神的に不安定な方で」
確か礼の出身地も埼玉県だった。いつだかお土産にもらった草加せんべいを貰って、そうかそうかと適当にあしらったら背中を蹴られたのはいい思い出だ。
「見えるはずのないものを見たと言ったり、自分の食事に毒が盛られていると言ったり、食品メーカーにクレームの電話を百回以上入れたり、通行人を怒鳴りつけたり────」
「『秘密の地下組織の人間が自分を攫いに来るんだ』って迷惑行為や暴力行為を繰り返した。そして金に困ったから長女を青藍島に売った……合ってます?」
俺はシスターの話に聞き覚えがあったから先が分かった。
「あら……ご知り合いの方でしたか?」
「ご知り合いも何も俺の奥さんの母さんの話です……あまりいい話じゃないから一回だけって話してくれたからよく覚えています」
あの時の礼の闇は今になっても晴らせていない。むしろ俺が血迷っているせいで────いや、今はそんなことを考えている場合ではない。
「あらあら……でしたらよかったですね。その人は私の投薬によってよくなりましたよ。あの諸症状は脳の疾患によるものですから」
統合失調症だから適切な薬を投与すればよくなるのは事実だ。
「
しかし統合失調症は寛解するまでに1~2年はかかり、再発防止も考えたら数年単位の長期に及ぶ。それを一個人でやるとしたら間違いなく真っ当な方法ではないだろう。それでもシスターは自分に何の罪もないと言わんばかりに優しい声で話を続けた。
「その人は最後に笑顔で言っていましたよぉ? 『あのままだったら子供たちをもっと傷つけていたかもしれない。ありがとう』……って」
「……その顛末が脳天にライオット弾を喰らって、記憶を失う羽目になったとしてもですか?」
「ですがそのおかげで辛い現実を忘れて、娘さんも良い家庭を築いているじゃないですか?」
その言葉を聞いた瞬間、神はいないと心の底から思った。
「……九十九さんと話して私は改めて思いました。本人の幸せなんて所詮自分には決めることは出来ないのだと。決定するのは環境と……それを作り出した世界なのだと」
幸せをそう捉えることができれば俺も苦労はしなかっただろう。だが、俺にとっての幸せの解釈とは全く違う。俺は闇の中にある清らかで濁り切った瞳を見ながら話す。
「……シスターに何かを説くつもりではありませんが、俺の考えは違います。幸せとは"その人にとってやりたいようにやれること"だと思います。そうやって幸せになったのであればどんな顛末でも受け入れることができると思います」
「……面白い考え方ですね。是非とも神父様になってはいかがでしょうか?」
全く動じていない彼女の瞳に映る俺を見る。無意識のうちに歯を食いしばっていたようだ。自分への不甲斐なさか、それとも我妻樹里亜という人間、いや生命体の底の見えなさへの恐れか。ならば一度その底を見るためにこの身を落としてみよう。しかし、イカロスですら空から地に落ちただけで、地獄の底よりも深い所には落ちていない。だから落ちる前に一つだけ質問をする。
「……シスターは何をもって幸せと判断しますか?」
そうですねえと格子の向こうで彼女の口角が上がった。
「笑顔、ですかね。人間は幸せなら笑顔になるでしょう? だから、皆が笑顔になれたら幸せだと思います」
確かに人間は笑顔を作るだけでセロトニンやドーパミン等の幸福物質を分泌して幸福感を得ることができる。しかし、それは"笑顔だから幸せ"と脳が錯覚しているだけであり、"幸せだから笑顔"になっているわけではない。俺の求める幸せとは根本的に違うようだ。
それでも彼女に近づいて真相を知るためにはそれに倣わないといけない。一つ深呼吸をして静かで確かな覚悟を決める。
「……ありがとうございます。しばらくシスターの下で神父をやってみようと思います」
格子の向こうでまあとわざとらしい驚きと喜びの声が上がる。
「まさか受け入れてもらえるなんて……! でしたらまずはこちらを読んでみてください……!」
隙間からスッと新品の教本が差し出される。以前、俺が向こうに入った時にはそんなものはなかった。つまり、彼女があらかじめ持っていた物で、俺の返答は想定内ということだ。手に取ってざっと読んでみる。神の教えがまとめられたありがちな教本だった。
「良い内容ですね。今すぐにでも読書感想文を書きたい気分です」
「気に入ってもらえたのなら何よりです……今日はもう遅いですから詳しい話はまた後日にしましょうか」
今日だけでかなり近づけた。下手に踏み込むと危ないのは言うまでもないので大人しく引き下がる。
「分かりました。今日はムヒッヒィピククンクサ」
「あら……勉強熱心なのは嬉しいですが、正しくはムヒヒッィですね」
ピピタミーミとして溶け込むのは簡単かもしれないが、俺の真のカルヌーを果たすのは難しいかもしれない。しばらくは身近にいる信者からこのドスケベ性教についてもっと情報を手に入れた方がよさそうだ。ただ、本人から聞き出す分に越したことはないので、去る前に一つだけ探りを入れる。
「どんなドスケベも受け入れるようですが……人に排泄を見せつけるという性癖も受け入れるんですか?」
「……そうですがどうしてそのような質問を?」
「……知り合いにそんな奴がいたので今度紹介しようかなあと」
「……山城ちゃんでしたらすでに大切なピピタミーミですよ」
「……そうでしたか。無駄な事をしなくてよかったです」
「……それでは、あなたにも主の導きがあらんことを」
そんな物は要らないが、今の俺は従順な神父見習いだ。それらしく返すとしよう。
「私が導く立場になるのではないでしょうか?」
「まあ……うふふ、そうでしたね……」
地獄の淵から離れて一息つく。同じ闇でも伊栖未ちゃんのとは大違いだ。伊栖未ちゃんのは認知できる闇だが、我妻樹里亜の闇は認知したくない代物だ。あの闇を認知し理解した時、まともな人間でいられる気がしない。
「……そうか。これが受け入れたくないって気持ちか」
俺は彼女を受け入れる気になれなかった以上、思っていたよりも器の小さな人間だったのかもしれない。
「相変わらずあなたは自分への評価を正しく下せないようですね」
背後から手向けられた声に振り返る。そこには巫女の服を着た花丸凛が立っていた。
「あなたは『金色の狂犬』である以前に一人の人間なんですよ? もう少し身の程を知ったらどうですか?」
「……俺には関わりたくないんじゃないのか?」
「あなたが神父になったら嫌でも関わるでしょうから腹をくくったんです。どうせ趣味の悪い金色のカソックやらアルバやらストラやらカズラで着飾るんでしょう?」
相変わらず彼女とは気が合わないようだ。それでも突き放しきれないのには事情がある。
「……蘭が悲しんでいたぞ」
蘭というのは彼女の姉だ。同じ血を引いているとは思えないほど優しく、ちょっとお人よし過ぎるぐらいしか欠点の無い姉だ。SS時代は度々彼女のやらかしをシメては蘭が謝るというのが日常茶飯事だった。
「な、何ですか急に……! 風俗で絶頂を迎えたオッサンの方がまだましなこと言いますよ……!?」
唐突に姉の話題を出されたのが相当驚きだったようだ。
「最近思い出したがお前も妹だからな。姉さんを泣かせるのは止めておけ」
「はあ……!? なんですか急に……!? シスコンをこじらせすぎましたか……!?」
「……かもな」
ソフィーヤ看守長と紅林ちゃんの件を終えて、兄弟姉妹関係に多感になっているのは事実だ。ただ、それだけではなく彼女からもある程度情報を引き出したいのもあった。
「まあ、これからは同じドスケベ性教に殉ずる者なんだ、仲良くやっていこうぜ」
握手でもしようと手を伸ばしたが、彼女は勢いよく俺の手をシパアンとはたいてきた。
「あなたと手を繋ぐなんて死んでも御免です。話が聞きたいなら小沢っていう囚人から聞くといいですよ。狂犬同士、話が合うんじゃないんですか?」
アイツは強肩で俺は狂犬だから違うのだが、巫女が直々に言うのだからそうなのだろう。軽く礼を言って房に戻る。
「…………どうもあの人といると調子が狂いますね……あの坊主のクソガキみたいでムカつきます……」