翌日の昼休憩、俺は凛に言われたとおりに小沢に我妻の宗教について聞いてみた。
「シスタージュリアの教えはなんつーか……こう、人本来の在り方を肯定してくれる感じでよ……」
「妻子持ちで体を交えてるお前からしたら宗教上の理由で禁欲とかしたくないだろうからな」
「それはオメェもだろうが……まあとにかく悪い教えではないって俺は思うな」
「んじゃあこの教本で一番面白かった所を言ってくれ」
「面白かったって言い方に合うかは分からねえが────」
「『チンを持つ者はマンに倒れる』……スマタイイ福音書第45章19節だろ?」
「分かってんなら何で聞いたんだよ……」
「未来の神父様なんでな」
「おっ、オメェが神父……!?」
教えに関しては自分で勉強した方がいいと判断できたので、そこからは教徒の特典を聞いていく事にした。しかし、シスターや巫女から助言を頂けるぐらいしか特徴的な物はなく、凛が言っていた面白い話が一向に出てこなかった。まあアイツの事だから俺への嫌がらせで言ったのだろう。ならば別の所から情報を集めるだけだ。
「色々話してくれてムヒヒッィピククンクサ」
「お、おう。こちらこそピククンクサ」
小沢と別れてこのプリズンの全ての情報が集まる場所に向かう。
グラウンドの人目につかない一角では、相変わらず釘谷さん紫煙を燻らせて昔ながらのイイ男感を醸し出している。
「釘谷さん、こんにちは」
「おっ、久しぶりじゃないか。こっちは『金色の狂犬』の情報で稼がせてもらってるよ」
俺が下のプリズン流の挨拶をして本題に入る。
「我妻看守長が関わっているプリズン内のイベントってありますか?」
「なるほど……それならお前さんの苦手な物を教えてもらおうか」
とりあえず酒と薬の類全般と答えたらもう一声欲しいなと言われた。多分憎むぐらいまでいっていいのだろうと判断し、子供を利用する人間と答えたら十分すぎると片目をつぶって笑ってくれた。
「月に一度行われる一等囚人による集会の責任者が彼女だ。プリズンの外に出て何かやってるらしいぞ」
9924番は優等囚人だが、囚人としては二級止まりだったはずだ。どうすればいいかを聞いてみると、いい答えを貰ったからサービスしないとなと快く教えてくれた。
「申請書がある。お前さんの名前を書いて、推薦してくれる看守長と看守を探して、そして水城所長の面接を突破すれば晴れて優等生の仲間入りだ」
看守長はソフィーヤ看守長に、そのほかの看守は山岸刑務官を筆頭に、水城所長は事情を話せば簡単に通してくれるだろう。その申請書がどこで手に入るかと聞いたら、お前さんなら看守として事務室から簡単に手に入れられるだろうと扱く亀っ頭な事を言われた。因みに釘谷さんから買うと50万するらしい。しかし、折角だからこのプリズンらしいこともしておきたい。
「なら釘谷さんから貰いたいですね。50万なんてすぐに引き出せますし」
「だったらお前さんの50万分の情報が欲しいね」
「なるほどそうきましたか……ちょっと待ってくださいね……」
口元に手を当てて考える。50万となったら相当な金額で、俺を1ヵ月間パシらせるよりも3割以上高い金額だ。となったらまだシスターにすら言っていない俺の懺悔をすればいいかもしれない。
「だったら俺が殺人をした話でも聞きますか?」
想定できる訳の無い発言に釘谷さんが煙草を落とすほど驚いていた。
「……お前さんの経歴にそんな物騒な物はないはずだが?」
「だって実行行為も結果も因果関係も故意もありませんからね」
「……それなら殺人とは言えないな」
構成要件を満たしていなければ犯罪は成立しない。情報屋の彼は法に詳しくてもおかしくはない。
「……だが、お前さんが嘘を吐いているようにも見えないな」
「どうしてですか?」
「……人を殺した人間の目をしているからだ」
彼の正確な年は分からないがそれなりに場数を踏んできているのだろう。ただ、今はそこに踏み入る必要はなく、俺の話をするべきだ。
「端的に言えば妹を事故から救えなかっただけです」
「……それだけかい?」
それだけならここで終わりだと煙草に火をつけたので、手でその火を消して遮る。
「……妹を助けると約束して、その約束を果たせないまま死なせてしまったんです」
卵のために青藍島に同性愛を認めさせようと努力をして、卵にいつか望む性行為ができるようにすると約束して、その最中で事故に遭って彼女を助けることができなかった。希望を与えておいて、それを奪った。それは最早俺が殺したと言っても過言ではないだろう。
「これを聞いたら誰しもが思うでしょう。"幼かったから仕方がない"、"事故のせいでであって君のせいではない"……誰しも差し障りの無い言葉で、いやこれが事実だと判決が下されるほどです。誰に頼んだわけでもなく許されて、誰もが誰も許容の心を見せて……それをほんの少しでも妹に向けていれば妹は苦しまなかったんですよ」
俺を慰めるぐらいなら卵を慰めて欲しかった。俺を認めるぐらいなら卵を認めてほしかった。未だに振り切れない憎しみが俺の心の中に残っている。思わず爪の跡が残るほど拳を強く握ってしまう。彼が止めなければ血が出る所だった。
「…………『金色の狂犬』なんて持て囃されてはいるが、お前さんも一人の人間ってことか」
「……ええ。悔しい事に。だから死のうとしたんですよ。昔の嫁さんに止められましたけどね」
「……惚気話はまた今度にしてくれ」
彼がこれ以上は聞きたくないと言いたげに煙草に火をつけた。話したいことは話せたので今度は止めない。上りゆく煙が追悼の線香のようにも見えたので、俺は目を瞑って故郷で眠る卵に黙祷を捧げた。
俺が切り出さないと話が進まなさそうなので話の評価額を聞く事にした。
「……どうです? 50万ぐらいの価値はある話はしたと思いますけど」
「……聞いておいてすまないが、俺ごときが価値を付けていい話じゃなかった。だから代わりに俺の過去を話すよ」
ふうとため息交じりに煙が吐き出され彼の過去が始まった。
「俺の罪状は殺しだ」
恋人を殺された復讐の衝動に駆られて2人殺し、情状酌量の余地ありと判断されて無期懲役の判決を喰らってここに来たという。
「お前さんの過去に比べたら大したものじゃないが、この話を知っている人はほとんどいない。まあ、こんな老いぼれの過去を知った所で何になるんだって話だがね」
「その人の過去を知らなければその人を理解することはできませんよ。現に夕顔刑務官は俺に過去を話さなかったせいで手綱を握り切れなかったんですから」
「お前さんの手綱を握れたらこのプリズンでの地位は揺るぎないものになるだろうな」
でしょうねと軽く笑って彼の目を見る。俺と同じく軽く笑っているように見えるが、その内には後悔や寂しさが垣間見えた。なのでここは神父見習いらしくいくとしよう。
「俺は釘谷さんを悪人だと思ってはいませんよ」
「人殺しが悪人でなかったらどんな奴が悪人になるんだ?」
これは俺の考えですがと一言断って説き始める。
「犯した罪で決めていいのは刑期であって、善悪まで決めていい訳じゃありません。もし罪で善悪が決まるなら、何かしらの罪を犯した段階で悪人の烙印が刻まれてしまいます。反省しても許されず、社会貢献をしても後ろ指を指される……それって良い訳ないじゃないですか。どんな行為がどんな犯罪になるかなんて六法全書にしか書いてないのに、その六法全書は義務教育に組み込まれていないんですよ」
「確かに歴史の授業をやるより刑法を学んだ方がよっぽど生活に使えそうだな」
そうそうと彼と目線を合わせながら頷く。
「何の拍子で罪を犯すか分からないのに、犯した瞬間に悪人という変えようのないカテゴリーに当てはめられる……そんなの理不尽というほかありません。だから俺は罪に対してどう向き合っているかで善悪を決めます。釘谷さんは一度でも俺は人殺しだと自慢したことはありますか?」
彼は静かに目を瞑って首を横に振った。
「後悔しない日は一日だってない。何十年と悪夢にうなされて、自分の悲鳴で起きる朝を迎えている……自業自得だ」
「自分の罪を真剣に受け止めているじゃないですか。そんな人間を悪人だと決めつける程俺は無慈悲な人間じゃありません。だから釘谷さんは悪人じゃないです」
俺の教えが少し響いたのか、彼は煙草の火を消してポケットにしまい込んだ。
「……少しは気が楽になったよ。これからはお前さんの前ではコレは止める」
「お気遣いピククンクサ」
俺の語録に反応して彼が眉をひそめた。
「……お前さん、いつからあの宗教に入ったんだ?」
「昨日からですよ。神父の席と滅茶苦茶格好いい金の礼服を用意してもらうつもりです」
「そいつは構わないが……今度は我妻看守長を倒すつもりか?」
「それは神のみぞ知る所ということで……では、釘谷さんにも主の導きがあらんことを」
「もう神父になったつもりか? それじゃあ、ありがたく受け取るとするよ未来の神父様」
今度は俺が上のプリズン流の挨拶をして彼と別れる。彼から得た情報を基に、早速9924番を一等囚人にしてもらう手続きを始めるとしよう。
所長室のドアに4回のノックを刻んでどうぞの声を聞いてから入る。
「失礼します。9924番九十九終です。一等囚人申請書を下さい」
何かしらの書類に目を通していた所長が引き出しを開けて一枚の紙を渡してきた。
「我妻看守長の懐に潜り込むつもりですね? いいでしょう。あなたほどに人間ならそうそう一等囚人の品位を落とすようなことはしないでしょうからね」
「ありがとうございます。では、失礼しました」
部屋を出るや否やソフィーヤ看守長や山岸刑務官及びその友達の看守から署名を貰う。これで必要な署名は集まったが、もう一押し欲しいので彼女から署名を貰うとしよう。グラウンドで遠くから隅っこにいる彼女を見つめている太田部ちゃんに声をかける。
「よう太田部ちゃん。あの節は世話になったな」
「九十九さん……ええ、どの節かは分かりませんがお世話しました」
実力はついても頭の方はまだまだのようだ。ふと太田部ちゃんから花の匂いがしてきたので尋ねてみる。
「ついに香水付けるお年頃になった? シャブルの45番?」
「香水……? いえ、特に何もしていませんが……」
そう言われても確かに優しい花の匂いがするので近付いてしっかり嗅いでみる。
「んー……これは香水じゃなくて自然な花の匂いだな……」
「あ、あの……一応周りに人が……」
周りの俺達を見ながら看守がひそひそと何か言っている。あんなのは勝手に言わせておけばいいので、太田部ちゃんに本題を聞こう。
「夕顔さんと話してきてもいい?」
「え……あ、ど、どうでしょう……最近話しかけてないから何とも……」
太田部ちゃんは彼女との付き合い方が分からないらしい。それじゃあお手本を見せてやるからと彼女に向かって歩き出す。
「どうも。お久しぶりですね夕顔刑務官」
「……ええ、お久しぶりね」
彼女は俺の方を向くことなく背中越しに言葉を返してきた。
「一等囚人になるための申請書に署名してほしいんですけど、お願いしてもいいですか?」
「なんで私があなたのためにそんなことをしなければならないのかしら?」
「我妻看守長の失墜が見られます」
その言葉でやっと彼女が振り返り、ふわっと舞い上がった髪から似つかわしくない花の匂いがした。
「あなたには私が人の不幸を喜ぶような人間に見えるのかしら?」
「そんな酷い人間だとは思っていませんよ。嫌いな人間の不幸を喜ぶのは人のサガでしょう?」
「……いいわ。私もアイツの事は気に入らなかったのよ。貸しなさい」
署名に夕顔葉月の名前が加わった。これなら問題なく所長との面接に辿り着けるだろう。
「ありがとうございます。お花の手入れ頑張ってくださいね」
「……何でそのことを?」
「太田部ちゃんと同じ花の匂いがしたからです。ほとんど同じでしたから、このプリズンのどこかに花畑があると考えるべきでしょう?」
「…………そう」
彼女は気に入らないと言いたげにそっぽを向いてしまった。今の彼女が何を思ってこのプリズンにいるのかは分からないが、少なくとも辞めるという選択を取るつもりはないのだろう。女の決意を知ったのなら必要以上に関わらずに見届けるべきだ。
「……あなたも『やりたいようにやる』を大切にしてくださいね」
ただ一言残して俺は所長室に向かった。