俺と凛によって事件は解決したかに思えたが、最後の最後に大一番が待っていた。それは電子ドラッグからの離脱症状が出始めた大量の囚人の相手だ。幸いウィッグ工房シスターズからは四色のみの被害だったが、病床使用率1200%超というヌき家も真っ青の過酷すぎる労働環境になった。
「有能な俺はフル稼働させろ! 犯罪行為じゃなきゃ何でもやるぜ!」
「狂犬先生はなるべく力仕事をお願いします! 私は症状チェックに行きます!」
「狂犬先生! 飯作るの手伝ってくれねえか! あたしと小沢だけじゃ足りねえ!」
動ける奴は身分関係なく動く非常事態だった。それでも俺が歩んだ修羅場に比べたら微笑ましいもので、数日もしたら一人の患者に集中して対応できるの時間が作れるようになった。それは看守としての俺の部屋にいるとある女性だ。俺はノックもしないで部屋に入る。
「失礼するぜ。そろそろ飯の時間だ」
「最近はご飯が楽しみなんですよねぇ。九十九さんが作るお料理はどれも食べやすくて美味しいんですよ」
今回の事件の首謀者である我妻樹里亜だ。
持ってきたチーズリゾットを彼女の口に運びながら一つ質問した。
「何でこんなことをしたんだ?」
「もぐもぐ……さぁ、何がしたかったんでしょうねぇ……? それが分かったら、ふふっ、もっと気楽に生きていいたのかもしれません」
実にあっけらかんとしているが、自分の目標を見失ったまま生き続けるなんて普通の人間には不可能な事だ。大なり小なり短期でも長期でも、目標があってこそ人は行動できる。俺自身がそういう人生を歩んできたから嫌でも実感してしまう。だからこそ俺は我妻樹里亜という人間が受け入れられなかった。でも、今なら少しだけ受け入れられるような気がするから、リゾットを机に置いて呟いた。
「……たった一週間とはいえあんたの近くにいたから、こうしたかったんじゃないかっていうのはなんとなくある」
「まあ……それじゃあ言ってもらえますか九十九さん?」
相変わらず何を考えているのか分からない、人とは思えない目と向き合って答える。
「あんたは……友達が欲しかったんじゃないか?」
「……続きを聞かせてもらえますか?」
少しだけ揺れたようなその瞳で求めている彼女に俺なりの答えを聞かせる。
「あんたのやってることはちぐはぐだった。宗教で同志を作ろうとしたかと思えば洗脳して従順な手下にした……その中で見つけたいものがあったんじゃないか? それは同志でありながら洗脳にかからない、言ってしまえば信頼できる人間だ。そんな人間を見つけて対等な関係になりたかった……こうだったら俺はあんたを受け入れられるかもな」
そうであってほしい。そうでなければ俺は────
「あはは……あはははあああああああああああ!!!!」
俺が今まで見てきた中で一番の恐怖を覚えるような大笑いだった。
「お、おかしくて吐いちゃいそうです! あはははろろろ」
本当に吐いたので咄嗟に両手で受け止める。俺が吐いた時と同じく生暖かくツンとした酸の臭いがするというのに、こうもかけ離れた存在なのか。ひとしきり笑い吐いた彼女が不気味に笑いながら、強いて例えるなら昆虫のような目で俺を見てきた。
「……大笑いさせてくれたお礼に言いましょう。私が九十九さんを神父に選んだのには別の理由があります。救世主を向かい入れるためです」
「……救世主?」
「ええ、ドスケベ性教の神セクロス様の権化である救世主……湊柊一郎を迎え入れるためです」
彼女曰く、湊君からかなりの信頼を受けている俺がドスケベ性教に勧誘すれば彼は来るとのことだ。可能性としてはなくないが、俺だったら絶対に来るなと言う────言わせないために家族を人質に取ろうとしたのかもしれない。実際は意味がなかったものの、普通の家族ならそれで十分通用する手だ。
「ですがあなたを引き入れてしまったばかりに失敗してしまいました。でしたら最初から彼を狙うべきでしたね」
何も悪びれることなく無邪気に笑う彼女は俺に一つの決心をさせた。
「……神父として救うべきはあんただったのかもしれないな」
後悔を拭い去るべく両手にある彼女の吐瀉物を一気に啜り上げる。微かに感じるチーズリゾットの味と鼻腔までくる刺す様な酸味が吐き気を催す。しかし、それでも無理やり飲み込んで胃に収める。喉が焼けるように痛いが、これが俺自身に科せる唯一の罰だから甘んじて受け入れる。彼女はまあと少しだけ驚いていた。
「そういう性癖もあったのですか?」
「小便を飲みたいと思ったことはあるがゲロを飲みたいと思ったことは一度もねえよ……二度と飲みたくねえ」
「でしたら何故飲んだのですか? 明らかに飲み物ではありませんでしたよ?」
「……同じ釜の飯を食った仲だったら分かり合えると思ってな」
「同じ釜の飯どころか同じ飯を食った仲になっちゃいますけどね」
「だからこれで俺とあんたは友達だ。願いが叶ってよかったな、我妻樹里亜」
一方的な友情を叩きつけて口と手を洗い、彼女の身の回りの物を交換していく。その間、彼女は何も言わずにただ俺を見ていた。
「んじゃ、他の奴の面倒も見なきゃいけないんでな。それと明日からは更生不能房に移って、山岸刑務官があんたの面倒を見るらしい。だからこれで俺と会うのは最後になるかもな」
「……本当ですか?」
「水城所長から聞いたから嘘じゃないと思うぜ」
それを聞いた彼女は今までに見たことない程嫌悪感を示した、とても人間らしい顔を見せた。最後の最後で良いものが見れたので部屋を出る準備をする。
「じゃあな我妻樹里亜。あんたの人生に限りない祝福があらんことを」
皮肉交じりの別れに十字を切って部屋を出る。
「……あなたの人生に限りない試練があらんことを」
扉越しに受けた友の激励に背中を押されて大忙しのプリズンに戻る。俺は少しぐらい彼女の救いになれたのだろうか。それこそ神のみぞ知る所だ。そして俺は大して神を信じていないから誰も知らないことになるだろう。
いくら業務が忙しいと言っても休息は必要だ。今回の事件の片棒を担いでいる俺としては質の良い休息を提供する責任がある。なので小沢に一言詰め寄って飯場を借りることにした。
「お前の家族も人質に取られていたんだってな?」
「お……俺は家族のために姐さんや柊一郎を裏切っちまったんだ……今更2人に合わせる顔が────」
「あの2人なら死ぬ気で謝れば許してくれるだろうよ。何だったら俺も謝らなきゃいけねえ。2人の負担を大きくしたのは間違いなく俺だからな。その詫びも兼ねて美味いもん作ろうぜ」
「つ、九十九ぉ……お前いい奴だなぁ……」
「今更かよ。ほら作るぞ。ピュアココアは貴重品だから溢したりするなよ」
ボウルに溶かした無塩バターと牛乳とピュアココアを入れてダマがなくなるまでよく混ぜる。その間に小沢に別のボウルで卵黄とグラニュー糖を白く持ったりするまでよく混ぜてもらう。2つの生地を混ぜ合わせ、そこに薄力粉を入れてさっくりと混ぜる。角が立つほどしっかり泡立てたメレンゲを加え、更に切るように混ぜて均一にする。後は型に入れて170℃で30分ほど焼けば完成だ。
「折角だしマグロの山かけ丼も作っていいか? たしか柊一郎のヤツは生魚が好きだったからよォ」
「この間逆茂木ちゃんが持ってきてたやつか。
「ソイツは違いねーや」
小沢が丼を作っている間に俺はホイップクリームを作り上げる。こうして食堂で2人の"キョウケン"による19班様貸し切りのささやかな食事会が開かれた。
「この度は俺達が皆様に迷惑をかけて本当にすみませんでしたぁ!」
「なので誠心誠意を込めておもてなします。まずは『山かけマグロ漬け丼~強肩振りかざす紅白の契り仕立て~』です」
海に囲まれた島で育った俺からしてみたら工夫を感じられる味ぐらいだったが、湊君曰く小沢の作ったものなら何でも美味しいらしい。色んな意味でシタが肥えると大変だなと思いながら、お待ちかねのデザートを取り出す。
「ということでデザートの『ガトーショコラ~狂犬嘶く黒白の贖罪仕立て~』です」
鋭角の扇形に切った生地にほぼ同量のホイップクリームが乗った豪華なガトーショコラだ。
「……この美味しさを表現できる語彙力がオレにない」
「めちゃウマじゃないですか! カフェでも開いたらどうですか!?」
「信じられねえぐらい美味いな……行く当てが無くなったら
「おぉ……! 私、こぉれ好きだ……!」
「これヤバイです! 後1ホールぐらい食べたいです!」
「んじゃあたしの分食うか? あたしにはちと重たすぎる」
「なら僕が貰うます……病み上がりの栄養補給には最高ますね」
ぬうっとやってきた四色が青柳のガトーショコラを頬張った。2時間前までベッドの上で寝ていたはずだが、随分と寝覚めがいい様だ。そんな四色に山城が詰め寄った。
「あーっ! 私の分のガトーショコラぁ! シノちゃん返してぇ!」
「んむんむ……じゃあ僕の分あげるます。ね、狂犬先生?」
「四色がそれでいいならいいがよ、お前ここにいていいのか山城?」
思い返せば山城は我妻の内通者だ。これといった被害は出していないが、多少我妻の心配をするべきではないのだろうか。俺の思惑に反して彼女は美味しそうに差し出されたガトーショコラを頬張った。
「私は元々我妻看守長の動向を伝える内通者でしたからぁ……うまうまぁ……二重スパイって奴ですぅ……サイコーですぅ……」
「誰に伝えてたんだ?」
「んぐ……情報屋である釘谷のオジサマですぅ……」
山城自身は相応の歳だから釘谷さんぐらいの男性が好みなのかもしれない。ただ、それだと不可解な点がある。
「何で俺が神父になったことを伝えなかったんだ? 俺から聞いて驚いていたぜ?」
「長続きしないだろうと思ったからですねぇ……夕顔看守長の特別警備隊も、ソフィーヤ看守長の専属看守補佐も長続きしませんでしたからぁ……あ、紅茶ありますかぁ?」
今回も僅か2週間足らずで神父を終えてしまった以上言い返せない。仕方ないから皆に熱め濃い目の紅茶を振舞って食事会をお開きにするとしよう。
消灯後、医務棟に行って樋口さんと偶々やってきたソフィーヤ看守長にもガトーショコラと紅茶を振舞った。
「いやこれすっごい美味しいね!? 高級店の味がするよ!?」
「お菓子作りまでこの技術力なのか……奥さんが羨ましいよ」
「ということで今回も比較的無事に終わって良かったという所ですかね」
「何が無事だ私たちは死ぬほど忙しいんだぞ?」
「でも、九十九くんがかなり手伝っているからだいぶ楽だよ。1人で百枚単位の書類を捌いちゃうもんね」
「おかげで眼精疲労が過去一でヤバいです。エナドリを滴眼薬にしたらよくなりませんかね?」
普通に飲みなさいと1本渡されたので片手で開けて一気に飲み干す。ケミカルな甘さと撃たれたような炭酸が口の中を染め上げる。
「いい飲みっぷりだねえ。よく飲んでるの?」
「飲み会の時に酒代わり飲むぐらいですかねえ。これでも十分盛り上がりますから」
「飲めないのか? だとしたら意外な弱点だな」
「最近はより弱くなりましてね。3%の350ml缶1本で出来上がるようになりました」
談笑の最中、今後がどうなるのかふと頭をよぎった。3人の看守長に試練を与え、後継者としては不適切だったということが判明した。しかし、これによってプリズンの正常化ができたかどうかは不明で、むしろより不安定な状態になったともいえるだろう。更なる試験があるのか、それとも研修修了となるのか。
「……ま、いっか。今はこの夜を楽しんで明日への英気を養うとしましょう」
「そうだそうだ! 今日はとことん飲むぞー!」
「……どうせ明日も死ぬほど働くんだ。楽しんだってそれは変わらないなら楽しんだ方がいいな」
明日は明日の風が吹く。明日の事は明日にならないと分からない。たまには全てを明日の自分にまかせてしまうのも悪くないだろう。コンとなる缶が今日という現実を忘れさせ、楽しい夢の時間へと変えていった。