今日は所長と大切な話をする日だ。オレはいつものようにダクトルートを通って所長室に行く。ようやく入室の仕方も身についてきたと褒められたのは嬉しいが、それよりもプリズン正常化のご褒美の件が気になってしまう。
「そうそう、あなたに見せたいものがあります」
そう言って彼女は俺に2枚の紙を見せた。
『誓約書 チューリップ・プリズン所長水城姫子様へ 私は囚人番号0720番を自らの手で更生不能房に送ることを誓約します。 看守補佐九十九終及びSHO治安管理委員会委員長土口精』
『誓約書 SHO治安管理委員会委員長土口精様へ 私は看守補佐である九十九終氏が囚人番号0720番を更生不能房へ送った場合に限り、10年以内に青藍島へのあらゆる規制を解除することを誓約します。チューリップ・プリズン所長水城姫子』
A4サイズの紙に文字と判子が堅苦しく並んでいたが、その意味が全く分からなかった。
「……何ですかコレ?」
「これは誓約書といって、簡単に言えば約束を交わしたことを証明する書類です」
「つまり九十九さんは俺を捕まえたら青藍島を元にしてもらう約束をしたということですか」
「そうです」
彼女の言葉を聞いても全く分からなかった。なぜ九十九さんは急にこんなことをしたのだろうか。
「九十九さんは何て言っていましたか?」
「確か『プリズンの特異点を排除する』と言っていました。彼のプリズンの正常化の最終工程、あるいは故郷への想いが友情に勝ったと言った所でしょうか」
俺の19班での制作活動は彼女からも認められているから特に問題ないはずだ。だとしたら後者の方があり得るか────
「詳しい事情は彼から直接聞いた方がいいでしょう。そして私からもあなたにプリズン正常化の最後の指令を出します────『チューリップ・プリズン矯正展』までに看守補佐九十九終を、いえ、『金色の狂犬』土口精をこのプリズンから排除して下さい」
それは今までの相手とは明らかに一線を画す、オレが生きていた中で最強の相手だった。
翌日、とりあえず所長からの指令を19班の皆に伝えた。
「むぅ、無理だ、おしまいだ……勝てる訳がない、ぞ……」
「正気ですか? あの人を排除しろだなんて、熊一頭倒す方がよっぽど楽ですよ」
「……アイツに勝てるヴィジョンが全く見えない。分が悪いなんてものじゃないぞ?」
「味方だと心強いが敵になると厄介の際たる例だな。今回ばかりはちと真っ向勝負はしたくねえ」
皆こんな調子だった。俺だって彼にどうやって挑んだら勝機があるか全く分からない。この場の全員の力を合わせてもどうすればいいか分からなかった。ただ、何もしなかったらいつか彼が準備を整えて攻め込んで来るだけなので、何か行動を起こす必要があった。
「……とりあえず九十九さん本人に聞いてみたいと思う」
「お前バカですか? 何でわざわざ捕まりに行くようなことをするんですか?」
「いや、今の九十九さんには俺を捕まえる気はないと思う」
もしその気ならとっくにこのPCルームに乗り込んで実力行使に出ているはずだ。それをしていないということは、九十九さんはまだ俺を捕まえる気ではないということだ。
「捕まえるだけの証拠がないのかまだ悩んでいるのか分からないけど……まだ交渉の余地はあると思う」
どうしたものかと作戦会議が行き詰まる。ゲームの様にボタンをポチポチ押せば進むようなものではない。
「……ゲーム?」
オレたちが作っているゲームはこのプリズンにしかない物で、オレたちがいなくなったら一生完成しない。
「……1つだけ思いついた」
それは正にオレたち19班にしかない、唯一無二の切り札だった。その日の内に俺は所長にゲームのデータを返して欲しいとお願いした。
「九十九さんを排除するのにどうしても必要なんです。返してもらえないでしょうか?」
彼女は最初からそのつもりだったと言わんばかりに、スッと淀みなく机の引き出しからメモリーを出してきた。
「……我妻看守長を無力化した段階で返すつもりでしたが、すっかり忘れていました。どうぞ」
彼女からオレたちの努力の結晶を受け取る。これがあれば九十九さんと交渉できるだけのゲームが作れるかもしれない。日が開けて早速以前協力してもらったウィッグ工房シスターズの方々に話をしようと思ったが、彼女達の方から19班にやってきた。
「この間の作業場変更から更新されてないので……」
「それに狂犬先生から19班を頼んだって言われてるんだ」
「極めつけに狂犬先生はウィッグ工房の担当刑務官を外されたます」
なんでも我妻の洗脳に加担した責任で2週間の謹慎処分が下されたらしい。我妻が悪いのではと思ったが、九十九さんがそれを受け入れたならオレがとやかく言うことではない。およそ一ヶ月ぶりにPCルームに新19班が揃う。再会の挨拶も程々にオレは宣言をする。
「九十九さんとの交渉の材料になりうるゲームを作るぞ」
ウィッグ工房シスターズのに事情を説明したが、しかしよぉと青柳さんが赤色のキノコみたいなウィッグを被りながら聞いてきた。
「何をどうやってゲームをネタにして交渉するんだ? 所長サマを超えるメリットを出さなきゃスタートラインにすら立てないぜ?」
「狂犬先生はサブカルにも許容的でしょうけど、ゲーム1つで動く人ではないと思いますよ?」
「昔に社会現象になるほどのゲームはあったますが、そのレベルのゲームを19班で作れるますか?」
確かにこのPCルームの設備ではそこまでハイクオリティなゲームは作れない。しかし、今回必要なのはゲームのクオリティそのものではない。
「九十九さんは……間違いなくHENTAIだ」
オレたちが作っているゲームはHENTAIの存在を受け入れてもらう、あるいは認めてもらうというのがテーマだ。青藍島生まれで青藍島を認めてもらおうとしている九十九さんは間違いなくHENTAIであり、オレたちのゲームを見れば共感してくれるはずだ。そうすればオレや19班に手を出そうとするのを止めてくれるかもしれない。
「そのゲームは
それを聞いて3人は手を叩いて笑い出した。
「きょ、狂犬先生のお墨付きの人なだけありますね……! そんなこと考えてもやりませんよ……!」
「コイツは傑作だ……! ウィッグ工房で自慰を許可された時と同じぐらいとんでもねえ話だ……!」
「ひっ、ひっ、ははっ、やばい、笑い死ぬます……! 助けて、伊栖未ちゃん……!」
そんなにひどい作戦だったのだろうか。この様子だと賛同してくれるかどうかも怪しい────
「ぜひとも私を参加させてください! 前回は我妻看守長のスパイだったのであまり楽しめませんでしたから!」
「だったらあたしも参加させてくれよ。絵を描くのも中々面白い事に気が付いたからな」
「ついでに僕も参加させて欲しいます。伊栖未ちゃんと一緒に居られるなら何だってやるますよ」
以外にも快諾だった。彼女達は九十九さんの下で鍛えられていて、即戦力になる優秀な存在なのでとてもありがたかった。こうしてできた新19班メンバー全員にリーダーとして指示を出す。
「九十九さんが帰って来ると同時にゲームを見せたい。だから……2週間で可能な限り完成に近づけるぞ」
「任せてください柊一郎。新入たちに後れを取るような私ではありませんよ」
「私はお前にもアイツにもノアの件で恩がある……それをしっかりと返させてもらうぞ」
「くつくつくつ……奴さんを唸らせる絵を描くなんて中々面白そうじゃねえか」
「こぉ、今度はハッピーエンドに向けてシナリオを書く、ぞ……! 頑張るぞ、沖ちゃん……!」
史上最大の試練を超えるべく、全員の心が1つになる。絶対にこのゲームを九十九さんに受け入れてもらうんだ。
そこからの1週間が経ち、オレたちの勢いは凄かった。
「ぜ、全員のヒロインのルートだけじゃなくて、グランドルートまで書けた……沖ちゃんはすごい、な」
「僕だけの力じゃないます。伊栖未が僕を信じてくれたからます。ありがとうます、伊栖未ちゃん」
伊栖未と四色さんが全てのルートのシナリオを書き上げた。
「初期のプログラミングとの接合もうまくいきましたね。山城さんが私の想像を超えてプログラミングができて助かりました」
「仕事上PC関連は得意でしたけど、紅林さんが教えてくれたおかげですよぉ」
ノアと山城さんが欲しい機能を全て作り上げた。
「キャラクターのイラストの差分もかなりの枚数になったな。しかしあたしの絵そっくりに仕上げるとはやるじゃねえか青柳」
「元より模倣は上手かったんだ。波多江さんの為とあればこの腕が動かなくなるまで描いてやるさ」
組長と青柳さんが魅力的なイラストをたくさん描いてくれた。後は声が追い付けばゲームは完成だ。
「……いや、私1人でやれる量じゃないだろ!? もう少しどうにかならないか!?」
ソフりんが嘆いている。試しにウィッグ工房シスターズの皆にやってもらったが、いまいち素人感が出てゲームにのめりこめなかった。
「もっと経験があってリアルな声を出せる奴なんてそうそういないだろうしなあ……」
「……いや、1人います」
「またお前ですか……まあ、巫女の仕事がなくなって暇だからいいですよ」
ということで青藍島出身でゲーム制作の経験がある花丸を連れてきた。
「これだから低学歴は……だから私は低学歴と差別が大っ嫌いなんですよ」
腹の底から苛立ちを覚えるような言い方で、ソフりんとは方向性の違う演技力だ。
「どうして凛さんは今回は19班側に協力するんですか? 私はてっきり狂犬先生と組むと思ったんですけど……」
山城の質問に花丸は長い髪をグシグシとかきながら答えた。
「アイツがとんでもない事を企んでいるそうじゃないですか。だったら邪魔してやりますよ。それと……まあ、個人的な事情があるとだけ」
相変わらずクソだなと思いつつ、しっかりとセリフを収録して貰う。これなら収録速度が大幅に上がり、期限までにゲームが完成するかもしれない。ついに俺達のゲームが形に────
「おや……山城さん、追加コンテンツのプログラミングなんていつ組んだんですか?」
「え? 紅林さんが組んだんじゃないんですか?」
「あ……お、沖ちゃん、この新しい女の子のシナリオは沖ちゃんが追加したの……?」
「いや? 僕は伊栖未ちゃんの断りなく勝手に追加はしないますよ?」
「ん……? なあ青柳、この緑髪の女の立ち絵は何だ? 明らかにあたしの描いた絵じゃないんだが……」
「どれだ? ……いや、これはあたしも知らないな。誰かが時間つぶしで描いんじゃないのか?」
なりつつあるのに僅かな影が差した。一体誰がこんなことをしたのか。真っ先に思い浮かんだのは花丸だ。早速壁に追い詰めて尋問を始める。
「お前だろ」
「やってませんよ……! 大体私がそんなことをして何のためになるんです……!?」
「裏で九十九さんと通じている。青藍島解放という見返りなら裏切りかねない」
「青藍島を出て本島で集金を行った私にそれは見返りとしては合いませんよ……!」
「誰しも故郷は大切なはずだ」
「あんな故郷に未練なんかある訳────」
「ソイツは関係ない。俺がやった」
それは露出中の雨の様に唐突だった。囚人服を着た九十九さんが割って入ってきたのだ。
場の雰囲気が一気に締まる。例えるならRPGで魔王がいきなりやってきたようなものだからだ。彼は軽く見渡して状況を確認して軽く笑った。
「俺も一応19班なんでね。DLCの部分を作らせてもらったよ。音声は俺のスマホで作った合成音声の予定だから収録しなくていいよ」
それは作業が減ってありがたいが、それよりも聞きたいことがあるから聞かないと。
「謹慎中じゃないんですか?」
「だから囚人としてきた」
「本気で俺を排除するつもりですか?」
「本気さ。誓約書はかなりの法的効力を持つ。俺が実行したら所長も実行しないといけなくなるからな」
「どうやって排除するつもりですか?」
「それはその時までのお楽しみさ。ただ、最終手段は暴力だってことだけは言っておくよ」
軽い口調だが嘘を言っているようには見えない。
「因みに今回は洗脳も人質も無しの俺の本心だ。止めるなら死ぬ気でかかってきな」
その眼は金色の炎が煌いたように輝いていた。彼にとってこの状況は青藍島解放の過程に過ぎないのだろうか。ただ俺もゲーム制作のために3人の看守長を乗り越えてきた。ならばここはいつものように宣言をするべきだろう。俺は九十九さんを右手で指差した。
「九十九さん。たとえあなたであろうとゲーム作りを邪魔するというなら────『物故ろしてやるぜ、ベイビー』」
俺の言葉を受けて彼は目を瞑って噛み締め、牙をむくようにギラリと笑った。
「なら湊君。たとえ君でも青藍島解放を邪魔するなら────『やりたいようにやらせてもらう』」
今ここにチューリップ・プリズン史上最大であろう戦争が始まった。