8-01 郷に挿入っては郷に舌あてがえ
「げろげろげろえろえろえろえろえろっ」
現在俺は監獄に向かう鈍色の船に揺られてゲロを吐いている。折角だからと食べた本島のホテルの朝食バイキングを腹十分目まで食べ、興奮と緊張によって見事に船酔いをしたからだ。着てきた普通のフォーマルスーツが汚れなくてよかった。
「お、嘔吐フェチにはなれそうもなろろろ」
何とか顔を上げて船の向かう先を見る。孤島に浮かぶ古びた要塞のようで、所々にある亀裂や割れた窓ガラスが壮絶な環境を物語っている。だというのに俺の心は不思議と高鳴っていた。元より過酷な環境に身を置かれて本領を発揮するような人間だからだろうか。口から酸っぱい息を吐き切り、手すりを歪める勢いで拳を握った。
「……待ってろよ青藍島の皆。ここで俺は本当の自分を探して確たる自信をろろろ」
とりあえず胃の中を空っぽにすることが先決だ。罪を吐いた結果が監獄行きであって監獄行きの途中で吐いていては世話がない。そもそも俺は罪を犯したから監獄に罪を償いに行くのではなく、書類上は自己研鑽で監獄に研修に行くのだから。
船着き場に到着して金色のキャリーケースを引いてその大地に降り立つ。そこにはこの刑務所の帽子と制服を着て、茶髪で茶色い目をした溌溂とした女性が立っていた。
「貴方が本日からこの刑務所で研修を受ける土口精さんですね?」
「は、はい。よ、よろしくお願いします」
青藍島を離れて数日、何度も耳にしているはずなのに普通の挨拶をされるだけでその語彙に驚かされる。これが本島での会話だ、2秒に1回隠語が紛れるような会話はしないように気をつけないと。
「お、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「私は
「今なんておっしゃいました? 『わいせつ房』?」
ここも青藍島の一部だったのか? 確かに囚人プレイが出来るようなスポットは無かったから、ココが試験的に建てられたプレイスポットだったとしてもおかしくはない。
「それも含めて所長から説明があります。ついてきてください」
山岸刑務官は何事もなかったかのように話と歩みを進める。ガラガラゴトゴトキャリーケースが揺れるほどに素の地面は悪い。建物に入ればかなりマシになるが、それでも整備が整っているとは言い難い。でも慣れれば床でも平気で寝られるようにはなりそうだ、などと思っていたら所長室と書かれた部屋に到着した。
「失礼します。
山岸刑務官がノックをしてからドアを開ける。机や棚にかなりの書類が積まれており、全てを読めばこの刑務所の全てを知り得ることが出来そうだった。その奥にはロマンスグレーの髪に黒縁眼鏡、紅いマフラーに黒と灰色のチェックの上着とおしとやかながら確かな存在感を放つ女性がいた。
「ありがとうございます山岸刑務官。では土口さん、こちらにお掛けください」
所長に招かれ椅子に座って姿勢を正す。青藍島の人間が常識知らずだと思われないように振舞わなければならない。何から会話を切り出すべきかと悩んでいたら所長が自己紹介をしてくれた。
「私の名前は水城
「自分は────」
「まさか青藍島の『金色の狂犬』が来て下さるとは思いませんでした」
「へっ?」
所長の口から出た言葉は、俺の情報を知っているぞと言わんばかりの物だった。
「土口精。『金色の狂犬』として青藍島の治安維持に大きく活躍し、同性愛やトランスジェンダーを始めとする性的マイノリティに対しての理解を深める活動も積極的に行い、今なお青藍島の最前線で活躍している……という認識でよろしいでしょうか?」
「ま、間違いないです……か、かなりご存じですね……」
「このプリズンの所長として、研修に来る方の情報は知っておかなければ失礼ですので……研修の目的を聞かせてもらってもよろしいでしょうか?」
それはそうだよなあと一人で納得し、自己研鑽のための研修であると簡潔に伝える。すると所長は俺の顔をじーっと見つめ始めた。
「……このプリズンの人間に対してもいい刺激になりそうですね」
「そ、そうですか?」
「私の調べた限りではありますが、貴方はとても優秀な人間です。戦闘能力、学力、判断力、精力……どれをとってもここの刑務官に引けを取らないでしょう。お互いにとって有益な研修になるよう、心からお願いします」
頭を下げて頼まれたのでこちらもと頭を下げる。意外と歓迎ムードで嬉しかった。
「では、三人の看守長にも挨拶をしてもらいましょう。今から呼びますので少々お待ちください」
所長が業務連絡としてその三人を呼び出す。程なくして三人の女性が所長室にやってきた。
「へえ、この坊やが新しく来た研修者? なんとも不真面目そうね?」
ファーを纏って杖を突きながら不躾な黒紫髪の女性がやってきた。俺、コイツ嫌い。
「不真面目かどうかは分かりかねますが、話によると只者ではないようですね?」
刑務官とシスターを足して二で割ったような服装の瞳に十字を宿した女性がやってきた。この人が屑畜生女の言っていたシスターだろう。
「素性や身の丈は後で聞くとして……まずは遠路はるばるチューリッププリズンへようこそ」
右目が隠れるように帽子をかぶった、金髪で
「この度この刑務所で研修を受ける事になりました土口精です。よろしくお願いします……と言いたいですが皆様にお願いがあります」
いきなり何だと言わんばかりに三人が怪訝な目で俺を見る。
「自己研鑽のために来ましたが、それと同時に本当の自分を見つけたいので────ここでは
何を言っているんだと言わんばかりに金髪の女性が俺に一歩詰め寄る。
「理由を聞こう。大した理由でもないのにややこしい事はされたくないのでな」
俺より背が低いはずのだが、一瞬俺と同じ身長かと錯覚するほどの圧を感じた。しかし会長の圧に比べれば大したことはなかったので、俺は堂々と言い放った。
「そもそも自己研鑽は今の自分の在り方に不安を覚えたから行おうと決めました。自分の通り名である『金色の狂犬』を捨てる、それと同意義である『土口精』を捨てれば何かが見えてくるだろうと思いました」
彼女がそれだけかと言わんばかりにふぅん、と軽く鼻を鳴らしたので続けて発言をする。
「あと知人がこの刑務所の囚人で、この刑務所では性的な物が良くないと事前に知りました。土口精なんて5秒もあれば吐精に繋げられる名前は不適切だと思い、自分の呼び名でくだらない揉め事を避けるためでもあります」
その発言を聞いて後ろの女性二人がぷっと吹き出して笑った。そんなに変な事を言ったのだろうか────
「なるほど大した配慮だな? ちなみに私の名前はソフィーヤ・シコレンコだ」
めっちゃ地雷踏み抜いたようだ。女部田郁子並みのマジかよネームだ。ドッと冷や汗が出て胃液が込み上げてきた。もう吐き出すものは無いのに吐きそうだ。
「……誠に申し訳ございません、ソフィーヤ看守長……」
「悪意があったわけではないから見逃すが……勝手な思いやりが他者を傷つけることがあるということを忘れるなよ、九十九研修生?」
「はい、肝に銘じます」
認めてもらえたとはいえ、ソフィーヤ看守長からの好感度はマイナスになっただろう。いつかやらかすだろうと思っていたが、こんなド頭からやらかすとは思わなかった。
「でも、このプリズンの事情を知ってある程度配慮しようとしたことは良いことですよ九十九さん」
ソフィーヤ看守長と入れ替わるようにシスター看守長がやってきた。
「私は
「だから蠟燭と……聖水? の匂いがするんですね」
我妻看守長がまあとその特徴的な瞳を大きくして驚いた。
「とても鼻が利くのですね? 聞いていた噂通りです」
「……花丸凛からですか?」
「はい。よく言っていました……『金色の狂犬』だけは敵に回してはいけないと」
何を吹き込んでくれたんだあの屑畜生女め。もし出会ったら何かと叩いて埃を出してやる。誤解を解くために多少の弁明をさせてもらおう。
「そんなにヤバい人間じゃないですよ。ただ人生でそれなりの不幸があって、ちょっと人より苦労しただけですので……」
「あらあら……何かお辛いことが遭ったらいつでもお話を受け付けますよ」
一見我妻看守長は優しそうに見えるが、俺の本能が警戒しろと吠えている。宗教を悪く言うつもりはないが、宗教は良くも悪くも簡単に人を変えてしまう。神を信じる前に限界まで努力をする俺と我妻看守長は、もしかしたら馬が合わないかもしれない。
「言われたわけでもないのに不幸自慢するなんて……そんなに同情されたいのかしら?」
最後に嫌な女が出てきた。色気は多少あるかもしれないが、この溢れんばかりの人の悪さが全てを帳消しにする。
「私は
「それじゃあ自分も貴方に対して容赦しませんよ売れ残り
俺の発言にピリッとした空気が流れる。
「……今なんて言ったかしら?」
「売れ残り干瓢看守長って言ったんですよ。人も悪ければ耳も悪いと来たら売れ残るのも無理はありませんね。半額通り越して廃棄処分になっちゃいますよ?」
「……何の根拠も無しに人を馬鹿にするのは────」
「もっといい化粧品使ったらどうです?」
俺は両手を合わせてお得意のアレを披露する。
「貴方が使っている化粧品はどれも百均で揃うような物ばかりです。今や男性も若さを保つためにそれなりの化粧品を買う時代です。若さに興味のない女性は女性じゃないと言うつもりはありませんが、女性だったら男性よりも程度若さに気を遣うケースが多いです。なら化粧品もいいものを使うはずですが、貴女はそうではありませんね? 看守長ともなればそれなりの給料はもらっていそうですが化粧品に使っていない……男に女として見られるつもりがないからです」
「……もう結婚して見られる必要がない────」
「その杖は飾りじゃありませんよね? 歩き方も足に不自由がある人のソレでした。それと同時に杖の先に焦げの跡がありますね。その杖、補助具だけではなく武器でもあるのではないのですか? 自分に弱みがあると分かっていながら、他者を頼らず自力で何とかしようとする強情っぷり……初対面の人間に不真面目そうと言う性格の悪さも合いまったら誰も付き合いたいなんて思わないでしょう。ましてそんな人間と結婚する人なんていない……だから売れ残り干瓢看守長と言ったんです」
俺の鮮やかなる推理に全員が唖然としていた。だれも反論できないあたり真実のようだ。
「因みに干瓢は夕顔の実から作られます。ご存じでしたか?」
売れ残りが悔しそうに歯ぎしりをしながら言葉を絞り出した。ざまあみろ。
「…………頭の方は随分といいみたいね。でも、力の方はどうかしら? 所長、彼の力を見たいから体育館をお借りしてもよろしいでしょうか?」
「良いでしょう。彼も含めて全員で彼の実力を知るいい機会です」
一同で向かった体育館に2人の黒いアイマスクと特殊な制服を身につけた女性がやってきた。一人は緑髪のノッポで、もう一人は紫髪の小柄だった。売れ残りが自信満々に説明を始めた。
「紹介するわ。緑の方が
「丁寧にご説明────太田部夏海?」
その名前が俺の記憶に引っかかった。俺は太田部と言われた女性に近づいて話しかける。
「失礼ですが……青藍島出身だったりします?」
「な、何でそれをあなたが……?」
彼女が分かりやすく驚いて動揺した。だとしたらあの子しかいない。
「もっと言ったら……水乃月学園で一番隊にいませんでした?」
「何でそれも……?」
「間違いない! ノロマンちゃんだ! なっつかしーなー! こりゃ郁子先輩へのいい土産話になるなぁおい!」
「……ッ!? もしかしてアナタは、『金色の狂犬』ですか!?」
「その気付きの遅さも健在だな。それでよく『特別警備隊』なんて大出世したなあ?」
意外な所で旧知の
「久々に稽古つけてあげるよ。一発でも俺の頭に触れたら勝ちにしてあげる」
「何を馬鹿なことを……太田部、そこの馬鹿を黙らせなさい」
事情を知らない売れ残りが愉快そうに笑っている。太田部ちゃんが分かりやすくダラダラと汗をかき始めた。
「ちょ、ちょっと待って────」
「よそ見してる暇ねえぞノロマン」
右手を回転させながら掌底を放ちノロマンの喉を打撃する。短い悲鳴が聞こえたのを確認し、左手で貫手を作りノロマンの腹部を突き上げるようにめり込ませる。
「今俺の左手で触られているのが横隔膜だ。ここがイカレたら呼吸が出来なくなる……この意味は分かるな?」
「わ……わたしの……まけ、で────」
「違う貴様の死だ」
左手をぐっと上げ横隔膜を強制的に上げる。カハッと苦しそうな声を聞いて左手を抜き────ノロマンの腰の警棒を右手で奪い振り返りながら突きつける。そこには逆茂木の額があった。
「それで不意打ちをしたつもりか?」
「……音は立てなかったはずなのに……」
「得物を狩る瞬間が一番殺気立つ。獲物を仕留めきるまで気配は殺すか、あえて攻撃を誘って反撃を決めろ。どっちもできないならお前に才能はない、荷物を纏めて家に帰れ」
動けなくなった2人から離れ、呆然としている売れ残りの前に立つ。
「やってみます? 自分は慢性外傷性脳症の既往歴があるので、頭に一発でも杖を当てたらワンチャンスありますよ?」
「…………それが出来たら2人を呼んだりしないわ」
「でしょうね。二度と自分の事を自分の前で悪く言わないでくださいね、夕顔看守長?」
「……陰口は良いのかしら?」
「自分も陰口ぐらい叩きますから、誰かの陰口を咎めたりはしないです」
これで所長や看守長の皆様にも分かってもらえたはずだ。ここの収容所にいる全員にとっての研修が始まったと。