消灯後、釘谷さんからの切り札的情報を頭に入れてダクトルートを通って医務室へ向かう。
「……妙だと思わないか柊一郎?」
「どうしたんだアマツくん?」
アマツくんが話しかけてきたので話しながら道を辿る。
「あの釘谷氏がこんな情報を仕入れられるだろうか?」
「釘谷さんと樋口さんの仲は悪くないと思う」
以前、俺と九十九さんがソフりんに打たれた時に頼るほどの存在だから、そういう話もうっかりしてしまうかもしれない。それに樋口さんは年上がタイプだと聞いた。九十九さんよりも釘谷さんの方が年上だろうからより好きなのだろう。
「私はこの情報は怪しいと思っている。真偽は当然、出所もだ」
「それを確かめるために樋口さんに聞きに行くんだ」
「それはそうだが……用心に越したことはないぞ柊一郎」
「分かったよアマツくん」
そう言って俺は辿り着いた医務室の天井からノックした。
「樋口先生、俺です」
「おっ、今話題の柊一郎さんじゃないか。どうなっているか聞かせてほしいな」
先生に進めれるがままに椅子に座る。相変わらずこのプリズンで唯一の安心する場所だが、今は落ち着いている場合ではない。
「九十九さんと戦っているって聞いたけど────」
「九十九さんとセックスしたって本当ですか?」
「えっ!? うぎゃあ!」
彼女が手に取ろうとしていたエナジードリンクの缶を倒し、机の上に薄赤色の液体を広げた。俺は咄嗟に服を脱いで机に向かって投げ被害を止めた。
「あ、危なかったあ……ありがとう、柊一郎さん」
「本当なんですか?」
すると彼女は先のエナドリの様に顔を赤くして、頭を掻きながら話し始めた。
「いやぁ……拙者も女であるゆえ……そういう欲はあるもんで……九十九くんにならいいかなあって……」
俺の心に何かがピシリと音を立てて走った。地に伏せそうだったが食いしばって何とか堪える。
「どこで知ったのかは聞かないからこの事は誰にも言わないで欲しいなあ……どうかな?」
「誰にも言うつもりはありません」
この事を所長に言えば2人にそれなりの処分が下ることだろう。しかし、そんな風に勝った所で何も得られるものはない。オレにとって大切な人を失うだけだ。だからこの情報を生かして更なる情報につなげるべきだ。
「でも、2人の秘密を知ったので先生の知っている情報を教えて下さい」
「……約束してたもんね。もちろん教えるよ。でも、柊一郎さんも約束してほしいことがあるの」
彼女との約束だったら必ず守る。オレは彼女を悲しませたくない。例え彼に彼女を取られていたとしても。
「絶対に九十九さんを止めてほしいの」
彼女はここではないどこか遠くを見ながら話し始めた。
「私は九十九さんに私の全部を話したんだ。くだらないけど笑える日常会話も、極めて個人的な趣味嗜好の話も、柊一郎さんにすら話していないような過去も。恋愛よりも強い信頼を持っているんだ」
以前彼女と話した時、彼女は中立の立場にいるから必要以上にプリズンの人間に肩入れできないと言っていた。しかし、彼は研修生とはいえ本質的には外部の人間だからそれなりに踏み入った関係なることができた。そしていつの間にか頼り頼られのいい関係になったそうだ。
「九十九さんはこの間ここに来てこう言ったんだ。"湊君を糧にして青藍島に帰って幸せに暮らす"って。でも、そんなの九十九さんらしくないと思わないかな?」
彼女から投げかけられた質問は確かに疑問が残るものだった。オレはは彼の全てを知っているわけではないが、それでも彼が人を犠牲にして幸せになれるような人とは思えない。むしろそういうのを心の底から嫌っているような、皆でハッピーエンドを迎えたがっているような人だ。
「……きっと大切な故郷を持ち出されて冷静さを失っていると思うんだ。だから誰かが止めなくちゃいけない。でも、私には止める力も勇気もないの」
彼女の声が震えた。こんなことは初めてだ。
「……私よりも全然子供な君にこんな無茶な事を頼むなんてひどいと自分でも思っているよ」
「大丈夫です。ゲーム作りと19班があればオレは無敵です。だからオレが九十九さんを止めます……いや────」
今回はもう少しカッコよく決めた方がいいだろう。そうすれば彼女も少しは安心して俺を送り出せるだろう。
「『物故ろしてきてやるぜ、ハニー』」
彼女が振り向いてオレと目が合う。その目はいつもより潤んでいて、少しドキッとした。
「……私のために止めるんだ?」
「樋口さんを悲しませたくないんです」
「……相変わらずわやな事を言ってくれるな君は」
ポンポンと頭を撫でられて彼と立ち向かう勇気を貰い、エナドリを吸って若干ヒヤッとする囚人服を着る。
「それじゃあ九十九さんの情報を教えるね……最近、彼は炭鉱の奥の方で何かをしているよ。指と爪の間を真っ黒にして、たまに打撲の痕を作っていたから……相当な事をしていると思うよ」
はやおきクマさんもそう言っていたが、怪我を作っていることまでは知らなかった。彼が何を考えて何をしているかは分からないが、先手を打たれたらどうしようもない。早急に調べないといけないが、炭鉱は夜も動いているため迂闊に調べられない。ある程度は日中の業務中に調べ、免業日の夜になったら本格的に調べよう。
「情報提供ありがとうございます。ではいい報告を待ってください」
「そうさせていただくよ。それじゃあ最後に……アメちゃん、どーっちだ?」
彼女の右手を指して黒茶色いアメを貰う。甘くてちょっとほろ苦い、初めてのはずなのにどこかで味わったことがあるような不思議なアメだった。
「新しいレシピですか?」
「フルーツばかりじゃ芸がないからね」
ウィンクして笑う彼女に見送られながらダクトに戻る。明日からの炭鉱での調査で必ず何かを掴んでみせる。独房に戻ってアメを舌の上で転がしているとアマツくんが食レポをしてきた。
「この味はココアじゃないか?」
言われてみればそんな気がする。ココアは液体じゃなくて固形にしても美味しいみたいだ。
「……本当にこれでよかったんだよね、九十九さん……」
翌日、全力で採掘作業を終わらせて炭坑の奥を調べる。
「こぉ、この辺りは危険だ……ご安全第一でいく、ぞ……」
炭鉱に関しては俺より先輩の伊栖未と一緒だ。俺が落盤にあってから不吉だと言われて掘り進められていないはずだが、辺りには不自然に岩山が増えていた。明らかに誰かが掘った跡がある。
「九十九さんが掘っているのか……?」
確かに彼なら1人で半班分は掘れるからこの辺りは穴場になるかもしれない。しかし、オレを更生不能房に送るためにこの辺りを掘る必要があるとは思えない。
「しゅ、柊一郎……これ、なんだ……?」
伊栖未が差したのは白い何かが揺蕩っている海水溜まりだった。その白い何かを掬ってみる。とるんとやや重くい揺れ、ゼリー状であることが分かった。
「いぃ、生き物の死骸……?」
「いや違う……これはよく知っているものだ」
学がないと言われるオレでも一発で分かった。
「これは精液だ」
「……せい、えき……?」
精液は水に出しても溶けずにゲル状になる。昔、興味本位で洋式の便器の水面に向かって射精した時に判明した。つまり、ここで誰かが射精したことがあるということだ。あらゆる性が禁止されているこのプリズンでそんなことをしたら一発で懲罰モノだ。そんなことを誰にも悟られずにできるのはこのプリズンで1人しかいない。
「最近の夜の炭鉱で単独行動をしている九十九さんだ」
「つぅ、つまり……九十九さんがここで自慰をしていた……? でも、何でそんなことを……?」
「きっとこのプリズンでしかできないオナニーがしたかったんだ」
所長と心理学の話をした時にカリギュラ効果というものがあると聞いた。禁止や制限されたものに対して興味や実行の意欲が湧く心理現象で、囚人達に脱法おファックへの関心がある原因の一つとも言っていた。最近の九十九さんは謹慎期間中に囚人になっており、看守補佐の時の様に自由にオナニーができなかったであろう期間がある。その状況を逆に利用して"囚人として禁じられたオナニーをする"というまさにHENTAI的発想が出た。それを実行した結果がこの精液が浮かんだ海水溜まりだ。
「……これを持って帰れば重大な遵守事項違反としてそれなりの処分を迫れるな」
「そぉ、それだったら誰も傷つかないで、九十九さんに勝てる、かも……!」
ここに来てついに逆転の切り札を見つけることができた。後はこれを保存できる容器に入れて所長に提出できればオレたちの勝ちだ。ただ、手元にある水筒では中身を所長の所まで持ち出せないので、改めてここに来て何かに入れる必要がある。そろそろ中身が無くなる歯磨き粉チューブがあるからそれを使うとしよう。夜になって19班の皆に進展を伝える。
「ということでかなりいい証拠があった」
「わぁ、私もみたから、間違いない、ぞ……!」
これで皆大喜び────
「あの人がそんな分かりやすい証拠を残しますかね?」
「あまりいい言い方ではないが、奴は青藍島生まれだ。そういうトラップの可能性もある」
「そうですねぇ……あれでも狂犬先生は賢しい部類の人間ですから」
「賢しいなんてもんじゃありませんよ。悪事を考えたら私以上ですよ」
「そういやあたしと戦って勝った際も必要以上に大事にしたくないって五分の盃で手を打ったな」
「ましてあのウィッグ工房を作り上げた人なんだ、何かしら仕込んであるだろうな」
「その場で何かされなかっただけ幸運だったかもしれないますね」
することはなく、むしろ眉をひそめていた。皆の意見を聞いて少し冷静になって考えてみると、確かにいくら何でもうまくいきすぎなような気がする。でも、他の証拠があるかどうか分からないのが現状だ。罠であってもあの証拠を調べる以外の道がない。
「……仕方がない。この中で比較的自由に動ける私が同行しよう」
ソフりんが付いてきてくれるなら安心だ。
「お姉ちゃんに何かあったら嫌なので看守を数名買収して同行させますよ」
「それじゃあ波多江組からも数名行かせるとするか」
これだけの人が来てくれるなら問題ないだろう。明日は免業日だから早速調べるとしよう。
翌日の昼、囚人と看守共同で炭鉱の点検という形を取って8人程で現場に向かった。記憶を辿って薄暗い道を進んで切り札のある場所に────そこには岩山が積み上がっていた。昨日の夜は確かにここにあったはずなのに。
「おやおや……こんな所に大勢でいたら落盤事故が起こった時大変ですよ?」
「九十九……さん……」
オレたちの前から刑務官の服を着てツルハシを右肩に乗せた九十九さんが現れた。恐らくすでに証拠隠滅をした後なのだろう。逃すまいとソフりんが一歩詰め寄って鋭い視線を送った。
「お前こそ1人の時に事故にあったら助けてもらえないぞ? 何をしていたんだ?」
「私物を処分しました。捨てようにも分別が面倒なので」
「物を捨てるために落盤を起こすのか?」
「誰にも見られたり掘り起こされたくない物ってあるでしょう? 昔の自分の日記とか、駄作を確信した時のプロットとか」
彼は尋問をのらりくらりと交わしている。不法投棄で報告しても厳重注意、どれだけ酷くても減給処分で大したダメージにはならないだろう。俺はソフりんにもういいですよと一旦下がってもらって、代わりに俺が前に出てた。
「そうですね。俺だって球技大会の記憶はそんな風に捨てたいです」
「共感してもらえてうれしいよ。それじゃ、くれぐれも事故にだけは気をつけてくれよ」
そう言って彼はオレたちの横を通って昇降機に向かっていった。どうしようもなくなったオレ達も彼の後に続くように昇降機に乗った。こうなったら彼が射精した直後の現場を狙うしかない。恐らく今夜が正念場になるだろう。