消灯後、空にした歯磨き粉チューブを持ってダクトルートを通って炭鉱の奥地に向かう。万が一に備えてソフりんと落ち合う約束を取り付けたから急ぎ足で進んでいく。そして行動に降り立ち────1人分の刑務官の服が乱雑に破かれて地面に散っていた。この服のデザインはソフりんだ。もしや先に来たソフりんが九十九さんに────
「うおおお! ソフィーヤ看守長おおお!」
奥から獣のような彼の声が聞こえてきた。俺は何も考えずに声のする方へ駆けだした。そこでは裸────ではなく刑務官の服を着た彼女が転がされていて、何故か上裸の九十九さんが刑務官の帽子を顔に押し当てながら陰茎を扱いていた。
「ロシア系のクールな匂い! 緊張でかいた汗のじっとりとした感触! 最高のオカズだ! 上司から衣類を強奪して行う懲戒免職確定射精ブチ決めるううう!」
本当に何が起きているのか分からなくて思考が停まってしまった。そして彼が股間から薄暗くても分かるほどの量の白濁液を壁面に叩きつけた。それを見て反射的にその射精が如く飛び出してしまった。とにかくこの歯磨き粉チューブに入れないと────
「ダメだ湊今来たら────」
「糸が紡ぐは終焉の檻。罪科の舞う牡丹百合の監獄────さぁ、四肢が散っても踊れるか試しましょう?」
彼の酷く冷静な声と共にオレの身体が動かなくなった。まるで全身に紐が巻き付いたかのように締め付けられ、チューブを地面に落としてしまう。
「コイツは故郷で仕込んだ手品だ……このプリズンでは一度も見せたことがなかったから決まると思ったよ」
そう言って彼は俺を彼女の隣に転がしてニヤリと笑った。その顔はまさに『やりたいようにやった』と言わんばかりだった。
彼がコツコツと歩いてチューブを拾って俺に見せつけてきた。
「コイツに海水交じりの俺の精液を入れて、俺が炭鉱で自慰をしているというのを所長に報告するつもりだったのかな?」
なぜ彼が俺の作戦を知っているんだ? まさか先に来ていた彼女から聞き出したのか? 横で同じく動けなくなっている彼女に目線を送ったが、口を堅く結んで首を横に振ったから違うらしい。
「彼女が来たのは計算外だったよ。それでも利用できるプランを咄嗟に思いつけたがね」
「すまない……! 私としたことが不覚を……!」
彼女もこの不意打ちの拘束を喰らって動けなくなったのだろう。そしてこの奥地まで連れてきて姿を隠し、俺が来るのを待っていたのだ。
「俺の刑務官の服は彼女と同じデザインだから、ちょっと破いて散らせば誤認するだろうと思ってね。彼女と仲の良い君なら間違いなく来るだろうと思ったよ」
彼の言う通りでしかなかった。しかし、それでも納得がいかないことがある。
「なぜ俺がここに証拠を集めに来ると予測できたんですか……俺は九十九さんが炭鉱の奥で何かしているっていう情報を────」
「樋口さんから聞いたんだろ? きっと俺と樋口さんが体の関係を持ったことをネタに聞き出したんじゃないかな?」
何で彼がそのことまで知っているんだ。それは俺と樋口さんだけしか知らないはずだ。しかし、彼は俺の疑問すら見透かしたように話を続けた。
「俺が樋口さんに言ったからだよ。"湊君が俺と樋口さんの体の関係を知ったら話してほしい"ってね」
その段階からすでに彼の策略だったようだ。だとしたら都合がよすぎた釘谷さんの情報の出所も分かった。
「あの手紙は九十九さんが書いたものだったんですね……」
「流石の釘谷さんも俺と樋口さんの関係までは知る由もないだろうよ。だってセックスしたのは本島のラブホテルだからな。それだけじゃない。方々への根回し、19班のゲーム完成、事後処理……2週間の謹慎期間で全てを整えた。それが今のこの状況だ」
何もかもが彼の手の平の上だった。
「そして今の君なら"消灯後を狙って脱走した収容者"として更生不能房へ送れる……そうすればあの誓約書が効力を有するわけだ」
「まて……私の証言があるぞ……! それはどうするつもりだ……!」
「あなたには"脱走を図った収容者によって葬られた哀れな看守長"になってもらいましょう。落盤事故で出来た死体なら誰も深入りしないでしょうから」
完敗だった。彼はオレをここに誘いだすためにここまでの作戦を考えて準備して実行した。残すところは俺達2人を利用して夢をかなえるだけ────
「でも、それじゃあ俺の『やりたいようにやる』に合わない。だからここは正々堂々と決着を付けようぜ2人とも」
体の締め付けが緩む。彼女も同じように緩んだ様なので、目合わせて同時に立ち上がる。
「オレたちを同時に始末できる最大のチャンスでしたけど、いいんですか?」
「君たちぐらいならいつでも排除できるが、本気で
「私たちに負けられない状況を背負わせたという所か……相変わらず恐ろしい奴だよ、確実に勝てるという慢心がなければ」
「不意打ちを決めれば勝てることは証明できましたので。後は実力勝負で勝てば完全勝利でしょう」
九十九さんがかかってこいと誘うように人差し指をクイクイ動かす。彼の策略は完成しており、もはやオレたちに逃げるという選択肢は許されない。ならば万が一でも勝機がある選択をしなければならない。どれだけ九十九さんが強くても一人であることには変わらず、オレと彼女が力と息を合わせれば勝つこともありえなくはないはずだ。
「気をつけろ湊……洗脳状態で戦ったのにも拘らずコイツの強さは記憶に鮮明に残っている。暴走しなくても常識外れの強さだ」
「ですが射精直後はかなりの疲労感があります。それに彼は夜に強くないそうです」
「なら長期戦を狙ったほうが良いか……中々寝付けない生活になって良かったと初めて思えたよ」
「露出狂は夜に活動するので夜には強い方なので安心して下さい」
2人でファイティングポーズをとって彼と対峙する。それを見て彼は心底嬉しそうにくつくつと笑い出した。
「これだよ最近の俺がずっと欲していたのは……お互いに退いたら破滅しかない極限の死線……俺はどこまで幸せになってもコレを望んじまう……さあ、君達に俺を終わらせることができるかな?」
彼が戦闘態勢に入る。ただでさえ暗くヒヤリとした炭鉱に凍るような殺気が走る。炭鉱での命の危機とは比べ物にならない、かつてのソフィーヤ看守長に向けられた以上の悪意を感じる。
「さァ、交わり乱れて狂いましょう?」
彼が一気に踏み込んでオレに近づく。咄嗟にしゃがんだ頭上に彼の右脚が空を切った。その隙を狙うように彼女が彼にタックルを────振り抜いた右脚の勢いを回し蹴りの要領で左脚に移し替えてそのまま彼女に放った。
「なっ!? ぐっ!」
持ち前の反射神経で何とか防げたようだが、そのまま人2人分離れた壁面まで飛ばされてしまった。その代わりにガラ空きの横腹を見せた。組長や太田部さんに鍛えてもらった右正拳突きを叩き込む。ドッと確かな打ちごたえを実感する────
「攻撃の基本は打ったらすぐに引くだぜ」
言われるまでもなく拳を引いていた。それでも彼はオレの拳に追い付くように左拳を打ち当てた。もし引いていなかったら砕けたんじゃないかと思うような衝撃と痛みが走る。追撃を防ぐために一度距離を取って仕切り直す────
「二対一じゃなきゃ話にならないぜ」
彼がフィギュアスケートのアクセルの様に踏み込んで回転しながら跳んできた。追うように彼女が駆け出すが、彼はそれを見越したかのように両腕を広げて彼女への迎撃とオレへの追撃を同時に行ってきた。彼女は片手で受け止めて立ち止まる程度だったが、俺は両腕で防いだのにも拘らず仰け反った。
「一対多を捌くには素早い範囲攻撃と────一秒でも早く頭数を減らすことが重要なんだ」
彼が着地の寸前に姿勢を低くして足払いを放った。仰け反って対応できなくった俺はそのまま後ろに倒れる。何とか腕を動かして頭を守ることができたが、これだと立ち上がるのに一手かかってしまう。すでに彼は彼女に向かっていて、拳を振り上げていた。
「一つ助言を……人、場所、物、概念と何かを守るのに躊躇っていたら何も守れませんよ。何かを守るために振るった力がどんな結果をもたらしたとしても俺が許します」
「っ……!」
「自分の持つ力を恐れないでください。あなたは自分の弱さを認められる強い人ですから」
「……なら遠慮しないぞ! 九十九!」
覚悟を決めた彼女が降り抜いた警棒が彼を捉えてよろめかせた。ついに有効な一打が判明しオレたちの勝ち筋が見え始めた。俺は立ち上がって彼に向かって走りだし、お返しと言わんばかりにスライディングで足を狙った。当たりはしなかったものの避ける方向が後方のみに限られていて、彼が壁にドチャリともたれかかった。
「ナイスアシストだ湊!」
「チィッ……! 流石に甘く見過ぎてたか……!」
すかさず立ち上がって隙を作り出すために駆け出して────彼が指を弾いて液状の何かを飛ばした。あまりにも早く防げず目に入ったが怯むことなく彼の足元に組み付く。
「マジかよ……!」
「今だソフりん!」
「任せろ湊!」
頭上でブオンブオンと警棒が振るわれる音とバシバシと当たる音が聞こえてきた。足を封じられた彼に避ける術はなく後は彼女が決めるだけ────突然目に激痛が走り、反射的に目を抑えてしまった。
「感染症の心配はねえと思うが擦らねえほうがいいぜ。あともう少しで終わるから流水で15分ぐらい洗えば治るから安心しな」
そう言い放った彼に蹴り飛ばされ地面を転がる。
「湊!? ……っ、この匂いはまさか!?」
「最近は忙しくてご無沙汰でしたので……おかげでしばらく壁にへばりつくぐらい濃いのが出ましたよ。そして一対一なら俺のが上ですね」
「っ! うぐあっ……」
俺の近くに誰かが落ちてきた。直前の声から察するに彼女だろう。
「……頃合いだな。んじゃ、ご安全に」
彼の呟きの直後にパンパンパンと数発の銃声が響く。そしてガラガラと不吉な音が響き────ドゴシャアと落盤が起こった。
痛みを堪えて目を開けると、オレの隣にお腹を抱えてうずくまっている彼女がいた。
「だ、大丈夫ですか、ソフりん……」
「あ、ああ……かなり重い地劇だったが……っ!? アレを見ろ湊!」
彼女が指さした所、つまりさっきまで彼が立っていた場所には岩山ができていた。つまりあの中には────咄嗟に駆け出して岩を取り除く。
「手伝ってください!」
「ああ! 色々話してもらわないと納得がいかないからな!」
彼女と2人で岩山を退けていく。大小さまざまな岩があったが、カッターや発破の必要がない岩だけだったのは幸いだった。退けていく内に彼の特徴的な金髪が見えた。早く呼吸できるように顔を出さないと────ふとぬるりとした生暖かい何かに触れる。手を見ると赤い液体がついていた。鉄みたいな匂いがする────血だ。
「確かこいつは頭を打ったらダメな病気じゃなかったか……!?」
「そうでなくても頭部からの出血はよくないです! 早く助けないと!」
「おい九十九! 九十九!? っ、マジか意識がないぞ!?」
「ならなおさらです!」
引っ張り出せる最低限の岩を取り除いて彼を救い出す。先までの動きをしていたとは思えない程力なくぐったりとしていて、誰が見ても命の危機を予感させた。
「なるべく揺らさないで2人で運びましょう! オレが足を持つのでソフりんは頭の方を!」
「分かった! 聞いてるか九十九! 死んだら承知しないぞ!」
静かに、それでもなるべく早く医務棟に向かう。彼を死なせるわけにはいかない。衝突してしまたっとはいえ、大切な19班の仲間だから。