コールをしてやってきた看護師たちと一緒に目覚めた精の状態を確認をする。
「あなたの名前は何ですか?」
「……分からねえ」
「今、ここはどこですか?」
「病院じゃねえのか?」
「今は何年、何月、何日ですか?」
「……カレンダー見ねえと分からねえ」
「お前……私が分からないのか……?」
「……私服で荷物を持っているから見舞いに来たのは分かるが、誰なのかは分からねえ」
その後医師も交えて色々な質問をした結果、思考能力に問題は問題ないが、自身や青藍島に関する記憶が無くなっていた。何かの拍子に思い出すかもしれないとは言われたが、私としては思い出させたくなかった。今まで築き上げてきた思い出がなかったことになるのはとても悲しいが、『金色の狂犬』を思い出したらまた無茶をしかねない。そうさせないためにあらかじめ手を打つ必要がある。
「……少し外の空気を吸ってきます」
私は荷物を持って病院を出て桐香様に電話を繋ぎ、彼の容態を伝えた。
「……なので退院するまで私が近くにいます。セレンとレイラは私が何とか説得します」
「その件なのですが、先ほどセレンくんから伝言を頼まれました。『お父さんの傍にいてあげて』とのことです。ありったけの有休を使えば1か月ほど休める計算です。前借すれば2ヶ月も夢じゃありませんよ」
「それでお願いします。そして……『金色の狂犬』の隠匿は念入りに行ってください」
「……少しだけ良い事を教えます。土口家は『乱世を生む一族』であり『愛がなければ死ぬ一族』だそうです。家族からの愛があれば彼が死ぬことはないでしょう。頑張って下さい」
桐香様からの激励を受けて心が燃え上がる。一礼をして通話を切り、病院のスタッフに宿泊施設に関しての情報を聞く。幸い、近くに提携しているホテルがあるらしいのでそこを予約してもらえた。頭へのそれなりに深い傷ということもあり、彼は1週間程入院することになるらしい。それに伴って私も同期間の宿泊をすることになる。なんとしてでも"ただの青藍島民土口精"を守らなければ。
ホテルに向かってチェックインを済まし、部屋に着いて何とか一息つく。とりあえず話を分かってくれそうなセレンに事情を説明する所から始めよう。
「もしもしお母さん? お父さんはどうだった?」
「ああ……正直良いとは言えないな…………と言う訳なんだ。だからお父さんが『金色の狂犬』であることは隠してほしい」
「……そうだね。お父さんが自分から気付くまで言わないほうが良いだろうね」
「レイラは近くにいるか? できれば説明したいんだが……」
「そろそろ学校から帰って来ると思うけど────」
「ただいまあ! 腹減ったあ!」
何も言っていないから事情を知らないとはいえ、無遠慮すぎるレイラの声が聞こえてきた。セレンが電話を代わっている間に準備するからと優しく諭してレイラと代わる。
「朝からどこ行ってんだお袋? 仕事か?」
「実は……ということがあってな……だからお父さんが『金色の狂犬』であることは隠してほしいんだ」
「ふーん……まあお袋が言うんなら従うがよ……」
レイラも歳に見合わない冷静さで対応している。母親が朝からいなくてその母親から父親が意識不明と言われたら、普通はもっと取り乱すものではないだろうか。
「ただ、あの親父が記憶をなくしたぐらいで大人しくしていられるかねえ?」
「記憶を失っているんだ、何をしようにも情報がないから無理だろう」
「記憶ってのは脳だけじゃなくて臓器にも宿るらしいぜ? たとえそうでなくても魂に刻まれたらどうしようもないだろ」
意外とオカルト的なモノも信じているようだ。その辺りは不思議な価値観を持っているというか、妙な所で彼に似ている。しかし現状はそんな物よりも確かな現代技術を信じるべきだ。青藍島が全力で情報規制を敷けば『金色の狂犬』ぐらい簡単に隠し通せるだろう。
「とにかく『金色の狂犬』は禁句だ。気をつけろよ」
「そんだけ言うんなら気をつけるがよ……まあ、あーしがとやかく言うことじゃねえか。連れ帰るまで親父の事は頼んだぜ」
「レイラー、八宝菜できたよー」
「飯できたから切るぜ。こっちは兄妹で仲良く暮らすから安心してくれ。そうだ、病院で3人目をこしらえるのだけは止めてくれよ。んじゃ」
相変わらずマイペース過ぎる我が子の声にどこか安心感を覚える。この調子で色んな人に『金色の狂犬』の隠匿を進言していこう。
「……そうだね。ここ最近の精くんは頑張りすぎだもんね。いい加減ゆっくり休んでもらおうか」
「畔から自体は聞きましたが……精が記憶喪失ですか……分かりました。友として全力でアイツを休ませてやりますよ。NLNSの皆にも伝えておきます」
「精くんが記憶喪失!? 僕のデータでよみがえらせたい所ですが……了解しました。彼が好きそうな音声データを集めて待っています」
「ベルさんと精さんの好みは似てるっすからね。ウチの部署の皆にも大隊長命令だと伝えておくっす」
皆協力的でとても嬉しかった。皮肉にも彼が『金色の狂犬』として頑張ってきた結果だろう。今日は移動で疲れてしまったのでゆっくり休んで、明日から本格的に彼と接するとしよう。
「……腹が減ったな……」
こんな事態でも人間は腹が減るらしい。部屋にある調理器具は電子レンジぐらいしかないので、どこかで買うか食べてくる必要がある。スマホで調べたら近場の良い感じのイタリアンレストランがあったので、必要最低限の荷物を持って向かう。性的な物が一切ない町並みは久々で、驚きと安心感を同時に感じて不思議だった。
「ねえねえそこの綺麗な長い髪のおねーさん! おれたちと一緒にディナーしなーい!?」
今どきこんなナンパをされるのかと呆れて振り返る。ピアスやネックレスに指輪といったチャラチャラしたアクセサリーに、何と書いて分からない英語のティーシャツをきたいかにもな男性2人がいた。
「うおっ! スッゲェ美人じゃん! あ、おれたち本当にお金持ってるから! ほら!」
高そうな黒い革の長財布から万札を数枚チラつかせてアピールしてきた。しかし、金も男にも間に合っているので丁重にお断りする。
「気持ちはありがたいが……今はそういう気分じゃないんだ……他を当たってくれ」
「食べたり飲んだりすればそういう気分も吹っ飛ぶって!」
「あんたみたいな美人さんが暗い顔してちゃダメだぜ!」
下心なのか親切心なのかあるいは両方なのか判断がつきにくい言い方だ。ここははっきりと情報を言って明確に断ろう。
「……主人が重症で入院してそれどころじゃないんだ。放っておいてくれ」
「だったらなおさら笑わなきゃダメじゃないか! そんな顔してちゃご主人も不安だろうぜ!」
「流行りのタコス屋行いこうぜ! タコスとテキーラ決めたらどんな気分も────」
「おいお前たち何をしている! 女性が嫌がっているだろう!」
溌溂とした勢いの良い女性の声が割って入る。その声に怯んだのか男たちが頭を下げた。
「っ、す、すみません……ちょっと強引すぎたみたいっすね……」
「でも暗い顔は良くないぜ! 笑えるようになったら思いっきり笑うんだぜ!」
存外聞き分けの良い奴らで、そのまま離れるようにおそらくタコス屋に向かった。
「大丈夫ですかご婦人?」
先の女性の声が私にかかる。振り返ると、以前彼が送ってきた自撮りの写真と同じような刑務官の服を着た茶髪の女性がいた。助かったのでしっかりとお礼を言わないと。
「ええ、おかげさまで大丈夫です……ありがとうございました」
「いえいえ。例えプリズンの外であれ、不埒な輩には厳しくあるのが刑務官でありますから」
彼女は自分の仕事に確かな誇りを持っているのか、歯を見せてニカリと笑った。
「そうだ。これも何かの縁です、是非ともこちらをどうぞ」
彼女がショルダーバッグから1枚の紙を取り出す。思わず目を引かれるイラストを背景に、『チューリップ・プリズン矯正展!』と堂々と書いてあった。
「ああ、申し遅れました。本官、チューリップ・プリズン矯正展広告担当山岸姫瑠と申します」
考えてみればここはあのプリズンから最も近い大きな病院だ。プリズンの関係者がいてもそこまでおかしなことではないだろう。失礼だが今はあまりその手の話題をしたくないので適当に流させてもらおう。
「っ、そ、そうですか……頑張って下さいね。では、私はこれから夕食を食べに行くので……」
「そうでしたか。ご婦人は美しいですから気をつけてくだ……」
彼女が首をかしげて私の顔を見つめてきた。
「な、何か変な事でも言いましたか……?」
「いえ……以前とあるプリズンの誰かが言っていた女性の特徴と似ていまして……はて……誰の何だったかなあ……」
彼はプリズンでも惚気話していたらしい。妻としては嬉しいが、たった今に限っては厄介でしかない。
「まあ……自分の顔はよくある顔だと思いますから……」
「うーん……私は中々美しいと思いますが……ストレートのロングヘアーに鳶色の瞳……あっ、そうだ! 九十九が言っていた奥さんの特徴とそっくりなんだ! もしかして奥様ご本人ですか!?」
ここまではっきり言われてなおしらばっくれるのは無理だろう。諦めて一礼する。
「……主人がお世話になっています」
「そうでしたか! いやー、九十九が言っていた数倍は美人ですね! アイツも幸せ者だなあ……! でも、ロクに連絡も取ってないんですよね?」
「まあ……必要最低限ですね……」
「アイツは俺への試練だなんて言ってましたけど、女性としてはやっぱり構ってほしいですよねえ?」
「え、ええ……でも、主人はそういう人ですから……」
「アイツは優秀ですけど、妙な所で常識がありませんからね……プリズンに戻ったらガツンと言っておきますよ! それでは、失礼します! 九十九の事は任せてください奥さん!」
そう言って彼女は敬礼をしてチラシを配りに戻っていった。物事を知らないというのは時に幸せになれるらしいが、羨んでいても仕方がない。早くレストランに向かってらしくもなく憂うとしよう。
窓辺の席に座りお得なディナーコースを頼んで、待ちながら意味もなく街を眺める。夜の街に輝く車や建物の光がやけに眩しく感じる。
「……アイツは研修先でもうまくやっていたんだな」
彼の優秀さから言えば当たり前なのだが、それだけに今回の事故が不思議でしょうがない。深夜の探鉱作業なんてどう考えても危険なのに、何故彼は行ったのだろうか。何か思惑がありそうだが私が知る由もないし、例え思いついたとしても彼は綺麗に忘れてしまっているから確認できない。
「……折角良い店に来たんだ、余計な事は考えないようにしよう」
「お待たせしました。食前のノンアルコールワインです」
運ばれてきたワインのグラスをそれっぽく揺らして眺める。ありがちな赤ワインの色だな程度の感想しか出てこなかったので、クッと一口含んで舌の上で転がす。アルコールの類は嗜む程度にしか飲まないが、結構本物っぽくて驚いた。これだったら彼も祝賀会で失態を晒さなかっただろうなと思い出に浸る。
「お待たせしました。アンティパスト*1のインサラーラティポルポタコとセロリのサラダみたいな料理です」
「お待たせしました。プリモ・ピアット*2季節の野菜たっぷり冷製パスタです」
「お待たせしました。セコンド・ピアット*3のチキンソテーのポルチーニソースかけです」
「お待たせしました。ドルチェ*4のティラミスです」
どれもこれも凄く美味しかったが、最後のティラミスだけは彼が作った物の方が美味しかった。また作ってくれるだろうか。いや、ココアが関わる物は全般的にダメだろう。となるともう食べられない可能性がある。
「……まあ、これも仕方がないことか……『金色の狂犬』へ献杯するか」
明日以降は彼から『金色の狂犬』を遠ざける日々になる。胸の高さまでグラスを持ち上げ、一気に飲み干す。これで少しは気持ちが前を向くだろう。